第21話 失せモノ捜しに不適格な巨人
文字数 2,152文字
星降る道を行く。濡れた岩を乗り越え、秋風に竦む原っぱを突き抜ける。流星を追って崖をよじ登り、坂道を飛ぶように走っていく。
商業都市が見えてきた。
鳥瞰すれば真四角で、徹底的に区画が整理されている。中央の広場から東西南北に四本の大通りが伸びる。看板娘の影法師が軒先を箒で掃き、大工の影法師が木材を切り、馬の影法師が疲れ切った顔で荷車を曳いていた。庭師は動き回る影法師を踏まないよう、細心の注意を払って広場に向かう。
庭師がいくら話しかけても、影法師は返事をしなかった。巨人の出現に頓着せず、普段通りお喋りや買い物を楽しんでいる。目の前が足で塞がれれば迂回すれど、それ以外では視線一つ寄越さない。
庭師がまるで空気か幽霊だ。
誰であっても、完全無視はこたえる。
「仕方ないよね。彼らには彼らの事情がある。俺と違って忙しい」
君の事情も大事だよ。
「そうかな?」
疑問形だったが、疑問を抱いていたわけではなかった。
庭師は自分を大事にしていなかった。
石畳の広場の中央に、青年の彫像が立つ。鉛の短剣を左胸に当てている。鉛色の巻き毛がうねり、その眉に影を落としていた。勇ましいような、悩ましいような、一言で幸福や不幸とは分類できない鉛の顔で、商業都市を眼下に収めている。
台座を足せば、彫像と庭師の背丈は一緒で、両者の目が合った。
「珍しい客だな」
彫像は横柄にそう評した。庭師がこんばんはと言えば、ああこんばんはと当たり前に挨拶が返ってくる。
「やっと話せる人を見つけた」
庭師の声はわずかに弾んでいた。
「はあ? 町民がいるだろ」
「俺には影法師にしか見えない。声も届かないんだ」
彫像がじっと止まる。
「そうか。それなら、そういうものなんだろ。お前がこの町で話さなければならない相手は、このオレだったってわけだ。
何か困りごとか?」
「ある問いの答えを探しているんだ。あんたに尋ねてもいいか?」
「問うのに許可なんていらないだろ。お前が期待するような答えを、オレが持ち合わせているかは別だがな」
ふと彫像が言葉を区切り、躊躇いながら尋ねる。
「ああー……その見返りってわけじゃないんだが……もし急がないなら、オレの頼みも聞いてくれないか? オレと話せる奴も多くなくてな。いい機会だから、長年の憧れに終止符を打ちたくて」
「いいよ」
庭師は二つ返事で引き受けた。頼まれたことを、彼が断ることはない。他に優先することがないのだ。
「そんな大それた頼みじゃないさ。北大通りにある鋳物工場で、失せモノ捜しをしてほしい。なにせ台座に足が引っ付いちまって、とことこ歩いていけなくてな」
「失せモノって?」
彫像はきっぱりと答えた。
「割れた心臓だ」
目まぐるしく動く影法師の雑踏の中から、空隙ができる一瞬を見極め、丁寧につま先を差し込む。足を持ち上げるだけでも、ぶつからないよう至極気を遣う。小指が荷車の車輪にかすり、弾けて荷車がひっくり返った。若者の影法師の肩を踏み、影法師がふにゃふにゃと蛇腹に潰れる。庭師は騒動のたびに狼狽し、ぺこぺこと頭を下げた。そんな庭師を咎める影法師はいなかった。
鋳物工場に辿り着く頃には、庭師は憔悴していた。
「春の庭に引きこもっていれば良かった」
気にし過ぎだよ。誰も死んでいない。
「死人が出なければ、誰かの大事なものを踏みにじってもいいのか?」
