第44話 エムバ国王レンドの望み(3)

文字数 2,965文字

「お主には感謝している」
 唐突な王の言葉に戸惑う。
「何のことでございましょう」
「アルジのことを気にかけてくれるのはお主だけだ」
 そう言って、レンドは寂しく笑った。二年前にエムバを出てからというもの、アルジの名を口にする者はいなかった。
「確かにアルジ様が話題に上ることはめっきり減ったとは思います」
 カエデは率直に言った。
「皆、アルジは王の器に不足と言う。そして今アルジはエムバにはいない。そう思う者がいても不思議ではあるまい」
 珍しく弱気な言葉を吐く王に、カエデは何も言えない。この偉大な王は慰めの言葉など求めてはいないだろう。だが、本音を話すのも気が引ける。
「お主はアルジのこと、どう思う。王の器に非ずと思うか」
「私でございますか」
 カエデは答えに詰まった。何とお答えしてよいものか。正直に返すべきか。
「正直に申してくれ。これからのエムバはお主のような若い力が中心となって引っ張っていかねばならぬ。お主から見て、アルジは命を掛けて尽くすべき男であるか」
 命を掛けて尽くすべき相手か。そういえば、アルジのことをそういう目で見たことはなかった。
 アルジが心優しい人間だということは知っていた。
 幼き頃より、エリナと共に何度も王宮を訪ねては、アルジと交流してきた。
 誰かが怪我をしたり病気になれば我が事のように心配し、誰かが死ねば我が事のように涙を流す少年だった。
 そんな性根では王は務まりませんぞ、と家臣達が嗜めるのを何度も聞いた。
 一度王宮に謁見に来たときに流行り病に罹り、死の淵を彷徨ったときのことを思い出す。
 目を覚ましたとき、そこにいたのはアルジだった。高熱にうなされ意識朦朧となった自分をアルジ自ら看病したのだと聞いた。流行り病ゆえ感染しては一大事と必死に家臣達が制止するのを無視し、ずっと付き添っていたのだという。
 心から喜びの表情を見せるアルジに、カエデは問うたものだ。
 何故、王子自ら看病などなされたのか、王子に感染っては大変なことになるのだと。
「だって、カエデが苦しんでいたんだよ」
「流行り病にかかれば、誰もが苦しむものなのです」
「苦しんでいる人が目の前にいるのに、何もしないことってあるのかい」
 そう言われ、ああ、王子は打算も計算もなくただ苦しんでいる私のことを何とかしたいとだけ考えていただけなのだ、と分かった。
 このことがレンドの耳に入り、アルジが酷く叱られたということは後から聞いた。
 お前にもし感染ったらどうするつもりなのかと。それはカエデも望んではいないのだと。流行り病は医者に任せるしかないのだ。お前が為したことは王子の振る舞いではないと。
 カエデは王の顔を見る。
「レンド王、私はその時、思ったのです。アルジ様は何という無知で無謀な王子なのだろうかと」
「うむ、そうか」
「そして、こうも思ったのです。アルジ様は私が支えてやらねばならない。他人のために命をも顧みぬ王子のことを死なせてはならないと」
「うむ、そうか」
 レンドはそう言った。
 グズグズとなっていた気持ちが晴れた。そうか私はアルジ王子に仕えたかったのだ。

