ホテルサーヴァント 清掃員

文字数 4,745文字

『Dカップとホスト狂いの嘘』

「ほんの二十分前まで客がいたこの部屋から、人の気配が一切しないとこまでよ」
「なんの抵抗もなく、よくそんなモン持てますよね。それ、使用済みのゴムでしょ?」
深夜四時。町外れのラブホテル。
「ちょっと、なにやってんですか?  濡れたバスタオルでグラス拭くなんて。あり得ないでしょ?」
「雫と指紋が消えりゃ、グラスはオッケー。どうせ洗濯するバスタオルで拭きゃあ、一石二鳥」
「無茶苦茶だなぁ、ほんと」
ベッドが考えられない汚れ方をしている。いったいどんな愛し方をしたのだろう?
「おし、準備中から空室に切り替えろ」
「へーい」
「肩凝るわぁ。Dカップが重くて」
「はぁ?」

『ゴトンっ』

あんな部屋へ十分後、客が入る。
使用済みのゴムを摘みあげ、ゴミ袋へと投げ込むこの女こそ、先輩のアネゴ。アネゴはつまりこの人のあだ名。


こじんまりした『関係者以外立ち入り禁止』のモニター室兼、休憩室。
「ぱりぱりのシーツに、消毒済みの袋に入れたグラス。リモコンだってきっちり背の順に並べて。リアルは汚れてるのにね」
「電子レンジ使っていいですか? 弁当温めたいんで。ってか、レンジきったねぇ。なんかついてるし」
「ひと時だけでも夢見たいのよねぇ。汚れてるって知ってても」
「割り箸入れてないじゃんよ、あのコンビニ店員め。まっ、可愛いから許すけど」
狭苦しそうに肩を寄せ合い、夜食を食べるふたり。いくつかあるモニターに何気なく目をやる。カメラが設置されてある、駐車場や、エレベーター、廊下が映しだされている。
「ほれ。また来たよ」
「あぁ、あの」
「サーヴァントの帝王」
グレードの一番高いA室の駐車場に車を入れる男。
「また違う女ね」
「ずいぶん羽振りが良いですね」
「いや、そうでもないよ。ほれ、普通車だけど、そこまで良い車じゃないでしょ?」
「ほんとだ」
「背も高い訳でもないし、どうしようもない奥から湧き出るもんがあんのね」
「なんすかそれ?」
「色気って訳じゃないけどさ、母性本能と乙女心の狭間くらいを突いてくる男。たまにいるのよ」
「よく分かんないです」
「あんたモテないでしょ?」
「ほっといてください」
「とか言って女居るでしょ?」
「まぁね」
「急にタメ語」
「アネゴは、男居ないんですか?」
「えっ?」
「いや、なんでもないです」
「居たよ」
「居た?」
「悪い男に引っかかってね」
「あちゃー」
「苦労させてもらったわ」
「それにしてもなんでこの仕事を?」
「それに私根っからのホスト狂いで。そんでラブホで夜して稼いでんのよ」
「ご愁傷様です」

『チン』

「おいおい、エレベーターでキスしてやがんぞ」
「防犯カメラあんの知らないんでしょうね」
「いや、その逆。わざと見せつけてんじゃないのかい」
「おめでたいカップルですね」
「お馬鹿にさせる場所よ、ここは。あれで意外と世間では上品に振舞ってたりするからね」
「女をとっかえひっかえ、幸せモンですね」
「ほんとにそう見える?」
「えっ?」

点滅する部屋番号。手を絡めたふたりは部屋へと消えて行った。

「っていうのは嘘」
「えっ?」
「さっきの話よ」
「Dカップっての?」
「ちげーよ馬鹿。ホスト狂いって話」
「あぁ」
「子供がさ、病気で。まぁ、今、母親に預けてんだけどさ。手術費稼がなくちゃならなくて。そんで」
「なんか、すんません」
「シングルマザーも大変だ」

