第55話 湯殿(2)

文字数 997文字

 信長と信重は湯殿で、互いの姿が湯気に見え隠れしている中、
鷹狩りの話ではけっこう、やり取りが続いていた。
 
 信重は儀長城で、既に仙千代と三宅川の畔で出会っていたのに、
信長には仙千代を初めて見たと事実を告げなかった。
仙千代も信長に訊かれても、信重に合わせ、
信重と既に会話を交わしていたことを黙っていた。
 岐阜へ来てみて知ったのは、
どうやら信重が信長と距離を置こうとしているということで、
仙千代は信重の前では信長の話はしなかった。
 鷹狩りの話題となると二人が親しくしていて、
仙千代は嬉しかった。
やはり父子が会話を弾ませている姿は温かく、
恩のある信長と慕ってやまない信重が睦まじくしていることは、
喜びだった。

 信重の方が後から湯殿へ来たが、先に出るということで、
信重、三郎と共に立ち上がると、
単衣(ひとえ)の上からとはいえ、仙千代の腰から腹辺りに誰かの手が触れた。
 それは偶然ではなく、故意に触れてきたと感じられた。
偶然なら即座に離されるはずの手が腰から腹部に移って、
撫でられているような感覚があった。
 信長の向こうに居る小姓一人と仙千代に背中を向けている信重を除き、
他の全員が仙千代に触れられる距離に居た。
 湯気が立ち込める中で、「犯人」は分からなかった。
間近に居る三郎の表情さえ、明確ではない。
 いつか生家の傍で見知らぬ男に道を訊かれ、
案内している途中で怖くなり泣いてしまって解放された、
あの恐怖の経験が蘇るようだった。
 
 もしその手に意志があって仙千代の身に触れたなら、
今日が鷹狩りの一日だったこともあり、
自分は不意を突かれて追い詰められた獲物のようだと
仙千代は震撼した。
竹丸も直ぐ傍には居たが、
昨日仙千代の霜焼けの足を揉んでくれた手の感触から、
竹丸ではないと仙千代は感じた。
三郎も腹に触れてきた手の角度から判断し、無理がある。
すると、残りは先輩小姓、または信長ということになる。
しかし両者共、仙千代にその行為をする意味が分からない。

 その後、三郎に教わりながら、信重の着付けを済ませ、
今夜はそこで御役御免となった。
 入浴前に着物を脱がせていった時、初めて信重の全裸を目にし、
細身に見えて、
実はしなやかな筋肉で覆われている信重の美しい裸体を知って、
もう一度見たいという欲求が芽生えてしまっていたはずなのに、
先ほどの誰かに撫でられた触感がなかなか消えず、
信重の身体が目の前にあっても意識に入ってこなかった。

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