第03話
文字数 3,386文字
砂漠の太陽が沈むのは早い。
白い巨人が輪をかけて大きなトレーラーに戦利品の腕を積み込み、自らの体を横たえるころには、すでに辺りは暗く、空には美しい星が広がっていた。
蒼の月と銀の月が世界を照らし、赤い砂漠は紫色に染まる。
グイベルのコクピットから体を引き出したウィルが、火にかけっぱなしだった砂漠トカゲの肉から焦げをナイフでそぎ落としていると、汚れたクロエが息を切らせながら姿を現した。
追いかけては来たものの、なんと声をかけていいか分からず立ち尽くすクロエへ、ウィルは二つに分けたトカゲの肉を差し出す。
「水はもってるか?」
「あ、うん」
「じゃあこれでも食っとけ」
屈託なく笑ったウィルはクロエを残してトレーラーへ向かう。
もう一つの肉を口にくわえたウィルは、運転席から工具箱を取り出すと、荷台の戦利品を見上げて嬉しそうに声を出して笑った。
どうして何も聞かないんだろう。不思議に思いながらクロエが見ている前で、ウィルはグランドブレイカーの腕を使える部品ごとに分解しはじめる。
その楽しそうな姿を見ながら、焦げたトカゲ肉をほおばったクロエは、やがて小さなバーナーの炎の揺らめきと、久しぶりに感じる近くに人のいる暖かさに、膝を抱えて眠りに落ちて行った。
◇ ◇ ◇
暗闇の中、クロエは一人立ち尽くしていた。
不安に押しつぶされ、顔を上げると、そこには十二年間育ててくれた祖父の姿がある。
「……おじい」
たった一人の家族の姿。
暖かい涙が頬を伝い、クロエは祖父へと手を伸ばした。
「やっぱり、死んだなんて嘘だったんだ」
祖父は何も言わず背を向ける。
クロエはその背中を追いかけようとしたが、なぜか足が動かなかった。
「おじい! やだよ! 置いてかないで!」
暗闇にクロエを残して、祖父の姿は消える。
泣き叫ぶクロエのすぐそばで、祖父とは違う暖かい光が灯った。
◇ ◇ ◇
「……おじい」
目を覚ますと暗闇の中。
クロエはいつの間にか体にかけられていた毛布を引き寄せ、ぶるりと身を震わせた。
先ほどまで座っていた砂漠の砂の上ではない。
座り心地のいいベンチシートに、クロエは寄りかかるように眠っていた。
毛布で涙を拭き、そのあまり清潔ではない毛布の匂いをなんとなく嗅いでみる。
クロエはその匂いに少し顔をしかめたが、暖かさには代えられず、もう一度毛布を体に巻きなおした。
見回すと、どうやらあの大きなトレーラーの運転席らしい。
視線を移すと、そこにはさっき命を助けてくれた少年が、同じように毛布にくるまって眠っていた。
「……いいぜ、寝てろよ。ここはグランドキャリアの中だ。賊や動物に襲われる心配もない。……特別に宿泊料はタダでいい。今日はお前のおかげでいい稼ぎになったからな」
眠っていると思われた少年が、片目を開けてそう声をかける。
クロエは自分の寝言を聞かれてはいなかったかと焦り、そして、自己紹介もお礼も言っていないことに思い至った。
「……うん。あの……僕の名前はクロエ。助けてくれてありがとう」
「俺はウィルってんだ。夕方のことは気にすんな、俺はグランドブレイカーを悪用する奴が許せねぇだけだからな」
「……うん」
「しかしお前軽いんだな。もっと筋肉付けねぇと、たとえ悪人に会わなくたってすぐ死んじまうぜ」
「軽い……?」
クロエは、自分がウィルに抱えられてここまで運ばれたのだと気づき、それにまったく気づくことも無く眠っていたうかつさに頬を赤らめる。
ウィルの言うことはもっともだ。
クロエにはウィルのようにグランドブレイカーも、このグランドキャリアもない。
なんとか数日かけて砂漠を進んでは来たものの、街でたまたま見られた両親の形見であるモーターガンを狙われ、今日は命までなくすところだったのだ。
たとえこの小型で高性能の銃『モーターガン』を持っていたとしても、相手がグランドブレイカーを操るとあれば、クロエには身を守る手段は何一つないと言えた。