『ゴトン』

「ほれ、清掃行くよ新人」
「はい」
そうして誰かは夢から醒める。

『プラネタリウムの偽物の星』

「この歯ブラシ、さっきの可愛い娘ちゃんが使ったヤツかな」
「あんた寝起きドッキリのイジリー岡田か」
「やくみつる思い浮かべましたけど俺。ちょっとちげーか」
「って言うかアンタ、それおっさんが使った歯ブラシかもしれないでしょ」
「なんであんなこぎたねぇおっさんが、あんな可愛い娘抱けんだよ」
「あの娘デリヘル嬢でしょ、普通に」
「服も派手じゃなかったのに、なんでそんなの分かるんですか?」
「長いことこの仕事に足突っ込んでたら、だいたい分かるものよ」
「女の子は良いですね。ほんの数時間であっという間に稼げるから」
「デリヘル嬢もそんな気楽な商売じゃないでしょ。嬢の旬は二十四まで。訳アリな娘も珍しくないしね」
「訳アリ? 借金とかですか?」
「この娘、母親の愛情を受けずに育ったんだね」
「えっ?」
「ほれ、このカフェラテ。ストローに幾つも歯型がついてる。子供の頃に噛む癖がついたんだね」
「あらー」
「デリヘルにしか、自分の居場所作れずに。客相手にする度に大事ななにかを擦り減らして。その場しのぎの金で今を温めてる」
「……。」
「ほれ、急げ。清掃は素早く正確に。回転が命」

『ゴトン』

こじんまりした『関係者以外立ち入り禁止』のモニター室兼、休憩室。
防犯カメラが映し出す、男と女。
「客入ったわよ」
「軽トラで来たぞ」
「町外れのホテルだからね。珍しい訳でもない。身を隠すには丁度良い立地で需要があんの。色んな事情を抱えた客が来るからね」
「えっ。おっさんとおばさんのカップル? ウチのおかんくらいの歳ですよきっと」
「あれは不倫ね」
「えっ?」
「ゴルフウェアの男は口実作り。普段着の女はノープランで家出てきましたって感じ」
「あの歳で不倫かぁ。おっさんになったら落ち着いていたいなぁ、俺は」
「その台詞はおっさんになってから言うべきよ。身体だけ衰えても、心は果ててないってことでしょ。夢見てんのよ、いくつになっても」
「そんなモンですかね?」
「あのカップルはその場のノリで来ちゃいましたって口ね。だらしない遊び方してんのが滲み出てるわ。女の子の根元だけ黒い髪とか」
「馬鹿ですね。男の方は下心しかないってのに。済ませたらポイ。使い捨てくらいに思ってんのに」
「そんなこと百も承知。でも女だって羽目外したい時くらいある。傷つかないように私だって遊びだからなんて言い聞かせてね」
「俺には分かんねぇな、その感覚」
「寒かったら、マフラーでも、ストールでもあった方がマシでしょ?  たとえ柄が気に入らなくても。寒いよりマシじゃない」
「はぁ」
「ほれ、部屋空いたぞ。清掃行くよ」
「はーい」


乱れたシーツ。雫が飛び散った洗面台。髪の毛をつけたクシ。
「あっ」
「どしたの?」
「俺、気づけばなんの抵抗もなく使用済みのゴム摘んでる。しかも素手で」
「ゴム手袋つけてたら非効率。どうでも良くなんのよね。どうせ汚れるんだからって諦めてんの。鈍ってんのかな、感覚が」
「あっ、すんません」
「コラっ、なに電気消してんのよ」
「肩が当たりました」
「早くつけてよ」
「はい」

『カチっ』

「えっ?」
天井には星が散らばり、ベッドを照らす。
「コラっ」
「すんません。電気つけようと思ったら。ボタン違ったかな。ってか、このホテルプラネタリウムの演出があったんですね」
「A室だけね。売りにしてんのよ。ウケは悪いけどね」
「確かに、安っぽいですもんね」
シーツに肩を並べ寝転がって、ふたりして天井を見上げた。
「俺、こんなじっくり星見るの久しぶりだな」
「まぁ、プラネタリウムだけどね。東急ハンズに売ってるレベルの」
「なにしてんだろうな、俺」
「なにって、ラブホテルの清掃でしょ?」
「あん時想像してた大人ってやつになれてない気がして」
「そんなもんよ。大人なんて」
「まだ、中途半端に夢見てて、そんで正社員にもならずに、ラブホの清掃やってます」
「それもまた正解なんじゃない。採点基準は自分自身にあるから」
「こんな安っぽい星でも追いかけてみたいと思ってるんです。心のどっかで。恥ずかしいですね、俺」
「恥ずかしいわよ」
「えっ?」
「私だって」
「そんなこたぁない、でしょ?」
「ねぇ、アンタ子供の頃、将来の夢なんだった?」
「ベタですよ? ウルトラマンです」
「確かにベタね。子供ならでは」
「ならでは?」
「3分しかもたない正義なんて、子供ならではの発想。戦いは3分じゃ終わらない。死ぬまでよ」
「……。」
「ねぇ、今日ハーゲンダッツ奢ってよ」
「はぁ? なんで?」
「なんとなく」

