第12話 盗用される文学賞

文字数 2,507文字

 吉岡灯はこの日出社すると出版局長から内線があった。呼び出される用事はホームレス関連の記事のことだけだ。
 豪華な調度品に溢れた局長室に入ると、他にもうひとり、肩パット、ツータックスーツに、これまた流行のベルサーチの色鮮やかなネクタイ、金縁の伊達メガネをかけた人物がいた。どこかで見覚えがあった。
「こちらは榊原達也氏。知ってるだろ」
 コイツはいま売れっ子の作家だ。お洒落でセンシティブな不倫ものは奥様層に大人気。出版するものは全てベストセラーになる。映画化された同名小説も絶大な人気を誇る。だが、まだどの文学賞も得ていない。「無冠のベストセラー作家」と称される。
 灯はこの手の男性を好かない。洒脱な人が好みだ。3千円以上の衣類は一切身に付けない、シュウさんを思い浮かべていた。ただ彼は妻子持ち。灯は不倫には違和感を持つ。
「彼がホームレスの境遇に興味をもってねぇ。一度現地を視察したいとおっしゃっている。案内して差し上げて欲しい」
 灯はピンと来た。300万円の原稿買取とは、著作権も含まれると解釈されていた時代のこと。彼にこの作品を譲るつもりなんだ。そして今年の獅鷲賞をとらせる。はいはい、ようやく筋書きが分かりやした。
 灯は取材に同行する形ならばと了解した。すぐに、シュウさんに連絡しパジェロを回して貰った。榊原氏のピカピカの愛車シーマは駐車場に置き去りと相成った。この日産シーマは400万以上する高級車。なのに年間3万台も売れ「シーマ現象」と呼ばれた。
 薄汚れたパジェロの後部座席に収まる金ぴか作家さんは、ちょっと滑稽でもあった。シュウさんは終始無言。ただ、決して教授の元には案内しなかった。シュウさんにもこの計画は見抜かれていた。ホームレスの中でも特に見るに痛ましい場所に案内した。

 カースト制度(人間を階級に分ける制度)が色濃く残るインドには奴隷にも階級がある。最下級の奴隷をパンチャマ(不可触民)と呼んで嘲る。新宿のホームレスにもそのような区分けがあった。最下層のホームレスは新宿西口の地下道には入れない。
 飲み水が得られる新宿近くの小さな公園や高架橋の下にひっそりと暮らしていた。彼らには電化製品は皆無。シュウさんは彼らの段ボールを覗いてはひと声掛ける。そして僅かばかりの小銭を差し出した。中には中年の女性も混じる。顔は薄汚れ、長髪には埃やら蜘蛛の巣が引っかかっている。もちろん異臭も漂う。
 灯は、榊原氏に彼らとの対面を促したが、彼はパジェロを下りようともしなかった。所詮はそういう事なのだ。新宿の3つの地区を廻り終えたあと、金ぴかの榊原氏はタクシーで帰ってしまった。
「いいんですか? 灯さん、きっと局長に怒られますよ」
 シュウさんは知ってか知らずか、ホームレスに向ってシャッターを押し続ける。彼はひとりでジッとターゲットを待ち構える。特ダネを撮る時の慣わしなのだ。いつか彼に尋ねたことがある。
「トイレに行きたくなったらどうするんです? あと三度の食事の時とか?」
「それは仕方がない。その時のことは諦めるしかないですね。でも出て行ったら、いつかは帰って来る。その逆もありです。いつか撮れますよ」
 気の長い話しだが、それが彼の生業。
「いいんですよ。勝手に帰ったんだから。大体ホームレスの取材にあの金ぴかユニフォームはないでしょう。警戒されてしまう。自業自得ってヤツです」
 灯は舌をだした。
「しかし教授(紅林)さんは納得するんですか? 彼にせっかくの作品を盗られて…」
 灯は紅林の言葉を思い浮かべていた。

 ああ、いいじゃないですか。僕の名前じゃ売れない。それに彼はホームレスを敵視する側に組したりしないでしょう。それじゃ売れなくなるし、評判は上がらない。世情というのは常に判官びいきですよ。ホームレスたちにスポットライトが当たり理解も深まる。

 ただ心配なのは、無理やりの救済の方向に向わなければいいんですが…そのままほっといて欲しいんです。これが、現社会の産み出したものであり、隠すべきものではなく、あるがままを受け入れて欲しいです。さらに、彼らの人権を護り、見守るべきとの風潮が生まれると嬉しいですよね…。
 しかし本当にそうなるだろうか? お札を巻き散らし、ドンペリを片手にテクノを満喫する狂乱乱舞の申し子たちは、そんな貧乏くさい見たくもない、汚物をほったらかしにするだろうか。それこそ、まずは金で片付けようとするのではないか。
 ホームレスたちは平穏に暮らしたいだけ。夜露を避ける場所さえ拝借できればなんとかやってゆく。快適な住まいも恵まれた日常も要らない。一般の庶民と同じく自由な暮らしが欲しい。ただそれだけ。温かい豚汁の炊き出しがあれば列を作るし、不要な衣類の配布があれば喜んで貰い受ける。けれど、それは決して不幸せの証しではない。富める者も貧しき者もただなんとなく日常を過ごす。人生の大半はそんなものだ。ホームレスたちも当たり前の日常を過ごす。誰にも迷惑をかけずに。ひっそりと…。
 だけどだけど、金の泡(あぶく)から産まれたブランド品を身にまとった宝飾の民は、全世界にみっともないので彼らを隠そうとし出す。新宿西口のスカイスクレイパーには汚いホームレスは不似合い。保護施設に入れるとの名目で排除に乗り出す。その方が彼らの為になると、一方的な持論を展開しだす。それで世間も納得してしまう。ホームレスの人権は? また包帯に隠される。

 けれど、なんど排除されても彼らはまた舞い戻って来る。保護施設に収まる者なんて居ない。そこで行政は(天下の宝刀)を抜く。永久に戻って来られなくすればよい。
 そうして考え出されたのが、ホームレス通路に「動く歩道(エスカレーター)」を設置する案。ための10億円なんてのは、はした金。こうなれば意地だ。何が何でも新宿西口の地下道からホームレスを排除する。

 でも、実際に動く歩道を設置してどうなったの? ホームレスたちは、池袋、新大久保、墨田川堤防などあちこちに分散した。彼らは快適な立地を失い、野垂れ死ぬ者も多数出た。
 決して報道はされない、社会的弱者の末路。
 これはもはや大罪。
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