第5話 段ボールハウス

文字数 2,627文字

 正孝の頭の中では画期的な情報伝達ソースが構築されていた。例えば、東京タワーの上空に誰でも参加できる情報共有の空間を作る。そこに向って皆が思い思いの意見を発信し議論できる。そのコンテンツには文書だけではなく写真や動画も含まれる。
 電話や最近普及して来たファクシミリ技術では不足だ。これは特定の個人間に限られる。情報の中には公共性、汎用性が求められるものも多い。天気、地図、公共交通機関の時刻表、商品の値段や在庫、また、刻々と替わる株価だっていちいち電話ではなく、一目で観られれば、便利この上ないはず。
 もちろん個人間での通信にしても情報量が増える。声、文書だけのいわば点であったものが一日の面として写真や動画、グラフなども添付して交換し合える。
 社会や生活を変革する「情報革命」。これぞ正孝が目指して来たものだ。そのためには通信機器が必要となる。それはコンピューター。ただの演算機器ではない。培ってきた「アルゴリズム」によってプログラミングされ、また電気エネルギーを効率よく随所に伝えられる「半導体」によって、いま述べた通信機能を備えた完成型に近づいた。 
 勇んで、産声をあげ始めた携帯通信事業各社に素案を持ち込んだが鼻で笑われた。シリコンバレーでは同様な「情報革命」を競い合っている。日本には金があり余っている。最先端技術はその豊富な資金で買えばよい、その方が効率がよい。研究技術者には耐えがたいひと言だった。
 正孝は先に融資を申し出てくれた若者に連絡をとるも繋がらない。ひと月経って原因が分かった。この年の下半期で、39000円あった株価は30000円を割り込んだ。非常事態を叫ぶマスコミに、日銀を始めとする大手銀行の頭取や証券会社代表、財務大臣までもが「不沈空母論」を唱える。そんなはずはない、日本は大丈夫。
 だが確実に打撃を被った投資家も居る。若者も証券会社に大きな負債を背負い逃げたという。バイト先のディスコの顧客にも変化が見られた。またひとりと羽振りの良かった客が姿を見せなくなった。それでもディスコ自体は相も変らぬ大音響の嵐の中にあったが。
 この頃の正孝には、時流に乗れなかった悲哀を歌詞にした流行歌が脳裏を過る。

♪うまれた時が悪いのか
 それとも俺が悪いのか
 何もしないで生きてゆくなら
 それはたやすいことだけど…♪
                            「昭和ブルース/天知茂」

 正孝は結核を病んだ。建設業とディスコのバイトは両方休まざるを得ない。医師からは、過労と栄養不良と言われた。東京下町ゼロメートル地帯にある六畳一間の安アパートに万年床を敷き療養する。
 けれどお手伝いさんがいる訳ではない。日々の飯は調達しなくちゃならない。具合が良い時に近くのスーパーに出掛ける。この時代の栄養価の高い物とは言われても、卵と牛乳しか思いつかない。
 体重は10キロ近く落ちた。大学を出て起業を決意してから、はや10年が経とうとしていた。面白いもので体力の衰えと共に気力も失われてゆく。もうどうでもよかった。実家のある長野の両親は相次いで他界している。戻る処とてない。
 安アパートの家賃さえ払えなくなった正孝は、西新宿に集う、住む家を失った人たちの噂を聞きつけた。新宿西口のトンネルの通路沿いに思い思いの段ボール住居を構えて暮らしている。食糧は近くのデパ地下の試食品やらスーパーの廃棄物を漁る。何とかやって行けるらしい。
 躊躇いはなかった。夢も金も失った者の行く先だ。驚いたことに、投資を申し出た例の若者とそこで偶然に出会った。彼は、もう半年前から段ボールハウス団地の住人だった。全財産の紙袋二つを両手に持つ正孝を彼は自分のハウスに案内してくれた。

 彼にはまだ100万円ほどの隠し財産があるらしい。けれど知られれば債務者に持って行かれる。そのくらいならここで生活している方がマシというワケ。彼のハウスにはテレビ、ストーブ、扇風機など家電が揃っていた。驚いたことに最先端のコンピューターも持ち込んでいた。
「でも電気はどこから?」
 彼は頭上の電信柱を指さす。住人に元電気工事技術者が居て、電気の無断借用の配線を難なくこなした。お蔭で、どこの段ボールハウスにも電灯が点っている。
「ここには自分のような、あの金狂いの経済からの負け組やら、あんたのような時流に乗れなかった技術者も多いんだよ。まぁ、大半は、地方から出て来て働く先の失くなった日雇いだけどな。あんたには迷惑かけたから当分ここに居ていいよ」
 ここで暮らすノウハウを持たない正孝にはありがたかった。段ボールは紙と紙の間に空気層を持つ。それだけでに保温効果はあった。コンクリートの地面からの冷気もシャットアウトしてくれた。三日に一回は付近の銭湯に行く。もちろんこれは彼のおごり。
 一度銭湯に来ると、開店の午後三時から閉店の深夜零時まで過ごす。他に行く宛もない。不思議なもんで、ゆっくり湯舟につかると、それまでの嫌なことを全て忘れられた。日本猿やカピバラが一日温泉に浸かっているのもそのためかもしれない。そんなことも考える。この10年間で、今がもっとも贅沢な時間にも思える。
 段ボールハウスにはざっと200人ほどが暮らしている。あらゆることを諦めた人間の心にはゆとりが生れる。生に固執する訳でも絶望する訳でもなく、日々を淡々と生きてゆく。それだけで満足。欲得まみれの今までの日常よりは、遥かに恵まれている。
 世間は段ボールハウスの住人のことをホームレスと呼ぶ。メディアにも大きく取り上げられ、同情され、健康面やら真逆の衛生面を気遣い、行政や支援者も動く。そして生活保護施設に誘おうとする。でも、それはあなたたちの価値観。
 生活保護を受給し、施設に移るには、万事手続が居る。保証人やら緊急連絡先やら。残した家族に迷惑をかけたくない者は多いのだ。また、行政は一旦収容はするものの、次に再就職と焦らせる。これでは前の人生の繰り返しではないのか。これに不審を感じる者は多い。だから、このままでほっといて欲しい。人生の最後に「行旅死亡人」として迷惑をかけるその時までは…。
 ただ正孝の体調は悪化を続けた。時に咳き込み、痰に血が混じるようになった。健康保険証の有効期間はとうに切れていた。役所に駆け込めば、しかるべき支援は受けられるはず。ただ、郷里の祖母や妹に連絡が行き、迷惑をかけるので躊躇われた。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み