第98話 津島湊

文字数 1,013文字

 仙千代は津島の町へは度々行っていた。
万見家のある鯏浦(うぐいうら)は津島に程近く、
祭禮、買物等で、養父母(ふぼ)に連れられよく出掛けた。

 一行の中には、
海というものを初めて見るという小姓や侍女達も居て、
大はしゃぎしている。

 神社への参拝は朝に行うものなので、
この日、到着した後は、いわゆる自由行動となった。

 とはいえ、若殿が町へ出ると言えば町、
海へ行くと言えば海へ、
馬廻りや小姓はお付きで従わなければならない。

 「若殿、宿舎で午睡とか、ありませぬように!」
 
 「お店(おたな)を周りたいなぁ!」

 岐阜から津島まで、途中ほとんど船旅であったとはいえ、
かなりの距離を移動したのに小姓達は元気満々で、
浮き立っている。

 一行が泊まるのは代々織田家に恭順している地元の大有力者、
堀田家の城とも見紛う豪壮な屋敷で、小姓達は大部屋だった。
 常も家が遠い者は城で共同生活しているのだから、
今更それ自体は何でもないが、
旅先ということで皆が皆、ソワソワしていた。

 「仙千代、若殿の偵察、行ってきてほしいなー」

 「海にも町にも行きたいって、お願いしてみて!」

 今では、小姓達は、
仙千代は信重と近しいと見ているようで……
もちろん妙な含みはない……そんなことを言ってはくるが、
仙千代はただ碁の相手をすることがあるだけであって、
他は皆と変わらないと思っていた。

 到着直後、その信重に呼ばれ、旅装を解いたり、
手足を拭いたり、身の周りの世話をした際に、

 「この後しばらく憂鬱な時間だ」

 と、信重は浮かない顔をしていた。

 織田家と特別な繋がりを長年に渡り維持する津島に
若殿が久々にお成りということで、
地元の有力者達が入れ替わり立ち替わり表敬で訪れ、
信重は旅の疲れもそのままに、
途切れることなく挨拶を受け、応対していた。

 ひとしきり、訪問客が落ち着いたのか、
邸内に静けさが戻っていた。

 信重に日頃から付いている馬廻りの一人で、
仙千代にいつも良くしてくれる若侍が、
小姓達の大部屋へやってきて、

 「海へ行きたい者は前庭に集合!
残って休みたい者は部屋から出ず、大人しくしているように!
引率は儂ゆえ、儂に迷惑かけぬようにな!」

 と厳しい口調ながら笑顔で言った。

 皆、待ってましたとばかり、

 「ひゃっほー!」

 「やったー!」
 
 と水褌、手拭いをたちまち用意し、海水浴の準備は万端である。
当然、屋敷に残る者など居ない。

 仙千代は「若殿が呼んでおられる」と言われ、
信重の部屋……最上級の客間……を訪れた。







 
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