第4話 切れた糸
文字数 2,084文字
かくして肝試し本番。僕たちは班内で男女のペアになると、それぞれが数分程度の間隔を開けてからスタート地点を出発した。コースになっている林の中は、小道はあれど鬱蒼としていて、肝試しにもってこいのロケーションと言えた。
担任の目が届かなくなり、ちらほらと手を離すペアがいる中、山本さんと僕はスタートしてからずっと手を握っていた。おかげで緊張の手汗が止まらない。でも彼女は真面目な性格だから、もし嫌な気分でも最後まで手を繋ぎ続ける気がした。
なんだか申し訳なくなり、「もう先生から見えてないし、手を離しても大丈夫だよ」と気を使って、山本さんが手を離せるきっかけを作った。でも彼女は震える声で「お願いだから離さないで」と、あの繊細な指からは想像がつかないほどの力強さで握り返してきた。
完璧に見える山本さんの弱点、どうやらそれはお化けのようだった。
「こういうの苦手で。本当にごめんね」
「こっちこそ、手汗がすごくてごめんなさい」
彼女の手を放さず暗闇をさらに進んでいくと、前方にお化け役らしい男子の姿が見えた。不気味な扮装だったので最初はわからなかったけど、近づいてみれば紛れもなく伊藤くんだった。
「やっぱり空山と組んだんだな」
伊藤くんがクールな顔で冷やかすや否や、山本さんは「だったら何よ?」とさらに冷たい表情で言い返した。
「冷かされても、まだ手を繋いでいるし」
それでもからかい続ける彼に、山本さんは「だったら何よ?」と同じ台詞を繰り返した。そのやさぐれたような態度は、いつもの彼女とは別人のように思えた。
「ここに来た連中のほとんどは手を繋いでいなかったからさ。まぁ、おまえはお化けが苦手だし仕方ないか」
「うるさいな! 博之には関係ないでしょ!」
山本さんが怒鳴って、伊藤くんを下の名前で呼び捨てた。その瞬間、僕の頭の中でバラバラだったパズルのピースが動き出して、それぞれがピタリと組み合わさった。
つまりこの二人は付き合っている。だけど今は喧嘩中なのだ。さもければ山本さんが彼らの誘いを断って、僕なんかと同じグループになるわけがなかった。
大丈夫だったはずの蜘蛛の糸が、プツリと音を立てて切れた。僕は掴む場所を失い奈落の底に沈みながら、カレー作りで冷たくされた伊藤くんに優越感を抱き、彼女との関係に淡い期待をしていた自分をあざ笑った。
「そうだ、前から聞きたかったんだけどさ」
伊藤くんがこちらにむかって言った。
「去年こいつが渡した海岸の砂って嬉しかった? 俺はそんなの止めておけって言ったんだけど」
彼は去年のことも知っていた。どうやら二人は、一年以上前から付き合っているみたいだった。
「いい加減にして。行こ、空山くん」
「別にそのくらい聞いてもいいだろ?」
山本さんは伊藤くんを無視して僕の腕を取り、その場から立ち去ろうとした。でも僕は彼女の手を振り払った。
「ごめん、山本さん」
「空山くん、どうして謝るの?」
僕は質問に答えず駆けだしていた。
「空山くん!」
「おい、空山!」
うしろで二人の声が聞こえたけど、振り返らずにそのまま走り続けた。
もう役目は十分に果たした。きっと山本さんは、彼への当てつけに別の男子と手を繋いで見せたのだろう。だから伊藤くんはあんな皮肉を言ったのだ。
「あれ、空山じゃない」
見ると前方に水田さんと岩川くんのペアがいた。二人はさっきまでの僕たちみたいに、しっかりと手を繋いだままだった。
「誤解するなよ、僕はただルールを守らないと気が済まないタイプなんだ」
岩川くんが弁解したけど、そんなことなど今はどうでもよかった。
「それより山本さんは? 置いてきちゃったわけじゃないよね?」
水田さんに聞かれて言葉に詰まった。
「嘘でしょ? まさか本当に置いてきたの?」
彼女が「信じられない」というジェスチャーで詰め寄ってきた。
「とにかくひとりで戻るのはルール違反だ。これじゃ班長として示しがつかないぞ」
岩川くんが水田さんの手綱を引きながら僕を叱った。たしかに彼の言う通り、僕は班長以前に人間失格だった。
すぐに来た道を矢の如く走って引き返した。どんな理由があったとしても、暗い林の中に女の子を置き去りにした行為は最低だ。セリヌンティウスを救うメロスに罪はなかったけど、僕は完全に有罪だった。
だから一刻も早く戻って、彼女に謝りたかった。
伊藤くんがいる地点に着くと、山本さんはまだそこにいた。彼女は伊藤くんと距離を置いて木に寄りかかったまま、満天の夜空を見上げていた。
「あ、戻ってきたぞ」
伊藤くんが手を振った。山本さんもこちらに気づいて駆け寄ってきた。
「空山くん、ひどいよ」
「置いてっちゃって、本当にごめんなさい!」
地面に膝をつき頭を垂れて謝った。そんな僕に山本さんは手を差し伸べて言った。
「でも戻って来てくれるって信じてたよ」
そっと触れた彼女の手はさっきと同じで、とても温かかった。
