第11話 バブルが吹き込んだ革命

文字数 2,837文字

 デスクは早速飛びついた。灯にすぐに記事にするように催促した。この時代、裏を取るとか、人権に配慮するなんて考え方はなかった。早い者勝ち。勝つ事のみを追求する狂った時代だった。記事の間違いなんて誰も気にしない。傷つく人が出ることなんて気にも留めなかった。ただいち早く、突拍子もなく、オモシロオカシければ売れた。
 「3名不審死事件」は毒ガスによるものと判明。世田谷にあるオウム教団施設内の科学省化学部門で、秘密裏に〇大学理学部応用化学科の元研究員が製造したもの。それを農家が主に使う小型の農薬散布機で住宅地の風上で散布した。やがて風に流された毒ガスは付近の住民の元に達する。つまり、毒ガス・VXガスの有効性を試すためのオウムによる無差別殺人と判断される。
 週刊〇に掲載されたこの記事は、その年、最大のスクープとして大賞にも選ばれることとなった。シュウさんがパジェロの屋根に三脚を立てて望遠レンズで撮った写真。オウム施設内の建物から防毒ガスマスク姿で出て来る信者を捉えた1枚も最優秀報道カメラマン賞に輝く。
 この記事が出るまで警察は、未だ被害者たちの身辺調査に明け暮れていた。そして余りに進まぬ進捗状況に業を煮やし、今度は「愉快犯」の仕業との見方まで出していた。この記事で、世間は警察の体たらくを罵る。公安警察の面目も潰れた。
 一方、このスクープによって新興宗教団体「オウム真理教」が衆目を集めることとなった。衆議院議員選挙で、教祖の顔を模した被り物を付け、ヘンテコな歌、

♪しょこう、しょこう、しょうこう~、あさはら~しょうこう♪

 これまたオカシナ振り付けで踊っていた、風変わりな集団がそんな危険な企みを持っていたことに世間は驚愕した。テクノポップに大抵の男女が酔いしれていた時代に、いつの間にかこの集団は若い科(化)学者を集め、毒ガスを造っていた。
 社会は当然その目的を知りたい。VXガスなどの化学兵器などは聞いたこともフレーズだった。この若者たちは無差別殺人を犯して一体何をしたいのか? ここで初めて「オウム信者の被害弁護団」の口から「ポア」という言葉が出る。これは人を殺して現世より一段位の高い幸せの世界に送ってやる行為=(浄化)で、殺人を正当化、奨励するものだった。
 この教団の目的は、少なくても表向きには、地上に生きる全ての人類を浄化することだった。ための大量殺人兵器、化学兵器となる。しかし人類を死滅させてどうするのか? それには釈迦の生れ代わりし教祖に導かれた「オウムの民」の理想郷を創る、と解説された。そして、最後に、この「金に狂った格差社会」よりは遥かにマシと締め括られた。
 報道はヒートアップする。連日のお昼のワイドショーは「オウム」で持ちきりとなる。競って被害弁護団から人を招き「オウム」の所業を断罪する。しかしこの時点では、捜査機関の手は全く「オウム」には及んでいない。全て推測の域を出ない事柄だった。
 慌てて取り繕う「オウム」は独自に記者会見を開いて火消しに躍起となる。

「はて、その毒ガスに『オウム』とでも書かれていたんですかねぇ?」

 開き直る教団の広報部長。やがてお昼のワイドショーの主役に躍り出る。
 先の大戦から半世紀近く、平和ボケした警察は後手に回る。社会転覆、革命を狙うなどは予想外の出来事。ようやく三ヶ月後に教団内に強制捜査が入ったものの痕跡はゼロ。この頃には教団は、山梨県の人里離れた山間の地に本拠を移していた。

 灯の心境は複雑だ。この特ダネは自分で開拓したものではない。新宿のホームレスを取材していて、たまたま出くわしたもの。しかも狂乱の時代に振り落とされた不運な男女の、やるせないやり取りから生れたものだった。
 授賞式後にパジェロの中で、
「シュウさん、どう思う?」
 シュウさんは驚いたことに、貰いたての賞状を真っ二つに引き裂いてしまった。
「これはスクープとは言いませんね。たまたま、ゴミ箱から拾い上げたお話しが大化けした。すいません、ゴミ箱なんていって、彼らにも人権があります。ただこの記事のお蔭で、次の犠牲者は防げるんじゃないでしょうか…」
 けれど彼の予測は完全に外れることになる。「オウム」は発覚前に新たな化学兵器の実験をやった。
 それはあの「地下鉄サリン事件」。死亡者14人、負傷者6300人あまりを出した未曾有の無差別テロ事件。「オウム」は暴走し始めた。目的の為なら手段を択ばない集団に成り果てていた。
 それは教団内でも同じこと。細かなセクトに分かれ互いに監視しあい、少しでも教義に外れていると粛清(リンチ殺人)をした。遺体は教団内のあちこちの穴に埋められた。その数は不明。この内部分裂は、あさま山荘事件を引き起こした「連合赤軍」内でも起きていた。これらは古く共産革命時には当たり前に行われていたことでもある。その様子はドストエフスキーの『悪霊』に描かれている。
 革命という目的の為に集う人間は最初こそ共同意識はあるものの、セクトを作りお互いを監視  し、粛清を始める。それは他者に勝つことのみ目指す「狂乱の時代」と似て非なるもの。
 灯は新宿西口段ボールハウスの紅林の元を尋ねた。これで何度目になるか。彼はやはり「オウム」関連のお昼のワイドショーを観ていた。どこの段ボールハウスにもテレビぐらいある。好景気にこぞって新製品を買い、まだ使えるのに古いものは平気で捨てたから。
 ホームレスはそれを拾って来て電信柱から電気を盗んで使う。

 彼はやはり底冷えのする寝床に臥せっていた。以前よりも痩せた気がする。
「社会転覆、革命など出来るはずがない…」
 紅林は「オウム」の本質を早くから見抜いていた。だから大枚の研究費を積まれても教団に行くことはなかった。あれは金満の時代が格差・差別を産み、必然の結果として、それに対抗する集団が現れた。そんな風に教団を捉えていた。
 灯は紅林に端を発した特ダネによって貰った賞状を彼に見せた。
「わたし、英子さんを追い込んでしまった。教団はネタの出元を知ってると思います。英子さんの身の安全が心配です」
 いつものように時々咳き込みながら、紅林は金ぴかの絵柄に彩られた賞状を見つめながら、
「大丈夫。彼女はそんなにやわな女ではない。教団だって彼女の毒ガスを使ったってことは、その製造元を失くす訳にはいかない。
 彼女は何とか生き延びて、殺人の贖罪を果たす。そう約束した。
 ああ、この賞状は君の勲章だよ」
 灯には贖罪の意味するところが判らなかった。ただ聞くのは気が引けた。二人だけの約束なのだ。灯はもうひとつ大事な話しをしなければならなかった。
「お預かりしている原稿なんですが、うちの編集局長が300万円で買いたいと言ってます。それだけあれば、設備の行き届いた快適な病院に移れます。如何でしょうか?」
 本当は、あなたの身が心配です、と伝えたかった。
 ただそれが言えるのは、この世で英子さんだけだ。
 灯は唇を噛み締めた。
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