第06話
文字数 4,544文字
夜の街を彷徨 った挙句、あまり性質の良くない男たちが屯 する通りで、クロエは忘れられない小太りの男を見つけた。
男娼であろう。神話に出てくる天使のような美しい服を着た華奢な男たちを数人引き連れ、昨日の男は上機嫌で歩いている。
クロエは近くのコム端末へ駆け寄り、ウィルの居る宿へと連絡をとった。
『ウィル様ですね。少々お待ちください』
宿の主人の言葉のあと、コム端末からは保留の音楽が流れる。
「ウィル……早く出て……」
そわそわと待つクロエの見ている前で、男は男娼の一人の頬を貨幣 の束でパシパシと叩いていた。
「金ならあるんだよ! 全員まとめて買ってやる! 行くぞおら! ついてこい!」
きゃあっと黄色い歓声が上がり、男たちはクロエから離れてゆく。
待ちきれなくなったクロエは、コム端末の送受信機を放り投げると、男たちの方へと駆けだした。
娼館の前、美しく着飾った男娼たちをずらりと並べて、昨日の男は札束を手に一人ひとり品定めをしている。
クロエは背中から男の肩に手を伸ばし、無理やりに振り返らせた。
「それはウィルのお金だよ! 返して!」
「なぁにこのボウヤ。あんたのコレ?」
男娼の一人が小指を立ててからかい、周囲にも笑いが起こる。
忌々しげにクロエの手を振り払った男は、昨日と同じ目でクロエを見下ろした。
「なんだよ。まだ痛めつけられてぇのか?」
「ウィルのお金を返してもらいに来たんだ! すぐに返して!」
男は札束を高く上げ、笑いながらクロエを蹴り飛ばす。
札束を懐にしまい、倒れたクロエに近づいた男は、昨日と同じように馬乗りになった。
一瞬気弱になり、顔をそむけかけたクロエは、思い直してキッと男をにらみつける。
「どんなに睨もうが痛くもかゆくもねぇな。昨日まで誰の金だったかは関係ねぇ。今は俺の金だ。まだわからねぇって言うなら、どっちが強いかをもう一度体に刻みつけてやろうか?」
言いながら、男はクロエを殴りつける。
立ち向かおうとしていたクロエの気持ちは、昨日の痛みを思い出し、一気にしぼんだ。
頭を抱えてただ震えるクロエに、男は興味を失って立ち上がる。
クロエは震えを止めることもできないまま、周りからクロエを見つめる男娼たちへと懇願した。
「おねがいします。大切なお金なんです。誰かウィルのお金を……取り返してください」
「無理ね」
男娼の中で、一番背の高い男がクロエの願いを断ち切る。
線は細いが筋肉質でよく締まったダンサーのようなその男娼は、懐からハンカチを取り出して、クロエへと放った。
「残念だけどね坊や、この男の言う通りよ。もとは誰のお金だろうと、今はこの男のお金。あたしたちにはそれを取り返してあげる義理も道理もないわ」
「お前の相棒は目立ちすぎたのさ。まったく、世間知らずのガキには世話が焼けるぜ。なぁアンジェラ」
男はアンジェラと呼んだ男娼の腰に手を回す。
男娼は男の手の甲をつまんで体を放すと、クロエに背を向けた。
「奪われたくなければ、ひっそりと物陰に隠れるて暮らすか……強くなることね」
アンジェラにそう言われ、クロエは上半身を起こす。
何のためにここに来たんだ?
強くなるためじゃなかったのか?
