第1話 二度目の夏

文字数 1,266文字

 一九八五年の夏休み。中学一年の僕は仮病を使って、一泊二日の臨海学校に行かなかった。

 理由はクラスに友だちがいなくて不安だったから。それに加えて人見知りな性格だったので、ただ同年代というだけの人たちと二日間も一緒に過ごすなんてことは、とても我慢ができなかったのである。

 夏休みが終わり、新学期になって学校へ行くと、同じクラスの山本さんがこちらを見て席を立った。

 山本さんは小麦色に日焼けしていて、自宅で太宰治の小説を読みふけっていた僕の生白い肌とは対照的に見えた。彼女は「空山くん、おはよう」と笑顔で挨拶すると、鞄から小瓶を出して僕にくれた。臨海学校で行った海岸の砂だと彼女は言った。

「前に教科書を忘れた時に見せてくれたでしょ。そのお礼だよ」

「えっと……わざわざありがとう」

「来年は一緒に行けるといいね」

 有り体のお礼の言葉でお茶を濁し、恥ずかしいのをかみ殺して平静を装ったけど、内心では激しく動揺していた。それまで山本さんとは席が隣同士なだけでろくに口を利いたことがなかったので、まさかこんな気遣いをしてくれるなんて夢にも思わなかったのである。



 この日を境にして、僕は山本さんを一段と意識するようになっていた。だからって彼女に話しかけられる勇気なんかは持ち合わせていない。それでも一年生の間は席替えがなくて、授業中はいつでも彼女の横顔が傍にあった。

 山本さんは裁縫が得意で、友たちの制服からボタンがとれると縫ってあげていた。それに毎朝の小テストはいつも満点だし、合唱コンクールでは伴奏を担当して得意なピアノを披露した。

 合唱コンクールの前に、山本さんが放課後の音楽室にいるのを見たことがある。彼女はクラスの合同練習が終わった後も、ひとりで伴奏の復習をしていた。鍵盤の上を滑る指はとてもしなやかで、差し込む夕日に照らされ、人知れず努力する姿は神秘的にさえ見えた。

 二年生になってクラス替えがあり、幸運にもふたたび山本さんと同じクラスになった。彼女を好きになって半年が過ぎていたけど、気持ちは今も変わっていなかった。

 七月に入って間もなく、放課後の時間を使って学級会が開かれた。議題は来たる林間学校のグループわけ。今年は高原のキャンプ場に一泊する予定になっていた。うちのクラスは総勢三十二名なので、四人ずつ八つのグループにわかれる計算になる。好きな者同士で集まっていいという話になって、僕は去年と同じくはみ出し者の余り物だった。

 教室のはじっこの方で今年も仮病の出番かと思っていると、山本さんがやって来て僕に言った。

「空山くん、うちのグループに入らない?」

「えっ、なにが?」

 僕は耳を疑って、彼女に聞き返した。

「男子と女子って普段しゃべらないでしょ。空山くんなら一年生の時から一緒で話しやすそうだし。できれば班長になってリードして欲しいの」

「僕でよければ、別にいいけど……」

「よかった、引き受けてくれてありがとう」

 班長なんて柄じゃないのはよくわかっている。だけどそれが山本さんの頼みであれば話は別で、僕は彼女の依頼を快く引き受けた。









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