「……ウィルの言う通りだね。ぼくはちょっと旅をあまく見てたみたい」
クロエは毛布に顔を埋める。
ウィルはそんな彼を黙って見つめていた。
やがて、クロエは決心したように顔を上げる。
まっすぐにウィルを見つめるその眼からあふれる光の強さに、ウィルはまぶしそうに目を細めた。
「ねぇウィル、お願いがあるんだ」
「なんだ? 報酬しだいで悪事以外ならなんでもやるぜ」
ウィルの瞳が期待に輝く。
師匠の死後、こうして各地を旅してきたが、世の中に面白いことなどほとんどなかった。
その面白くもない世界をこの頼りなさげな黒髪の少年、クロエが変えてくれることをウィルは期待していたのだ。
「ぼくを……北壁まで連れて行ってほしいんだ」
「……北壁? 北壁ってあの北壁か? ここから北のアルギュレ地方も越えて、本当にあるかどうかもわからない氷原 も越えた世界の果ての!?」
「うん、ばかげた話なのは分かってる。でも僕は……そこに居るという北壁の魔女に会わなくちゃいけないんだ」
クロエは毛布の端を握りしめる。
その断固とした決意が、ウィルを驚かせた。
しかし、そんな自分の心の変化を知られたくなくて、ウィルは毛布を鼻まで引き上げる。
そして、興味なさげに口を開いた。
「……ふぅん。まぁ俺も北へ向かおうとは思ってたけどよ、そんな遠くまで行くとなると、報酬 も高くつくぜ」
親指と人差し指で輪を作り、ウィルはクロエを値踏みするように眺める。
クロエは大してお金を持っている訳ではなかったが、決心した様子で腰のホルスターから小型の拳銃を取り出した。
滑らかに磨き上げられた真鍮製の銃身。ピンクゴールドで凝った装飾の施されたグリップ。
今までに見たどの銃よりも美しいモーターガンに、ウィルは目を輝かせ、シートから体を起こした。
「おまっ! それ!?」
「うん。ちゃんと動く、本物のモーターガンだよ」
「昼間のやつが狙ってたのはそれか!」
グランドブレイカーのエンジンと同じ機構が使用された、超小型のエンジン。
その力で弾丸を高速で射出する、対人戦闘では比類なき威力を発揮するモーターガンは、遺跡から発掘される『アーティファクト』の中でも、グランドブレイカーと同等か、それ以上の価値を持っている。
グランドブレイカーとは違い、誰でも使用できる強力な武器は、その精密さゆえ、完全に動くものはめったに見つからないのだった。
思わず手を出したウィルから隠すように、クロエはモーターガンをホルスターへしまう。
ウィルは放心したように手を伸ばしたまま、じっとクロエを見つめていた。
「無事にぼくを北壁まで送り届けてくれたら、これをあげるよ。どうかな? ウィル」
一瞬の沈黙。
ウィルは手を下げ、すとんとシートに腰を下ろした。
黙ったままのウィルを見て、クロエに少しの心配が心をよぎる。
こんな砂漠の真ん中だ。ウィルがその気になってクロエから力づくでモーターガンを奪おうとすれば、非力なクロエはモーターガンの威力を見せ付ける前に打ち倒されてしまうかもしれない。
しかし、クロエはそんな考えをした自分を笑った。
クロエの笑顔につられて、ウィルも笑顔になる。
北壁まで行き着くための距離、途中の危険、燃料や食料にかかる貨幣 の金額……。
そんな損得勘定を「モーターガン」に「北壁の魔女」、同じ年頃の友人との旅。その全てにわくわくする思いが一足飛びに超えていったのだ。
「ははっ! おもしれぇ! いいぜ! 行ってやるよ、北壁!」
ウィルは元気よく手を伸ばし、驚いて一瞬身を引いたクロエは、おずおずと手を伸ばしその手を握る。
力強く握り返したウィルは、くくくっと堪え切れない様子で笑いをもらした。
「じゃあよろしく頼むぜ。クロエ」
「……うん、よろしく。ウィル」
