第01話
文字数 3,274文字
悠久の太古から大地を埋め尽くす赤い砂の海が、見渡す限りうねり、広がっていた。
強く吹き付ける風に逆らう岩も、やがて少しずつ砂に返ってゆく。
そんな自然の営みに逆らうように、一台のトレーラーが砂を遮り、佇んでいた。
大きなトレーラーの陰にこびりつくように隠れながら、少年は砂漠トカゲの頭にナイフを振り下ろす。
腹を裂き、腸 を砂に埋め、砂よりもなお赤い髪をした少年は、半分に切ったトカゲを串に刺し、火にかけた。
少年は名をウィルと言う。
固い肉が柔らかく焼けるようにバーナーの火を調整すると、顔の下半分を覆っていた布を外し、ポケットから取り出した乾燥レーションを一つ、口に放り込んだ。
その顔には歴戦の古強者のように幾多の傷が刻まれていたが、顔の作り自体は驚くほど幼い。
10代前半、12、3歳と言ったところだろう。
少年は手慣れた様子で、この砂漠で唯一手に入るトゲの多い多肉植物の表皮をナイフでそぎ取る。
中から現れた不自然なほどに水分の多い透明な身をすすると、パサパサする口の中を湿らせた。
刹那、ビョウビョウと風の音だけが鳴っていた砂漠に、空気を震わせて轟音が鳴り響く。
残りの多肉植物を投げ捨てて立ち上がったウィルは、ナイフを腰にしまい、躊躇 なくトレーラーの屋根へと駆け上った。
砂を大量に含んだ風をまともに浴びて、ウィルは額 に乗っていたゴーグルを下す。
強い風に流れる遠くの砂煙へと双眼鏡 を向けると、手元のスイッチを何度かクリックして巨大な『グランドブレイカー』の姿を視界にとらえた。
まるで不恰好な人間のまがい物のようなそれは、砂の上を転がるように走る少年を追っていた。
――グランドブレイカー。
それは各地の『遺跡』から発掘される、身長9メートルほどの巨大な二足歩行マシンである。
整備にも操縦にも特殊な技能を必要とするそれは、人々の生活を助ける重機にも、命を守る武器にも、人間を傷つける兵器にも使われていた。
少年を追うグランドブレイカーは、人の体よりも太い腕を持ち上げ、逃げる少年に向かって打ち下ろす。
ギリギリでそれをかわした少年は、吹き上げられた砂とともに宙を舞った。
ウィルはバイノキュラーの倍率を上げ、少年の顔へと照準を合わせる。
黒髪でウィルよりも更に幼さく見える顔に向かって舌打ちをし、彼はバイノキュラーをウェストバッグに放り込んだ。
「……ちっ、見ちまったもんはしかたねぇ」
ウィルはトレーラーの屋根にある黄色と黒で縁取られた赤いスイッチを操作する。
巨大なトレーラーの荷台が大きくスライドして開くのを待ちながら、彼は首をゴキゴキと鳴らした。
荷台が開き、強い太陽の光が作った濃い影の中へとウィルは身を躍らせる。
苛立ちに満ちた言葉とは裏腹に、新しい何かが始まったという根拠のない確信にあふれ、ウィルは不敵に笑っていた。
◇ ◇ ◇
油圧式のシリンダーに唸りを上げるエンジンのパワーが伝わり、巨大な鉄の腕が打ち下ろされる。
黒髪の少年、クロエは、グランドブレイカーの腕が、まとめて結んだ後ろ髪をかすめたのを感じた。
爆風。
吹き上げられた大量の砂にお尻から掬い上げられて、クロエは宙を舞う。
自分でも何回転したかわからないほどくるくると回って、クロエは頭から砂に突っ込んだ。
「っぷはっ! ぐうっ、ぺっぺっ!」
間髪入れずに赤茶けた錆のような砂から頭を引き抜き、口の中の砂を吐き出しながら、考える間もなく走り出す。
一瞬前までクロエが居た場所を、グランドブレイカーの黄色い腕が砂塵を巻き上げ、勢いよく通り過ぎた。
『こらガキ! いい加減観念して荷物を全部置いてけ!』
グランドブレイカーのスピーカーから、野卑な声が大きく響く。
クロエは砂の山を滑り降りると、まだ風化していない岩を見つけ、その後ろに転げ込んだ。
「やだよ! ぼくは荷物を渡す気もないし、殺されてあげる気もないんだから!」
大声を出し、大きく息を吸ったクロエは、口に入った熱い空気と砂で盛大に咳込む。
グランドブレイカーはクロエの隠れた大きな岩など気にも留めず、もう一度腕を振り下ろして、これまで何とか風に耐えていた岩をがれきと砂に変えた。
大量のがれきとともに、もう一度クロエは吹き飛ぶ。
地面に転がったクロエは逃げ道を探してキョロキョロと周りを見回したが、大きく両手を広げたグランドブレイカーから身を隠せるような場所は、もう見当たらなかった。
クロエは荷物を背に隠してキッと顔を上げる。
地面に這いつくばって居るのだが、その表情には微塵 の卑屈さも感じられなかった。
