終章 父母が託したもの2

文字数 2,206文字

 興福寺の寺域を出、南二条大路を東へ進み、教通と小式部は東大寺の参道へ入った。相変わらず、数名の従者たちがつかず離れず、二人の後方をついてきている。
 辺りには鹿が目立ち、行き交う人間を全く警戒する気配も見せない。
 小式部は悠然と目の前を横切っていく牝鹿の背に手を伸ばし、背をさすりながら、
「さっきから気になっているのですが、この鹿たちは、興福寺や東大寺で飼っているのですか?」
 尋ねると、教通は笑い、
「春日山麓はもともとご神域とされ、立ち入りを禁じられています。そこに住む鹿が異常繁殖を繰り返し、平城京内にも降りてくるのです。つまり、この鹿たちは、野生動物ということになりますが、これが日常生活として慣れてしまうと、鹿も人間も共存することに違和感を感じなくなってしまうのです」
 小式部が感心していると、牝鹿はゆっくりと立ち去っていった。

 東大寺の参道を進み、応和二年(九六二)八月に大風により倒壊し、そのまま再建されずじまいになって、基壇だけが残る南大門の脇をとおり過ぎると、教通は小式部の先に立って歩き、中門から大仏殿へ進んだ。
 東大寺は、天平十三年(七四一)三月、聖武天皇によって国分寺、国分尼寺建立の(みこのとり)が発せられ、金鐘寺が金光明寺と呼ばれる大和国分寺に定められた。
 天平十五年(七四三)十月十五日、聖武天皇によって盧舎那(るしゃな)大仏造立の詔が発せられた。最初に大仏が起工されたのは、近江甲賀寺の地で、翌年十一月には大仏の骨柱が建てられ、天皇自らその縄を引いたと伝えられ、工事も軌道に乗ったかに見えたが、その後、山火事や地震が続発し、大仏の工事も一年八か月で中止されてしまった。
 この間、都も恭仁(くに)、難波と二転、三転し、天平十七年(七四五)に再び平城京へ戻り、大仏建立の地として金光明寺が選ばれた。
 大仏は天平十七年八月に着工され、翌年十月には土型の大仏の原型が完成した。鋳造が始まったのは、天平十九年九月からで、三か年を要して五丈三尺(十四.七メートル)の仏体が成り、三丈の乾漆造の観音・虚空蔵菩薩の両脇侍の制作と大仏殿建立もこの頃に開始されたとされている。
 天平勝宝四年(七五一)三月、陸奥国から貢上された黄金で大仏の鍍金が始められ、光背を制作途中であったが、病気がちであった聖武天皇のために大仏開眼は急がれ、同年四月九日に開眼供養が行われた。
 その後も造立工事は進められ、天平宝字元年(七五七)ころには鍍金も終了し、ほぼ十年の歳月を費やし、大容が完成した。
 引き続き、堂塔の造営、諸堂に安置する仏像の造立が造東大寺司によって進められ、実に四十数年の歳月をかけて伽藍の造営が行われたのだった。
 鎮護国家を祈願して建立された東大寺は、六宗兼学の寺とも言われるように、平城京における教学の中心であり、多くの学僧を輩出させた。
 再び教通は滔々と東大寺の寺歴を語った。こうした苦難の歴史を聞いた後で、正面十間(八十六メートル)、奥行七間(五十・五メートル)、一重裳階付、寄棟造、本瓦葺の大仏殿に入り、頭上を圧するような大仏に参ると、信仰心云々は別となり、先人のさまざまな思いを肌で感じ、小式部は厳粛な思いとなった。
 金色の鍍金も落剥が進み、建立からの歳月を感じさせる大仏に小式部は、心素直に喜ぶことができない教通との結婚に再び答えを求め、しばし、合掌した。
 大仏殿を出ると、教通は中門から右へ折れた。小式部は怪訝に思い、
「あの、教通さま、次はどちらに行かれるのですか?」
 聞くと、教通は、
小優香(さやか)に戒壇院を見てほしいのですよ」
 先に立って歩き、大仏殿の西にある戒壇院につくと、教通は来歴を話した。
「受戒堂を中心に回廊が巡り、独立した寺院の体裁をととのえる戒壇院は、天平勝宝六年(七五四)、戒律を伝えるために来日した唐僧鑑真によって創建されました」
 小式部は、受戒堂の内部を覗き込むと、堂内の中央に二重の壇が設けられ、各面に昇階段がつけられている。
 壇上の中央に多宝塔が安置され、その四隅に銅造の四天王像がまつられているだけのがらんとした空間であった。
 持国天、増長天、広目天、多聞天の四天王像は、ともに唐風の甲(よろい)で身を固め、邪鬼を踏まえる姿で共通していたが、表情、動静などに変化をつけながらも、一群の群像として調和が保たれ、見事な尊像であった。教通は再び口を開き、
「この四天王像は、東大寺の前身である金鐘寺にまつられていたものであると言われています。金鐘寺は、聖武天皇と光明皇后が結婚して十一年後に期待を一身に集めてようやく誕生した皇子が、一年もたたずに早世し、その皇子の追善供養のために造立した寺院と御仏たちと考えられているのです」
 興福寺の東金堂院同様に、寺院の伽藍と安置された尊像を用いて、小式部に結婚と子の誕生を切り出した。言葉を呑んだ小式部の手をとり、教通は、
「あなたは早くにご両親の離別を体験し、半年前にお父上を亡くされたばかりで、わたしとの結婚を無意識に躊躇(ためら)われていることは解ります。しかし、わたしはあなたが後に悔いるような真似は決してしない。どうか、勇気と希望をもって、新しい一歩を踏み出してほしい」
 かき口説いた。小式部は何も答えられず、教通から思わず目を()らせた。外した目で一歳に満たず夭折した皇子の追善のために造られたとされる四天王像に、自分はどうすればよいのか、小式部は心の中で問いかけた。
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