最終話 雪の降る町

文字数 1,874文字

 お会計の後、盛り上がった勢いで二次会のカラオケへと繰り出すことになった。でも僕は「気分が悪いから」と伝えて先に帰ることにした。松田さんに再会して興奮していたのか、居酒屋の雰囲気に負けることはなかった。でもこれ以上は彼女たちといても惨めな気分になるだけだと思った。

 外に出ると、暖冬なのに雪がちらついていた。僕はカラオケにむかうみんなを見送って、店の前にあるベンチに腰かけた。

「虚しい……」

 真っ黒な空を見上げて呟いた。小説の世界ならまた同じ時間をやり直せるけど、残念ながら僕の人生は世知辛い現実だった。



「先輩、大丈夫ですか?」

 見ると松田さんが立っていた。ジャケットを羽織り、襟元にふわふわのマフラーを巻いた彼女は、暗闇の中でも白く輝いて見えた。

「こんな所にいたら風邪引いちゃいますよ?」

 松田さんはしゃがんで視線の高さをこちらに合わせると、僕の手をぎゅっと握った。

「ほら、こんなに手が冷たい」

「ちょ、ちょっと……」

 好きな人の体温を感じて僕は戸惑った。こんな甘酸っぱい感情は高校以来だった。道を行くほろ酔いの人たちがこちらを見て、「雪なのにお熱いねぇ」と冷やかした。

「それより松田さんはカラオケ行かないの?」

「気分の悪い先輩を放置して行って、楽しいと思います?」

 松田さんが少し拗ねるような表情をして言った。彼女の優しさが心に響いて、また目頭が熱くなった。

「っていうか、知ってました? この髪の色、本当に地毛なんですよ」

 松田さんは手を離すと急に話を変えて、自分の髪の毛を摘まんだ。

「え……そうだったの?」

「当時から誤解されてたんですよね。なのに意地を張って眼鏡もかけず、髪も黒くしなかったから、みんなにすごく怖がられて」

 しゃがんでいた松田さんが立ち上がり、僕の隣に腰を下ろした。

「だけど先輩はそんな私に優しくしてくれました。あの時はすごくうれしかったな。高校時代が充実していたのは先輩のおかげかも」

 でも現実は、彼女に感謝されるようなことは何もしていなかった。ただ無理に恰好をつけようとして、ひとりで先生に怒られたくらいだ。

「松田さん、僕こそ君には感謝しているんだ。恥ずかしい話だけど僕は昔から女の子という存在が苦手だった。だけど君はそんな奴に話しかけてくれた。アルコール砲にも興味を持ってくれたよね。だから君のおかげで高校生活が楽しかったんだ」

「私が研究をダメにしちゃったのに?」

 彼女が申し訳なさそうに言ったけど、僕は頷いた。

「もし今からあの日にタイムリープしたとしても、僕はやっぱり君にアルコール砲を渡すと思う。これまでこんな先輩を慕ってくれて、本当にありがとう」

 それが素直な気持ちだった。告白というほどの言葉ではないけれど、彼女への感謝の気持ちを伝えられたので、僕はそれだけで満足だった。

「じゃあお互いさまですね」

 そう言って松田さんが微笑んだ。それから彼女は「あ、タイムリープといえば……」と何かを思い出したように、鞄から一冊の本を取り出した。

「これを先輩に返そうと思って」

 彼女が手にしていたのは、高校時代に貸した小説だった。

「そっか、貸してたんだっけ。わざわざ持ってきてくれたの?」

「このお話、最後は主人公がヒロインを救うために、永遠の別れを選択するんですね」

「うん、彼女を助けるには他に方法がなかったからね」

「でも私はこの結末、あまり好きじゃありません。だって物語の主人公とヒロインには幸せになって欲しいじゃないですか」

「まぁ……たしかにそうかもね」

「ずっとお借りしていたのに、こんな感想ですみません」

「いや、素直な感想が聞けて良かったよ」

 僕が本を懐にしまうと、松田さんはその様子を見守ってから口を開いた。

「じゃあ先輩……もう一度だけ素直に聞いてみてもいいです?」

 それは昔から大好きだったあの舌っ足らずな話し方。まるで高校時代の松田さんがここに戻ってきたみたいだった。

「も、もちろんいいけど……何を?」

「何でお酒弱いのに、今日はわざわざ来てくれたんですか?」

 松田さんが潤んだ瞳でまっすぐこちらを見て聞いた。だから僕は、今度こそ正直に答えた。

「本当は君に会いたかったんだ。だって僕は高校の時から……ずっと松田さんのことが好きだったから」

 物語の最後はハッピーエンドが良いと松田さんは言っていた。でも僕と彼女の物語はこの先、どうなっていくのだろう。

 暗闇を纏った冷たい雪が本格的に舞い始めた。だけど今は松田さんと一緒だったから、平成最初の年の冬は少しも寒くはなかった。



★最後まで読んで頂きまして、ありがとうございました。









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