第10話
文字数 2,950文字
その街の中央にも、ファウンテンの黒くつややかな姿はそびえたっていた。
――メリディアン。
タルシス地方の北部に位置する、何の変哲もない小さな街だ。
しかし今、吹き付ける砂漠の赤い風から人々を守るはずの壁はところどころ崩れ、道には空の燃料 タンクが転がっている。
代わりにファウンテンを取り囲むように鉄条網の張り巡らされたその景色は、街の支配者が、外からやってくる赤い風や獣よりも、同じ人間を警戒していることを表していた。
全ての生きとし生けるものが息を殺して巣穴に籠っている早朝、崩れかけた建物の隙間から、小さな影が姿を現す。
顔にきつく巻かれた布の隙間から、大きな目が覗き、周囲を見回した。
燃料 と水の小さなタンクを背中に背負った少年は、鉄条網の下をくぐり、こそこそとファウンテンへと近づく。
自らのIDカードをコンソールにかざし、タンクにアイスと水を満たすと、少年の目は初めて和んだ。
「おいきさまぁ! 水泥棒は縛り首だって知らんわけじゃないよなぁ?」
少年は全く気付いていなかった。
背後から忍び寄っていた大きな影に。
不必要なほどの筋肉に体を包み、それを誇示するような体に密着する衣服を着たガーディアンが、少年の腕ほどの長さのある鉈 を手に立っている。
最大量まで満たされたタンクを担ぎ、慌てて逃げようとした少年は足を払われ、そのタンクの重さによろめき、砂に顔から倒れた。
「いかんなぁ。手数料も税金も払わずにアイスと水を盗むなんてなぁ」
「盗んでないよ! これは僕に割り当てられた水と燃料じゃないか!」
「割り当てだろうが何だろうが、ファウンテンを管理している領主様に手数料と税金を払うのは、世界中どの街でも同じだろう? そんなこと誰でも生まれる前から知ってることだ。おまえ、ベーシックスタディがエラーになってるんじゃないのか?」
「そんなことは知ってるよ! でもボウマンの決めた税はおかしい!」
「いかんなぁ。ボウマン『様』と呼べ。ボウマン様の決めたとおり、一回の補給につき1,000通貨 の手数料と、配給を受けた水と燃料の半分を税金として支払わなけりゃあ、渡すわけにはいかんのだ」
「そんなのむちゃくちゃだ!」
「むちゃくちゃだろうが何だろうが、ボウマン様が……この街の神がお決めになったルールだ。手数料が払えないなら、……残念だなぁボウズ。この水と燃料は没収だ」
いつの間にか、ガーディアンの背後には数人の屈強な男たちが集まっている。
ニヤニヤといやらしい笑いを浮かべた男たちはアイスと水のタンクを奪い、少年をゴミのように投げ捨てた。
赤い砂の舞う地面に転がった少年は、顔を固い地面に擦り、血を流す。
ガーディアンたちは詰所へとタンクを運び、もうすでに少年には興味を失っていた。
一人のガーディアンが振り返り、少年を見下ろす。
「……本来なら縛り首だが、ボウマン様はお優しいお方だ。命は助けてやるからさっさと消えろ」
「……ちくしょう……ちくしょぉぉぉぉ!!!」
少年の悲痛な叫びが早朝の街に響き、ガーディアンの哄笑がそれに続く。
街には赤い風が吹き、すべてを変えてくれる何かの到来を待っていた。
◇ ◇ ◇
「ご……500グレンだって?!」
「あぁ。バギー1台500グレンだ」
メリディアンの街に燃料 と水の補給に立ち寄ったウィルとクロエは、ボロボロの外壁の外でガラの悪いガーディアンと口論になっていた。
「おいおい、冗談だろ? 普通どこだって短期滞在カードの発行手数料なんて10グレンか20グレンだぜ?」
「領主のボウマン様の決定だ。我々のファウンテンが枯渇 してしまうことが無いようにな。アイスと水は、よそ者には渡さないに越したことがないのだ」
「ファウンテンが枯渇するなんて聞いたことも無いぜ?」
「とにかく、1台につき500グレン。いやなら他の街へ行け。一番近い街までバギーで5日だ」
「アイスがもつならそうするよっ! くそ、きたねぇ商売しやがって」
ぶつぶつ言いながら何度も値引きの交渉をするが、ガーディアンは取り付く島もない。
最終的に折れたウィルが通貨 の束を叩き付けるように支払うと、ガーディアンはにやにやと笑って短期滞在カードを二人へ渡した。
「ボウマン様はお優しい領主様だ。ゆっくりしていけ」