やり直せる範囲なら、誠実に謝罪すれば、ゆるされることもある。君は君の大事なものを貫いただけじゃないか。
「俺の大事なものって、そんなに大事かな?」
君が譲らない限りね。二択と勘違いしちゃ駄目だよ。迷惑か欲望かじゃない。極力迷惑をかけずに欲望を満たすんだ。
庭師は難しそうな顔で答える。
「あんたは強いな」
たくさん失敗してきただけだよ。
鋳物工場にはレンガ炉が並び、職人が融けた鉛を鋳型に流し込んでいた。職工長が檄を飛ばす中、庭師は敷地内をうろちょろとする。レンガ炉を壊さないよう配慮しつつ、目を皿にして割れた心臓を捜した。
「心臓は鉛製だ。オレの胸に入るくらい小さい。お前の指の上じゃ、夜空の星々みたいに点にしか見えないかもな。金庫や倉庫に厳重に保管されていることはねぇ。ゴミ捨て場とか、隅の掃き溜めとか、落ちているとしたらそんなとこだ」
彫像の話に従って漁る。隈なく捜す。
割れた心臓は、どこにも落ちていなかった。
庭師は肩を落とし、とぼとぼと広間に戻っていく。人通りが減って幸いだった。細やかに歩けるほど、いまの庭師は余裕がなかった。
「怒られるよね」
どうだろう。彫像の事情次第じゃないかな。
「成し遂げられなかったんだよ?」
君なら怒るの?
「え。たぶん、怒らないけど……」
そういうことだよ。
庭師は深く考え込んだ。
広場では子どもの影法師が自由を謳歌して走り、大人の影法師と激突してしゅんと肩を落とす。鳩の影法師が群れて歩き、嘴を突いたり戻したり、判然としない。甘栗の露店では焼けた石がしゅうしゅうと唸っていた。
彫像は修行僧のように身動ぎ一つせず、世の無常にも動じず、同じ顔で同じ方向を見つめ続けている。
失敗したと報告しても、彫像は笑い飛ばすだけだった。
そんなことと思っていたぜ。
随分昔の話だからな。
「わざわざありがとよ」
感謝の言葉まで用意してくれた。
商業都市が見えてきた。
鳥瞰すれば真四角で、徹底的に区画が整理されている。中央の広場から東西南北に四本の大通りが伸びる。看板娘の影法師が軒先を箒で掃き、大工の影法師が木材を切り、馬の影法師が疲れ切った顔で荷車を曳いていた。庭師は動き回る影法師を踏まないよう、細心の注意を払って広場に向かう。
庭師がいくら話しかけても、影法師は返事をしなかった。巨人の出現に頓着せず、普段通りお喋りや買い物を楽しんでいる。目の前が足で塞がれれば迂回すれど、それ以外では視線一つ寄越さない。
庭師がまるで空気か幽霊だ。
誰であっても、完全無視はこたえる。
「仕方ないよね。彼らには彼らの事情がある。俺と違って忙しい」
君の事情も大事だよ。
「そうかな?」
疑問形だったが、疑問を抱いていたわけではなかった。
庭師は自分を大事にしていなかった。
石畳の広場の中央に、青年の彫像が立つ。鉛の短剣を左胸に当てている。鉛色の巻き毛がうねり、その眉に影を落としていた。勇ましいような、悩ましいような、一言で幸福や不幸とは分類できない鉛の顔で、商業都市を眼下に収めている。
台座を足せば、彫像と庭師の背丈は一緒で、両者の目が合った。
「珍しい客だな」
彫像は横柄にそう評した。庭師がこんばんはと言えば、ああこんばんはと当たり前に挨拶が返ってくる。
「やっと話せる人を見つけた」
庭師の声はわずかに弾んでいた。
「はあ? 町民がいるだろ」
「俺には影法師にしか見えない。声も届かないんだ」
彫像がじっと止まる。
「そうか。それなら、そういうものなんだろ。お前がこの町で話さなければならない相手は、このオレだったってわけだ。
