第14話

文字数 10,244文字

「黒猫君には残念だったかもな。しかし私は厄介なネズミがいなくなって清々した気分だよ。もう彼奴らも来ることもなかろうて」

老人は穴のふさがった白壁をみながら満足つぶやくと、そしてそれからピアノの下の黒猫の方を振り返り笑った。


「フハハハハ・・・猫のお前さんにとってもこの場所は理想的な楽園になるだろう。たしか、もう遠い昔になるが、楽園実験と称された、ネズミを飼育して社会実験があったはずだが、たしかユニバース21とか言ったかな・・・。この世界は仮にパラダイス21とでも名付けようか。しかし実験ではない。この杖で何だって成し遂げることが可能なのだからねぇ。

猫はピアノの下に隠れたまま、老人に警戒を解かずでてこない。

「猫のお前さんにとってしても、ここは理想的な楽園になるだろうて。かなり昔の話だが、1960年代の米国で楽園実験と称される、ネズミを使った社会実験があったはずだ。結果は何度も繰り返しても、最後はネズミは一匹残らす死に絶えた。失敗したのはおそらくネズミしか存在しない環境だったからだろう。それを教訓にここでは多様性を重んじることにしよう。まずは人間の大切な友でもある種の猫にここに居てもらうのは実に有意義なことだ。ヨウコくんの飼い猫だろ?オスなのかな?」


「私の飼い猫じゃないよ」一筋落ちる涙を拭いながらヨウコは答えた。


「なんだ!君の猫じゃないか?・・・ということは野良猫がドサクサに紛れて入り込んでおったようなねぇ。にしても君はなぜ泣いていんだい?」


「・・・・あんたはそんな感じで自分の思いどおりにやれれば、それで楽しいわけ?」


「なんだヨウコくんご機嫌斜めのようだねぇ。どうか泣かないでくれくれたまえ。せっかくの綺麗な顔が台無しだ。ただわたしは君に笑って過ごしていてほしいだけなのだよ」
といって、老人は左の掌でヨウコの頬に触れようとしたが、勢い良くヨウコはそれを跳ねつけた。


「触らないで!!」


「ほぅ・・・そういう剣幕も立派なものだねぇ。君らしい一本芯の通った凛々さが一層映えるというものだ!その表情もまた素晴らしいじゃないか・・・フフフッ」


「そんな甘い事ばっかいっても騙されないよ!だってあんたは人の為になんて言ってるけど、結局やってることは、自分が気に食わない人を追い出して、自分の為の楽園を作ってるだけじゃない」


「ほぅ・・・君がそう思うのも無理がないと思うよ。かたち状たしかに私は、君の友人を追い出したにしたことに変わりないからねぇ。優しい君はおそらくこんな風に思ったのだろう? ネズミにされた人間の気持ちや追放された人間の気持ちを考えないのか?と」


「いや別にネズミにされた気持ちなんて私にだってわからないって。ただ私はあんたがやってることが異常だって思う。特にわたしが理解できないのはその杖の力を使う時の理屈だよ。その力を自分以外のもっと良いことのために使おうとか思わないの?」

「君は私のことを勘違いしているようだね。うーむ。どうやらその誤解を解いて、君の合意を得えるためにはどうやら長い説明が必要そうだねぇ・・・うーむ。ではこう考えてみてはどうだろう。仮に誰かが世の為人の為と、志し高い無私利他の精神を胸に秘めた目標を立てたとしよう。公約数的に要約すればおろらくそれは、こんな感じに成るだろう。「生命あるすべての人間が平和と共に互いに認め合い生きる歓びを享受することだ」というような感じの考えに至ると思う。その場合ヨウコくんがリーダーで、仮にこの杖の力を持っていたとして、君はその目的を達成できるかな?」


「いやわたしは別に・・・そんな、全員を助けるなんてとても出来ないだろうし、すべての人々を導くみたいな力なんて私ないだろうけど、そのための努力はすると思うよ」


「君の言ってることは正論だ。しかしこの場合正誤とか善悪の問題ではないのだよ。つまり努力や善処ではなく、必要なのは現象に対する冷徹な対処なのだよ。なぜかといえば、君は今ある日本のインターネット空間に溢れているコメントに見られる人々の感情や考えがどんな感じか知っているかい?」