「誰がっ! こんな街、アイスと水を補給したらすぐ出るぜ!」
腹立ちまぎれにアクセルを踏み込み、バギーは砂煙をあげて大通りをまっすぐに進む。
クロエは心配そうに周囲を見回し、初めは頭に血が上っていたウィルも、周囲のあまりにも荒れ果てた様子に、少しずつ冷静さを取り戻していった。
「……ひでぇな。こんな街は燃料と水だけ手に入れたら早々におさらばするに限るぜ」
「えっ、すぐに出るの? 久しぶりにベッドで眠れると思ったのになぁ」
「クロエもさっきのガーディアン見たろ? ありゃあ半分は自分の懐に入れてるって顔だぜ」
「懐にって……決められた手数料以上に取り立ててるの?」
心底驚いたように声を上げるクロエに少し苦笑いを向けて、ウィルは正面へと視線を戻す。
その表情はファウンテンへと近づくにつれて、険しいものになって行った。
「あぁ、そうだ。こういう荒れた街は税金がバカ高いと相場が決まってんだ。必要なギリギリのアイスと水を手に入れたら、すぐに次の街へ向かって、少し豪華な宿に泊まった方が金の節約にもなるし疲れもとれるってもんだぜ」
「そっかぁ。う~ん、体も洗いたかったけど、この街じゃ水も高そうだよね……仕方ないかぁ」
「……クロエってどんな街で育ったんだ? そんなに水の潤沢な街だったのか?」
「あぁ、ぼくは街から離れた狩猟小屋で、おじいと二人で暮らしてたんだ。ファウンテンからじゃなく、自然に湧き出す水が小川を流れててね。水はいくらでも使えたんだ」
「自然の水?! タルシス地方で?!」
「あ、うん。……え? そんなに驚くこと?」
「……はぁ~。世の中には知らねぇことがまだまだあるもんだなぁ」
「おじいの山はいいところだよ。この旅が終わったら、ウィルも一度おいでよ」
クロエは懐かしそうに故郷を語り、赤茶けた空を見上げる。
その顔を横目で見ていたウィルは正面へ無理やり視線を戻し、小さく息を継いだ。
「う~ん……そうだな。まぁ俺は報酬しだいじゃ犯罪以外なんでもやるからな。それがたとえクロエの送り迎えだろうがよ」
「えぇ~? お金とる気? ウィルだってさっきのガーディアンさんと変わりないじゃない」
「いっしょにすんなよ! 俺のは正規の報酬だぜ!」
暗い街の中に、明るい二人の笑い声が響く。
バギーは人通りのほとんどない大通りを進み、正面にファウンテンの黒くつややかな姿をとらえた。
ファウンテンの周囲に張り巡らされた鉄条網に、ウィルの笑顔が消える。
ウィルの視線を追ったクロエからも笑顔が消え、街にはバギーのエンジン音だけが残った。
――メリディアン。
タルシス地方の北部に位置する、何の変哲もない小さな街だ。
しかし今、吹き付ける砂漠の赤い風から人々を守るはずの壁はところどころ崩れ、道には空の
代わりにファウンテンを取り囲むように鉄条網の張り巡らされたその景色は、街の支配者が、外からやってくる赤い風や獣よりも、同じ人間を警戒していることを表していた。
全ての生きとし生けるものが息を殺して巣穴に籠っている早朝、崩れかけた建物の隙間から、小さな影が姿を現す。
顔にきつく巻かれた布の隙間から、大きな目が覗き、周囲を見回した。
自らのIDカードをコンソールにかざし、タンクにアイスと水を満たすと、少年の目は初めて和んだ。
「おいきさまぁ! 水泥棒は縛り首だって知らんわけじゃないよなぁ?」
少年は全く気付いていなかった。
背後から忍び寄っていた大きな影に。
不必要なほどの筋肉に体を包み、それを誇示するような体に密着する衣服を着たガーディアンが、少年の腕ほどの長さのある
最大量まで満たされたタンクを担ぎ、慌てて逃げようとした少年は足を払われ、そのタンクの重さによろめき、砂に顔から倒れた。
「いかんなぁ。手数料も税金も払わずにアイスと水を盗むなんてなぁ」
「盗んでないよ! これは僕に割り当てられた水と燃料じゃないか!」
「割り当てだろうが何だろうが、ファウンテンを管理している領主様に手数料と税金を払うのは、世界中どの街でも同じだろう? そんなこと誰でも生まれる前から知ってることだ。おまえ、ベーシックスタディがエラーになってるんじゃないのか?」
「そんなことは知ってるよ! でもボウマンの決めた税はおかしい!」
「いかんなぁ。ボウマン『様』と呼べ。ボウマン様の決めたとおり、一回の補給につき1,000
