第2話 松田さんとアルコール砲
文字数 1,904文字
時は足早に過ぎ去り、アルコール砲を作り続けて一年が過ぎた。
もはや威力のない紙コップの弾では物足りない。そう思っていた僕は、二年生になったタイミングでコルク弾に手を出した。弾の素材を紙からコルクに変えることで威力が上がるのは勿論のこと、砲身を細くして飛距離も伸びるように設計図を書き直したのである。かくして研究はさらに進化を遂げ、最強のアルコール砲が完成する日も近いように思えた。
その日の放課後。部室の化学実験室には僕と松田さんの二人しかいなかった。他の部員たちも怖くて近寄りがたいと感じているのか、彼女はひとりで部室にいることが多かった。僕はそれまで松田さんと接したことがほとんどなかったから、彼女が本当に怖い人なのかどうかは知らなかった。ただ真関くんによれば松田さんは自分の茶色い髪について、これは生まれつきなのだと学校に嘘の説明をしているらしかった。
視界の外にいる彼女を気にしながらアルコール砲を改良していると、暇そうにしていた松田さんが立ち上がってこちらに近づいてきた。
「先輩、何してるんです?」
猫のような目を細めて松田さんが聞いた。いくら他に相手がいないとはいえ、こんな冴えない先輩に話しかけるなんて変わった子だと思った。
「い、いや、別に何も……」
相変わらず女子に耐性がないので、僕はしどろもどろになって目が泳いだ。
「でもそれって、アルコールで弾を飛ばす奴ですよね?」
「えっ? これが何だかわかるの?」
驚いて思わず聞き返した。彼女が入部したのは真関くん目当て。だから科学になんかこれっぽっちも興味がないと思っていたのである。
「私も自由研究で作りましたから。これってもう完成してるんです?」
話が少し逸れるけど、松田さんは「ですか?」の「か」を発音しない話し方をする。僕は不覚にも、この舌っ足らずな感じがとても可愛いと思ってしまっていた。
「まぁ大体は……今はコルク弾がまっすぐ飛ぶように改良してるけど」
「コルクを飛ばすんです? 私が作った時は紙コップでした」
松田さんがコルク弾の話に乗ってくれたので嬉しかった。これまで僕の研究成果に興味を持ってくれたのは、真関くんを除けば彼女だけだった。
「威力が物足りなくて、紙コップは一学期で卒業したんだ」
「コルクは当たったら痛そうですね」
「人にむけて撃っちゃダメだけど」
だんだん楽しくなってきて饒舌になった。不思議と噛まずにしゃべれたので、自分でも心の中で驚いていた。
「ふふっ、たしかに」
松田さんが笑う姿をはじめて見た。不良と付き合っていそうな危ない人だと思っていたのに、彼女はとても笑顔が素敵な子だった。
![](https://img-novel.daysneo.com/talk_02/thumb_efbe53e26423d1ca64a8c816f7cd5d59.jpg)
「先輩、これ撃ってみてもいいです?」
松田さんに頼まれて、エタノールと酸素を注入したアルコール砲を渡した。彼女は誰もいない空間に砲口をむけると、僕の合図でコルク弾を撃ち出した。ところが弾は想定の軌道を外れ、部室の壁に深々とめり込んだ。
「おう、まいがっと……」
松田さんがはっきりとした日本語口調の英語で、天に助けを求めた。
「学校の壁って、こんなに脆いんだ……」
彼女のおかげで新しい発見はできたけど、僕が先生に怒られる未来を避ける術は、どこにも見つかりそうになかった。
職員室で先生に絞られて部室に戻ると、松田さんが僕にむかって深々と頭を下げた。
「先輩、さっきは本当にすみませんでした!」
「松田さんのせいじゃないよ。未完成品を渡したのが悪かったんだ」
女の子との会話が盛り上がって浮かれたあげくの顛末。おかげでアルコール砲の研究は禁止されてしまったけど、自業自得なので仕方なかった。
「先輩が研究を続けられるように、私が先生に頼んできます!」
松田さんが息巻いて出て行こうとしたので、慌てて引きとめた。
「ありがとう。でもいいんだ。もともと暇つぶしで始めた研究だし」
「だけどこのままじゃ……撃ったのは先輩じゃないのに」
あの後、僕は恰好を付けたくて、顧問の先生に自分で撃ったと嘘をついて松田さんを庇った。そんな下心から出た行動なのに、こうして気を遣われてしまうと彼女を騙したみたいで心が痛んだ。
それからというもの、松田さんは僕に懐いてくれるようになった。さらに松田さんは笑顔と話し方が魅力的でとても純粋な女の子だ。けれど僕ごときがそんな彼女を好きになったところで、その先にハッピーエンドが待っているとは思えなかった。
そもそも松田さんは真関くんに惹かれてここに来たのだ。魔が差して彼女に告白なんかをしてしまって、拒絶されるのはとてもじゃないけど耐えられない。大体にしてこんな卑屈な考え方しかできない自分が、松田さんと釣り合うわけがなかった。