「それってXwitterとかのSNSとか、Yahooとかに書かれてるようなこと?」


「ああそのとおりだ。その中の有象無象の匿名の人々の言動を見て君はどう思った?」


「炎上して誹謗中傷とかそういうことについてどう思うかってこと?」


「ああ、別にそれ以外についても語ってくれて構わない。匿名の仮面を付けた人々の言動に対する君の印象を聞きたいのだよ」



「誹謗中傷って、誰かを悪ものにされてエスカレートして集中砲火みたいになる。なぜかよく分からないけど、多分ネットだと顔がわからないって思って、みんな極端にめちゃくちゃな言い方するんだろうって思うけどさ。でもその人たちがどんな実際にどんなで生活をして、どんな顔で普段いるのかって想像すると怖くなるけど、でもめちゃくちゃな言動とか、人が傷つくことをなんとか止めたいって思う人たちもいるし。みんなが皆がやってるわけじゃないよ。良い人もいれば悪い人も居るって感じで」


「うむ・・・君は明晰な頭脳を持っていると感心するよ。インターネットの誹謗中傷がエスカレートするプロセスやダイナミクスを説明するための良い概念がある。心理学的に同調圧力または、集団極性化と呼ばれる現象だ。目立つ誰かの言葉が集団全体に影響を及ぼし極端な方向を向いて一体化する現象を言う。その傾向はインターネットの中でより激しくなるようだだ。君の言うとおり、人々は匿名という名のペルソナ、仮面をつけることで、普段隠しているシャドー、影の部分が覚醒し自己が変貌をするのだ。しかし仮面を付けたとしても必ずしも攻撃的に成ると言うわけでもない。それでは誹謗中傷をする側とそれを諌(いさ)めようとする側の人々の比率はどれくらいだと思う?」

「えーどうだろ・・・?。暴言を吐いてる方が目立って見えるけど、けど半分も居なくてたぶん三割くらいじゃない?半分の人は何も言わないけど、ほとんどの人がそれを見ておかしいと感じてると思うよ」


「君の言うとおり匿名のペルソナをつけたとしても、攻撃性を纏うものとはかぎらない。しかし束になり多数に見えるところが怖しいものだ。それによって傍観している中庸のものたちも、時に影響を受けてしまうのだよ」


「だけどさ、傍観してるおかしいって思う人の中にだって、それを止めようと動く人だっているでしょ?」


「確かにそうだね。だがその誹謗中傷する側が完全に事実を誤認していて間違ったことを言ってるとしても、彼らは自分の信じるものに固着して頑なになるものだ。そんな時にもし君が、その彼らと話し合う立場になったとしよう。君は彼らの態度を変えることが出来るかい?」


「それは・・・たぶん無理だと思う」


「ああそのとおり。君が理不尽に罵詈雑言を浴びている誰かを守ろうとして必死にコメントで反論して、完全に勘違いに過ぎない思い込みを抱いている相手を気付かせようとしても無駄だ。実はそれは誤った思い込みというのは正確ではなく、ある意味悪魔的な影の力に侵食され脳神経が痺れてしまい人間性が去勢されたような状態でもあるんだ。あれはねぇ・・・つまり病気なんだ。インターネットが産んだ精神疾患なんだよ」


「病気?」

「ああそのとおりだ。インターネット社会の光の影の狭間に生まれた精神病理症状なのだよ。サイバー空間乖離症もしくは、インターネット性人格障害と呼ばれる症状だ。主に境界性人格性の亜種だが反社会性人格障害と自己愛性人格障害を兼ね備えた異様で複雑な症状を呈する。しかもインターネットの利用率と影響力を思うと、今まで在り得なかった規模の母集団を持つ症候群シンドロームを生成する恐ろしい病気なのだ」


「それって病気って言えるの?」


「それでは実例として挙げてみよう。SNSの誹謗中傷で死に追いやられた人々のことを君も知っているだろう?実際に死を選ぶほどに追い込まれたネット炎上と言われる事件は世界中で数多起きている。その原因である、人を殺すほどのヘイトを帯びた集団が悪辣かつ執拗な人格攻撃を行う精神状況を、君は正気だと考えるかい?」