男娼たちと娼館へ向かう男の背中に、クロエは体当たりでしがみついた。
「しつけぇんだよ!!」
振り向きざま、クロエの胸ぐらをつかんで引っ張り上げ、男はクロエの頬を何度も張り飛ばす。
服が破れ、地面に倒れたクロエを見て、男は「ほう」と、今までとは違う声を上げた。
破れたシャツの襟ぐりを両手で引き裂き、クロエの真っ白な肩を露 わにする。
男は好色そうに舌なめずりすると、クロエの髪をつかみ、顔を近づけた。
「へへ、なんだよガキ。案外きれいな肌をしてるじゃねぇか。……ちっ、こんなことなら顔に傷をつけるんじゃなかったな」
クロエの腕をつかんで引きずりあげ、そのまま娼館へ向かおうとする男をアンジェラが咎 めた。
「ちょっと待ちなさいよ。何する気?」
「決まってるじゃねぇか。楽しむんだよ」
「気に入らないわね。あたしたちを連れていながら、素人の子供に手を出そうって言うの?」
「うるせぇ! おめぇらには関係ねぇ! もう誰とでも寝るうすぎたねぇ商売男には飽きたんだよ!」
クロエをそこに残して、男はアンジェラと口論を始める。
しかし、口のたつアンジェラに口論で男が勝てる見込みは全くなかった。
完膚なきまでにやり込められ、激高した男はアンジェラにも殴りかかる。
その腕を片手で掴んだアンジェラがふっと体を沈めると、まるで魔法のように男の体は宙を舞い、綺麗に一回転して背中から地面にたたきつけられていた。
周囲から歓声が上がり、アンジェラは手をパンパンと鳴らしてほこりを払うしぐさを見せると、男を見下ろす。
顔を真っ赤にして腰を押さえた男は、咳込みながら起き上った。
「くそっ! 男娼風情が、なめやがって!」
「男娼風情だァ?! 薄汚い小男がっ! 馬鹿におしでないよ! あたしたちゃプライドもってこの仕事ォやってんだ! あんたも子供に世の中の仕組みを説教するンなら、自分もその仕組みの中にいる事をわきまえな!」
男娼風情とアンジェラを見下 していた男は、その男娼風情に一喝されて逆上する。
腰から刃渡り40センチはあろうかと言うブッシュナイフを抜き放ち、切っ先をアンジェラへと向けた。
周囲で面白そうに状況を見ていた男娼たちは、一斉に悲鳴を上げて逃げ惑う。
アンジェラだけは落ち着いて独特の構えをとり、男と対峙した。
「街なかでそんなもの抜くなんて、ほんと、余裕のない男だね」
「うるせぇ! 二度と俺にそんな口がきけねぇようにしてやる!」
叫びざま、男はナイフを振り下ろす。
アンジェラはそれを見事にかわしたが、反撃する隙はさすがに無いようだった。
二度、三度、男はナイフを振り回す。
不思議な足運びで蝶のように舞うアンジェラは、しかし壁際に追いつめられ、美しい服は袈裟切りに引き裂かれた。
「へへっ。土下座して俺に奉仕するってんなら、許してやらんことも無いぜ」
「はっ。あんたみたいなのに奉仕するくらいなら、ドブの中のミミズでもしゃぶってた方がまだマシよ」
男がナイフを構え、アンジェラは壁際から離れようと横にずれる。
暗がりに転がっていた石に足をとられ、振りかぶられたナイフのもと、アンジェラは膝をついた。
アンジェラが舌打ちをするのと同時に小さなエンジン音が響き、空気を引き裂く音が後を引く。
ナイフを振りかぶっていた男は肩を押さえ、アンジェラの目の前に転がった。
地面に転がる男の手をアンジェラが蹴り飛ばす。
握られていたナイフは乾いた音を立てて宙を舞い、娼館の扉に突き刺さった。
――ドッドッドッドッ
小さなエンジンが奏でる規則正しい音が響いている。
アンジェラが肩から血を流している男を見、その先へ視線を向けると、そこには両手でモーターガンを構えたクロエが、まだ銃口を男に向けたまま、片膝立ちで狙っていた。
「ウィルのお金を返してください」
「モ……モーターガンだと?! きたねぇぞガキ!」
叫ぶ男を強くにらんだクロエが立ち上がる。
銃を握るその手は、小刻みに震えていた。
「モーターガンは……ぼくの『力』です。ぼくは力を使って、あなたからウィルのお金を取り戻す。そのためなら、ぼくが人を殺してしまうことも……厭 いません」
金を返すそぶりも見せない男に向かって、クロエはもう一度引き金を引き、空気を切り裂く。
しかし、ガクガクと震える手で狙った銃弾は、まったく別のところへ向かって飛び、壁に銃創を穿つだけに終わった。
「ひっ……ひぃっ!」
男は肩を押さえたまま、暗闇へと逃げる。
クロエはそれを狙おうとしたが、アンジェラの手で押しとどめられた。
「そんな手で撃ったら危ないわ」
「でもっ! ウィルのお金が!」
アンジェラが逃げる男に視線を向け、クロエもそれを追う。
二人の見ている前で、男は通路から突然現れた赤髪の少年にドロップキックを見舞われ、地面に転がっていた。
「えっ? ウィル!」
「クロエ! 無事か?!」
駆け寄るクロエの服がびりびりに破かれているのを見て、ウィルは倒れている男へ蹴りを入れた。
「ったく、だから待ってろって言ったろ!」
アンジェラがクロエの肩にケープをかけ、ウィルは男の懐から通貨 の袋を奪い返す。
