湯気の街ノスタルジック

文字数 4,696文字

湯気の街ノスタルジック。偽りのロマンチック。
「あぁ、もう我慢出来ねぇ」
「ベッドでしよう」
「なんだよ、可愛くねぇな。ムスッとしやがって。笑ってごらん」
「先行ってるから」
ミラーボールの粒。吐き出す煙はメビウス。
着さされたコートを脱がせば、中身は制服。
いつしか少女は、剥ぎ捨て援助。

♢ ♦︎

「そんなとこ隠れてないで出てくれば良いのに」
今はまだ枯れ果てた秋の田園。その袖に並ぶ一戸建てのアパート。
「お姉ちゃん、ここに住んでるの?」
「うーん。住んではないかな。まぁ、住んでるようなもんだけどね。あぁ。君はお隣さんか。よろしくね」
エアコンの室外機から顔を出す少女。
「そんなとこで、なにしてたの?」
「シャボン玉……。」
「吹いて見せてよ」
「えっ……。うん」
シャボン玉飛んだ。頼りなく揺れた。駐車場に咲いた。車で弾けて、消えて笑った。
「君、名前なんて言うの?」
「私、なるちゃん」

♢ ♦︎

「ほれ、顔上げて。こっち向いて」
「髪触らないで」
「君、なにしに来たの? 俺は安月給のサラリーマンだよ。しかも、お小遣い制だよ。高い金叩いて、癒されに来てんだよ」
「やることはちゃんとやるから。早く終わらせて」
「チッ」
行く人の音に、雨の匂いに、君を探して彷徨う。
ネオンの熱に、ビルの刺す空に、君を浮かべて漂う。

♢ ♦︎

この匂いは記憶の玄関。優しい音で夏の鍵盤。忘れぬようゆびきりげんまん。
アスファルトに小さな虫かご。毒林檎に眠った想い出。
「お姉ちゃん」
握りしめ駆け寄る虫取り網。
眠り姫浮かべる月の光。
「あぁ、なるちゃん。私って分かったの?」
「うん、車で分かった」
「車?」
「車の番号が16ー51。イロコイで覚えてる」
「その覚え方やめた方が良いよ」
「どうして?」
「まぁ良いや。おぉ、なに採って来たの?」
「見て見て見て見て見て」
「うーん? あっ!」
薄っすら濁る水へ、夏草に隠れるメダカ。
「どこに居たの? メダカなんて」
「そこだよ。そこ、そこ」
指差すドブ川。電柱の下。溝の中。
「凄いね、なるちゃん。 独りで採ったの?」
「うん! ひとりで採ったよ」
「そっかぁ、あんなドブ川にもメダカは住めるんだ……。」
「……。」

♢ ♦︎

窮屈になるくらい広い。ふたりだけど独り。
小さな冷蔵庫に雫。照らした蛍光灯にほこり。
「俺はな、勉強浸けで十代を消費したよ。全てはこんなつまらねぇ未来を確保する為だ。だからクソ両親に奪われた青春を取り戻す為に金を使う」
「構ってもらえてただけクソじゃないでしょ。もっとクソな両親居るよ」
「どこに?」
「さぁね……。」

♢ ♦︎

壁の切れ間に乾いた土。ジョロで描いた猫の顔。
「あぁ、お姉ちゃんだ。お姉ちゃん、お姉ちゃん」
車の音に気づき、駆け寄る駐車場。
「おう。こんにちわ」
「えっ? 嫌」
「隣の子だよね?」
「お姉ちゃんじゃない」
「えっ?」
「お姉ちゃんが良い」
「ごめん」
「お兄ちゃんじゃ嫌だ!」
「ちょ、ちょっと」
台所の彼女が戻ったなら、向かい合わせで御飯としよう。
「しかし、参ったよ。あの子には」
厚い蓋を捲れば、甘ったるい土手鍋に湯気。
「仕方ないよ。なるちゃん、男の人に慣れてないから。どう関わって良いのかまだ分からないのよ。お隣さん母子家庭じゃない?」
「なるちゃんって言うのか?」
「このカーペット、もうくたびれてきてるね。せっかく季節が変わる前に買ったのに。またこの部屋に合うサイズ探さなきゃいけない」
「良いよこのままで。引っ越せば新しいの買うだろ」
「……。」

♢ ♦︎

澄ました顔して核家族。枯らして散りゆく桜草。
崩して積まれたバスタオル。溶かして無糖に角砂糖。
「君も今しかない若さを使って得してる訳でしょ? だから俺もひと時の夢手に入れる。これって両方に美味い話じゃん」
「私、別にお金が欲しい訳じゃない」
「はん?」
「淋しい訳でもない」
「じゃあ、なんでこんなことしてんだ?」
「反抗」