『へっ、生意気な面 しやがって、いい加減にしやがれ……なぁに、おとなしく荷物さえよこせば、命まで盗ろうたぁ言わねぇよ』
「げほっ。こんな砂漠の真ん中で水も食料も無かったら、殺されるのと変わらないよ!」
『……まぁそうだな……ちげぇねぇや。ならやっぱり一思いに殺してやる。すまねぇな、これも世の常ってやつだ』
子供を殺すと言うことに、ほんのわずかの躊躇 はあるのだろう。男は一応の謝罪の言葉を語る。
しかしその言葉には誠意は微塵も感じられず、むしろ搾取される側である弱いものへの嘲笑が含まれていた。
感情がむき出しにされた声とは相いれない、無機質なグランドブレイカーの腕が、太陽に向かって大きく振り上げられる。
次の瞬間に確実に訪れるであろう『死』と言う現実をクロエは受け止め、覚悟を決めてギュッと目をつむった。
◇ ◇ ◇
バチバチバチ、カチッ。
乱暴にスイッチが操作され、暗闇にサブモニターの明かりが灯 る。
『操縦者認証……完了』
カチカチカチッ。
更にいくつかのスイッチを操作するウィルの姿がモニターの明かりに浮かび上がり、その姿は電源の入ったモニターの数が増えるにつれ、はっきりとして行った。
画面の一つに表示されたラインが、赤く点滅する。
「あ、燃料 切れ……まぁこれくらいありゃあギリいけるか……」
『起動制御……参……弐……壱……周囲管制開始』
メインモニターが砂漠の太陽を映し出すのを待って、ウィルは右足のスロットルペダルを踏み込む。
エンジンは唸りを上げ、ウィルの体は心地よい振動に包まれた。
トレーラーの荷台に収まっていたグランドブレイカーの、冑 の隙間から覗く目に強い光が灯る。
『其 は翼 持ちし白き龍、強き意志により、敵を打ち砕く剣 とならん』
モニターに表示されたのは、今はもう使われることのない太古の文字。
ウィルには読むことはできないその文字は、それでもグランドブレイカーの起動タイミングを彼に知らせる役には立った。
「行こうぜ白き龍 ! ゴミ掃除だ!」
遺跡で見た、天使に傅 く騎士の名前と同じ形の文字をモニターにも見たウィルは、師匠の残したこのグランドブレイカーを『白き龍 』と、そう呼んでいた。
グイベルのエンジンがメインフレームに張り巡らされた油圧シリンダーへと強力な圧力をかける。
一瞬、その巨躯は重力と戦うようにきしみを上げたが、次の瞬間にはウィルを地上8メートルの高さまで難なく持ち上げた。
両手のレバーに並んだ左右4つずつのトリガーを複雑に操作し、ウィルはメインカメラに黒髪の少年の姿をとらえる。
レバーを押し出し、足のスロットルペダルを踏み込むと、グイベルの白銀 の脚はウィルの望むとおりに伸び、大地を蹴った。
翼をもつ龍のように。
天駆 ける騎士のように。
グイベルは、その巨躯を軽やかに駆 り、赤い砂を巻き上げて奔 りはじめた。
強く吹き付ける風に逆らう岩も、やがて少しずつ砂に返ってゆく。
そんな自然の営みに逆らうように、一台のトレーラーが砂を遮り、佇んでいた。
大きなトレーラーの陰にこびりつくように隠れながら、少年は砂漠トカゲの頭にナイフを振り下ろす。
腹を裂き、
少年は名をウィルと言う。
固い肉が柔らかく焼けるようにバーナーの火を調整すると、顔の下半分を覆っていた布を外し、ポケットから取り出した乾燥レーションを一つ、口に放り込んだ。
その顔には歴戦の古強者のように幾多の傷が刻まれていたが、顔の作り自体は驚くほど幼い。
10代前半、12、3歳と言ったところだろう。
少年は手慣れた様子で、この砂漠で唯一手に入るトゲの多い多肉植物の表皮をナイフでそぎ取る。
中から現れた不自然なほどに水分の多い透明な身をすすると、パサパサする口の中を湿らせた。
刹那、ビョウビョウと風の音だけが鳴っていた砂漠に、空気を震わせて轟音が鳴り響く。
残りの多肉植物を投げ捨てて立ち上がったウィルは、ナイフを腰にしまい、
砂を大量に含んだ風をまともに浴びて、ウィルは
強い風に流れる遠くの砂煙へと
まるで不恰好な人間のまがい物のようなそれは、砂の上を転がるように走る少年を追っていた。
――グランドブレイカー。
それは各地の『遺跡』から発掘される、身長9メートルほどの巨大な二足歩行マシンである。
整備にも操縦にも特殊な技能を必要とするそれは、人々の生活を助ける重機にも、命を守る武器にも、人間を傷つける兵器にも使われていた。
少年を追うグランドブレイカーは、人の体よりも太い腕を持ち上げ、逃げる少年に向かって打ち下ろす。