中身を確認して、それがかなり目減りしていることを知ると、ウィルは地面に這いつくばる男へ、終わることない蹴りを入れ始めた。
「ちょっとボウヤ、それ以上やったら死んでしまうわ」
「死んでいいんだこんなヤツ!」
その言葉を聞いたクロエは、ハッとしたようにうつむき、また震えはじめた。
クロエのただならぬ様子に、ウィルは蹴るのをやめる。
その一瞬のすきに、男は這 う這 うの体で逃げ出した。
「くそっ! むかつくぜ」
「まぁあなたたちにも非はあったのよ。これからは気を付けることね」
アンジェラは震えるクロエの肩を支える。
一瞬、アンジェラの目が鋭く細められたが、それはすぐに柔和な表情に変わり、誰も気づいたものは居なかった。
「しかしモーターガンとはね。いい武器みたいだけど、街中で見せびらかすとまた馬鹿な男が、今度はそれを狙って集まってくるわよ。それこそ餌に群がる獣みたいにね」
「あの……アンジェラさん。ありがとうございました。……でもぼくは、この世界の仕組みに負けたくない。ぼくたちの幸せが理不尽に奪われると言うのなら、強い力を使うまでです」
「大丈夫か? 何も取られたりしてないか?」
「うん……ありがと、心配してくれて」
「当たり前だろ! お前が死んじまったりモーターガン取られたりしたら、俺がタダ働きになっちまうんだからな!」
「……そう……だね。気を付ける」
微笑ましそうに二人を見ていたアンジェラをクロエは助けてくれた恩人としてウィルに紹介する。
初めて間近で見る高級男娼の美しさに、鼻の下を伸ばしたウィルは「お礼に食事でも」とアンジェラを誘った。
「ふふ、遠慮しとくわ」
「そんなこと言わずに――」
食い下がろうとするウィルの腰をクロエが思いっきりつねる。
飛び上がったウィルは、クロエへと食って掛かった。
「いてぇな! なにすんだよ!」
「知らないよ! ばか!」
「なんだってんだ。わけわかんねぇ」
「ふふっ、それじゃあ。またどこかで会いましょう、クロエ」
「ええっ? 俺は?」
アンジェラとの再会を期し、クロエとウィルは宿へと向かう。
銀の月と蒼の月は、今日も赤い砂漠を照らし、幻想的な紫へと世界を染めていた。
男娼であろう。神話に出てくる天使のような美しい服を着た華奢な男たちを数人引き連れ、昨日の男は上機嫌で歩いている。
クロエは近くのコム端末へ駆け寄り、ウィルの居る宿へと連絡をとった。
『ウィル様ですね。少々お待ちください』
宿の主人の言葉のあと、コム端末からは保留の音楽が流れる。
「ウィル……早く出て……」
そわそわと待つクロエの見ている前で、男は男娼の一人の頬を
「金ならあるんだよ! 全員まとめて買ってやる! 行くぞおら! ついてこい!」
きゃあっと黄色い歓声が上がり、男たちはクロエから離れてゆく。
待ちきれなくなったクロエは、コム端末の送受信機を放り投げると、男たちの方へと駆けだした。
娼館の前、美しく着飾った男娼たちをずらりと並べて、昨日の男は札束を手に一人ひとり品定めをしている。
クロエは背中から男の肩に手を伸ばし、無理やりに振り返らせた。
「それはウィルのお金だよ! 返して!」
「なぁにこのボウヤ。あんたのコレ?」
男娼の一人が小指を立ててからかい、周囲にも笑いが起こる。
忌々しげにクロエの手を振り払った男は、昨日と同じ目でクロエを見下ろした。
「なんだよ。まだ痛めつけられてぇのか?」
「ウィルのお金を返してもらいに来たんだ! すぐに返して!」
男は札束を高く上げ、笑いながらクロエを蹴り飛ばす。
札束を懐にしまい、倒れたクロエに近づいた男は、昨日と同じように馬乗りになった。
一瞬気弱になり、顔をそむけかけたクロエは、思い直してキッと男をにらみつける。
「どんなに睨もうが痛くもかゆくもねぇな。昨日まで誰の金だったかは関係ねぇ。今は俺の金だ。まだわからねぇって言うなら、どっちが強いかをもう一度体に刻みつけてやろうか?」
言いながら、男はクロエを殴りつける。
立ち向かおうとしていたクロエの気持ちは、昨日の痛みを思い出し、一気にしぼんだ。
頭を抱えてただ震えるクロエに、男は興味を失って立ち上がる。
クロエは震えを止めることもできないまま、周りからクロエを見つめる男娼たちへと懇願した。
「おねがいします。大切なお金なんです。誰かウィルのお金を……取り返してください」
「無理ね」
男娼の中で、一番背の高い男がクロエの願いを断ち切る。
線は細いが筋肉質でよく締まったダンサーのようなその男娼は、懐からハンカチを取り出して、クロエへと放った。
「残念だけどね坊や、この男の言う通りよ。もとは誰のお金だろうと、今はこの男のお金。あたしたちにはそれを取り返してあげる義理も道理もないわ」
「お前の相棒は目立ちすぎたのさ。まったく、世間知らずのガキには世話が焼けるぜ。なぁアンジェラ」
男はアンジェラと呼んだ男娼の腰に手を回す。
男娼は男の手の甲をつまんで体を放すと、クロエに背を向けた。
「奪われたくなければ、ひっそりと物陰に隠れるて暮らすか……強くなることね」
アンジェラにそう言われ、クロエは上半身を起こす。
何のためにここに来たんだ?
