第14話 文章を書く 

文字数 2,414文字

「あなたは何故に文章を書くのか」
 この質問に私は何と答えようか。
 私程度の者が『文章を書く理由』をひとには話すのは、やはりおこがましいことだと思う。
 しかし、この質問は私が私自身に問いかけるものでもある。
 時折に考える。私は何を思って文章を書くのだろう。眠いのを我慢して書くこともあるが、そのようなことをして一体何になるというのか。
 露骨な言い方をするが、一生懸命に書いてもお金にはならない。読んだひとが共感してくれるかどうか、それも自信がない。
 今書いているこのエッセーも、私の自己満足から出たのものだ。
 しかし、うぬぼれではなく、何かに自己満足することは必要なことだと思っている。そうでなければ、あまりにも寂しい毎日ではないか。自分の存在を悲しく思うばかりとなる。
 しかし、文章を書くために要する体力と時間は、私には少し厳しいものがあるのだ。
 書くことに疲れたとき、前述した理由から、自分が無意味なことをしていると虚しくなってくる。そんなわけで書くことを中断する。そうして、ブログのお友達を訪問したり、台所へ行ってお茶を飲んだりするのだ。
 それでも、しばらくするとまた書きたくなる。
 特に気分の落ち込みが激しくなると、私は書かずにはいられない。文章を書くことで私の心は軽くなるのだ。

 いつも同じ話で申し訳ないが、以前に私は文章教室に通っていた。
 授業後に講師と廊下で話をした。たしか、小説とエッセイの違いについての話だったと思う。そのときの話の流れで、自分が文章を書く理由も講師に話した。
 「鬱憤晴らしです。鬱憤を晴らすために私は文章を書きます」
 そんな意味のことを言った記憶がある。講師からの返事は特になかった。
 今頃になって気が付いた。
 『鬱憤晴らし』という言葉は恥ずかしかった。せめて、ストレス解消と言えば良かった。しかし、私の心にあるものは鬱憤には違いない。
 過去と現在にある辛さや哀しみを忘れるため、私は文章を書いている。
 未来への不安もあって、早い話が、私は嫌なことから逃げたいだけなのだ。

 何十年も前のことだ。
 会社で嫌な上司に叱られたときなどに、私は心に決めていた。
 『この上司との不仲をいつか小説にして、私が受けた仕打ちを世間に知らしめてやる』
 当時の私は二十歳そこらだった。
 叱られて卑屈になっていたようだ。恐ろしいことを考えていたものだと、現在の私は驚いている。
 結局、嫌な上司が登場する小説を書くなどは、その場での思いつきであり、情けない自分への慰めだった。退職後に自分の落ち度を知り、上司に叱られた理由もかなり納得できたからだ。今はもう、ひねくれていた当時の自分を書く勇気はない。それが出来たなら、私は自分を見直すだろう。

 結婚してから「小説」とは言えないものを書いたことがあった。
 それなりに楽しかったとしか言いようがない。
 初めて真剣な気持ちで小説を書いたのは、今から数年前のことである。
 その小説を書こうと思ったきっかけは、気を紛らわすためだった。
 当時の私は職場の人間関係でずいぶんと悩んでいた。
 結局、その職場を私は二年で退職している。その後に転職したものの、先の職場での悩みは消えることがなかった。ひとりでいじけていた私だったが、気分転換の方法を思いついた。このやりきれなさを文章にしようと考えたのだ。悩みは文章にすれば軽くなると、何かで読んだような気がしたからだ。もともと私は文章を書くことが嫌いではない。

 小説を書く場所を探し、選んだのはヤフーブログだった。
 以前からブログに関心があったからだ。そうして、私の初めてのブログは小説を書くことで始まった。
 約三カ月間、会社名などを特定されないように注意しながら小説を書いた。
 PV数は僅かであり、コメントもほとんどない寂しいブログではあった。しかし、私は小説を書くことが楽しくて仕方がなかった。書いている間は幸せだったと、今も思い出している。
 下手の横好きというが、私はそれでも良かった。どんなに拙い文章であっても、書くことによって振り切れない悲しみは軽減されていくものだ。

 ヤフーブログで書いたその小説は保存しておいて、他のアカウントでブログを書くことにした。
 新たに始めたブログは楽しかった。
 友達も出来て、個人的に鍵付きのコメントで話をしたものだ。
 また、その頃に通っていた文章教室ではエッセーを書いていた。自分の無知が情けなくて三カ月でやめたが、その後も違う文章教室に通ってエッセーを書いていた。
 ブログとエッセーがあまりに楽しくて、小説のことはやがて忘れてしまった。
 それから数年が過ぎたある日、その小説を読み返してみたのだが。
 私はぼう然とした。
 その文章からにじみ出る自分の醜い心に驚いたのだ。さっぱりと物事を割り切れない私の性格が見事に表れていた。先の職場での不平や不満ばかりが書かれていて、小説ではなくて愚痴だらけの日記のようだった。感情にとらわれて書いただけの文章だったのだ。
 これではPV 数が増えるわけがない。
 このような卑しい文章を読みたいと思うひとはいないだろう。僅かながらもPV数はあったが、こんな卑しい文章なら、最後まで読んで下さったかどうか。

 文章というものは怖ろしい。
 書いたものを読みかえせば、自分の愚かさや卑しさを知ることになる。
 他の人が書いたものでもそうだ。読むうちに、書いたひとの性格や物事への考え方がそこに見えてくるような気がする。
 私はブログを書いているが、ひとの記事を読んだときにいろいろと感じている。
 そうして「気持ちの良いひとだな」と好意を寄せたり、「私とは合わないわ」と寂しくなったりする。そういう意味で、文章を書くときは私も気をつけようと思っている。
 でも、自分の欠点を隠しても仕方がないだろう。私の欠点を受け入れてくださるなら嬉しい、なんて厚かましいことも実は考えている。
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