第3話 とびきりかわいい嫁が欲しい

文字数 2,813文字

 その背丈は僕の膝に満たない。三角帽子を被り、帯状の金のレースを主役みたいに肩にかけている。自分の頭と同じくらい大きな靴を履き、歩くたびぱかぱかと音を立てた。銀の留め金が砂埃に汚れている。顔の皮膚は乾燥し硬くなり、細まった目はぎらついていた。

 ミースはキッシュの咀嚼に身命を賭して、抗わない。老いた小人は出口に向かい、下卑た笑いを浮かべる。周囲の隣人は踊りや賭け事に熱中するばかりだ。略奪者を咎めない。そもそも、そんな生き物ではない。

 僕は厄介ごとに巻き込まれたくなかった

「いやいや、それはないでしょう、隣人さん」

 体は勝手に動いていた。進行方向を塞ぐ。

「一目惚れにしても、順序がありますよ。一方通行の愛は誰の為にもなりません」

 老いた小人が嘲笑する。

「オレ様に口説き落とせない女なんていねぇんだよ。住まいに連れ帰ってから、じっくり愛を語るのさ」

「ここで語って、ここで審判を受け入れてください」

「オレ様に難癖つける気か? たかが人間の分際で、生意気な」

 ガンコナーが煙を吐き出す。僕の頭のまわりで、魔法陣のように円を描く。煙草の薫りは甘く豊かで、香る熱が顔を焦がした。小さな体、グレイパイプ、羊飼いの娘や乳搾りの乙女をたぶらかす軟派野郎。怠惰な口説き屋・ガンコナーに目をつけられるとは、僕もミースも運が悪い。

「食事の邪魔する隣人さんは、嫌いだよ」

 食べかすを頬に付けたミースが、腕を高く伸ばす。その手のひらに光が集まり、握りしめれば、左右に均等に伸びていく。手首を返せば光の線が確定し、刀身と同じくらい長い柄が実体化する。つばから伸びる二つ目の柄を掴めば、三ツ山の頂を一閃で刈るという神話の宝剣カラドボルグが顕現する。

 自分の体の倍はあろう宝剣を、ミースは軽く振り回した。

「うぉおい、危ねぇなぁオイ!」

 ガンコナーは猫のように飛び退き、ミースを手放す。宝剣が煙を切り刻み、ミースは身を翻して着地した。ゆっくりと立ち上がり、宝剣の刃を煌めかせる。その力強い立ち姿に、ガンコナーの興奮は高まる一方だ。

「反抗的な娘は嫌いじゃねぇ! でなけりゃ退屈だからなァ! なあ嬢ちゃん、あんた、岩だらけの谷合は好きか? オレ様の嫁は特別だ、やわらかな苔をこそぎ取る権利をやろう!」

「嫁ねえ。その思い、本物かな?」

 発散した煙が細長い水晶となり、ミースを襲う。ミースが軽く宝剣を振ると、旋風が水晶を砕いた。星屑の雨。ますますそそられらぁ! ガンコナーの口説きに、ミースは微笑む。汚い歯、息が臭いね。思ったことを思った通りに言い合う。躊躇も忖度もない。一かゼロか、結婚するかしないか、生きるか死ぬか。

 善き隣人にとって、いまの気持ちだけがすべてだ。

 グレイパイプと宝剣で首を狙い合う。両者の瞳に慈悲はない。いずれ殺し合う未来が見えて、僕は会話に割り込んだ。

「落ち着きなって。対立しても時間の無駄だから。自分の感情ばかり目を向けても、欲しいものは手に入らないよ」

 ミースは無関心に言った。

「まだいたんだ」
「まあね」
「どうして? それ、深入りじゃないの?」

 僕は嘆息する。

「仕方ないでしょ。君が意に反した結婚を迫られて、放っておけないよ」

「なんの話?」

「なんのって、友達じゃないか」

 言ってからなぜか顔が赤くなって、ちょっと俯いた。

 出会えば普通に話したし、二人で古城も探索した。一角獣の王子を追って、共に野を駆けたこともあった。隣人が友達という概念を抱いているかは知らないが、せめてそれに類するものと認識されたい。