夜の砂漠の冷気を吹き飛ばし、二人はこれからの冒険に思いをはせ、いつまでもいつまでも、楽しげに話をつづけたのだった。
白い巨人が輪をかけて大きなトレーラーに戦利品の腕を積み込み、自らの体を横たえるころには、すでに辺りは暗く、空には美しい星が広がっていた。
蒼の月と銀の月が世界を照らし、赤い砂漠は紫色に染まる。
グイベルのコクピットから体を引き出したウィルが、火にかけっぱなしだった砂漠トカゲの肉から焦げをナイフでそぎ落としていると、汚れたクロエが息を切らせながら姿を現した。
追いかけては来たものの、なんと声をかけていいか分からず立ち尽くすクロエへ、ウィルは二つに分けたトカゲの肉を差し出す。
「水はもってるか?」
「あ、うん」
「じゃあこれでも食っとけ」
屈託なく笑ったウィルはクロエを残してトレーラーへ向かう。
もう一つの肉を口にくわえたウィルは、運転席から工具箱を取り出すと、荷台の戦利品を見上げて嬉しそうに声を出して笑った。
どうして何も聞かないんだろう。不思議に思いながらクロエが見ている前で、ウィルはグランドブレイカーの腕を使える部品ごとに分解しはじめる。
その楽しそうな姿を見ながら、焦げたトカゲ肉をほおばったクロエは、やがて小さなバーナーの炎の揺らめきと、久しぶりに感じる近くに人のいる暖かさに、膝を抱えて眠りに落ちて行った。
◇ ◇ ◇
暗闇の中、クロエは一人立ち尽くしていた。
不安に押しつぶされ、顔を上げると、そこには十二年間育ててくれた祖父の姿がある。
「……おじい」
たった一人の家族の姿。
暖かい涙が頬を伝い、クロエは祖父へと手を伸ばした。
「やっぱり、死んだなんて嘘だったんだ」
祖父は何も言わず背を向ける。
クロエはその背中を追いかけようとしたが、なぜか足が動かなかった。
「おじい! やだよ! 置いてかないで!」
暗闇にクロエを残して、祖父の姿は消える。
泣き叫ぶクロエのすぐそばで、祖父とは違う暖かい光が灯った。
◇ ◇ ◇
「……おじい」
目を覚ますと暗闇の中。
クロエはいつの間にか体にかけられていた毛布を引き寄せ、ぶるりと身を震わせた。
先ほどまで座っていた砂漠の砂の上ではない。
座り心地のいいベンチシートに、クロエは寄りかかるように眠っていた。
毛布で涙を拭き、そのあまり清潔ではない毛布の匂いをなんとなく嗅いでみる。
クロエはその匂いに少し顔をしかめたが、暖かさには代えられず、もう一度毛布を体に巻きなおした。
見回すと、どうやらあの大きなトレーラーの運転席らしい。
視線を移すと、そこにはさっき命を助けてくれた少年が、同じように毛布にくるまって眠っていた。
「……いいぜ、寝てろよ。ここはグランドキャリアの中だ。賊や動物に襲われる心配もない。……特別に宿泊料はタダでいい。今日はお前のおかげでいい稼ぎになったからな」
眠っていると思われた少年が、片目を開けてそう声をかける。
クロエは自分の寝言を聞かれてはいなかったかと焦り、そして、自己紹介もお礼も言っていないことに思い至った。
「……うん。あの……僕の名前はクロエ。助けてくれてありがとう」
「俺はウィルってんだ。夕方のことは気にすんな、俺はグランドブレイカーを悪用する奴が許せねぇだけだからな」
「……うん」
「しかしお前軽いんだな。もっと筋肉付けねぇと、たとえ悪人に会わなくたってすぐ死んじまうぜ」
「軽い……?」
クロエは、自分がウィルに抱えられてここまで運ばれたのだと気づき、それにまったく気づくことも無く眠っていたうかつさに頬を赤らめる。
ウィルの言うことはもっともだ。
クロエにはウィルのようにグランドブレイカーも、このグランドキャリアもない。
なんとか数日かけて砂漠を進んでは来たものの、街でたまたま見られた両親の形見であるモーターガンを狙われ、今日は命までなくすところだったのだ。
たとえこの小型で高性能の銃『モーターガン』を持っていたとしても、相手がグランドブレイカーを操るとあれば、クロエには身を守る手段は何一つないと言えた。
