第2話 太宰とボードレール
文字数 2,000文字
「空山くんとこんな風に座るのは久しぶりだね」
キャンプ場にむかう列車の中、隣に座っている山本さんが袋菓子を僕に勧めながら言った。
彼女が差し出している菓子袋の中身はかりんとう。中学生の彼女が選んだおやつとしては、かなり渋い選択に思えた。
「山本さんは、かりんとうが好きなの?」
「うん。おばあちゃんも好きなの」
今まで知らなかったけど、話を聞く限り、彼女はおばあちゃん子のようだった。
黒糖に包まれた艶のあるかりんとうをかじると、口の中に優しい甘味が広がって、僕はそれだけで幸せな気持ちになった。
「そういえば山本さんと空山って、一年から同じクラスだったんでしょ」
むかい席の水田さんが、かりんとうの袋に手を伸ばしながら山本さんに聞いた。彼女は最近転校して来た帰国子女で、以前はアメリカに住んでいたらしい。英語ができて僕よりも背が高く、外国の女優さんのような堀の深い目鼻立ちをしていた。
「でも去年は、あんまりしゃべれなかったんだよね」
「あ、そうだね……」
山本さんに同意を求められて反射的に頷いた。たしかに彼女とはずっと同じクラスだったけど、こんなに言葉のキャッチボールが続いているのは初めてかもしれない。
「ふ~ん。それで山本さんはいつから空山と付き合っているの?」
水田さんが急にそんな質問をして、山本さんは半分かじったかりんとうを床に落っことした。
「ちょ、ちょっと水田さん。急に何を言ってるの?」
「だってグループわけで男子の話になったら、すぐに彼の名前を出してたじゃん」
「それは空山くんが一年生の時から、ずっと同じクラスだったから……」
「だったらバレー部の伊藤とか。人気男子の候補なら他にいたでしょ?」
水田さんがニヤニヤしながら山本さんに迫ると、隣で本を読んでいた岩川くんが迷惑そうにして顔を上げた。ちなみに彼が読んでいるのはボードレールの悪の華。日本文学を愛する僕と違って、彼の愛読書は海外文学のようだった。
「さっきからうるさいな。山本が空山を誘ったのは、彼が余ってて可哀想だからに決まってるだろ」
「REALLY? そうなの?」
水田さんが二カ国語を使って、戸惑う山本さんに確認した。
「そんなんじゃないよ! 空山くん、ぜんぜん違うからね?」
山本さんはすぐ否定したけど、残念ながら僕も岩川くんと同意見だった。
彼女はとても優しい人だから、きっと惨めな人間を放っておけなかったのだろう。つまりは慈愛の精神。そうなんだとしても、僕は一緒の班になれて嬉しかった。
「ったく、水田ってほんとデリカシーないよな」
呆れた様子の岩川くんが、中指で自分の眼鏡のズレを直した。「何でよ?」と水田さんが即座に口を開いた。
「本人に聞いたって、はいそうですって答えられるわけないだろ?」
「っていうか、グループわけで最後まで余っていたのは岩川の方じゃん!」
「空山より後だけど最後じゃない。それに余りものには福があるって言うから、あえてどこにも入らなかったんだ」
「なら私たちに拾われてラッキーだったね」
岩川くんの口撃に、水田さんが負けじと言い返した。
「おかげさまでうるさくて読書ができない。これで余りものには福がないことが証明されたよ」
「WHAT? なんだってぇ!」
水田さんが大きな声を出して、岩川くんが白け顔のまま耳を塞いだ。だけど横を見たら山本さんに笑顔が戻っていたので、僕はひとまず安心した。
「ねぇ水田さんと山本さん! こっちで一緒にトランプしない?」
通路を挟んだむこうの席から、別グループの男子が声をかけてきた。バレーボール部の伊藤くんと宮城くん。伊藤くんはさっき水田さんの話に出てきたその人で、どちらも女子に人気があるアスリート少年だ。でも山本さんたちと同じ席にいた僕と岩川くんは誘われなかったから、たぶん彼らの眼球に男子の姿は映っていないらしい。
「いいよ! ここにいると読書の邪魔みたいだしね!」
ふて腐れた水田さんが彼らの席に移動して、声をかけた宮城くんが、「そうこなくちゃ!」とひとりで盛り上がった。
グループわけの時、宮城くんは山本さんと水田さんのペアにいち早く合流し、「一緒に組まない?」と彼女たちを誘っていた。だけどすぐに他の女子も集まってきたのでうやむやになったのだと、当時の様子を観察していた岩川くんが教えてくれた。それに旅行の前、彼は山本さんたちの気持ちが理解できないと、首を傾げていた。
「だからってわざわざクラスの底辺と組まなくても。君もそう思わないか?」
たしかに同情だとしても、彼女たちみたいな高嶺の花が、それだけの理由で僕らと組む覚悟を決めたのかと思えば疑問が残った。
「空山くんたちも一緒にやろうよ」
むこうに加わった山本さんがトランプに誘ってくれたけど、岩川くんは「本を読むからいい」と即答した。僕も大勢にまざるのは気が進まなかったので、目的地に着くまで芥川龍之介を読むことにした。