何か困りごとか?」
「ある問いの答えを探しているんだ。あんたに尋ねてもいいか?」
「問うのに許可なんていらないだろ。お前が期待するような答えを、オレが持ち合わせているかは別だがな」
ふと彫像が言葉を区切り、躊躇いながら尋ねる。
「ああー……その見返りってわけじゃないんだが……もし急がないなら、オレの頼みも聞いてくれないか? オレと話せる奴も多くなくてな。いい機会だから、長年の憧れに終止符を打ちたくて」
「いいよ」
庭師は二つ返事で引き受けた。頼まれたことを、彼が断ることはない。他に優先することがないのだ。
「そんな大それた頼みじゃないさ。北大通りにある鋳物工場で、失せモノ捜しをしてほしい。なにせ台座に足が引っ付いちまって、とことこ歩いていけなくてな」
「失せモノって?」
彫像はきっぱりと答えた。
「割れた心臓だ」
目まぐるしく動く影法師の雑踏の中から、空隙ができる一瞬を見極め、丁寧につま先を差し込む。足を持ち上げるだけでも、ぶつからないよう至極気を遣う。小指が荷車の車輪にかすり、弾けて荷車がひっくり返った。若者の影法師の肩を踏み、影法師がふにゃふにゃと蛇腹に潰れる。庭師は騒動のたびに狼狽し、ぺこぺこと頭を下げた。そんな庭師を咎める影法師はいなかった。
鋳物工場に辿り着く頃には、庭師は憔悴していた。
「春の庭に引きこもっていれば良かった」
気にし過ぎだよ。誰も死んでいない。
「死人が出なければ、誰かの大事なものを踏みにじってもいいのか?」
やり直せる範囲なら、誠実に謝罪すれば、ゆるされることもある。君は君の大事なものを貫いただけじゃないか。
「俺の大事なものって、そんなに大事かな?」
君が譲らない限りね。二択と勘違いしちゃ駄目だよ。迷惑か欲望かじゃない。極力迷惑をかけずに欲望を満たすんだ。
庭師は難しそうな顔で答える。
「あんたは強いな」
たくさん失敗してきただけだよ。
鋳物工場にはレンガ炉が並び、職人が融けた鉛を鋳型に流し込んでいた。職工長が檄を飛ばす中、庭師は敷地内をうろちょろとする。レンガ炉を壊さないよう配慮しつつ、目を皿にして割れた心臓を捜した。
「心臓は鉛製だ。オレの胸に入るくらい小さい。お前の指の上じゃ、夜空の星々みたいに点にしか見えないかもな。金庫や倉庫に厳重に保管されていることはねぇ。ゴミ捨て場とか、隅の掃き溜めとか、落ちているとしたらそんなとこだ」
彫像の話に従って漁る。隈なく捜す。
割れた心臓は、どこにも落ちていなかった。
庭師は肩を落とし、とぼとぼと広間に戻っていく。人通りが減って幸いだった。細やかに歩けるほど、いまの庭師は余裕がなかった。
「怒られるよね」
どうだろう。彫像の事情次第じゃないかな。
「成し遂げられなかったんだよ?」
君なら怒るの?
「え。たぶん、怒らないけど……」
そういうことだよ。
庭師は深く考え込んだ。
広場では子どもの影法師が自由を謳歌して走り、大人の影法師と激突してしゅんと肩を落とす。鳩の影法師が群れて歩き、嘴を突いたり戻したり、判然としない。甘栗の露店では焼けた石がしゅうしゅうと唸っていた。
彫像は修行僧のように身動ぎ一つせず、世の無常にも動じず、同じ顔で同じ方向を見つめ続けている。
失敗したと報告しても、彫像は笑い飛ばすだけだった。
そんなことと思っていたぜ。
随分昔の話だからな。
「わざわざありがとよ」
感謝の言葉まで用意してくれた。