第05話
文字数 1,937文字
「ついたぜ」
周囲三方向を壁に囲まれた突き当り。ドアも窓もない行き止まりの壁に、ゴミとともにウィルは転がっていた。
「え?」
「俺が送ってやれるのはここまでだ」
クロエは周囲を見渡す。当然ながら、ここはクロエの知っている宿ではない。
男が何を言っているのか、ふわふわした頭で一生懸命考えるクロエの見ている前で、男はウィルの懐に手を突っ込み、貨幣 のたっぷり詰まった袋を取り出した。
「あの、それウィルの……」
「あ? ただで送ってもらえるとでも思ってたのかよ」
「え、と。あの、ここは宿じゃないですし……」
「あぁ、残念だな。こいつが持ってる金じゃあ送ってやれるのはここまでだ」
「そんな?!」
ここで初めて、クロエは男が追い剥ぎの類 であることに思い至った。
前後不覚のままゴミの上で気持ちよさそうに眠っているウィルと、銀と蒼の月に照らされ、人間ではないような肌の色に見える男を何度も見る。
ウィルに助けを求めることができないと悟ったクロエは、立ち去ろうとする男の背中に追いすがった。
「ダメ! 返して! それはウィルのお金だよ!」
「うるせぇ! さっきまで誰の懐に入っていたもんだろうが、今は俺の金だ!」
顔の周りを飛ぶ虫でも払うように、男はクロエを突き飛ばした。
それでも今は自分しか頼れるものは居ない。
地面に転がったクロエは、擦りむいた膝と突き飛ばされた唇の端から血を流し、何度も男に立ち向かった。
「しつけぇガキだな! こりゃあ社会のルールってやつを教えてやる必要があるな」
クロエを蹴り飛ばし、男は独りごちる。
地面に転がるクロエに近づくと、腰の上にゆっくりとのしかかった。
華奢なクロエの首をごつごつした手で押さえ、にやにやと笑う。
恐怖に体を硬直させたクロエに向けて、男は何でもない事のように、ひょいと持ち上げた反対の手を何度も打ち下ろした。
――ガッ。ゴツッ。ゴッ。
何度かクロエを殴りつけた男は、殴っていた手を痛そうにふりながら立ち上がる。
ぐったりとしたクロエを見下ろすと、その横顔に唾を吐きかけた。
「わかったか? 力のねぇやつは隅っこに隠れながら生きるもんだ。今回は命だけは助けてやる。感謝するんだな」
去り際、男は行きがけの駄賃とばかりに、ウィルの腹を蹴りあげる。
突然の痛みにウィルはゴミから転がり落ち、胃の中のものをぶちまけた。
男が去った後も、クロエは体がすくんで動けない。
ウィルの大事なお金も、自分自身も守れなかった。
あの男の言葉は、この世界の真実だろうとクロエは思う。
力の無いものは隠れながら生きなければならないのだろう。
だが、クロエにはモーターガンと言う『力』がある。
ただ、その力を使う覚悟が、相手を殺してでも自分を守るという覚悟が決定的に足りていなかったのだ。
クロエは体を起こし、腰のホルスターにあるモーターガンのグリップを握る。
暗闇の中、クロエの目が輝きを増したように見えた。
「ううっ……げほっ……く……クロエ?」
自分の吐しゃ物の中に転がっていたウィルが気づき、上半身を起こす。
「ウィル!」
クロエはグリップから手を放し、ウィルのもとへと駆け寄った。
肩を支え、何とか立ち上がった二人は、失意のもと宿へと向かう。
二日分の宿代は前払いしてあったのが、せめてもの救いだった。
体を流し、着替えた二人は、悔し涙で枕を濡らし、夢見の悪い眠りについた。
◇ ◇ ◇
タルシス地方にある中規模の城塞都市デルリオ。
赤い砂漠の中で、水と燃料と人を産むファウンテンを中心に発展した、珍しくもない田舎町。
日中の強烈な日差しが少し和らいだ夕刻に、こじんまりとした宿でクロエは体を起こした。
顔には殴られた傷がいくつもあり、クロエは鏡を見ながらメディシンテープを貼る。
その眼には固い決意があふれていた。
「おい、クロエ……おえっ……。俺が動けるようになってから……おえぇぇっ! 探しに行く方がいい」
「大丈夫。ウィルは休んでて」
テープを貼り終えたクロエが立ち上がる。
体中、あちこちに痛みはあるが、身動きの取れないほどではない。
一日中胃の中身を吐き続け、胃液しか出なくなっても頭痛とめまいに襲われているウィルよりは、よほどマシだった。
砂漠の太陽は沈みはじめると早い。
すでに暗くなった街に夜の明かりが灯りはじめる。