キャンプ場にむかう列車の中、隣に座っている山本さんが袋菓子を僕に勧めながら言った。
彼女が差し出している菓子袋の中身はかりんとう。中学生の彼女が選んだおやつとしては、かなり渋い選択に思えた。
「山本さんは、かりんとうが好きなの?」
「うん。おばあちゃんも好きなの」
今まで知らなかったけど、話を聞く限り、彼女はおばあちゃん子のようだった。
黒糖に包まれた艶のあるかりんとうをかじると、口の中に優しい甘味が広がって、僕はそれだけで幸せな気持ちになった。
「そういえば山本さんと空山って、一年から同じクラスだったんでしょ」
むかい席の水田さんが、かりんとうの袋に手を伸ばしながら山本さんに聞いた。彼女は最近転校して来た帰国子女で、以前はアメリカに住んでいたらしい。英語ができて僕よりも背が高く、外国の女優さんのような堀の深い目鼻立ちをしていた。
「でも去年は、あんまりしゃべれなかったんだよね」
「あ、そうだね……」
山本さんに同意を求められて反射的に頷いた。たしかに彼女とはずっと同じクラスだったけど、こんなに言葉のキャッチボールが続いているのは初めてかもしれない。
「ふ~ん。それで山本さんはいつから空山と付き合っているの?」
水田さんが急にそんな質問をして、山本さんは半分かじったかりんとうを床に落っことした。
「ちょ、ちょっと水田さん。急に何を言ってるの?」
「だってグループわけで男子の話になったら、すぐに彼の名前を出してたじゃん」
「それは空山くんが一年生の時から、ずっと同じクラスだったから……」
「だったらバレー部の伊藤とか。人気男子の候補なら他にいたでしょ?」
水田さんがニヤニヤしながら山本さんに迫ると、隣で本を読んでいた岩川くんが迷惑そうにして顔を上げた。ちなみに彼が読んでいるのはボードレールの悪の華。日本文学を愛する僕と違って、彼の愛読書は海外文学のようだった。
「さっきからうるさいな。山本が空山を誘ったのは、彼が余ってて可哀想だからに決まってるだろ」
「REALLY? そうなの?」
水田さんが二カ国語を使って、戸惑う山本さんに確認した。
「そんなんじゃないよ! 空山くん、ぜんぜん違うからね?」
山本さんはすぐ否定したけど、残念ながら僕も岩川くんと同意見だった。
彼女はとても優しい人だから、きっと惨めな人間を放っておけなかったのだろう。つまりは慈愛の精神。そうなんだとしても、僕は一緒の班になれて嬉しかった。
「ったく、水田ってほんとデリカシーないよな」
呆れた様子の岩川くんが、中指で自分の眼鏡のズレを直した。「何でよ?」と水田さんが即座に口を開いた。
「本人に聞いたって、はいそうですって答えられるわけないだろ?」
「っていうか、グループわけで最後まで余っていたのは岩川の方じゃん!」
「空山より後だけど最後じゃない。それに余りものには福があるって言うから、あえてどこにも入らなかったんだ」
「なら私たちに拾われてラッキーだったね」
岩川くんの口撃に、水田さんが負けじと言い返した。
「おかげさまでうるさくて読書ができない。これで余りものには福がないことが証明されたよ」
「WHAT? なんだってぇ!」
水田さんが大きな声を出して、岩川くんが白け顔のまま耳を塞いだ。だけど横を見たら山本さんに笑顔が戻っていたので、僕はひとまず安心した。
「ねぇ水田さんと山本さん! こっちで一緒にトランプしない?」
通路を挟んだむこうの席から、別グループの男子が声をかけてきた。バレーボール部の伊藤くんと宮城くん。伊藤くんはさっき水田さんの話に出てきたその人で、どちらも女子に人気があるアスリート少年だ。でも山本さんたちと同じ席にいた僕と岩川くんは誘われなかったから、たぶん彼らの眼球に男子の姿は映っていないらしい。
「いいよ! ここにいると読書の邪魔みたいだしね!」
ふて腐れた水田さんが彼らの席に移動して、声をかけた宮城くんが、「そうこなくちゃ!」とひとりで盛り上がった。
グループわけの時、宮城くんは山本さんと水田さんのペアにいち早く合流し、「一緒に組まない?」と彼女たちを誘っていた。だけどすぐに他の女子も集まってきたのでうやむやになったのだと、当時の様子を観察していた岩川くんが教えてくれた。それに旅行の前、彼は山本さんたちの気持ちが理解できないと、首を傾げていた。
「だからってわざわざクラスの底辺と組まなくても。君もそう思わないか?」
たしかに同情だとしても、彼女たちみたいな高嶺の花が、それだけの理由で僕らと組む覚悟を決めたのかと思えば疑問が残った。
「空山くんたちも一緒にやろうよ」
むこうに加わった山本さんがトランプに誘ってくれたけど、岩川くんは「本を読むからいい」と即答した。僕も大勢にまざるのは気が進まなかったので、目的地に着くまで芥川龍之介を読むことにした。