「そ、それはそうだけど・・・」


「君たちの時代ではまだ定義付けられてはいないが、この現象は立派な社会病理なのだよ。人々がインターネットによってそれまで考えられないほどの目が眩む白熱光線のような情報の波を浴びた結果、多くの人々がその代償として人格障害という精神の異常を来たしたのだよ。光あるとこと影あり。光無い影に意義なし。光と闇どちらか一方だけを存在させることなど出来ないのだよ」


「それってつまり陰と陽みたいな話?」


「そのとおり。君の言う陰と陽とはつまり東洋思想の太極のことだと思うが、現代科学でも量子物理学にてその原理が証明されている。上を向くものあれば下向くもの生まれる。右回転は左回転を対に持つ。神は細部に宿るとはいったものだが、人間社会にも同じように好む好まざるにかかわらず神の原理が働くのだ。例えばインターネット人格障害に陥った人々が類が友を呼ぶが如く束になると、もう一方で極性が反対の者達が束になり始める。その二曲相反関係は社会の中ではっきり顕在化し軋轢を生む。人々は己に向き合うことを禁忌しお互いを罵るだけの命題に支配される。それさえも神の手の上で転がされているに過ぎない。そして正気を保つ者達が自分たちと逆回りする暴走を止めようと必死に努力したとてすべて無駄だ。なぜなら自分たちはその逆スピンがある前提で存在しているからだ。日本人ならば言わずもがな、核爆発のようなショックの激震に襲われなければ狂信者の妄執は取り除かれない。それが神の摂理であり、物理学で言うところのパウリの排他原理だよ」


「話長いし、そもそも量子物理学はわからないって。高校じゃ範囲外だよ。しかも私文系だし」


「おお・・・そうだったね。それはすまなんだ。・・・とにかくリアルな社会ではインターネットはもはや社会インフラとして外せるものではなかろう。ゆえにIT進化は進む一方でブレーキがない。一方で個人の興味はより細分化して、指向性はよりニッチになりベクトルを異にして先鋭化していった結果、その先にあるのは極端な非人間化の孤立した小集団もしくは分断された個人化だ。そんな社会に適応して生きていくために人は、自分の人間性を乖離させながら、その孤独を紛らすことになるのだよ」

「なんかよくわかならないけど、なんか悲観的なかんじだけど・・・・」


「知らぬがホトケという言葉があるが、実際近い将来、今以上にその代償行為としてゲームやアニメや異世界モノのフィクションに感情を発露させるしかない哀れな世界がまっている。未来は結婚よりリスクあるものとなり少子化は当然ながら進行し、子どもたちはうるさいと言われ外で遊べず、幼い時からネットに没入するようになり、大人たちは互いに交す挨拶をやめ、男女がそれぞれラブドールと言われるAI搭載の人工の異世界転生キャラクターの愛玩人形を所持し、それにおはようと呼びかける、そんな社会だ。正確には未来では、異世界物はもはや廃れ、時空を超え転生するのではなく、自分が神になり世界を構築し観測する神視点の物語が流行ることになる。しかしそれも名前を変えた似たような慰めの為の感動ポルノにすぎん。ただ断言できるのは、未来は間違いなく今よりもよりドゥームで虚しく惨めな世界だと断言できる」


「もう聞きたくなくなってきた・・・でも半分はなんとなく想像できるかも」


「君が理解できなくても当然だよ。現行の時代では認知できるわけがないのだから無理もない。しかし私は今言った通り、絶望の未来のその先にある潜在的未来像すらもすでに垣間見てしまったのだ。その未来はというのは・・・それは形容しがたいというか、絶対零度のしかし私は今言った通り、絶望の未来のその先にある潜在的未来像すらもすでに垣間見てしまったのだ。その未来はというのは・・・それは形容しがたいというか、絶対零度のような寛容と希望という価値を捨てた氷の世界だ。私の目には、まるで人々がそんな絶望に向かって人々が走り続けているようにさえ思えるのだよ。まるで寓話のハーメルンの笛吹きのように。インターネットのトップインフルエンサーや大物芸人著名人とか言われる笛吹きの音色に先導され、ひたすら追い掛けるだけの知恵のない子どもたちのように」ような寛容と希望という価値を捨てた氷の世界だ。私の目には、まるで人々がそんな絶望に向かって人々が走り続けているようにさえ思えるのだよ。まるで寓話のハーメルンの笛吹きのように。インターネットのトップインフルエンサーや大物芸人著名人とか言われる笛吹きの音色に先導され、ひたすら追い掛けるだけの知恵のない子どもたちのように」