「これはレンド王にあられましては益々のご創建ぶり、誠にめでたきことでございますな」
 アヴァ族の(おさ)ムロンが酒杯を持って、王の席を訪ねてきた。エムバの男として逞しい体格と立派な口ひげを蓄えた貫禄ある55歳の壮健な男だ。
 10年前、スタチオ・アウトテクスとの戦いでは激闘を繰り広げ、満身創痍になりながら100人もの敵を討ち取ったことで知られる強者だ。
「うむ。よく来てくれた、ムロンよ。お主も元気そうで何よりだ」
「ハッハ、このムロン。エムバのためでしたら、いつでも命を投げ出す覚悟が出来ております。いざというときのため、鍛錬には余念が無いつもりですぞ。ハッハ」
 豪快な笑い声が会場に響き渡る。
「おお、これは婿殿。やはりエムバの若衆の中にあっては随一の男ぶりじゃ。我が娘も早うお主の元に行きたくてウズウズしているところよ。ハッハ」
「これはムロン殿。お変わりないようで何よりです」
 三女を第二夫人に迎え入れる話はまだ緒についたばかりだと言うのに、相変わらず強引な男よ、とカエデは思う。
「サムド王子もヤエル王子もご立派に成長なされましたな。もう少しすればご成人のおり、そろそろお決めになっても良いのではありませんかな」
「一体何の話だ」
「御跡継ぎの話でございます」
 ムロンの目つきが真剣さを増す。彼は率直な物言いで知られ、相手が王であろうと遠慮はしない。
「何か勘違いをしておるようだが、私の跡継ぎはアルジだ。アルジ以外の王子の名を口にしたことは一度もないぞ」
 レンドの口調が迫力を帯びる。
「アルジ様、おお、そのお名前を久々にお聞きしましたな。お言葉でございますが、アルジ様は山賊共の手下となって国外を放浪中とのこと。いつエムバに戻ってこられるのかも分からぬ有り様。敵が攻めてきたときにおられない可能性もありますぞ。そんな方に王の勤めを果たす事ができるのか、甚だ疑問でありますな。まあ、尤も山賊としての腕前は少しはあげられたかも知られませぬがな。ああ、確かエリン・ドールとやらが率いる女ばかりの集団におられるのでしたな。今頃は女子共の尻に敷かれてなければよろしいですがな」
 ムロンのあからさまな言動が会場に響き渡り、参加者は息を呑んで成り行きを見守る。
「それと、エムバは外部との接触を絶って生きるのが伝統。だからこそ古より誰にも侵される事なくこの里を守ってこられたのじゃ。外部との接触など災いを招くだけのことよ」
「ムロンよ。スラチオのことを忘れたのか。あの男の前に我らは絶体絶命の危機に陥ったのだぞ」
「何を言われる。最後は見事追い返したではありませぬか」
「あれはヨーヤムサンの加勢があってのことだ。我らだけではエムバは陥落していた」
「ふん、王よ。何を言われる。あれはあの山賊が勝手に加勢してきただけのこと。あの者共の加勢がなくとも、我ら屈強な戦士たちが帝国の数千ごときの弱兵など追い返しておりましたわい」
「ムロンよ。馬鹿なことを申すな。すでに帝国は動き出しているのだ。今頃はローラル平原でピネリー王国軍と対峙しているのだぞ」
 アジェンスト帝国の動きはヨーヤムサンより齎らされていた。
「両国で勝手にやっておれば良い。我らは干渉せぬ。それが我らの古よりの掟じゃ」
 ムロンの鼻息が増々高まっていく。王との睨み合いにも一歩も引く気配がない。
「いかに王が跡継ぎはアルジ様と仰られても、皆、とうの昔に忘れておりますぞ。ましてアルジ様はエムバの男にあって貧弱な体。お気も弱い。王よ、まだお分かりになりませぬか。アルジ様では誰も付いて行く者などおりませぬぞ」
 その時カエデがムロンの前に立ちはだかった。
「ムロン殿、如何に集落の(おさ)筆頭のあなたと言えども聞き捨てならん。時期王はアルジ様だ。アルジ様への侮辱は私が許しませぬぞ」
「ほう、我が婿はいつから、人を見る目のない男になったのかのう」
「何イ」
 一触即発の中、ガタンっと大きな音がした。
 レンドが胸を抑えながら、卓上に突っ伏していた。
「いかがなされました。王」
「誰ぞ、医者だ、医者を呼べ!」
「王、しっかりなさってください、王」場が騒然となる中、カエデは必死に声を掛け続けた。
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