§09-2 10/11 桃井彩香の長い長い独白(2)

文字数 2,444文字

 誰かと一緒に勉強をするのは、一方が他方を圧倒的に引き離している関係にない限り、最良のパフォーマンスを引き出すとは言い難い。それも、引き離している側が余裕綽々なくらいのところにいなければ、引き離されている側への恩寵は期待できない。僕らはそうでないばかりか、とにかくセックスがしたくて堪らない十七歳の男女でもあって、だから桃井の家にいる三時間ほどの半分ばかりを、結局はベッドの上で過ごしてしまう。
「そもそもさ、平木と吹雪ってフリーなの? 一応それが条件なんだけど」
 リビングに移ってテキストを開いても、こんな話を始めてしまうのだ。
「知らないけど、カレシいそうだね。それも学外にね」
「だろうなあ……」
「同級生じゃないね、きっと大学生だね」
「ふむ、ありそうな話だ」
「誰かさんもそうだったんでしょ?」
「向こうが大学生になった途端に別れたんだよ」
「え、どっか遠くに行っちゃった?」
「そうじゃないんだけど、なんか、すっと離れてしまった」
 僕のほうにはそんなつもりはなかった。元カノとはどのように別れたかなんて、わざわざ話すようなことでもない。それとこれとが響き合ってしまったのもただの偶然で、それも今この場で起きたばかりの偶然であって、僕もすぐには気づかなかった。
「じゃあ、遠く離れたりしたら、ほんとにおしまいか……」
 先週末の続きを終わらせなければいけない。――いや、そんなことはない。僕らはまだ高校二年の秋にいる。まだ一年ある。どうしても今ここで決着をつけなければいけない話ではない。慌てず、焦らず、急がず、慎重に、落ち着いて、じっくり考えればいい。
「こないだのね、先々週の土曜日、瀬尾んちでご飯食べたでしょ? あれ、とっても楽しかった。こういう家族ってほんとにあるんだなあ…て思ったよ。世の中うちみたいのばっかりだと思ってたから。たぶん平木も吹雪も驚くと思うな。東京ではカテゴリーEWだと思ってるから。あ、EWは自然絶滅ね。環境省の管理下で大事に大事に保全されてる感じ。皮肉じゃないよ。でも環境省じゃないか。文科省か厚労省かな。ああ、少子化って特命大臣だったね。今度野田さんでしょ。あの人体外受精で大変だったんだよね。自分は子宮摘出して、子供にも重い障害があって。そういうのよくわからないけどさ、うちはみんな健康だし、瀬尾のうちもみんな健康そうだった。でも健康ならいいってわけでもないんだよね。それは必要条件ですらないんだよ。そういう話をね、実はこっそりしてたの、あの二人とね、模試が終わったあとお茶しながら。どっちが言ったか憶えてないけど、誰か病気だったりすると違うのか?て話になって、それはみんなの意識がその人に向かうから、無理なく家族が落ち着くんだろうって話。なにかを失わないとダメなんじゃないか、そのなにかはきっと私たちなんじゃないか、それなら落ちてみるのもいいかもしれない。どうせこの先まだ高校受験も大学受験もあるわけだし、ここで落ちてもぜんぜん問題ないよねって。実際中学受かる子ってさ、なんにもしてないのにできちゃう子が一割で、頑張りたいと思って頑張った子も一割で、残りは親から詰められて嫌々勉強してた子ばっかりだからさ。嫌々勉強するくらいなら、嬉々としてサボっちゃうほうが健全だと。心にも体にもいいはずだと。小学生の癖に生意気なこと考えて、やる気出てる感じ漲らせて、大いに盛り上げたところで落ちたわけ。実際ほんと勉強してなかったからさ、試験問題見て目が点になったよ。どれも見覚えあるやつなのにさ、取りつく島が見つからないとか。いやあ冷や汗出たね。そこまで徹底してサボってたつもりなかったからさ。ちょっとはまあできるだろう、でもやっぱり落ちるだろう、それくらいに思ってたんだよ。まさか手も足も出ないとは思ってなかったんだよ。さすがに焦っちゃって、終わったあと三人で顔寄せ合って、高校はまともなとこ行こう、私たちは決しておバカさんじゃない、おバカさんで終わるのは悔しい、そんな決意を共有したわけ。それで今みんな揃ってあの学校通ってるわけ。失地挽回とまではいけてないかもしれないけど、おバカさんじゃないってとこは証明できたから、ほんと安心したよ。だって親が腹立たしいからって理由で自分の人生転落させてたら、世話ないじゃんて話でしょ。ほんとはみんな田舎にいてさ、大学から東京出てくるとかいう話ならよかったのに、私たち東京のど真ん中に生まれちゃったから、ベクトルが反対向きになってて、お兄ちゃんはそれでいいかもだけど、私はそれでいいはずなんてなくて、田舎暮らしに憧れなんか持ってないし、中途半端な地方都市になんて行きたくないし、私たち会えばそんな話ばっかりなんだよ。瑠衣も茉央もおんなじ。選択肢がないのは私たちのほう。瀬尾にはいっぱい選択肢あるでしょ。でも私たちにはないんだ。女の子は東大に行かせてもらえないって話あるけど、地方で一人暮らしもさせてもらえないって話もあるんだ。うちの親だってほんとは賛成してないから。一度自分の目で見て回れば気が済むだろうって考えてるから。不安になって諦めるだろうって考えてるから。実際私怖いもん。だからってセキュリティ万全の女子寮とか入りたくないし。だから結局なんにも変わらないんだ。地方行っても結局変わらないんだ。仕送りしてもらわないと食べていけないし、朝から晩までバイトしてたら大学行く意味ないし、それこそ将来を潰しちゃうことになるし、それじゃあ一生私たち浮かばれないし。だから言われなくてもわかってるよ。千葉や埼玉や横浜なんて選んだら一時間かけて通うことになるんだよ。選択肢なんて一個しかないんだよ。選択肢が一個って矛盾してるよね。それもう選択肢じゃないよね。だからあと最低でも五年半はここであの人たちの顔見て暮らすしかない。瑠衣も茉央もそうするしかない。そんなのぜんぶわかってる。だから、だから、こんなクソったれな世界なんて滅んじゃえばいいんだ!」
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