第9話 王女の試練

文字数 2,908文字

 指が動かない。瞬きできない。ミースが、姫のレプリカ? 真相を前に、僕は驚き方を忘れていた。あの神話の宝剣は、そういうことだったのか。僕と同様、紛れ込んだ人間とは推察していたが……。

「なるほどな。大層な美人だぜ、なあオイ?」

 旦那様は肝が据わっていた。

「王女、オレ様と結婚しろ」

 ミースは笑い飛ばす。

「わたしに洗脳は効かないよ。宝剣で切り伏せられるからね。それでもわたしを欲するの? その細腕で、どう組み伏せるつもり?」

「そんなの知るか。オレ様が嫁に来いと言っている。お前さんがオレ様に嫁ぐ理由が、他に何か必要か?」

「自信満々だね」

 ミースは悩まなかった。

「いいよ。追い返しても退屈だし、君の本物に応えてあげる」

 戦慄する。即、追い返せ。

「わたしを笑わせてみてよ。結婚すれば、生涯を共にするんでしょ? せめて一緒にいて楽しくなくちゃね。魔法に頼らず、その言葉と熱意だけで、わたしに笑顔の花を咲かせてみて」

「オレ様に出来ねえことはねえよ」

 旦那様は煙を吸い込み、脳を活性化させた。ミースはわくわくと旦那様の対応を待つ。僕は暖炉に泥炭を投げ入れる。焔が、強まる。煙を口腔から追い出して、語気を強めた。

「戯れはお止めください」

 ミースが振り向く。月明りに照らされて、儚くそこにいる。

「王女様がまた神隠しに遭えば、次こそ国民は発狂します。人間と善き隣人の関係は悪化し、エーレ国の文化、物語、魂は失われるでしょう。それを王室の一員たる貴方様が牽引するなんて、馬鹿げていると思われませんか」

「そういう幻想を、わたしはあの日に捨てたんだよ」

 あの日。
 ミースが強調する。

 僕はその言葉を噛みしめた。

 数年前、神隠しから帰還した王女様は、豹変していたという。気まぐれで、悪戯好き。やりたい放題し放題! 以前は王室と国民のことを第一に考え、楚々とした振る舞いが人気だったのに、見る影もないお転婆娘になっていた。

 国民は彼女を取り換え子と疑った。
 善き隣人の変装ではないかと。
 偽物と、レプリカと。

 ミースが投げやりに言う。

「国民が発狂する? 物語を失う? どうぞご自由に。わたしはわたしの為に生きているの。国民の為じゃない」

「あんな醜い小人の妻になると!」

「怯えるメイドの顔より、よほどキレイだよ。嘘ついて歪む父様の顔より、よほど純粋だよ。わたしは本物が欲しい。彼らには嘘偽りが一つもないもの。善き隣人の嫁になるなら、それも運命だね」

 多少は選り好みするけどさ。ミースはそう付け足した。

 僕は戸惑いが隠せない。

 姫のレプリカ、取り換え子のお姫様。その孤独を、想像できるはずもない。国民全員から仲間でないと疑われ続けるのは、どんな気持ちだろう。大広間で出会ったミースは、いつも楽しそうだった。伸び伸びとしていた。牛飼いの娘に問うていた言葉は、そのまま、自分自身に問うていたのか。

 異界で生きるのも、悪くないかもしれないと。

「よし娘、笑え。オレ様の命令だ」

 旦那様はグレイパイプから口を離し、余裕綽々と告げた。ミースは口をへの字にする。

「嫌だよ」
「何ぃ? オレ様の命令に従えねえのか?」

「もちろん。思いが本物というのなら、もっと悩んで。そのちいさな脳味噌を搾り取って、水差し一杯に脳汁を蓄えられるくらい、本気で考えてよ」

「めんどくせぇなぁ、オイ!」

 旦那様は足に合わない靴をばたつかせる。

「つーかよぉ、オレ様は千年間、独りぼっちだったんだ。すたれた谷合に座って、誰かが来るのをぐだぐだ待っていた。話せれば誰でも良かったさ。どんな言葉でも返ってくれば、オレ様は笑えた。なのに嬢ちゃんは違うという。人間ってのは、どうすれば笑えるんだ?」