もはや威力のない紙コップの弾では物足りない。そう思っていた僕は、二年生になったタイミングでコルク弾に手を出した。弾の素材を紙からコルクに変えることで威力が上がるのは勿論のこと、砲身を細くして飛距離も伸びるように設計図を書き直したのである。かくして研究はさらに進化を遂げ、最強のアルコール砲が完成する日も近いように思えた。
その日の放課後。部室の化学実験室には僕と松田さんの二人しかいなかった。他の部員たちも怖くて近寄りがたいと感じているのか、彼女はひとりで部室にいることが多かった。僕はそれまで松田さんと接したことがほとんどなかったから、彼女が本当に怖い人なのかどうかは知らなかった。ただ真関くんによれば松田さんは自分の茶色い髪について、これは生まれつきなのだと学校に嘘の説明をしているらしかった。
視界の外にいる彼女を気にしながらアルコール砲を改良していると、暇そうにしていた松田さんが立ち上がってこちらに近づいてきた。
「先輩、何してるんです?」
猫のような目を細めて松田さんが聞いた。いくら他に相手がいないとはいえ、こんな冴えない先輩に話しかけるなんて変わった子だと思った。
「い、いや、別に何も……」
相変わらず女子に耐性がないので、僕はしどろもどろになって目が泳いだ。
「でもそれって、アルコールで弾を飛ばす奴ですよね?」
「えっ? これが何だかわかるの?」
驚いて思わず聞き返した。彼女が入部したのは真関くん目当て。だから科学になんかこれっぽっちも興味がないと思っていたのである。
「私も自由研究で作りましたから。これってもう完成してるんです?」
話が少し逸れるけど、松田さんは「ですか?」の「か」を発音しない話し方をする。僕は不覚にも、この舌っ足らずな感じがとても可愛いと思ってしまっていた。
「まぁ大体は……今はコルク弾がまっすぐ飛ぶように改良してるけど」
「コルクを飛ばすんです? 私が作った時は紙コップでした」
松田さんがコルク弾の話に乗ってくれたので嬉しかった。これまで僕の研究成果に興味を持ってくれたのは、真関くんを除けば彼女だけだった。
「威力が物足りなくて、紙コップは一学期で卒業したんだ」
「コルクは当たったら痛そうですね」
「人にむけて撃っちゃダメだけど」
だんだん楽しくなってきて饒舌になった。不思議と噛まずにしゃべれたので、自分でも心の中で驚いていた。
「ふふっ、たしかに」
松田さんが笑う姿をはじめて見た。不良と付き合っていそうな危ない人だと思っていたのに、彼女はとても笑顔が素敵な子だった。
![](https://img-novel.daysneo.com/talk_02/thumb_efbe53e26423d1ca64a8c816f7cd5d59.jpg)
「先輩、これ撃ってみてもいいです?」
松田さんに頼まれて、エタノールと酸素を注入したアルコール砲を渡した。彼女は誰もいない空間に砲口をむけると、僕の合図でコルク弾を撃ち出した。ところが弾は想定の軌道を外れ、部室の壁に深々とめり込んだ。
「おう、まいがっと……」
松田さんがはっきりとした日本語口調の英語で、天に助けを求めた。
「学校の壁って、こんなに脆いんだ……」
彼女のおかげで新しい発見はできたけど、僕が先生に怒られる未来を避ける術は、どこにも見つかりそうになかった。
職員室で先生に絞られて部室に戻ると、松田さんが僕にむかって深々と頭を下げた。
「先輩、さっきは本当にすみませんでした!」
「松田さんのせいじゃないよ。未完成品を渡したのが悪かったんだ」
女の子との会話が盛り上がって浮かれたあげくの顛末。おかげでアルコール砲の研究は禁止されてしまったけど、自業自得なので仕方なかった。
「先輩が研究を続けられるように、私が先生に頼んできます!」
松田さんが息巻いて出て行こうとしたので、慌てて引きとめた。
「ありがとう。でもいいんだ。もともと暇つぶしで始めた研究だし」
「だけどこのままじゃ……撃ったのは先輩じゃないのに」
あの後、僕は恰好を付けたくて、顧問の先生に自分で撃ったと嘘をついて松田さんを庇った。そんな下心から出た行動なのに、こうして気を遣われてしまうと彼女を騙したみたいで心が痛んだ。
それからというもの、松田さんは僕に懐いてくれるようになった。さらに松田さんは笑顔と話し方が魅力的でとても純粋な女の子だ。けれど僕ごときがそんな彼女を好きになったところで、その先にハッピーエンドが待っているとは思えなかった。
そもそも松田さんは真関くんに惹かれてここに来たのだ。魔が差して彼女に告白なんかをしてしまって、拒絶されるのはとてもじゃないけど耐えられない。大体にしてこんな卑屈な考え方しかできない自分が、松田さんと釣り合うわけがなかった。