「あんたはその未来を嘆いて、だからここに人間らしい他の未来を作ろうって思ったって、こと?」


「さすがヨウコくん!やはり察しがいいねぇ。ここではインターネットや携帯電話のない太古からつづく穏やかな人間の営みを守りながら、人々が互いに敬意を尊重できる社会を作ることが目的でもあるのだよ」


「それだからってさ、なぜレイカやキー&ウッシーを排除する必要があるの?」


「君にとってレイカくんは大事な存在だったのかもしれない。それはわかる。では私が彼らを追放した訳を率直に言おう。それはねぇ、彼らの目を見てすぐに気づいたのだよ。残念ながら彼はそのインターネットの人格障害に罹っていた。残念ながら彼らは、魂にすでにその病理を根が植え付けられてしまっていたのだよ」

「どういう意味?」


「さっきも言ったとおり、サイバー空間での気が狂ったような人々が繰り出す浅ましい言動と、彼らが生み出す悪意を凝縮した言葉の羅列を君も見てきただろう?彼らはインターネットによって偏向された夥しい混沌情報によって侵されたいわば病的ヒステリー集団だ。まるで多次元の深淵の悪魔がインターネットに憑依し、そこに生きがいを見出した人々の建前の裏に忍ばせた本音の領域を、悪魔たちが巧妙に侵入し、彼らに自分との悪魔的契約の印を刻むかのように。残念ながらレイカくんたちは、すでにそれに汚染してしまっていた。集団の一人なのだ。だから仕方なく私は彼らを追放した。しかしヨウコ君は汚染されていない。またここに居る他の娘たちも同じく陰性の者たちなのだよ。私は君がここに居ることを認めたのはこのためだ。そして君が居てくれることを選んで喜ばしく思っているわけさ」


「そんなバカな話っていうかさ。あなたの話こそが一番極端だって思うよ。だってレイカが何をしたっていうの?だってさ病気病気って言ってるけど、あなたにはその病気の専門家なわけ?勝手に決めつけてるんじゃないの?」


「君はレイカ君の裏の姿を知らない。彼女がXwtterの裏垢でどんな浅ましいことをポストしているか知ったら君もぞっとすると思うよ。それにインターネット性人格障害という精神疾患は、君のある時代でまだ常識として認知されていないとさっき言ったはずだ。しかし現行世界でも、すでに気付き始めている精神科医もいるのだよ。そして30年後の世界では現実的にそれは認知されることになる。DSMにも症例として追加されたれっきとした病気なのだよ」


「DSMって何?」


「Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disordersの略だ。国際的精神障害の正式な診断基準だよ。未来の世界で完全に社会問題視されている社会病理なのだよ。インターネットによる精神疾患は、地球沸騰化と言われる異常気象と同じように未来には世界で上位に入る懸念すべき事象としての捉えられている社会問題なのだよ」


「それがつまり世界にどう影響するってわけ?」


「別に個人が気が狂い暴れると言った話しではない。しかしながら本音と建前が乖離し整合性を失った狂気に陥る社会集団の悪影響を想像したまえ。インターネット性人格障害は各国の首長選択選挙にも悪影響を及ぼす事になるのだよ。フェイクニュースを生み出す者達も、それに先導される者もその病気の罹患者だ。そんな中で特にアメリカの大統領選挙に著しい影響を及ぼし、その乱れた選択によって政策は機能不全に陥り、社会システムは歪んで混乱の極みを呈し、特に米国政府はダブルバインドに窮し予算が採決されず、自治サービスが機能不全に陥り困窮した人民たちの怒りが沸点に陥り銃器のトリガーが引かれた。それはセカンドシビルウォーと云われる大きな内戦だ。インターネットのために、死ぬ必要のない人々が大量に犠牲となる歴史的事態となったのだよ」