こんなに良い子が、人を痴話げんかの道具として利用するなんて有り得ない。だから僕は山本さんに彼氏がいたことで、彼女を好きになったことまで後悔するのはやめようと思った。
担任の目が届かなくなり、ちらほらと手を離すペアがいる中、山本さんと僕はスタートしてからずっと手を握っていた。おかげで緊張の手汗が止まらない。でも彼女は真面目な性格だから、もし嫌な気分でも最後まで手を繋ぎ続ける気がした。
なんだか申し訳なくなり、「もう先生から見えてないし、手を離しても大丈夫だよ」と気を使って、山本さんが手を離せるきっかけを作った。でも彼女は震える声で「お願いだから離さないで」と、あの繊細な指からは想像がつかないほどの力強さで握り返してきた。
完璧に見える山本さんの弱点、どうやらそれはお化けのようだった。
「こういうの苦手で。本当にごめんね」
「こっちこそ、手汗がすごくてごめんなさい」
彼女の手を放さず暗闇をさらに進んでいくと、前方にお化け役らしい男子の姿が見えた。不気味な扮装だったので最初はわからなかったけど、近づいてみれば紛れもなく伊藤くんだった。
「やっぱり空山と組んだんだな」
伊藤くんがクールな顔で冷やかすや否や、山本さんは「だったら何よ?」とさらに冷たい表情で言い返した。
「冷かされても、まだ手を繋いでいるし」
それでもからかい続ける彼に、山本さんは「だったら何よ?」と同じ台詞を繰り返した。そのやさぐれたような態度は、いつもの彼女とは別人のように思えた。
「ここに来た連中のほとんどは手を繋いでいなかったからさ。まぁ、おまえはお化けが苦手だし仕方ないか」
「うるさいな! 博之には関係ないでしょ!」
山本さんが怒鳴って、伊藤くんを下の名前で呼び捨てた。その瞬間、僕の頭の中でバラバラだったパズルのピースが動き出して、それぞれがピタリと組み合わさった。
つまりこの二人は付き合っている。だけど今は喧嘩中なのだ。さもければ山本さんが彼らの誘いを断って、僕なんかと同じグループになるわけがなかった。
大丈夫だったはずの蜘蛛の糸が、プツリと音を立てて切れた。僕は掴む場所を失い奈落の底に沈みながら、カレー作りで冷たくされた伊藤くんに優越感を抱き、彼女との関係に淡い期待をしていた自分をあざ笑った。
「そうだ、前から聞きたかったんだけどさ」
伊藤くんがこちらにむかって言った。
「去年こいつが渡した海岸の砂って嬉しかった? 俺はそんなの止めておけって言ったんだけど」
彼は去年のことも知っていた。どうやら二人は、一年以上前から付き合っているみたいだった。
「いい加減にして。行こ、空山くん」
「別にそのくらい聞いてもいいだろ?」
山本さんは伊藤くんを無視して僕の腕を取り、その場から立ち去ろうとした。でも僕は彼女の手を振り払った。
「ごめん、山本さん」
「空山くん、どうして謝るの?」
僕は質問に答えず駆けだしていた。
「空山くん!」
「おい、空山!」
うしろで二人の声が聞こえたけど、振り返らずにそのまま走り続けた。
もう役目は十分に果たした。きっと山本さんは、彼への当てつけに別の男子と手を繋いで見せたのだろう。だから伊藤くんはあんな皮肉を言ったのだ。
「あれ、空山じゃない」
見ると前方に水田さんと岩川くんのペアがいた。二人はさっきまでの僕たちみたいに、しっかりと手を繋いだままだった。
「誤解するなよ、僕はただルールを守らないと気が済まないタイプなんだ」
岩川くんが弁解したけど、そんなことなど今はどうでもよかった。
「それより山本さんは? 置いてきちゃったわけじゃないよね?」
水田さんに聞かれて言葉に詰まった。
「嘘でしょ? まさか本当に置いてきたの?」
彼女が「信じられない」というジェスチャーで詰め寄ってきた。
「とにかくひとりで戻るのはルール違反だ。これじゃ班長として示しがつかないぞ」
岩川くんが水田さんの手綱を引きながら僕を叱った。たしかに彼の言う通り、僕は班長以前に人間失格だった。
すぐに来た道を矢の如く走って引き返した。どんな理由があったとしても、暗い林の中に女の子を置き去りにした行為は最低だ。セリヌンティウスを救うメロスに罪はなかったけど、僕は完全に有罪だった。
だから一刻も早く戻って、彼女に謝りたかった。
伊藤くんがいる地点に着くと、山本さんはまだそこにいた。彼女は伊藤くんと距離を置いて木に寄りかかったまま、満天の夜空を見上げていた。
「あ、戻ってきたぞ」
伊藤くんが手を振った。山本さんもこちらに気づいて駆け寄ってきた。
「空山くん、ひどいよ」
「置いてっちゃって、本当にごめんなさい!」
地面に膝をつき頭を垂れて謝った。そんな僕に山本さんは手を差し伸べて言った。
「でも戻って来てくれるって信じてたよ」
そっと触れた彼女の手はさっきと同じで、とても温かかった。
こんなに良い子が、人を痴話げんかの道具として利用するなんて有り得ない。だから僕は山本さんに彼氏がいたことで、彼女を好きになったことまで後悔するのはやめようと思った。