戦 八

文字数 2,390文字

「やっぱり長時間の妖鴉(ようが)への変化(へんげ)は辛いんじゃ」
「確かに、ちょっとね。でもあと少し、少しだから」
 向かうは北が最後の地。船岡山(ふなおかやま)は旧平安宮(へいあんきゅう)にも近く、鴨川からの距離もさほど離れていない。しかし大蛇の出現によって隠が勢いを得ていることが厄介だった。
「俺が残り持っている式神は玄武だけです。防御には強いですが、攻撃には使えません」
「うん、出来るだけ隠を避けて進むしかないね。天鼓雷霆を撃つのも難しいかも」

 スピードを上げて突き進む。すると折もあろうに前方に数体の迦楼夜叉(かるやしゃ)が向かってくる姿が見えた。空を飛ぶその鬼は二人を見ると(くう)を切り向かってくる。
「このタイミングで! 九朗さん……」
 九朗が宙で止まり鬼を引き付ける。泰時は九朗の背中越しに大きな覚悟を感じた。そしてその感覚がとても怖かった。薄く目を閉じた九朗が肺いっぱいに息を吸う。

「――“天鼓雷霆(てんこらいてい)”!」
ほとんど咒力も残らない体で(いかずち)を撃つ。引き寄せられた鬼たちに放電が襲い掛かり焼ききる。
――どうか!
 泰時が心の中で祈る。隠が焼かれた辺りには黒い煙が立ち込める。数体の鬼が焼けこげ落下していくのが見えた。九朗が間髪入れず黒煙を突き進む。ほっと胸をなでおろした泰時に衝撃が加わった。煙の中から現れた一体の迦楼夜叉が泰時たちを追撃する。
(一体残っていたのか!)
 九朗が翻り鬼と対峙する。
「油断した!」
 すべて祓えたと思っていただけに、突然の襲撃に対応が遅れる。飛び込んでくる鬼を躱そうとするが鬼のスピードが上回る。襲い掛かる鬼が九朗の翼を狙った。

「――しまった!」
 九朗の片翼が千切られ、二人が落下する。地面に叩きつけられる泰時と九朗。引き裂かれた翼ははらはらと宙に消えていく。九朗の体に残った片翼も黒い砂塵のように風に流され消え去っていく。泰時が苦しみ呻く九朗に気付くと慌てて起き上がる。
「トキ‼」
 駆け寄ろうとする足を九朗の声が止めた。未だ起き上がれずにいる九朗が泰時を見る。その目は九朗が言わんとすることをすべて語っていた。泰時がじりっと一歩下がる。一歩二歩と下がる度、身を切られる思いがした。息が上がる。胸が締め付けられる。腹が気持ち悪い。そして更には大蛇の唸り声が地響き、肌をおぞましくなぞる。
「北には清與(きよ)がいる! トキ、行け!」
 空には未だに迦楼夜叉が旋回している。しかし数人の法師が走ってくるのが見えると泰時も九朗たちに後を託すと腹をくくる。泰時は奥歯を強く噛むと走り出した。
(もうすぐ、もう少し!)
 振り返ることはなく、一散に駆けた。


 京都を一望できるほどの山の中、()()から街を見下ろす影があった。
「高みの見物かの」
 影に土岐田が近寄る。僧衣の下に着込んだフードを深くかぶったそれは振り向くことはない。
「なんやじいさん、まだ生きとったんかいな」
 太夫衆の(かしら)であった。不気味に静かに佇む男の横に土岐田が並ぶ。その傍では右鶴(うず)が短剣に手をかけ構えていた。
「ああ、それは荒立(あらたち)家のお嬢さんやね。警戒しなさんな、ここではじいさんを襲ったりはせえへんよ」
 土岐田が手を上げ、構えを解くよう右鶴に合図する。
「お前さんら太夫衆(たゆしゅう)が何を考えとるのかはだいたい分かっておる」
 フードの男は顔色を変える事無く京都の街を見続ける。
「じゃがな、若いもんを傷つけるのはやめてはくれんか」
 表情を崩さなかった男がふっと鼻で笑う。
「今更、都合のいいことで。あんたらが俺らを蔑ろにしたツケが回って来とるんやろ」

 日が落ちて来た山の中は暗く、風に吹かれた葉がこすれ合いざわざわと音を立てる。言い返すことのない土岐田に頭は再び嗤う。
「俺ら太夫衆はずうっと待ってたんよ。四神が一人の隠儺師の体に仕えとると聞いたときには好機と思うたんやけどなあ。その一人を潰せばよかったんやから」
「まずは対話を求めるべきだった。あなたたちに同情はできない」
 右鶴が深沈と男に咎めるような視線を送る。
「対話! 荒立のお嬢さん、隠儺師のようにのどやかな世界じゃないんよ。代々人の咒いにふれ、呪詛を使い。呪詛返しに合うもんは少なくない。そんな俺らを見て見ぬふりしてたんはどっちや。こちらが人の(えん)を請け負う間、そちらは怨を晴らして大活躍? こちらから言葉を吐かないのが悪い? 俺らにもプライドっちゅうもんがあんねん」
 男が一通り吐き終わると辺りの空気は静まり返る。
「……すまなんだ。儂らも、儂らの先祖もじゃ。ヒトの咒いは太夫衆が請け負って当たり前と思うておった。それでいいと思っておったことには間違いない」
 男が下唇を噛むと、土岐田に背を向ける。

「強きが弱きに手を差し伸べるのが筋だった」
「は! 言うてくれるね、お嬢さん」
 右鶴の目は悲しみを帯びていた。憐れみでもない、怒りでもない。こうなってしまったことがただただ悲しかった。
「間に合わせに謝られてもなあんも響かんわ。なんにせよ、大蛇が完全に覚醒すればこちらの勝ちや。隠を扱うのは太夫衆の得意分野やからなあ」
 どことなく自虐的に聞こえる言葉だった。
「しかしもう少しで方陣は完成する。そうなればお前さんたちの陰謀も崩れる」
「陰謀! ほんっま笑わせるなあ、じいさん。いかに自分らだけが正義と思うてるかが分かるわ。大蛇を鎮める咒符は使えるんか? あの四神持ちはもつんかいな。せっかく特等席で鑑賞しようと思うとったけど、あんたらがおるんじゃ気分悪いわ」
 嫌味をひとしきり吐くと男は山を下り歩き出す。
「隠儺師は負けん。じゃから、これが終わればこちらから出向かせてもらおう。儂らは話し合いたいと思っておる」
 男は立ち止まることなく、振り返ることなくその姿を暗闇の中へと消した。
「すまなんだ。どうか、どうかあの子たちを守ってくれ」
 土岐田が頭に詫びの言葉を投げる。それはもう届く事はなかった。そして天に祈る。悲しみに満ちた顔で土岐田と右鶴が京都の町を見守った。
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