第6話 第二の婚活「傷心の乙女」

文字数 2,379文字

 目を覚ますと、僕は学生寮の自室にいた。

 ぼこぼこの雲が日差しを遮り、朝らしからぬ暗さだ。左肩から手の先まで、切断されたようにその存在を知覚できない。起き上がれば全身だるく、頭痛がした。左腕はまだあったが、死んでいた。石炭の如く硬く黒く、脳の指令を一切受け付けない。咳が出る。吐く息が煙っぽい。左腕を包む煙を、僕は恨みがましく見つめた。ミースの死の予言が現実味を帯びてきた。

「あれ、アラン君だ」

 大学を病欠してその夜、僕は古城の大広間でミースを発見した。ミースはブルネットの女性と歓談しながら、リンゴジュースを一気飲みしている。

「顔色悪いね。お嫁さんは見つからなかったの?」
「見つかったよ。でもまだ終わっていない」
「どういうこと?」

 僕は咳の衝動を飲み下し、ひ弱ながら宣言した。

「絶対に取り返す。それまでは、旦那様の傍にいるよ」

 正確には、残り二人も嫁がせるまで解放はあり得ないのだが、別に間違っていないし、かっこつけておく。

「はい?」

 ミースは首を傾げた。

 昨日の死者を悼み、ブルネットの女性が大泣きする。靴づくりの小人が千鳥足でうろつき、酒樽を見つけては腹を空かした獅子みたいに飛びつく。ミースが珍しく僕の横を歩く。

「わたしも婚活、手伝おっかな」

「え。どういう……というか、狙われていたのに、わざわざ自分から出向くなんて、旦那様を侮らないほうが――」

「興味あるから」

 婚活に? 旦那様に? よもや僕ではあるまい。

「それに、わたし強いもの」

 ミースを追い払えるほど、僕は強くなかった。

 大広間から外に出る。回廊を渡り、中庭を横切り、下に行って左に行き、それっぽくあちらこちらに進んでいけば、野原に到着した。半壊した砦の傍に、刺々しい茨の木が生えている。腐敗した沼が闇に混じっていた。

「やっぱり嫁になりたかったのか?」

 ミースを視認するや否や、旦那様がにやつく。今晩は三角帽子に、ダチョウの羽根と摘み立てのブルーベルの花を飾っていた。昨晩の花嫁が亡霊のように後ろに立っている。目は開いているが、何も見えていない。半開きの口から呼気が漏れない。左腕から伸びる煙が全身を覆い、完全に鳥籠だった。

 旦那様の傲岸不遜な態度を、ミースは鼻で笑う。

「わたしのタイプは、背が高くて、包容力のある人なの。次の千年で、身長伸ばしてきてね」

「けっ! めんどくせぇ女だぜ、まったくよぉ! オレ様にはもっと楽でかわいい嫁がごまんといるさ」

「お気楽に捜しているからモテないんだよ」

 旦那様が唾みたいに煙を飛ばす。弾丸のように速い。ミースは宝剣を盾にたやすく防いだ。

 灯心草の馬がとりでヶ丘を駆け、エーレ国の空を飛んでいく。ミースは楽しそうに体を揺らし、僕は今夜の戦いに神経を尖らせる。

 葦の原っぱの上空でとまる。鋭い夜風が吹くたび、葦は軒並み横倒しになった。たおやかで、回復力がある。大きな月が転がる岩を黒く光らせていた。そのうちの一つ、平べったい岩の上に、女の子が座っている。痛んだ衣服は穴が目立ち、寒風が入り放題だ。渇かぬ涙で頬を濡らし、独り口を動かし続けている。

 旦那様が振り返り、溜息をついた。

「オレ様は明後日に千歳になる。なのに、嫁が一人しかいない」
「詰めが甘いからでは?」
「想いが足りないからだよ」
「黙れ!」

 旦那様が一喝する。上空の早い風が怒気を流し、語り出した。

「岩に座るあの牛飼いの娘は、貧しい身の上でな。唯一の財産だった牛が攫われて、途方に暮れているところだ。傷心につけ込み、婚約を迫ったが、あの娘は頑固が過ぎる。まったく会話が成立しなくて、困っていたのさ」

「旦那様が牛を攫ったんですか?」

「そこまで卑劣じゃねぇよ。ちょいと居合わせただけだ」

 煙の薫りが濃くなる。風は煙を散らさない。

「そこで家来、お前さんの仕事だ。オレ様と牛飼いの娘を会話させろ。少しでも言葉を投げ合えば、オレ様の魔法でイチコロだ。あの娘を落ち着かせて、オレ様のもとに連れてこい。簡単だろ? 牛の在り処を教えてやるとかなんとか言えば、考えなしについてくるさ」

「牛を返せば、お礼で話せそうですけど」

「そんなめんどくせぇこと出来るか。沼底の連中をどう説得するよ」

 旦那様はひと息つき、馬上で胡坐をかく。酒瓶をとり出し、ひと仕事終えた農夫みたいに、ぐびぐびと喉を潤し始めた。うふぃーと満足げに唸り、濡れた口を裾で拭う。さっさと行けと目配せする。腹立たしい。誰の婚活だ。肯定しかゆるされない僕は、もちろん肯定する。葦の原っぱへ、馬を走らせた。

 牛飼いの娘から離れた岩影に着地し、葦を踏みつける。

 さて、どう命令を誤魔化すか。

「死にたいの?」

 間近で問われ、跳び上がる。ミースが影のように背後に現れた。風でケープが飛ばされないように、裾を握っていた。

「左腕、動かないんでしょ? 明日はお腹まで侵食されるよ? 明後日には左半身が犯され、一週間もすれば、心臓が硬化する。その前に肺が詰まって死んでるかな? わかんないけど。とにかく、すごく危険」

 僕は発言の意図を汲みかねて、つい期待してしまう。

「えっと……、心配してくれてるの?」

「違うよ」

 ばっさり言われると、つらい。

「わたしは本物が知りたいだけ。誰かの為なんてあり得ない。高身長も優しい人も魅力的だけどね、わたしが一番好きなのは、本物で行動する人だから」

 白雲がひととき流れ去り、夜空が晴れ渡る。

「アラン君の本物を教えてよ」

 その瞳に、嘘はなかった。

 善き隣人は偽りを嫌う。自分の快楽を優先し、周りの声には突き動かされない。ミースは約束があると僕を見捨て、旦那様は嫁を三人も欲しがる。本能に忠実に、我慢が欠落している。無関心か本物の二者択一だ。

 そんな彼らと接していると、秘密なんて馬鹿馬鹿しくなる。

「ちょっとした我儘なんだ」

 僕は葦の原っぱを泳ぎ出した。
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