 首を傾げる仕草は、とても子どもっぽかった。

 ミースが顔を綻ばせる。孤独を知る者同士、共感するものがあったのだろう。傍から見れば、それは笑顔と呼べた。ミースが笑顔と認めれば、婚活は成功だ。ミースは旦那様に嫁ぎ、エーレ国から永遠に姿を消す。エーレ国は荒れ狂うだろう。善き隣人を嫌悪し、二度と窓下にミルクを出さないかもしれない。

 ……本当に?

 その可能性に気づき、僕は震えた。

 レプリカが異界に消えれば、あるべき姿に立ち返るだけだ。王女様は随分前に攫われ、以後一度も戻っていない。事実は確定し、悲嘆に暮れる。喪が明ければ、レプリカなんてはじめから存在しなかったかのように、エーレ国の日常が返り咲く。草の枯れた白い輪を避けて通り、足を洗った水を正しく外に捨てる。靴づくりの小人が隠した黄金を求めて、子ども達が虹のもとへ走り出す。

 レプリカの帰還を、誰も夢見ない。僕が異界で出会った、歌と踊りを愛する自由奔放なミースを、エーレ国は偽物と蔑み、見捨てるのだ。

 それを受け入れるのか?

 ただでさえ熱っぽい体が、油をかけた炉火のように燃え上がる。

「掘る男と、埋める男がいた」

 僕は無我夢中で語り出した。

「男が掘った先から、別の男が埋めていく。かれこれ何時間もだ。通行人が不審に思い、男たちに尋ねた。何をしてるんだい? 男の一人が答えた――おれら、普段は三人でやってんだ。木を植える男が急病でなぁ」

 ミースが瞼を瞬く。

「ある蛇が別の蛇に言った。オレらって、もしかして毒あんのかな? どしてそんなこと訊くわけ? この前、舌噛んじゃってさー」
「なに? えっと?」
「ミサの後、ある未亡人が――」

 知り得る限りのジョークを披露する。まだ笑わない。下品なものは避ける。なかなか笑わない。酒が絡むものは、うまく話せない。困惑している。ネタが切れてきた、笑顔が遠い、歯がゆくてたまらない。

 笑え、笑ってくれ。
 善き隣人のような君に、仏頂面は似合わない。

「ぷぅっ」

 ミースが吹き出す。

 緊張が張り裂けて、笑い声となった。

「あはははは! アラン君、めちゃくちゃ必死じゃない! そんなにわたしと結婚したかったの? 全然知らなかったなー」

「は、はあっ!? そういうことじゃないから!」

 僕は顔を真っ赤に否定する。違う、多分違う! 過度な否定におかしさを見出して、ミースはさらに腹を抱えて笑った。本物の笑みがミースの顔を彩る。差別に苦しむ儚き姫ではない。僕のよく知る、善き隣人のミースだった。

「なんだ? そんなんでいいのか?」

 僕のジョークでうとうとしていた旦那様が、目を擦りつつも顔を上げる。逡巡のち、おもむろに口を開く。

「あー、魔女集会の後、潰れたヒキガエルがなぁ……蠅との逃避行に……ああ、ええい、めんどくせぇ! オレ様の嫁になれ!」

「下手過ぎだよ! なんか違うし! アハハハハ!」

「お、お? 笑ったな? なんか知らねえが、これで嬢ちゃんはオレ様のもんだ!」

 旦那様がひーやっふぉーと歓喜を叫ぶ。帯状の金のレースを振り回し、辺りをぴょんぴょんと跳ね回った。僕は不安に駆られる。笑わせたら結婚する。それはミースが旦那様と約束したことで、僕は居合わせただけに過ぎない。

 ミースが笑い終わるのを待つ。審判が下される瞬間を手に汗握って待つ。ミースは、まだ、エーレ国に居てくれるだろうか。

 僕と生きることを、楽しいと思ってくれるだろうか?

「ごめんね」
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