アキメク
文字数 1,336文字
「何事もなかったように」時が過ぎたのではなくて、何事も隠して現在地まで生きてきた。
暑中も、残暑も、心中も、お見舞いされないままどうやら季節は跨いだようだ。
T シャツだけでは心細いと羽織った。だらりと垂れるカーディガンからタンスの匂い。
迎えにゆく様にベランダへ出た。今更ながら秋の風に気づいた。
きっかけをくれた煙が透明な空へ頼りなく漂い溶けていった。いつかの缶ビールを灰皿に変えて。
セーラー服を脱ぎ捨てて家を静かに出た時、シングルマザーのママに「さよなら」を言いそびれた事を後悔してきた。
ただ時間は忘れ物を私に届けた。「さよなら」ではない。「ありがと」だと口うるさく諭す。
仕方ないさ。彼女との生活に息が詰まっただけ。まるで酸素を分け合う狭い金魚鉢の様に。
空腹を満たす為についた仕事。デリバリーするのはピザじゃない。この身体だ。
身体など減るものではないと金に変えてきた。けどすり減らした「なにか」が返っては来ない。
確かに潤った。しかし足りなかったのは温度とありがたみ。今になって手元には残っていない。
すり減らしてきたなにかが空っぽになった時、冷めた身体をデリバリーする仕事は辞めた。無だった。
思い出せない、思い出したくない過去は以下省略で現在に至る。
出逢った男は金も、名誉もない。唯一持っているのは家庭だけ。知らない女と子供が待つ家にも秋は来るのだろうか?
これが最後の一本。とっくに潮時は来ている。無意識にそう思いながらちびた煙草を揉み消す。でもどうせ明日になればまた吹かしているだろう。それも知っている。
私は彼を恋人と名付けるが、彼は私を愛人と位置付ける。恋人には「恋」を抱き、愛人には「愛」を抱くのならば、私の方が想われていそうで笑った。
指先に煙の香りを残したまま、むず痒い鼻を撫でた。まるで彼は煙草みたいだ。やめた方が良いと知っていて、やめれないと知っている。
今更ながら首元がチクチクするカーディガンに包まれ想う。秋めく。
例え柄が趣味じゃなくとも、毛羽立っていようとも毛布に潜りたい。寒いよりマシだ。その毛布こそ彼との関係なのだから。
漠然と生きている実感が欲しくなった。あくせくと時間を追い越すように働いてみたくて。
タイヤの間から潜り込み、暗い車の裏側で仰向けになる。油にまみれて汚してゆくこの仕事は、生きるにおいて不要な物を身体から発散し、蒸発させてくれる。
半人前くらいのお金が私に教える。お金の為に生きるのが仕事ではなく、生きる為のお金を手にするのが仕事なのだと。
やりがいだとか、生きがいだとかを口にするつもりはない。まるで校長の長話くらいつまらないから。
ベランダの柵へもたれた時、遠くで電車が突き抜けた。透明な空に橙色が滲む。冷たい風が運んだ、知らない家のカレーの匂い。染まるよ。
あの日を回収する為、ママを訪ねてみよう。うん、そうしよう。いや、やめよう。もう直ぐ彼が帰ってくるから。
私は血の通った体温のある仕事がしていたいから。あの日言いそびれた言葉が開かずの扉をノックする。
「ただいま」
「ありがと」
「えっ?」
「さよなら」
どの口が「ただいま」と言えるのだろうか? この口はどうして「さよなら」と言えたのだろうか?
暑中も、残暑も、心中も、お見舞いされないままどうやら季節は跨いだようだ。
T シャツだけでは心細いと羽織った。だらりと垂れるカーディガンからタンスの匂い。
迎えにゆく様にベランダへ出た。今更ながら秋の風に気づいた。
きっかけをくれた煙が透明な空へ頼りなく漂い溶けていった。いつかの缶ビールを灰皿に変えて。
セーラー服を脱ぎ捨てて家を静かに出た時、シングルマザーのママに「さよなら」を言いそびれた事を後悔してきた。
ただ時間は忘れ物を私に届けた。「さよなら」ではない。「ありがと」だと口うるさく諭す。
仕方ないさ。彼女との生活に息が詰まっただけ。まるで酸素を分け合う狭い金魚鉢の様に。
空腹を満たす為についた仕事。デリバリーするのはピザじゃない。この身体だ。
身体など減るものではないと金に変えてきた。けどすり減らした「なにか」が返っては来ない。
確かに潤った。しかし足りなかったのは温度とありがたみ。今になって手元には残っていない。
すり減らしてきたなにかが空っぽになった時、冷めた身体をデリバリーする仕事は辞めた。無だった。
思い出せない、思い出したくない過去は以下省略で現在に至る。
出逢った男は金も、名誉もない。唯一持っているのは家庭だけ。知らない女と子供が待つ家にも秋は来るのだろうか?
これが最後の一本。とっくに潮時は来ている。無意識にそう思いながらちびた煙草を揉み消す。でもどうせ明日になればまた吹かしているだろう。それも知っている。
私は彼を恋人と名付けるが、彼は私を愛人と位置付ける。恋人には「恋」を抱き、愛人には「愛」を抱くのならば、私の方が想われていそうで笑った。
指先に煙の香りを残したまま、むず痒い鼻を撫でた。まるで彼は煙草みたいだ。やめた方が良いと知っていて、やめれないと知っている。
今更ながら首元がチクチクするカーディガンに包まれ想う。秋めく。
例え柄が趣味じゃなくとも、毛羽立っていようとも毛布に潜りたい。寒いよりマシだ。その毛布こそ彼との関係なのだから。
漠然と生きている実感が欲しくなった。あくせくと時間を追い越すように働いてみたくて。
タイヤの間から潜り込み、暗い車の裏側で仰向けになる。油にまみれて汚してゆくこの仕事は、生きるにおいて不要な物を身体から発散し、蒸発させてくれる。
半人前くらいのお金が私に教える。お金の為に生きるのが仕事ではなく、生きる為のお金を手にするのが仕事なのだと。
やりがいだとか、生きがいだとかを口にするつもりはない。まるで校長の長話くらいつまらないから。
ベランダの柵へもたれた時、遠くで電車が突き抜けた。透明な空に橙色が滲む。冷たい風が運んだ、知らない家のカレーの匂い。染まるよ。
あの日を回収する為、ママを訪ねてみよう。うん、そうしよう。いや、やめよう。もう直ぐ彼が帰ってくるから。
私は血の通った体温のある仕事がしていたいから。あの日言いそびれた言葉が開かずの扉をノックする。
「ただいま」
「ありがと」
「えっ?」
「さよなら」
どの口が「ただいま」と言えるのだろうか? この口はどうして「さよなら」と言えたのだろうか?