黒 三

文字数 1,503文字

 懐かしい事を思い出した。ぼんやりと青年のいる方を見ていたが、ばさっと翼をはばたかせ、青年のいる場所へと飛び移る。

「よく思いついたね。ありがとう」
「いえ、また賭けでやってしまいました」
 九朗(くろ)咒法(じゅほう)を解くと、羽根がはらはらと消えていった。
「咒法を使うときは山伏装束を着るんですね」
「うん。身を清めていないと飲み込まれるから」
 青年は化身術については詳しくないが、その言葉でリスクを伴う咒法なのだと分かった。
「役に立ててよかったです」
 青年の言葉に淡い記憶がよみがえった。九朗は目の前の自分より背の高い頭をぽんぽんと撫でる。子供に返ったようで、青年は少しくすぐったかった。

(そういえばこの装束に焚かれいるお香の匂い……)

「もしかして、あの時比叡山から俺を運んでくれたのは九朗さんですか?」
 いつも切れ長で涼しい九朗の眼が丸くなる。気を失っていた青年がどうして気付いたのか九朗には分からなかった。
「そう。その後、大紀(だいき)(なぎ)が比叡山に駆け付けた」
 九朗さんだけじゃなく、大紀さんや薙さんまでも。俺の命を助け、比叡山を助けてくれていた。青年はただ無力だったあの時の自分を思い出し、唇を噛んだ。

「じゃあ、俺はまだ後処理があるから行くよ」
 九朗は翼なしでもぴょんぴょんと壁をつたって、下へ降りていってしまった。
 早くもっと力を使えるようになりたい。青年は九朗の後ろ姿を見送っていた。


 しんと静まり返った寮には、月の柔らかい光が射している。青年は静かに縁側を歩き、部屋へと向かう。しかしその途中で足を止めた。

清與(きよ)はさ、外で寝るのが好きなの?」
 独り言のような声でつぶやく。
「今日は空気が澄んでて気持ちいい」
 縁側に寝そべる清與。眠っていて返事は返って来ないと思っていたので驚いた。
「ごめん、起こしちゃったね」
 いやいい、と清與は言ったが、横になり目を瞑ったままだった。
 青年がそばに座り込む。

「俺が初めてここに来た時」
 そう青年が話し出すと、清與の体が少し反応を示した。
「みんなが助けたヤツが、どうしようもなくうじうじしたヤツだったから、腹が立った?」
 あの日の清與の悪態を思い出す。
 答えはない。たぶんイエスだ。
「みんな全然教えてくれないんだもんな」
 相変わらず清與は目を閉じたままだ。
「お前が今後どうするか、変な同情や借りで決めてほしくなかったんだろ」
 助けてもらった上、気を使われていた自分に対し、自嘲気味に笑う。
「お前はよくやってるよ。大丈夫だ」
 清與の「大丈夫」が心に染みる。でももう隠れたり守られたりしたくなかった。青年は深く深呼吸をする。

六辻泰時(むつじやすとき)。俺の名前です」

 清與の眼が薄く開く。
「六辻泰時――。いいのか? 名前はお前を縛るぞ」
「そうさせたのはここの皆だよ」
「それは悪かったな」
 清與の笑顔が小さくこぼれた。
 泰時はこの場の空気がむずがゆく居たたまれなくなり、「じゃあ」と言い残してその場を去ろうとした。

「お疲れ、トキ」

 嬉しい。名前を呼ばれるのは、こんなにも嬉しい。自分が初めてそこに存在しているような感覚だった。
「お、おつかれ、清與」


 泰時は自室に戻るため少し歩きだしたが、やはり気になって振り向く。
「ところで、なんで清與は女の人の膝枕で寝てるの?」
 人型の紙を使った擬人式神。式神の女性はほほほと雅に笑う。
「高さが丁度いい」
「だからって……」
 清與はいよいよ面倒くさそうに寝がえりをうつ。
「わかったよ、こんどは犬とか男にする」

「そういう事じゃないんだけど」とぐちぐち言いながら去っていく泰時の足音を、清與はじっと聞いていた。

「六辻か……。騒がしくなりそうだな」
 清與は再び目を閉じ、眠りに落ちた。
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