強くなるためじゃなかったのか?
男娼たちと娼館へ向かう男の背中に、クロエは体当たりでしがみついた。
「しつけぇんだよ!!」
振り向きざま、クロエの胸ぐらをつかんで引っ張り上げ、男はクロエの頬を何度も張り飛ばす。
服が破れ、地面に倒れたクロエを見て、男は「ほう」と、今までとは違う声を上げた。
破れたシャツの襟ぐりを両手で引き裂き、クロエの真っ白な肩を
男は好色そうに舌なめずりすると、クロエの髪をつかみ、顔を近づけた。
「へへ、なんだよガキ。案外きれいな肌をしてるじゃねぇか。……ちっ、こんなことなら顔に傷をつけるんじゃなかったな」
クロエの腕をつかんで引きずりあげ、そのまま娼館へ向かおうとする男をアンジェラが
「ちょっと待ちなさいよ。何する気?」
「決まってるじゃねぇか。楽しむんだよ」
「気に入らないわね。あたしたちを連れていながら、素人の子供に手を出そうって言うの?」
「うるせぇ! おめぇらには関係ねぇ! もう誰とでも寝るうすぎたねぇ商売男には飽きたんだよ!」
クロエをそこに残して、男はアンジェラと口論を始める。
しかし、口のたつアンジェラに口論で男が勝てる見込みは全くなかった。
完膚なきまでにやり込められ、激高した男はアンジェラにも殴りかかる。
その腕を片手で掴んだアンジェラがふっと体を沈めると、まるで魔法のように男の体は宙を舞い、綺麗に一回転して背中から地面にたたきつけられていた。
周囲から歓声が上がり、アンジェラは手をパンパンと鳴らしてほこりを払うしぐさを見せると、男を見下ろす。
顔を真っ赤にして腰を押さえた男は、咳込みながら起き上った。
「くそっ! 男娼風情が、なめやがって!」
「男娼風情だァ?! 薄汚い小男がっ! 馬鹿におしでないよ! あたしたちゃプライドもってこの仕事ォやってんだ! あんたも子供に世の中の仕組みを説教するンなら、自分もその仕組みの中にいる事をわきまえな!」
男娼風情とアンジェラを
腰から刃渡り40センチはあろうかと言うブッシュナイフを抜き放ち、切っ先をアンジェラへと向けた。
周囲で面白そうに状況を見ていた男娼たちは、一斉に悲鳴を上げて逃げ惑う。
アンジェラだけは落ち着いて独特の構えをとり、男と対峙した。
「街なかでそんなもの抜くなんて、ほんと、余裕のない男だね」
「うるせぇ! 二度と俺にそんな口がきけねぇようにしてやる!」
叫びざま、男はナイフを振り下ろす。
アンジェラはそれを見事にかわしたが、反撃する隙はさすがに無いようだった。
二度、三度、男はナイフを振り回す。
不思議な足運びで蝶のように舞うアンジェラは、しかし壁際に追いつめられ、美しい服は袈裟切りに引き裂かれた。
「へへっ。土下座して俺に奉仕するってんなら、許してやらんことも無いぜ」
「はっ。あんたみたいなのに奉仕するくらいなら、ドブの中のミミズでもしゃぶってた方がまだマシよ」
男がナイフを構え、アンジェラは壁際から離れようと横にずれる。
暗がりに転がっていた石に足をとられ、振りかぶられたナイフのもと、アンジェラは膝をついた。
アンジェラが舌打ちをするのと同時に小さなエンジン音が響き、空気を引き裂く音が後を引く。
ナイフを振りかぶっていた男は肩を押さえ、アンジェラの目の前に転がった。
地面に転がる男の手をアンジェラが蹴り飛ばす。
握られていたナイフは乾いた音を立てて宙を舞い、娼館の扉に突き刺さった。
――ドッドッドッドッ
小さなエンジンが奏でる規則正しい音が響いている。