♢ ♦︎

水の注がれぬ花瓶。心許なく漕ぎ出す車輪。
両手を押し当てるザラついた壁。
「もう、やらない。やらない」
はじめを描く。覚束ないペダル。
タイヤが砂利を踏み潰す音。
風にさらわれたブラウス。玄関を飛び出す。
「洗濯バサミ止めておかなきゃ駄目ね。洗い直しだ」
「お姉ちゃん。もう嫌になっちゃったんだよ」
「どうしたのなるちゃん。一輪車? 買ってもらったの?」
「もういらないの。乗れないから」
「ほら、手を貸してあげるから。乗ってみよ」
何度も転けた。何度もしょげた。
血の味がした。人波と明日。
足跡消えた。泪を止めた。
夕焼けが紡ぐメロディに、唄い出す古い日記。
「凄い、凄い。凄いな。なるちゃんは凄いな」
「乗れた、乗れたよ。見てる? 見てる? なるちゃん凄い?」
「とびっきりすっごいよ。こうやって大人になるんだね」
「なるちゃん、大人になるの?」
「そうよ。大人になったらね、誰も手を貸してくれなくても、それでも漕がなきゃいけないんだよ」
「そう、なの?」
「……。」

♢ ♦︎

口の奥で口内炎が痛む。舌で触れば沁みるくせに、また気になって触ってしまう。
ごはんを食べようとしたら口の奥で痛いくせに、それでもお腹がすいてしまう。
病院でもらった塗り薬は、口の中で溶けてしまった。
私はただ鏡に映る私を見ていた。
私はただヤニに汚れた天井を見ていた。
私はただ雨に淀んだなにもない空を見ていた。
空っぽになった。空を漂う海月。
あのアパートで育った。こんな梅雨に生まれ。
固いコンクリートの上、寝てるみたい。
こんなことで孤独を埋めてるみたい。
「はぁ、はぁ、君、凄かったなぁ。ほんと」
「……。」
「煙草吸っても良い?」
お姉さんは、口内炎みたいな想い出だ。

♢ ♦︎

「もう、あんたは。何回同じこと言われてんの? 宿題もせず馬鹿みたいにぼーっとして。いい加減にしなさいよ。」
「ごめんなさい。ごめんなさぁい」
「昼ごはん食べても皿は放ったらかしで、歯磨きもしてない。恥ずかしい。歳下の子でもちゃんと出来る事よ? 保育所からやり直す? 今から連れて行こうか?」
「ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい」
「外に出てなにするつもりだった? 縄跳びなんかもって」
「……。」
「腹立つわ。これ以上イライラさせないで。ばあちゃん家行くけど、あんた置いてくよ? だから産むの嫌だったのよ」
「行く、行く。ごめんなさい。ごめんなさい」
「もう、ほんと相手してらんない。どっかに行っといて」
「……。」
お姉さんに気づいて家に入るお母さん。玄関を勢い良く閉める音。
「なるちゃん?」
走り出した。曲がり角の向こうへ。
「ちょ、なるちゃん」

♢ ♦︎

遠慮がちに浮かんで揺れた。なにもない空へ。
弱々しく落ちてしまった。窓に張り付くトカゲ。
「なるちゃんはさ、お友達居ないの?」
「お友達は近所に居ないんだ」
「そうなんだね」
朽ちたフラフープ。君は無我夢中。
飛んで行った羽根。溶けていった飴。
「今ねぇ、13対16ね」
「何点取ったら勝ちなのこれ?」
「えっとね、25点。間違えた、30点」
「そんなに続くの」
「次、お姉ちゃんの番だよ」
「行くよー」
一向にラリーは続かない。飽きてしまったなど言わない。
明後日に飛んで行く羽根を追いかけるだけ。
無利益に笑える子供は闇雲に盛り上がるだけ。
またサーブで途切れてる。予想以上に時間は過ぎて行く。
「えっと、えっとね。今、36対28」
「お姉ちゃん、そろそろ家帰らなきゃ」
「えっ、嫌だよ」
「ごめんね。夕ご飯の準備があるから」
「……。」
冷たい布団。この部屋は無音。
見上げる天井。消された電燈。
汗ばんだ肌。脱け殻の服。
「また遊んでやってたのか?」
「捕まっちゃったら遊んであげないといけなくなるから、玄関先で会えないんだ」
「親にほったらかされてるもんな」
「なにしてんだろうね。壁の一枚向こうで子供が遊んでるのに」
「あの子だって大きくなったらしてるだろ」