「そんなのむちゃくちゃだ!」
「むちゃくちゃだろうが何だろうが、ボウマン様が……この街の神がお決めになったルールだ。手数料が払えないなら、……残念だなぁボウズ。この水と燃料は没収だ」
いつの間にか、ガーディアンの背後には数人の屈強な男たちが集まっている。
ニヤニヤといやらしい笑いを浮かべた男たちはアイスと水のタンクを奪い、少年をゴミのように投げ捨てた。
赤い砂の舞う地面に転がった少年は、顔を固い地面に擦り、血を流す。
ガーディアンたちは詰所へとタンクを運び、もうすでに少年には興味を失っていた。
一人のガーディアンが振り返り、少年を見下ろす。
「……本来なら縛り首だが、ボウマン様はお優しいお方だ。命は助けてやるからさっさと消えろ」
「……ちくしょう……ちくしょぉぉぉぉ!!!」
少年の悲痛な叫びが早朝の街に響き、ガーディアンの哄笑がそれに続く。
街には赤い風が吹き、すべてを変えてくれる何かの到来を待っていた。
◇ ◇ ◇
「ご……500グレンだって?!」
「あぁ。バギー1台500グレンだ」
メリディアンの街に
「おいおい、冗談だろ? 普通どこだって短期滞在カードの発行手数料なんて10グレンか20グレンだぜ?」
「領主のボウマン様の決定だ。我々のファウンテンが
「ファウンテンが枯渇するなんて聞いたことも無いぜ?」
「とにかく、1台につき500グレン。いやなら他の街へ行け。一番近い街までバギーで5日だ」
「アイスがもつならそうするよっ! くそ、きたねぇ商売しやがって」
ぶつぶつ言いながら何度も値引きの交渉をするが、ガーディアンは取り付く島もない。
最終的に折れたウィルが
「ボウマン様はお優しい領主様だ。ゆっくりしていけ」
「誰がっ! こんな街、アイスと水を補給したらすぐ出るぜ!」
腹立ちまぎれにアクセルを踏み込み、バギーは砂煙をあげて大通りをまっすぐに進む。
クロエは心配そうに周囲を見回し、初めは頭に血が上っていたウィルも、周囲のあまりにも荒れ果てた様子に、少しずつ冷静さを取り戻していった。
「……ひでぇな。こんな街は燃料と水だけ手に入れたら早々におさらばするに限るぜ」
「えっ、すぐに出るの? 久しぶりにベッドで眠れると思ったのになぁ」
「クロエもさっきのガーディアン見たろ? ありゃあ半分は自分の懐に入れてるって顔だぜ」
「懐にって……決められた手数料以上に取り立ててるの?」
心底驚いたように声を上げるクロエに少し苦笑いを向けて、ウィルは正面へと視線を戻す。
その表情はファウンテンへと近づくにつれて、険しいものになって行った。
「あぁ、そうだ。こういう荒れた街は税金がバカ高いと相場が決まってんだ。必要なギリギリのアイスと水を手に入れたら、すぐに次の街へ向かって、少し豪華な宿に泊まった方が金の節約にもなるし疲れもとれるってもんだぜ」
「そっかぁ。う~ん、体も洗いたかったけど、この街じゃ水も高そうだよね……仕方ないかぁ」
「……クロエってどんな街で育ったんだ? そんなに水の潤沢な街だったのか?」
「あぁ、ぼくは街から離れた狩猟小屋で、おじいと二人で暮らしてたんだ。ファウンテンからじゃなく、自然に湧き出す水が小川を流れててね。水はいくらでも使えたんだ」
「自然の水?! タルシス地方で?!」
「あ、うん。……え? そんなに驚くこと?」
「……はぁ~。世の中には知らねぇことがまだまだあるもんだなぁ」
「おじいの山はいいところだよ。この旅が終わったら、ウィルも一度おいでよ」
クロエは懐かしそうに故郷を語り、赤茶けた空を見上げる。
その顔を横目で見ていたウィルは正面へ無理やり視線を戻し、小さく息を継いだ。
「う~ん……そうだな。まぁ俺は報酬しだいじゃ犯罪以外なんでもやるからな。それがたとえクロエの送り迎えだろうがよ」
「えぇ~? お金とる気? ウィルだってさっきのガーディアンさんと変わりないじゃない」
「いっしょにすんなよ! 俺のは正規の報酬だぜ!」
暗い街の中に、明るい二人の笑い声が響く。
バギーは人通りのほとんどない大通りを進み、正面にファウンテンの黒くつややかな姿をとらえた。
ファウンテンの周囲に張り巡らされた鉄条網に、ウィルの笑顔が消える。
ウィルの視線を追ったクロエからも笑顔が消え、街にはバギーのエンジン音だけが残った。