「なにそれ、聞いたこと無いけど・・・」ヨウコはまゆをひそめて尋ねた。



「そりゃそうさ。君が大人になったずっと後のの話だからねぇ」


「でもインターネットの影響で戦争ってどういう意味?」


「それでは順を追って説明しよう。そもそもインターネットは核戦争が起きたとしても通信網を網の目状にして分断されずに回線をいじする目的で作られた技術だった。しかし米国にとっての真の脅威はロシアでも中国でもなく、自国にいたというわけだ。防衛技術だったインターネットが原因で、しかも自国内の内戦に核兵器など使うわけにいかん。なんとも皮肉な話だねぇ。そのセカンド・シビル・ウォーにおける死者は推定推定500万人と言われている。しかしながらその犠牲によって、インターネットの精神への悪影響を本気で考えなおそうという流れになったわけだ。そしてWHOの専門家たちによる調査が行われ、アメリカ内戦に向かう以前の人々のネット言動についての、細かな精査分析がなされた。その結果、人間の脳にとってインターネットが最も有害な毒だというショッキングな内容が提示された。例えば青酸カリやサリンで500万人殺すなど現実的には無理な話だが、インターネットの毒性により起こってしまったというわけさ」


「インターネットが現実に人間の頭をおかしくするって言っても、どうやってそうなるの?ぜんぜんわかんないけど」


「たしかに君の言うとおり、どのようなダイナミクスと問われれば、インターネットが人の心を混乱させ人格障害まで至るかについて幾つか要因が指摘されている。ひとつは、インターネットのコメントがその場の衝動で言ったとしても永久的に残り続けることに由来していると言われている」


「え?それが問題なの?」


「人間は忘れることで前に進む。天気が悪くてもいつか晴れるだろう?何かネガティブなことがあっても、他の刺激を受ければ、大抵の過去の悪い記憶は薄らいで、次の日には忘れて気持ちを新たにするだろう?」


「まぁたしかにそうかな・・・」


「また逆も真なり。いいことがあっても次に悪いことが起きて良いことも忘れる。それが自然な摂理だ。しかしインターネットでは、記録が残り続けることで、憎悪が強化されたり、または逆に良いことばかりシェアして、バエル虚栄に囚われたりす。どちらにせよ、それが過激で無遠慮なものほどより注目を向けられてしまうものだ。それを見た大多数の人が影響を受け、見たいものだけ見るようなり、人は己を省みなくなる。インターネットとは、ネガティブフィードバックを抑制するシステムなのだよ。ブレーキのないアクセルだけの自動車を想したまえ。その怖さを理解できるだろうまた、ヨウコくんが先ほど指摘してくれたとおり、インターネットによる匿名性を帯びることで、罵詈雑言集団は意図も簡単にタガの外れた人間に成り果てる。これはインターネットサイバー空間に居ると、まるで自分が異世界の住人かのように勘違いし現実感を失う離人症を呈するようになる。つまりサイバー空間はフィクションなのだから、自分の言動に対して無責任で構わないと勘違いする、とも言えるだろう」


「つまり人にとって悪影響って言いたいってわけ?」


「まさしくその通り。端的に言うとインターネットは人間の心理を一つのことにこだわるように仕向けるのだ。記録が劣化せず残り続けるというのは人間の生き方に合わないんだ。コンピューターが記録してくれることが良いことだと皆思い込んでいるが、それは反面忘れることを難しくさせ、一つの思いや念に囚われやすくすることを意味する。インターネットでは誰かに対する敵意や憎悪に駆られた人間たちのコメントがあふれているだろう?その現象を心理学的視点からみると、固着する傾向が強められている、とも言える。固着はコミュニケーションの際の心理的齟齬の原因になるし、他人への寛容さや自分自身の精神の柔軟性をも損なわせる。その意味することはつまり、自分にも他人にとっても現実の人間関係において悪い影響しかないと言っておこう」



「それがそうだったとしても、インターネットが世界から無くなるなんて無理でしょ?」


「ああそのとおり。その後もインターネットはなくなるどころか進化を続けることになる。つまりインターネットはちょうど麻薬とような存在なのだよ。インターネットに依存し自我を変質させた人格障害者たちは、ちょうど薬物依存者がその薬理の力で人格を変えるように、路上で蜷局(とぐろ)をまいたまま動かぬ蛇のように社会の風通し阻害する悪質な存在だ。しかしながら普通にインターネットを使える者もいる。つまりちょうどアルコールと同じようなモノとも例えられる。しかしながらアルコール中毒者と違いインターネット中毒者らは、千鳥足にもならないし呂律(ろれつ)もちゃんと回る。そしてなりより極性を持ってお互い砂鉄のように引き付け合い大きな集団となり、サイバー空間においてシンドロームを形成する。非常に性(たち)が悪い存在なのだよ。どうやら調子にのって説明が長くなってしまった気がするが、高校生にはちょっと難しい内容だかも知れないねぇ?」


