第12話 読書の思い出 2

文字数 1,484文字

 今から六年ほど前だ。
 読書について考えさせられる機会があった。今でもその出来事を時おりに思いだす。
 それは通っていた文章教室でのことだった。
 読書することによって、私は深い悲しみから何度も救われている。その経験をエッセイにして、文章教室で発表した。
 合評のとき、他の受講生が自慢げに言った。
『その本なんて、私は中学生か高校生のときにはもう読んでたわ』
 私が大人になってから知った本を、彼女は中学生ぐらいの年齢で読んだと言うのだ。これは私が書いたエッセイへの感想ではない。腹が立って、私は即座に言い返した。
『その年齢で読んで、本の内容が分かりましたか』
 彼女はふふんと鼻で笑い、私の問いには答えなかった。
 先の章に書いた話で、彼女は私の無知を笑ったひとでもある。いつものことながら、私は彼女に腹が立って仕方なかった。
 しかし、不愉快なこの会話が、私に読書の意味を考えさせたのだ。

 読書は楽しむものだとは思うし、私も気楽に読めるものが好きには違いない。
 実際に、その本に読めない漢字が多くあるだけで読む気が失せてしまうのだから。
 しかし、自分の心が渇望する内容の書物なら、その価値は測れないものだと考える。
 そう考える理由として、私が読書に救われた経験を書こうと思う。

 それは私が二十歳の頃の話になる。
 社会人になった私は世間の荒波にもまれ、その辛さから沈みがちになっていた。そんな私に姉が一冊の本を勧めたのだ。それが新田次郎の『孤高のひと』だった。
 優秀な会社員であったが、不世出の登山家としても有名な加藤文太郎の物語である。
 ネットの記事によると、この小説は事実と違っているところもあるという。しかし、『孤高の人』は加藤文太郎を知るには良いと書いてあった。

 加藤文太郎は山を愛していて、いつもひとりで登っていた。 
 会社では、良い人もいたが、陰湿な上司に嫌がらせを受けていた。また、人付き合いが上手ではなく、そのために誤解されることもあった。
 やがて、結婚して子どもが生まれ、彼は幸せな生活を送り始める。それが、後輩に頼まれて初めてパーティーを組み、その登山で遭難して亡くなってしまうのだ。
 
 加藤文太郎のように優秀な会社員ではなかったが、彼の孤独に共感するものが当時の私にあった。
 どうして私は上司に嫌われるだけではなく、周りのひとにも好かれないのだろうと悩んでいた。恋愛でもつまずき、幸せな恋をしている同僚を羨む日もあった。
 この小説に救われたと今でも思う。『孤高の人』を読んでいる間だけでも、私は嫌なことを忘れることが出来たのだ。そのようなわけで、何度か繰り返して読んでいる。
 そんな経験から、私は思った。書物は読むひとの寂しさや悲しみを癒してくれる。そして、ひとを癒やすと同時に、何らかの思いを伝えてくるのだ。何らかの思いとは、後悔や反省、希望などである。

 また、年齢にそぐわない小説を読んでも面白くないだろう。
 人生経験を積んでから読んだほうが良い小説もあると思う。
 まだ中学生の頃だった。
 フローベールの『ボヴァリー夫人』やホーソーンの『緋文字』を読んだ。ストーリーは面白くて読めても、心を震わせることはなかった。中学生ぐらいの年齢であっても、しっかり読めるひともいるだろう。私には無理だっただけの話である。
 ただ、最近になって思うのだ。身を焦がすような恋を知ってから、しみじみとこれらの小説を読みたかったなと。そうすれば、これらの小説の素晴らしさを本当に理解できたと思うのだ。今からでも読めば良いのだが、私は口先だけの人間であるから実行できないでいる。
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