第29話 憂苦の騎士(3)

文字数 2,560文字

 見偽夢想流(けんぎむそうりゅう)奥義、雷撃斬が軽く受け止められた。しかも相手は隻腕なのだ。そんな馬鹿な、とテネア騎兵団の騎士達は驚く。
「こ、こいつは」「なんて奴だ」
 あのディーンの斬撃が効かないとは、ライムトンとタブロも衝撃を受ける。
 一方のディーンは至って冷静だった。ミラ姉さんと立ち会った時も雷撃斬が受け止められている。自分の雷撃斬はまだ未熟なのだろう。
「ん、ショックではないのですか。あなたの必殺技が受け止められたのですよ」
 ナダベルが声を掛ける。
「ショックはショックさ。でも我が剣の奥義は雷撃斬だけではない」
「ほう。ならば続けましょうか」
 二人の凄まじい斬撃の応酬に敵味方問わず周りの者たちは固唾を呑んで見守っているしかない。
 ドラングルも自分とは別次元にいる男達が繰り広げる一進一退の攻防を呆然と見ているしかない。
「これが本物のジュドー流剣術か。いや、それよりもなんだあの男の剣は」
 サラサラとした黒髪を靡かせた年若き男が放つ斬撃と剣捌きにドラングルは驚く。こんな剣術があったのか。マウト流とも違う。初見の剣術だった。
 憂苦の騎士は必ず俺が倒す。ディーンは気迫を漲らせる。こんな邪悪な男に負ける訳にはいかない。
 次々と斬撃を放つが、ナダベルは隙を見せない。逆に少しでも気を抜こうものなら、たちまち命を取られるのは必定だった。
「人々に仇なすお前のような者を絶対に許しはしない」
 お互いの息が触れるほどの鍔迫り合いの中、ディーンはナダベルを睨むが、あまりにも妖艶な瞳に惹き込まれそうになる。これが悪魔の誘惑なのか。
「ディーン、あなたは勘違いをしてはいませんか」
「何を勘違いしているというのだ」
「もしや、我らの剣が悪で、あなた達の剣こそが正義だとでも思っているのではないですか」
 ナダベルはさぞ驚いたかのように、悪戯っぽく、それでいて妖艶な笑みを浮かべる。
「勘違いだと。ふざけるな。お前達は、これまで何人もの罪のない人々を不幸にしてきたんだ。それが悪でなくて何だというのだ」
「フフ、思い上がりも甚だしいところですね。ならば、あなたは今日ここで何人斬ったというのです。命に良し悪しがあるのですか」
 揺さぶりに来ているのが分かった。あえて何も言い返さない。
「あなたに斬られた者達はさぞや恐ろしかったでしょう。苦痛に顔を歪めたことでしょう。悔しかったでしょう。あなたの所為で人生がいきなり途絶えたのです。さぞや無念だったことでしょう」
「勝手なことを抜かしやがるぜ。ナダベルさんよ。ディーン、こいつの言うことなんか聞くな」
 ドラングルに剣を向けたまま、ロラルドが声を掛ける。
「オーベルが言っていた男とはあなたのことですね。中々面白い剣を使うと聞いています」
「俺の剣のことなんかどうでもいいぜ。それよりもお前達が悪じゃねえとはよく言ったもんだ。図々しいにと程があるぜ。ナダベル」
「悪、正義の観念は人それぞれです。あなたが思えば、それは悪にも正義にもなります」
 そうなのか。悪とは、正義とは一体何をもって決まるのだ。本当の正義とは、悪とは何なのだろう。そんなことを真剣に考えたことなどなかった。
「ディーン。人が苦しむのが正義なのですか。人が悲しむのが正義なのですか」
 マークフレアーが毅然とした表情で言い放つ。
違う。そんなことが正義なはずがない。
「人のために生きることが正義、社会のために生きることが正義、そうではないのですか、ディーン」
「ホッホ、そうじゃ、自分のことだけを考えるのは正義に非ず。世のこと、人のことを考えて行動するのが正義じゃ」
 ローノルドがいう。
「フフ、やはりあなた達は傲慢ですね。世のために、人のためにとはよく言ったものです。世が求めるものとは、人が求めるものとは一体何なのですか。それこそ人それぞれなのではないのですか」
 確かに何を持って世のため、人のためだと言えるのか分からない。良かれと思ってやったことが予期せぬ結果を招くこともあるだろう。
「素直になりなさい。苦しむのが人というもの。苦しむことが当たり前なのです。それに抗おうとするから余計に苦しむのです。我が身を憂いながら生きるのです」
 そう言いながらリンを見る。
「マークフレアーを救った勇者として、あなたは人々の称賛を浴びるでしょう。ですが、それは最初のうちだけです。醜い頬の傷はあなたを一生苦しめるでしょう。人は陰口を叩くでしょう。こんなに醜い女と結婚する物好きな男はおるまいと。人々は卑しめるでしょう。そんな醜い容姿でよく街を歩けるものだと。そして、もしあなたが将来、子を為すことが出来たならば、その子は問うでしょう。何故、我が母親は皆と違う容姿をしているのかと。何故、頬に醜い傷があるのだと」
「やめなさいよ。そんなことはないわ。みんな、リンちゃんを褒め称えてくれるわ。マークフレアー様をお守りした誇り高い騎士だと、そう言ってくれるに決まっている。少なくとも私はリンちゃんの勇気を忘れない」
 ラーナが怒りを込める。
「そうだ。リンほどの勇者を悪く言うやつがいるはずがねえ。いたら俺がぶっ飛ばしてやる」
 ライムトンが激昂する。
「フフフ、時が経てば人間はどんなに大きな恩を受けたこともみな忘れてしまうものです。そんなものにしがみついても、いずれ苦しむだけのこと。そんなことも分からないのですか」
「それ以上、リンを苦しめるのはやめなさい。ナダベル」
 マークフレアーは毅然と言い放ち、右手に持った短刀をナダベルに向ける。
「フフ、一体何をなさるおつもりですか。まさか、そんなもので私を倒そうとでもいうのですか」
 ナダベルが冷笑する。
「確かにあなたの言うとおり、時として人は大恩すらも忘却の彼方に置いてしまうこともあるでしょう。ならば私は我が身に刻み、大恩を忘れぬよう誓いましょう」
 マークフレアーは短刀を自分の顔に向けた。
 え、何をする気なのだろう。緊張の面持ちで皆が見守る中、サッと真横に短刀を引いた。
 右の頬から血が滴り始める。
「マークフレアー様」「ああ」
 太陽の女神、テネアの太陽と称される美しい顔に出来た切創を見て、兵達は皆、驚き嘆きの声を上げる。
「リンの頬の傷は我が頬に受けた傷。リンの胸に負った傷は我が心の傷」
 マークフレアーは微動だにしないままナダベルを睨んだ。
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