第二章 母の足跡2

文字数 1,635文字

 平安京の葬送地である鳥辺野には、深夜であるにも関わらず、多くの親類縁者が集まり、橘道貞の葬儀に参列していた。
 小式部は実の親の葬儀であったから、黒い重服に身なりを改めていたが、参列した殆どの者は薄墨色や濃いねずみ色である鈍色(にびいろ)の軽服であった。
 幼くして両親が別れた小式部にとって、父の縁者が集まっても誰がどういう関係だったのかまるで解らず、母の名代も兼ねて列席していることが、苦痛だった。
 唯一、道長の名代として長男の賴通と三男の教通の兄弟が駆けつけてくれていて、知人がいる、ということが小式部には心強かった。
 まだ夜も明けきらない深い紫色の空に、道貞を荼毘(だび)に付した白い煙が立ち上っていく。
 荼毘に付す前に父の顔を見たが、見覚えのない男の顔があっただけで、突然に片親となった実感が、小式部にはなかった。
 関わり合いの希薄だった人であったが、これから二親のことを知りたい、と熱望していた矢先に父に死なれ、親とは、どのような存在であっても、子にとって代替など利かない無二の存在であったことが、小式部は心の奥深くに悟る思いであった。
 道長の嫡男で二十五歳の賴通は、小式部に近づくと、
「……この度は、どうも。どうか、お心落としのないように」
 権大納言らしく如才なく声をかけた。小式部は丁重に礼を言い、頭を下げたが、教通には、
「父を亡くしたと、いう実感が全くないのですよ。わたしは親不孝な娘なのでしょうか?」
 小声で本心を明かした。教通も声を潜め、
「小優香の場合、仕方がないでしょう」
 小式部の事情を心得たように応えた。小式部は、場の流れから、道長の嫡流と父の関わりを尋ねてみたいと思い、
「御堂殿(道長)と賴通さまは、父とは……?」
「昌子内親王が崩御され、七十七日の法事について、橘殿は父に指示を仰いでおりますし、兄が幼いとき、三条の橘殿の邸に渡り、病気療養を受けています。それから兄が春日祭の使者に立ったとき、枇杷(びわ)殿で色々と世話をしていただきました」
 父が道長の家司のような働きをしていたことを話した。娘の自分がこうしたことを全く知らず、教通から説かれると、あまりの無知に恥ずかしく、小式部はかあっと頬の赤らむ思いであった。
 やがて、葬儀は滞りなく終え、参列者もそれぞれに解散していった。
 思えば、父母は、自分が物心つく前に別れており、母についていった限りは、もはや娘とも呼んでもらえぬ存在なのかも知れない、では、なぜ自分はこんなところにいて、何をしているのか……小式部が堂々巡りの考えを繰り返していると、重服の母子らしい女の二人連れが、小式部の前に立った。
「小式部さん、大きくなられましたね。立派におかあさまの代理を務められて、おとうさまもきっと喜んでいられますよ」
 母らしい人が言った。自分は、父の葬儀の席で娘と名乗ってよかったんだ……小式部は嬉しかったが、声をかけてくれた女の二人連れが誰か解らず、
「……あの、父とは?」
 恥を忍んで尋ねると、
「あなたのおかあさまの後に、おとうさまにお世話になっていました」
 母らしい女性が応えると、小式部ははっと思い当たることがあった。両親が別れた後、父が寛弘元年(一〇〇四)年に陸奥守として任国に下向する際、妾子を伴っていった、と聞いたことがあった。この妾が、左京命婦といい、任期が明けた帰京後、一条天皇女御の義子に仕えている。母らしい女性は左京命婦で、伴われている娘は小式部にとっては義理の妹ということになる。
「おねえさま、ご結婚は?」
 ふと、義理の妹が小式部に聞くと、
「いえ、まだなの」
 小式部は答えながら、教通の顔が瞬時、脳裏によぎった。義理の妹は一瞬、小式部を見下すような笑いを浮かべ、
「わたしは、もう子が二人もいますの」
 勝ち誇ったようなまなざしを向けて言った。だから、だから何なの?  ……小式部は義理の妹に思わず反感を抱いたものの、一言も言い返すことのできない、今の自分の気持ちの行き詰まりが、自らの心に重くのしかかった。
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