♢ ♦︎

落書きしなきゃ。薄汚いこの身体を。
落書きしなきゃ。作り話する心を。
落書きしなきゃ。移り変わる記憶を。
「どうしたの君? 服着ないの?」
「……。」
「俺、そろそろ帰りたいんだけど」
キラキラ光る。お空の星よ。
ニヤニヤリアル。大人の女子よ。
夢の枠外に、噓の靴底に、君を探して彷徨う。
傷の腫れ跡に、欲で沸く街に、君を浮かべて漂う。

♢ ♦︎

しぶき上げ土砂降り。構わない形振り。
玄関を飛び出して、傘も差さずに走り出す。
「お姉ちゃーん!」
濡れる髪。切れる息。
「どこ行くのー? 濡れちゃうよ!」
ベランダから呼び止めた。
「なるちゃんにはまだ分からないよ」
「えっー? なんでー?」
「子供だからだよ」
「なんで、なんで?」
「なんでか分からないで独りぼっちになることもあるし、なんでか分からない方が良い事だってあるんだよ」
「どういうこと?」
「独りぼっちは淋しいよ。独りぼっちにならない為に賢くならなきゃいけないんだ」
「どうして? どうして?」
「私だって、分からないよ。分からないけど、独りぼっちになった」
「独りぼっちじゃないよ。お姉ちゃん」
「なるちゃんも私も同じだね」
「えっ?」
「なるちゃんは私の子供の頃みたい。私はなるちゃんが大人になったみたい」
「待ってー!」
背中で浴びて駆け抜ける街。
「……。」

♢ ♦︎

湯気の街ノスタルジック。偽りのロマンチック。
雨音にピーターパン症候群。
渋滞にヘッドライトの流星群。
ふたり通った喫茶店。クローズのプレート。首を傾げぶら下がってる。
強がったセブンティーン。弱いくせに。ほんとは痛みが上回る。
路地裏の光は濡れている。灰色の街は運ぶ足早な人々。伸びる電線は弛んでる。
かつての少女は大人になった。
追い抜いた思春期。駆け抜けた時代に。
隣のお姉さんのその後は、誰も知らない。
あれからは耳を澄ませど、なにも聞こえない。
「私、雨好きになれない」
「うん? なんで?」
「嫌いじゃないけど、好きになれない」
「どうして?」
部屋へ持ち込んだ洗濯物の匂い。薄暗い朝。
ひんやりしたベランダを裸足で。隣のあなた。
乾いたキスをした。雨。

♢ ♦︎

「君、愛想は悪いけどなかなか良かったよ。ありがとう。これ、お金ね。置いとくから。先出て良い?」
「いらない」
「えっ?」
「お金、いらない」
「はぁ?」
「まぁ、またよろしく。お金置いとくから」
「またはない」
「ったく。俺、遊びに来てんだから。せっかくすっきりしたのに、萎えちゃうんだよ。頼むからやめてくれよ。そうやって重い話すんだろ?」
「話さないよ。あんたになんか」
「だって、そんな雰囲気出すから。あぁ。この歳になったらこんなことでもしないと遊べない。あの頃は良かったな。女遊びも、愛し合うにも自由で勝手だった」
「一戸建てのアパートで?」
「はぁ?」
「田んぼに沿って建ってるアパート。近くにはメダカの泳ぐドブ川がある。玄関の隣にエアコンの室外機」
「えっ?」
「部屋305号室」
「なんで知ってんだ君?」
「車変えてないのね。十年以上」
「嫁が雇った探偵かなにかかよ?」
「援交に自分の車で来ないでしょ。普通」
「気味悪りぃな。お前」
「今なら分かるよ。色恋……。」
「はぁ?」

♢ ♦︎

楽しいは、淋しいだ。
嬉しいは、哀しいだ。
会いたいは、会いたくないだ。
好きは、嫌いだ。
憎んでも、妬いても、恨んでも、愛は、愛だ。
「ねぇ、なるちゃん。お話があるの。聞いてくれる?」
「なぁに?」
「お姉ちゃんね、もうこの家には帰って来ない」
「えっ?」
「だから、なるちゃんとお別れなんだ」
「なんで、どうして?」
「それはね、なるちゃんが大人になったら分かるよ」
「なんで?」
「そのうちに分かるんだ」
「……。」
「でもね、独りぼっちになってもひとりじゃないんだ。なるちゃんも私も」
「えっ?」
「だって、私となるちゃんは友達だから」
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