 でないと、なんだ、さみしいじゃないか。

「友達……」

 ミースは考え込む。宝剣の切っ先は下がり、目の焦点がぼやける。その反応は、どんな感情の表れなのだろう。僕は妙に緊張し、ズボンで手汗を拭う。

「四辻で待ち合わせしてたんだった」

 宝剣から手を離す。宝剣の輪郭は曖昧になり、色彩は白い光に溶けていく。宝剣を形作る光は弾け、光の粒粒が周囲に飛び散った。満点の星空に包まれたような、幻想の光景に魅了され、僕はしばし惚ける。

「じゃあそういうことだからー」

 眩しくて、僕もガンコナーも反応が遅れた。ミースが明後日の方向に立ち去る。あっという間に隣人たちの中に紛れ、姿は見えなくなった。

「……」

 美男美女の集団がハープを奏でる。浮遊霊が床を踏み鳴らせないと地団駄を踏む。わしの酒を呑んだ呑んでないと、翼竜と蛇がハーリングのスティックで殴り合った。その場の気分で態度をころころと変えるのは、善き隣人の悪癖の一つだ。

 僕は颯爽と手を挙げる。

「では僕も行きますね。お嫁さん、見つかるといいですね」

「よくもオレ様の婚活をふいにしたな?」

 頭を囲う煙の輪が収縮し、額と後頭部を強烈に圧迫した。脳味噌を絞り出さんばかりの締めつけに、泣き叫んで実際に涙が出る。外すべく輪に指を入れようともがく。入らないし外れない。暴れる。足をバタつかせる。冷静な頭がダメだと白旗を上げる。

 ミースめ。
 どうせなら僕も連れていって欲しかった。

「なぁ、お前さん。わかるか? オレ様はな、もう結婚適齢期なんだよ」

 ガンコナーは悲劇のヒロインになりきっていた。

「さみしい夜は風が身骨に響くし、月と晩酌しても面白くもなんともない。昨日今日口説いただけの娘じゃ短すぎる。次の千年を連れ添うかわいい嫁が欲しいのさ。灰色の谷合に春が萌ゆるような、とびきりかわいい嫁が欲しかったんだよ。……だってのによぉ、てめぇのせいで全部台無しじゃねぇか! あと一歩だったろ!」

「あはは。全然一歩じゃないですよ。エーレ国一周分は遠かったです」

「黙れ!」

 怒声と共に煙の高波が押し寄せる。煙は服を透過して肌に纏わりつき、染み込み、血流に混じった。鼻も口も覆われ、いかにも人体に有害そうな、焦げた味を舐めさせられる。いくら咳き込んでも除去できず、肺に煙が充満していく。

「それが報いだ。アラン・フリール、オレ様の家来になれ」

「ふざ、けるな……」

「なあに、問題ねえ。お前さんが従順に振る舞う限り、オレ様も悪いようにはしねぇさ。なにせ、オレ様は良いご主人さまだからな! 嫁候補は三人、どの娘も若く生きがいい――そそられる体をしている。いっそ全員もらっちまうか! がははは! お前さんはオレ様に付き従い、オレ様の婚活が成功するまで、嫁をだまくらかす手伝いをするのさ」

 そんな非道に誰が手を貸すか。金銀財宝でもちらつかせるつもりか。相続は千年以上先だぞ。そんな抗議も、煙満ちる口では声にならない。

 思考がぼやけ、足の感覚が消える。煙が頭を固定しているから、倒れることもゆるされない。最悪だ。こういう危険が妖精譚には満載だから、深入りは避けたかったのに。衝動的と善き隣人を非難する資格は、僕にはないのかもしれない。

 いつもこうなる。大体いつも、ミース絡みだ。

 生き残ったら、真っ先に文句を言おう。

 そう思い、そして意識が途切れた。
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