進 三

文字数 1,673文字

  庭に降り立ち、子供の俺と対峙した。少年は目の前に現れた大人になった自分自身に驚く様子はない。
「俺の父さんが記憶を隠していたのか。俺と六辻を守るために」
 少年の頭をぽんぽんと撫でる。
「――白虎たちと話をさせて」
 小さな俺が頷ずく。すると白い虎が俺たちの前に姿を現した。
「大切な記憶を隠してしまっていてごめんなさい。力を押さえつけていたのは

だったんだね。今外の世界に出て、たくさんの(おぬ)を見て来た。隠は罪のないヒトを喰らい、傷つけていた。今俺は、ヒトを助けたい。助ける力が欲しい。周りを傷つけないために、君たちの力を貸してほしい。隠を撃てる力を」
 こちらから式神たちの力を押さえつけておきながら、都合の良い話だと思う。式神たちはこんな主をどう思うのだろう。
 しかし白虎が近寄ってくると、自らの頭を俺の手の甲に擦り付けた。
「――うん、君たちとの約束は忘れない。絶対に」
 俺たちは

を結んだ。

 用がすんだら、戻らなきゃ。すると少年が俺の手を握る。
「寂しいのは分かるけど、俺は帰らなきゃ――っ」
 少年の手から強い感情が流れ込んでくる。血管が拡張するようにざわつく。
『今までずっと気を張っていたんだ。そろそろ疲れた。休みたい。戦うのは怖い。帰れば隠との戦いが待っている。怖いのは嫌だ。ここならずっと平和に暮らせる。このまま戻らなければ、ずっと平和に――』
 思ってもみない心情が湧き出てくる。いや、これは俺の心の奥底の願望なのか。
 ここは俺の心の中。果たさなければいけない責任や義務より、欲望や願望が強く体の中を流れる。
『もう少し、いや一晩、気が済むまでここにてもいいのではないか。もしかしたらもうすぐ父さんと母さんが帰ってくるかもしれない。会いたい。今までのことをたくさん話したい。
 そうだ、もう少しだけ』
 気持ちが殻の中へと潜り心を閉ざしていく。抗うのを止めようとした時、ひらひらと空から何かが落ちて来た。それをぱっと掴み取る。桜の花びらだ。

 桜の花。縁側。奥座敷での朝ごはん。俺の名前を呼ぶ声。みんなの笑顔。
 ああ、恋しい。

 思い出した光景は悲しく辛いものではなく、どれも楽しくあたたかいものだった。責任や義務よりも、平和に暮らしたいという願いよりも、強い思いが俺にはあった。

 俺は恋しい。広目(こうもく)寮が恋しい。
「みんなと一緒に戦いたい」

 そっと少年の手を離す。
「辛くても怖くても、俺には今心強い仲間がいるんだ」
 小さな俺が安心したように()む。白虎は少年の傍に寄り添い、俺を強く優しい眼差しで見送ってくれた。



 泰時(やすとき)が目を覚ますと、そこは暗い部屋の中だった。
 握った手をほどくと、桜――ではなく、一片の紙切れが手のひらからこぼれ落ちた。
 開いた障子の外には、この季節には相応しくない桜の花が、青葉に交じり咲き乱れていた。
 縁側に腰を下ろす清與(きよ)の後ろ姿が見える。泰時が部屋の外へ出ると、桜の木の下では(ほのか)たちが酒を飲み交わしている。酌をするのは、いつか清與の膝枕をしていた式の婦人だ。
 そしてその場には晶馬(しょうま)土岐田(ときた)まで同席していた。酔っぱらっているのだろうか、洸と大紀は肩を組みながら楽しそうに杯を交わしている。

「おう、やっと起きたか」
 清與の声が、目の前の光景が、やはり泰時には一番心地よかった。故郷の淡い幻想に浸るより、自分が共有できなかったこの時間が惜しかった。
「みんなもっと俺の事心配してるかと思ったんだけど」
「あぁ?」
「ねえ、どうしてこんなことになってるの?」
「見たらわかるだろうが」
「だから、俺が寝てる間、どういう流れで、こうなったの」
 清與が不可解なものを見るように泰時の顔を見る。
「なんでお前が不機嫌なんだよ。めんどくせえな」

 清與と泰時のやり取りに気付いた洸が、素面(しらふ)に戻り大紀の手を払いのける。
「泰時、戻ったか。それで、前に進めたか?」
 洸の言葉に、晶馬、大紀、そして土岐田が反応した。
 泰時が洸を正面に見据える。

「はい。洸さん、俺に式神の使い方を教えてください」
 泰時の眼は今までよりも凛々しく、迷いなき眼が曇りなく光っていた。
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