「……ウィルの言う通りだね。ぼくはちょっと旅をあまく見てたみたい」
クロエは毛布に顔を埋める。
ウィルはそんな彼を黙って見つめていた。
やがて、クロエは決心したように顔を上げる。
まっすぐにウィルを見つめるその眼からあふれる光の強さに、ウィルはまぶしそうに目を細めた。
「ねぇウィル、お願いがあるんだ」
「なんだ? 報酬しだいで悪事以外ならなんでもやるぜ」
ウィルの瞳が期待に輝く。
師匠の死後、こうして各地を旅してきたが、世の中に面白いことなどほとんどなかった。
その面白くもない世界をこの頼りなさげな黒髪の少年、クロエが変えてくれることをウィルは期待していたのだ。
「ぼくを……北壁まで連れて行ってほしいんだ」
「……北壁? 北壁ってあの北壁か? ここから北のアルギュレ地方も越えて、本当にあるかどうかもわからない
「うん、ばかげた話なのは分かってる。でも僕は……そこに居るという北壁の魔女に会わなくちゃいけないんだ」
クロエは毛布の端を握りしめる。
その断固とした決意が、ウィルを驚かせた。
しかし、そんな自分の心の変化を知られたくなくて、ウィルは毛布を鼻まで引き上げる。
そして、興味なさげに口を開いた。
「……ふぅん。まぁ俺も北へ向かおうとは思ってたけどよ、そんな遠くまで行くとなると、
親指と人差し指で輪を作り、ウィルはクロエを値踏みするように眺める。
クロエは大してお金を持っている訳ではなかったが、決心した様子で腰のホルスターから小型の拳銃を取り出した。
滑らかに磨き上げられた真鍮製の銃身。ピンクゴールドで凝った装飾の施されたグリップ。
今までに見たどの銃よりも美しいモーターガンに、ウィルは目を輝かせ、シートから体を起こした。
「おまっ! それ!?」
「うん。ちゃんと動く、本物のモーターガンだよ」
「昼間のやつが狙ってたのはそれか!」
グランドブレイカーのエンジンと同じ機構が使用された、超小型のエンジン。
その力で弾丸を高速で射出する、対人戦闘では比類なき威力を発揮するモーターガンは、遺跡から発掘される『アーティファクト』の中でも、グランドブレイカーと同等か、それ以上の価値を持っている。
グランドブレイカーとは違い、誰でも使用できる強力な武器は、その精密さゆえ、完全に動くものはめったに見つからないのだった。
思わず手を出したウィルから隠すように、クロエはモーターガンをホルスターへしまう。
ウィルは放心したように手を伸ばしたまま、じっとクロエを見つめていた。
「無事にぼくを北壁まで送り届けてくれたら、これをあげるよ。どうかな? ウィル」
一瞬の沈黙。
ウィルは手を下げ、すとんとシートに腰を下ろした。
黙ったままのウィルを見て、クロエに少しの心配が心をよぎる。
こんな砂漠の真ん中だ。ウィルがその気になってクロエから力づくでモーターガンを奪おうとすれば、非力なクロエはモーターガンの威力を見せ付ける前に打ち倒されてしまうかもしれない。
しかし、クロエはそんな考えをした自分を笑った。
クロエの笑顔につられて、ウィルも笑顔になる。
北壁まで行き着くための距離、途中の危険、燃料や食料にかかる
そんな損得勘定を「モーターガン」に「北壁の魔女」、同じ年頃の友人との旅。その全てにわくわくする思いが一足飛びに超えていったのだ。
「ははっ! おもしれぇ! いいぜ! 行ってやるよ、北壁!」
ウィルは元気よく手を伸ばし、驚いて一瞬身を引いたクロエは、おずおずと手を伸ばしその手を握る。
力強く握り返したウィルは、くくくっと堪え切れない様子で笑いをもらした。
「じゃあよろしく頼むぜ。クロエ」
「……うん、よろしく。ウィル」
夜の砂漠の冷気を吹き飛ばし、二人はこれからの冒険に思いをはせ、いつまでもいつまでも、楽しげに話をつづけたのだった。