アンジェラが肩から血を流している男を見、その先へ視線を向けると、そこには両手でモーターガンを構えたクロエが、まだ銃口を男に向けたまま、片膝立ちで狙っていた。
「ウィルのお金を返してください」
「モ……モーターガンだと?! きたねぇぞガキ!」
叫ぶ男を強くにらんだクロエが立ち上がる。
銃を握るその手は、小刻みに震えていた。
「モーターガンは……ぼくの『力』です。ぼくは力を使って、あなたからウィルのお金を取り戻す。そのためなら、ぼくが人を殺してしまうことも……
金を返すそぶりも見せない男に向かって、クロエはもう一度引き金を引き、空気を切り裂く。
しかし、ガクガクと震える手で狙った銃弾は、まったく別のところへ向かって飛び、壁に銃創を穿つだけに終わった。
「ひっ……ひぃっ!」
男は肩を押さえたまま、暗闇へと逃げる。
クロエはそれを狙おうとしたが、アンジェラの手で押しとどめられた。
「そんな手で撃ったら危ないわ」
「でもっ! ウィルのお金が!」
アンジェラが逃げる男に視線を向け、クロエもそれを追う。
二人の見ている前で、男は通路から突然現れた赤髪の少年にドロップキックを見舞われ、地面に転がっていた。
「えっ? ウィル!」
「クロエ! 無事か?!」
駆け寄るクロエの服がびりびりに破かれているのを見て、ウィルは倒れている男へ蹴りを入れた。
「ったく、だから待ってろって言ったろ!」
アンジェラがクロエの肩にケープをかけ、ウィルは男の懐から
中身を確認して、それがかなり目減りしていることを知ると、ウィルは地面に這いつくばる男へ、終わることない蹴りを入れ始めた。
「ちょっとボウヤ、それ以上やったら死んでしまうわ」
「死んでいいんだこんなヤツ!」
その言葉を聞いたクロエは、ハッとしたようにうつむき、また震えはじめた。
クロエのただならぬ様子に、ウィルは蹴るのをやめる。
その一瞬のすきに、男は
「くそっ! むかつくぜ」
「まぁあなたたちにも非はあったのよ。これからは気を付けることね」
アンジェラは震えるクロエの肩を支える。
一瞬、アンジェラの目が鋭く細められたが、それはすぐに柔和な表情に変わり、誰も気づいたものは居なかった。
「しかしモーターガンとはね。いい武器みたいだけど、街中で見せびらかすとまた馬鹿な男が、今度はそれを狙って集まってくるわよ。それこそ餌に群がる獣みたいにね」
「あの……アンジェラさん。ありがとうございました。……でもぼくは、この世界の仕組みに負けたくない。ぼくたちの幸せが理不尽に奪われると言うのなら、強い力を使うまでです」
「大丈夫か? 何も取られたりしてないか?」
「うん……ありがと、心配してくれて」
「当たり前だろ! お前が死んじまったりモーターガン取られたりしたら、俺がタダ働きになっちまうんだからな!」
「……そう……だね。気を付ける」
微笑ましそうに二人を見ていたアンジェラをクロエは助けてくれた恩人としてウィルに紹介する。
初めて間近で見る高級男娼の美しさに、鼻の下を伸ばしたウィルは「お礼に食事でも」とアンジェラを誘った。
「ふふ、遠慮しとくわ」
「そんなこと言わずに――」
食い下がろうとするウィルの腰をクロエが思いっきりつねる。
飛び上がったウィルは、クロエへと食って掛かった。
「いてぇな! なにすんだよ!」
「知らないよ! ばか!」
「なんだってんだ。わけわかんねぇ」
「ふふっ、それじゃあ。またどこかで会いましょう、クロエ」
「ええっ? 俺は?」
アンジェラとの再会を期し、クロエとウィルは宿へと向かう。
銀の月と蒼の月は、今日も赤い砂漠を照らし、幻想的な紫へと世界を染めていた。