「いや・・・・言ってる意味は理解できるよ。確かネットの言動っておかしいところあると思うし、先生が選挙権の説明で、すでに票に影響が出てるかもって、言ってたし。それに生徒の中にも、コミュ症コミュ症ってすぐ言うけど、実際そんな感じの子もけっこういるけど、それがインターネットの影響?なのかな?」


「どうやら少しは理解してくれたみたいだねぇ。インターネットの社会への影響は計り知れないのだよ。しかしながら君の言うとおりもはやこの世にインターネットの無い世界を求めたとしても在り得ないだろう。すべての人および全体としても社会システムが、インターネットに依存しながら主幹となって社会を動かしている。やめようにも、もはや出来やしないだよ。要するに人類は悪魔の技術に完全にとりこまれていて、そこから抜け出すことができないのだよ。彼らが常識的に軽蔑する対象である、慢性アルコール中毒者や薬物中毒者と本質的に変わりないのさ」


「それはちょっと言い過ぎじゃないの?」


「いや同じことさ。アルコールや薬物依存は否認の病と言われるが、そんな中毒者の彼らとそんなに違いはないのだよ。彼らは毒性に侵されているにも関わらず認めることはなく使い続けるわけだ。そしてあらゆるアディクションと同じく、いま中毒症状が出ていないとしtめお、潜在的に誰しも可能性を抱えている。そしてそれが進行したその先には確実に悲劇が待っている。そのわかりやすい大きなイベントがアメリカで500万人死んだ内戦だったというわけだ」


「そんなの・・・」そのひとことをヨウコはつぶやくと、大きなため息を吐いて天井を仰いだ。そしてその先の言葉が出てこなかった。


「君の気持ちはよく分かるよ。認めたくは無いだろう。私も当初、そんな灰色の未来を見て気が滅入ったものだ。しかしだからこそ、この新世界を築きあげようと決心したのだよ。そのためには感染者とそうでないものを厳密に隔離する必要があるのだ」


「レイカは感染してるってわけ?」


「ああ残念ながらそうだ。しかしながらいま彼女は、インターネットの無い別の意味の絶望の世界だが、ある意味隔離されているような状態だ。もしかするとインターネット抜きを経て居る中で、正気戻る可能性もある。しばらく様子を見ようじゃないか」


「レイカの命を保証してくれる?」


「ああもちろん。君がどう思っているか知らないが、私は本質的には温情ある紳士的な人間なのだよ。レイカくんの命を見守ろるとしよう。とりあえず経過を見てみようじゃないか」


「レイカの命を保証してくれる?」


「約束するよ。だからもう君も安心したまえ。・・・・ところでこの奥に、さっきいた二人の他にも君と同じ年頃の娘たちがいる。肝を彼女たちに紹介されてくれたまえ。そして君の為に部屋を用意しよう。案内するよ」


 そう言って老人は、ヨウコの背中に優しく手を置いて、奥の部屋へ続く廊下へと促した。

 ヨウコは力なく少し肩を落とした様子でトボトボ歩いて行った。老人はおもむろに後ろを振り返り、もう一度、入り口のあった壁を見やった。しかしそこにはもうあの廃墟ビルへつながる入り口もネズミがくぐるほどの穴もなく、小さな日々一つ無い綺麗な白い壁だった。それを見て安堵したのか老人はニヤリとわずかに口角を釣り上げると、踵を返しヨウコの後に付いて奥へ歩いてゆくのだった。

つづく
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登場人物紹介

芹沢ヨウコ。都立雛城高校二年生。実質なにも活動していない茶道部所属。勉強は得意だが興味のある事しかやる気が起きないニッチな性格。根はやさしいがさばさばしているため性格がきついとクラスメートに思われがち。両親の影響のせいで懐疑派だがオカルトに詳しい。

水原レイカ。都立雛城高校二年生。芹沢ヨウコとは同級生で友人同士。弓道部所属して結構マジメにやっている。両親に大事そだてられていて正確は優しくおっとりしているが、素直すぎてなんでも信じてしまう。ホラーは好きでも実は苦手だけど痛い目にあっても大して気にしないし見た目より図太い。

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