第一章 和泉式部の子4

文字数 1,370文字

 その日の深夜、土御門殿の馬場殿の母屋で、小式部と教通は燭台も灯さず、小暗い中で逢瀬を楽しんでいた。
 土御門殿は、上東門大路とも呼ばれる土御門大路北、近衛大路南、東京極大路西に位置したことから、上東門院、京極邸などとも呼ばれ、元右大臣源重信の邸宅であったものを、道長の正妻倫子が伝領したことにより、道長所有となったのだった。
 道長は平安京の内外に多くの豪邸を構えていたが、土御門殿は際立っており、南北二町の敷地を活かし、東側に長大な馬場を設け、諸行事に際しては、ここで競馬(くらべうま)を催すのが慣例となっている。競馬とは左右に分かれて各一頭ずつ走らせ、その早さを競うもので、この催し物を賓客たちが馬場殿から楽しむのであるが、諸行事が終わってしまえば、馬場殿はがらんと人気もなくなり、教通は父の許しも得ず、夜も更けたころに一条大宮院に迎えの車をやり、小式部を連れ込んでは、深い関係を続けているのだった。
 小式部は教通の胸に顔を埋め、わずかに月明かりで見える馬場に目を遣ると、
「あのように目立つことは困ります、慎んでいただかないと……」
 咎めるように言うと、教通はきょとんとして、
「えっ? 何のことでしょう」
 思わず聞き返した。小式部は教通がわざと空とぼけているように感じられ、教通の頬を右手で力任せに握ると、教通は、痛がりもせず、怪訝な顔を続けている。小式部はむっとしながら、
「昼間、四条中納言さまが一条大宮院の渡殿でわたしをからかい、わたしが『大江山』の歌を詠んだとき、教通さまは間に割って入り、大笑いしただけでは気が済まず、歌の説明までして……あのとき、母代わりの大輔命婦が私の目の奥をのぞき込んでいました。今頃はもう、二人の仲が知られてしまっています」
 一条大宮院での教通の軽率な行動を責めると、教通は清流のように長く艶ややかな小式部の髪をさすりながら、
「はははは、まさか。あれぐらいのことで悟れるような者などおるはずもない。思い過ごしというものですよ、小式部」
「その呼び方はやめて下さい、せめて二人きりのときは」
 小式部は、思わず教通の言葉を遮った。小式部は道長のたっての願いで十二歳の年から当時、中宮であった彰子に母ともども仕えていたが、この宮仕えに際して、小式部という女房名を与えられていた。
 小式部の『小』は、母和泉式部の『付属品』という意味と殆どの者が理解していたが、実際には本名の小優香(さやか)から一文字をとったものであった。受領階級の子女が宮中に出仕する際に女房名を与えられるのは、個人を特定する目的であるが、共同生活をするような宮中で本名を明かせないのは、思いもかけず他人から恨みを買い、調伏(ちょうぶく)と呼ばれる呪いをかけられそうになったとき、本人の実体を現す本名を容易に知られないようにするための擁護策であった。
 こうした理由から、女性が本名を家族以外に教える、というのはよほどの仲になってからのことだった。
 教通は、小式部が本名で呼んでほしい、と言ったことが嬉しく、
「小優香、あなたがそれほどわたしのことを考えてくれているのなら、そろそろはっきりとしていただきたいのですよ」
 結婚を切り出したが、
「……それは、まだ……」
 小式部は煮え切らない態度をとった。教通はふうっと聞こえよがしに溜息をつくと、小式部は何事かを求めるように、教通の唇を吸った。
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