クロエは名前も知らないあの男が必ず夜の街に繰り出すであろうと確信をもって、人通りの多い街の中をあてもなく彷徨 い歩いた。
周囲三方向を壁に囲まれた突き当り。ドアも窓もない行き止まりの壁に、ゴミとともにウィルは転がっていた。
「え?」
「俺が送ってやれるのはここまでだ」
クロエは周囲を見渡す。当然ながら、ここはクロエの知っている宿ではない。
男が何を言っているのか、ふわふわした頭で一生懸命考えるクロエの見ている前で、男はウィルの懐に手を突っ込み、
「あの、それウィルの……」
「あ? ただで送ってもらえるとでも思ってたのかよ」
「え、と。あの、ここは宿じゃないですし……」
「あぁ、残念だな。こいつが持ってる金じゃあ送ってやれるのはここまでだ」
「そんな?!」
ここで初めて、クロエは男が追い剥ぎの
前後不覚のままゴミの上で気持ちよさそうに眠っているウィルと、銀と蒼の月に照らされ、人間ではないような肌の色に見える男を何度も見る。
ウィルに助けを求めることができないと悟ったクロエは、立ち去ろうとする男の背中に追いすがった。
「ダメ! 返して! それはウィルのお金だよ!」
「うるせぇ! さっきまで誰の懐に入っていたもんだろうが、今は俺の金だ!」
顔の周りを飛ぶ虫でも払うように、男はクロエを突き飛ばした。
それでも今は自分しか頼れるものは居ない。
地面に転がったクロエは、擦りむいた膝と突き飛ばされた唇の端から血を流し、何度も男に立ち向かった。
「しつけぇガキだな! こりゃあ社会のルールってやつを教えてやる必要があるな」
クロエを蹴り飛ばし、男は独りごちる。
地面に転がるクロエに近づくと、腰の上にゆっくりとのしかかった。
華奢なクロエの首をごつごつした手で押さえ、にやにやと笑う。
恐怖に体を硬直させたクロエに向けて、男は何でもない事のように、ひょいと持ち上げた反対の手を何度も打ち下ろした。
――ガッ。ゴツッ。ゴッ。
何度かクロエを殴りつけた男は、殴っていた手を痛そうにふりながら立ち上がる。
ぐったりとしたクロエを見下ろすと、その横顔に唾を吐きかけた。
「わかったか? 力のねぇやつは隅っこに隠れながら生きるもんだ。今回は命だけは助けてやる。感謝するんだな」
去り際、男は行きがけの駄賃とばかりに、ウィルの腹を蹴りあげる。
突然の痛みにウィルはゴミから転がり落ち、胃の中のものをぶちまけた。
男が去った後も、クロエは体がすくんで動けない。
ウィルの大事なお金も、自分自身も守れなかった。
あの男の言葉は、この世界の真実だろうとクロエは思う。
力の無いものは隠れながら生きなければならないのだろう。
だが、クロエにはモーターガンと言う『力』がある。
ただ、その力を使う覚悟が、相手を殺してでも自分を守るという覚悟が決定的に足りていなかったのだ。
クロエは体を起こし、腰のホルスターにあるモーターガンのグリップを握る。
暗闇の中、クロエの目が輝きを増したように見えた。
「ううっ……げほっ……く……クロエ?」
自分の吐しゃ物の中に転がっていたウィルが気づき、上半身を起こす。
「ウィル!」
クロエはグリップから手を放し、ウィルのもとへと駆け寄った。
肩を支え、何とか立ち上がった二人は、失意のもと宿へと向かう。
二日分の宿代は前払いしてあったのが、せめてもの救いだった。
体を流し、着替えた二人は、悔し涙で枕を濡らし、夢見の悪い眠りについた。
◇ ◇ ◇
タルシス地方にある中規模の城塞都市デルリオ。
赤い砂漠の中で、水と燃料と人を産むファウンテンを中心に発展した、珍しくもない田舎町。
日中の強烈な日差しが少し和らいだ夕刻に、こじんまりとした宿でクロエは体を起こした。
顔には殴られた傷がいくつもあり、クロエは鏡を見ながらメディシンテープを貼る。
その眼には固い決意があふれていた。
「おい、クロエ……おえっ……。俺が動けるようになってから……おえぇぇっ! 探しに行く方がいい」
「大丈夫。ウィルは休んでて」
テープを貼り終えたクロエが立ち上がる。
体中、あちこちに痛みはあるが、身動きの取れないほどではない。
一日中胃の中身を吐き続け、胃液しか出なくなっても頭痛とめまいに襲われているウィルよりは、よほどマシだった。
砂漠の太陽は沈みはじめると早い。
すでに暗くなった街に夜の明かりが灯りはじめる。
クロエは名前も知らないあの男が必ず夜の街に繰り出すであろうと確信をもって、人通りの多い街の中をあてもなく