第三章 炎2

文字数 3,219文字

 猛火は、折からの強風にあおられ、北は土御門大路から南は二条大路にかけて延焼していた。
 大路には焼け出された者たちが、頭上を流れるように飛んでいく火の粉と白煙に青ざめている。炎が燃えさかる音、女子供の泣き叫ぶ声、男の怒号が辺りを飛び交い、秩序を失った火事場全体の轟音となって小式部を圧倒した。
 小式部は、そうした空気と闘う思いで近衛御門大路から南門を使って土御門殿に入ると、壮麗を誇った邸宅は、炎と化していた。
 南山を超え、南池の縁に道長、賴通、教通の父子は、わずかに居残った家司と女房が赤々と照らし出されながら、茫然と焼け落ち始めた殿舎を見つめている。小式部は摂関家嫡流が無事であったことにほっと安堵し、肩の力が抜けた。
「ここは、もう……太皇太后さま、お上、親王方も一条大宮院でお待ちです。一刻も早く、ご無事なお姿を見せて差し上げて下さい」
 吹き付ける熱風を(うちぎ)の袖で防ぐようにして小式部は、一同に避難を促した。道長がむっとすす臭く、黒くなった顔でわずかにうなずいたそのとき、
「誰か、娘を助けて! お願いです!」
 女房の叫び声がした。小式部は女房が震えながら指さす先に目を遣ると、まだ、かろうじて火が回っていない東釣殿で、女嬬(めのわらわ)が一人、逃げ遅れ、へたり込み、泣いている姿があった。小式部は不意に既視感にとらわれた。以前にも、このようなことがあった……いつだっただろうか……記憶をたぐったとき、あっと小さく声を上げた。
 和泉式部と小式部の母子が、敦道親王の東三条院に入った長保五年(一〇〇三)から三年後の寛弘三年十月に東三条院が全焼する出来事があった。
 このときは冷泉上皇とともに成方朝臣宅へ全員、無事に避難し、約一年ほどで造替した邸へ戻っている。
 燃え盛る大邸宅を目の当たりにし、当時、九歳だった小式部はひどく怯え、母にしがみついて泣きじゃくった。そうした娘を和泉式部は大丈夫、大丈夫だからと何度も繰り返し、きな臭さがしみこんだ髪を何度もさすってくれたのだった。
 小式部は、逃げ遅れた女嬬を助けられれば、心の区切りを求めて七日七晩かけて石山寺に参籠しながら、結局、何もつかめないどころか、生き霊の母を泣かせた自分を救えるように思えた。
 南池の縁に沿って走り出し、池にせり出して造られた東釣殿の下に着くと、小式部は座り込んだ女嬬に手を伸ばし、
「早く飛び降りなさい!」
 叫んだが、女嬬は東廊まで迫った炎と煙にすくみ上がり、立ち上がることもできない。小式部は辺りを見回すと、東中門の下に植木の剪定用に置かれた古いはしごを見つけた。
 小式部ははしごを引っ掴むと、東釣殿の欄干に立てかけ、駆け上り、女嬬のか細い腕を力任せに引いた。二人は力余って南池に落ちたが、小式部は泣きじゃくる女嬬を抱き上げ、這い上がって道長らが避難した南池の縁に戻った。
 女嬬を母親へ渡すと、小式部は、
「さあ、お早く!」
 一同を促した。教通は勇猛果敢な小式部に目を丸くしたが、すぐに兄と父の両脇を抱えるようにして土御門殿から退避を始めた。
 道長は南門を出るとき、豪奢を誇り、摂関家の威信の象徴とも言えた存在であった土御門殿が、炎と煙へと変わっていく光景に今一度、目を向けた。