ギリギリでそれをかわした少年は、吹き上げられた砂とともに宙を舞った。
ウィルはバイノキュラーの倍率を上げ、少年の顔へと照準を合わせる。
黒髪でウィルよりも更に幼さく見える顔に向かって舌打ちをし、彼はバイノキュラーをウェストバッグに放り込んだ。
「……ちっ、見ちまったもんはしかたねぇ」
ウィルはトレーラーの屋根にある黄色と黒で縁取られた赤いスイッチを操作する。
巨大なトレーラーの荷台が大きくスライドして開くのを待ちながら、彼は首をゴキゴキと鳴らした。
荷台が開き、強い太陽の光が作った濃い影の中へとウィルは身を躍らせる。
苛立ちに満ちた言葉とは裏腹に、新しい何かが始まったという根拠のない確信にあふれ、ウィルは不敵に笑っていた。
◇ ◇ ◇
油圧式のシリンダーに唸りを上げるエンジンのパワーが伝わり、巨大な鉄の腕が打ち下ろされる。
黒髪の少年、クロエは、グランドブレイカーの腕が、まとめて結んだ後ろ髪をかすめたのを感じた。
爆風。
吹き上げられた大量の砂にお尻から掬い上げられて、クロエは宙を舞う。
自分でも何回転したかわからないほどくるくると回って、クロエは頭から砂に突っ込んだ。
「っぷはっ! ぐうっ、ぺっぺっ!」
間髪入れずに赤茶けた錆のような砂から頭を引き抜き、口の中の砂を吐き出しながら、考える間もなく走り出す。
一瞬前までクロエが居た場所を、グランドブレイカーの黄色い腕が砂塵を巻き上げ、勢いよく通り過ぎた。
『こらガキ! いい加減観念して荷物を全部置いてけ!』
グランドブレイカーのスピーカーから、野卑な声が大きく響く。
クロエは砂の山を滑り降りると、まだ風化していない岩を見つけ、その後ろに転げ込んだ。
「やだよ! ぼくは荷物を渡す気もないし、殺されてあげる気もないんだから!」
大声を出し、大きく息を吸ったクロエは、口に入った熱い空気と砂で盛大に咳込む。
グランドブレイカーはクロエの隠れた大きな岩など気にも留めず、もう一度腕を振り下ろして、これまで何とか風に耐えていた岩をがれきと砂に変えた。
大量のがれきとともに、もう一度クロエは吹き飛ぶ。
地面に転がったクロエは逃げ道を探してキョロキョロと周りを見回したが、大きく両手を広げたグランドブレイカーから身を隠せるような場所は、もう見当たらなかった。
クロエは荷物を背に隠してキッと顔を上げる。
地面に這いつくばって居るのだが、その表情には
『へっ、生意気な
「げほっ。こんな砂漠の真ん中で水も食料も無かったら、殺されるのと変わらないよ!」
『……まぁそうだな……ちげぇねぇや。ならやっぱり一思いに殺してやる。すまねぇな、これも世の常ってやつだ』
子供を殺すと言うことに、ほんのわずかの
しかしその言葉には誠意は微塵も感じられず、むしろ搾取される側である弱いものへの嘲笑が含まれていた。
感情がむき出しにされた声とは相いれない、無機質なグランドブレイカーの腕が、太陽に向かって大きく振り上げられる。
次の瞬間に確実に訪れるであろう『死』と言う現実をクロエは受け止め、覚悟を決めてギュッと目をつむった。
◇ ◇ ◇
バチバチバチ、カチッ。
乱暴にスイッチが操作され、暗闇にサブモニターの明かりが
『操縦者認証……完了』
カチカチカチッ。
更にいくつかのスイッチを操作するウィルの姿がモニターの明かりに浮かび上がり、その姿は電源の入ったモニターの数が増えるにつれ、はっきりとして行った。
画面の一つに表示されたラインが、赤く点滅する。
「あ、
『起動制御……参……弐……壱……周囲管制開始』
メインモニターが砂漠の太陽を映し出すのを待って、ウィルは右足のスロットルペダルを踏み込む。
エンジンは唸りを上げ、ウィルの体は心地よい振動に包まれた。
トレーラーの荷台に収まっていたグランドブレイカーの、
『
モニターに表示されたのは、今はもう使われることのない太古の文字。
ウィルには読むことはできないその文字は、それでもグランドブレイカーの起動タイミングを彼に知らせる役には立った。
「行こうぜ
遺跡で見た、天使に
グイベルのエンジンがメインフレームに張り巡らされた油圧シリンダーへと強力な圧力をかける。
一瞬、その巨躯は重力と戦うようにきしみを上げたが、次の瞬間にはウィルを地上8メートルの高さまで難なく持ち上げた。
両手のレバーに並んだ左右4つずつのトリガーを複雑に操作し、ウィルはメインカメラに黒髪の少年の姿をとらえる。
レバーを押し出し、足のスロットルペダルを踏み込むと、グイベルの
翼をもつ龍のように。
グイベルは、その巨躯を軽やかに