開くことのない窓の外は明るくなり始めていた。
もうすぐ、誰も知らない朝が来る。

『メモ書きと作家志望くんと彼女ちゃん』

「なんじゃこりゃ?」
「なんでしょね?」
「赤いコートがびりっびりに引きちぎられてる」
「派手にやったもんね」
「さっきの別々に出てった客か。女の子泣いてたもんな」
「涙の数だけ強くなれるよって、あれ嘘ね」
「えっ?」
「だってあの娘、きっと何度も何度も泣いてきてるわよ。賢く生きれずに。それなのに強くなってないもの」
「確かに。アスファルトに咲く花だけど枯れてますからね、あれじゃあ」
「やっぱり嘘よ。私、最強になってるはずだもの」
「あれ?」
「ふん?」
「なんだこれ? メモ用紙に字を書いた跡が残ってる」
「上になんか書いて、ちぎって捨てたのね」
「うんと、うん? 私、生きたいって書いてある」
「……。」
姉御はゴミ箱からしわくちゃに丸められたメモ用紙を拾いあげ、手元で広げて眺めている。
「どうしました?」
「えっ? ううん」
「これ、ただのイタズラな落書きですかね?」
「病気かなにかかな」
「えっ? やっぱ遺書?」
「いや、恋文よ」
「はぁ?」
「生きたいは、死にたい。死にたいは、生きたいなの」
「すみません、意味分かりません」

『ゴトン』

こじんまりした『関係者以外立ち入り禁止』のモニター室兼、休憩室。
「案外清掃すんなり終わりましたね」
「散らかってなかったもん。あの娘、上品だわ。トイレットペーパーも三つ折り。バスタオルも綺麗に畳んで。ちゃんとしてるわ」
「それなのに、男にだけはだらしないんですね」
「それでも女の子でいたいのよ」
「なんなんですかね。女の子って」
「この世で一番汚くて、この世で一番綺麗な生き物」
「なんだそりゃ」
「アンタの彼女もよ」
「汚なかないですけど」
「そもそもなんでアンタこの仕事してんのよ?」
「えっーと。特にたいした理由ないですよ。時給が良かったのと、後は興味本位で。やりたいこともなかったから」
「ほんとに?」
「えっ?」
「ほんとにやりたいことないの?」
「笑わないでくださいよ?」
「えっ?」
「俺、小説家になりたくて。でも彼女とのことも大切にしたくて。原稿書きながら、時給高いバイトして金貯めてんです」
「お前」
「はい?」
「見直したよ」
「今まで俺のことどう思ってたんですか?」
「ゆとり世代の闇」
「失礼だな、まったく」
「ほら、アンタ好みの可愛い娘が、男に連れられて廊下歩いてるわよ。3カメ」
「確かに、可愛いなぁ」
「さっきの言葉撤回」
「可愛いと好きは別ですから」
「じゃあ、あの娘は? 2カメの」
「あの娘は遊びなら喜んで。マジな彼女ってなると、遠慮するかな」
「あぁ、分からんでもないわ」
「可愛いのは認めます」
「そうね、そんな感じ」
「姉御、さっきのメモ、捨てずに持ってるんですか?」
「あぁ、これ? まぁね」
「呪われますよ。そんなの持ってたら。絶望が滲み出てる」
「そうかな? 私には希望に見える」
「はぁ? ちょっと意味分かんないです」
「後がないと思って頑張りすぎたのね。先があると思って頑張れたらな」
「すみません。もっと意味分かんないです」
「あんたさっきから意味分かんないって言い過ぎだから」
「すみません」
「あっ。客来たよ」
「どれどれ」
「あの娘は? 今廊下歩いてる」
「えっーと」
「アンタ好みでしょ?」
「うーん」
「あの娘、あの娘」
「たしかに、タイプです」
「今、部屋に入ってった。チャラ男と」
「まるで汚れのない女の子」
「男って馬鹿ね」
「たしかに馬鹿かもしんないですね」
「うん? いつになく素直じゃない」
「アネゴ、今日ハーゲンダッツ奢ってください」
「なんでよ?」
「あれ、俺の彼女です」
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