 土御門殿炎上から半月は、一条大宮院に出仕する女房たちは多忙を極めた、
 焼け出された摂関宗家を受け入れたことにより、翌日には、平安京に在住する公卿以下が類焼見舞いと称しては列を作り、それが済んだかと思えば諸国の受領たちが任国から駆けつけ、その対応に追われたためである。
 一条大宮院に足を運ぶ限りは、邸の主である後一条天皇と国母である彰子に挨拶をしなければならず、その上で寝殿に仮住まいを始めた道長ら摂関宗家に火事見舞いを言上していると、来客に広い邸内を右往左往させてしまう。
 仕方なく、東対に住む後一条天皇と敦良親王、彰子に寝殿に移ってもらい、道長、倫子、頼通、教通の嫡流と側室の明子とその子息たちである頼宗、能信、顕信、長家が類焼見舞いを受けることになったのだった。 
 火災から十日目、任国から駆けつけた美濃守源頼光は、寝殿の南階(みなみのきざはし)の下にひれ伏し、一通りの見舞いの言上を道中、よほど熱心に練習してきたと見えて、情感たっぷりに述べると、不意に道長をひたと見上げ、
「ところで、御堂殿。御殿の造替の計画は進んでいるのでしょうか?」
 事後の対応に話を進めた。道長は、
「いや、今は廃材を片付けるのが精一杯で、とてもそこまでは手が回らない」
 現場を見れば一目瞭然のことであるから、包み隠さずに答えると、頼光は、
「造替なった後、御堂殿がお戻りになる際、お入り用の家具一切は、わたくしがご用意申し上げます故、お支度はご無用にございます」
 広壮な土御門殿で必要となる調度類は莫大な数量になるにも関わらず、思案する体も見せずに引き受けたのだった。頼通と教通はにやりと薄笑いを浮かべ、目を見交わしたが、倫子は声を弾ませ、
「まあ、何とありがたいお申し出。美濃守さま、どうかよろしくお願いいたします」
 目を潤ませて言った。
 この出来事を耳にした諸国の受領たちは、源頼光ばかりが道長の目を引き、除目の際には、より富裕な国の国司に任じてもらおうといった下心を丸見えにしていることに腹を立て、ようやくに帰り着いた任国や帰途の街道筋から一条大宮院にとって返し、
「十年前に東三条院が焼け、造替の際には、御堂殿お一人が腕をふるいました。今度こそ我ら受領の立場を考えていただかなければ困ります」
「産業が比較的、豊かな国に任ぜられている国司は、摂関家のお役に立てもしましょうが、遠国のしかも相対して貧しい国を預かっている者は、皆一様に働く場を与えられず、無念を噛みしめていることを、ご存じでいらっしゃいましょうか?」
「殿舎一棟をそっくり丸ごとお引き受けすることはできませんが、せめて何か持ち場をお与えいただきたい」
 と道長は、火事見舞いとは名ばかりの恫喝(どうかつ)を受ける羽目になった。仕方がなく、各国司には一間ずつの造作を命じ、八月一日を起工式の儀式である手斧始(ちょうなはじ)めと決められた。私邸の造替に、各国司を使うなど、公私混同も甚だしかったが、国司の総意とあっては公卿の誰も口を差し挟めなかった。
 こうして、諸国の受領たちが入れ替わり立ち替わり一条大宮院に訪ねてくる中で、丹後守を務める藤原保昌は、道長への見舞いを済ませると、渡殿の小式部を訪ねた。小式部にとって、保昌は母が再嫁した継父であった。
「丹後守さま、母はどうされていらっしゃいますか?」
 小式部は、どうしても保昌を父とは呼べず、ついよそよそしく任国名で呼び、和泉式部の消息を尋ねた。保昌も小式部の胸中を察し、気を悪くすることなく、
「息災にしていますよ。口を開けば、平安京に残してきたあなたのことばかりを話しています。先日、炎上する土御門殿では大活躍をされたそうですね。あなたの武勇伝を耳にし、おかあさまは大変、喜んだと思えば、女が無茶をして、万が一、顔に火傷でも負ったらどうしましょう、自重するようによく言って聞かせてきて下さい、と実際には起こってもいないことを想像しては、くよくよしています」
 和泉式部の消息を伝えた。女嬬(めのわらわ)を火中から救い出した小式部の活躍が、遠く丹後にまで届いていることを知り、小式部は恥ずかしく、また、何を見ても聞いても娘の身を案じてくれる母の愛情が嬉しかった。
 小式部は石山寺に参籠した際、夢とも生き霊ともつかぬ母が、しきりに自分に謝っていたことを思い出し、それを保昌にどう話し、母の何を聞けばいいのか、言葉を探しているわずかな間に、もう次の来客があり、同僚の女房に呼ばれてしまった。小式部は、
「それでは、丹後守さま」
 最後まで保昌を父と呼べない自分がもどかしく、また、実の父である橘道貞の葬儀のことも母に伝えてほしかったが、それもままならず、小式部の黒目がちな瞳に涙がにじんだ。
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