第2話 世情

文字数 1,963文字

「撮れた、シュウさん?」
 吉岡灯はカメラマン・河合修一(通称シュウさん)の隣で小型録音機を操作する。シュウさんの頷くのをみて、二人は書籍会館から抜け出し駐車場のシュウさんの車に乗り込む。
 車種は三菱のパジェロ。二代目となるこの車種にシュウさんは拘る。
「コイツは頑丈でどんな山道にでも入れる。滅多に故障しない。それに屋根にも上って撮影出来る」
 彼は〇大芸術学部写真科を卒業後、当時一世を風靡したスクープ雑誌のカメラマンになった。スクープカメラマンの草分け的存在。あの日航機墜落事故にも一番乗りを果たした名うてのカメラマンでもある。「ヘリから降りたら焼肉屋の匂いがした」は、ならではのシュールなひと言。

「だけど、こんなもん取材してどうするんです? あの中には灯さんの会社の編集長もいた。とても記事に出来るとは思えない。まぁ、灯さんさんが言うから付き合いましたけど」
「大丈夫。今に大スクープになるって。ご指摘の通りにすぐにはムリ。だけどこんな機会はそうはないから。タイミングがすべてとはシュウさんの口癖じゃないですか」
 灯は録音機の音声を確認する。
 二人はこれまでにコンビを組んで有名人のゴシップを中心にスクープして来た。とにかく「不倫」が大流行。ゴシップには事欠かない時代だった。また、政治屋さんや木っ端役人の贈収賄事件、県警による共産党幹部の電話盗聴事件や伊豆大島三原山火山爆発など社会事件も担当する。
 時代はまさに絶好調。GDP(国民総生産)はとうとうアメリカに次いで世界二位となる。当然の如く勤勉な日本人は働いた。ひとり当たりのGDPが世界第一位に輝いたのも、後にも先にもこん時だけ。あとは凋落を続ける。(現在世界30位)

 24時間働けますか? 

 この栄養ドリンクの宣伝文句が社会風潮となる。
 残業に次ぐ残業。超満員通勤電車。当時は通称「押し屋」なる職業まで産まれた。これは入りきらない乗客をなんとか車内に押し込む作業をする人を指す。チカンもセクハラもあったもんじゃない。働く女性も少なかったし認知もされてなかった。当時はそんな用語もなかった。
 家に帰らないサラリーマンも当たり前に居た。会社に寝泊まり出来ればよいが、犬猫のゲージのようなカプセルホテルも誕生し、勤労者は殺到した。
 働くんだから当然実入りは良くなる。給与は14%アップした。しかし諸物価も高騰。土地価は大都市を中心に3~4倍となり、地上げ屋なる商売も暗躍する。これは土地を安価に取得し高額に転売することを意図し、住人をあらゆる手を駆使して追い出すことを生業とする集団。多くは反社(暴力団配下)に属し、大音響による威嚇、深夜の訪問、糞尿の巻き散らしなど、人権など影も形もない。
 土地価がこんなもんだから庶民は住む処に困る。都心近くの新築公団住宅の抽選倍率は5700倍となる。大抵は通勤に2時間を要する郊外に住むしかなくなる。
 日経平均株価(流動性の高い225銘柄の平均)は39000円を突破し、民営化が決まったNTT株は売出価格119.7万円だったものが株式公開ふた月で318万円まで一気に高騰する。
 こうなると一般企業は主たる業績を上げていた事業より、株式投資に動く。日本経済は活況を呈し「Japan as No1」と世界から賛辞が届く。
 この時、誰もがこれは、勤勉に働いた報いだと信じた。バブル(泡あぶく)なんて言葉は冷静に日本を客観視していた外国人から名付けられたもの。日本にはなかったし、在っても誰も信じなかっただろう。ただ、実際にはベルリンの壁が崩壊し、天安門事件が興り、全世界が不安定化し、投資マネーが当時高度成長期にあった日本に集中しただけのことだった。
 株式の買収やインサイダー取引で莫大な資産を築いた実業家のひとりが、
 
 儲けて悪いんですか?

 この開き直り発言でマスコミを賑わす。この時、誰一人として、額に汗して働くのならばね、と言い返せなかった。そんな世情だった。
 1986年から10年あまり続いたいわゆるバブルで1400兆円が消えてなくなった。先の大戦の損失額800億円をはるかに凌ぐ額。ひとりまたひとりと俄か長者が大層な負債を抱えて消えて行ったのも事実。だが誰も明確な説明が出来ないし、庶民の大半が未だ幻想の中に居た。
 やっと現実のものとなったのは住専(住宅金融専門会社)破綻、長銀(日本長期信用銀行)、山一証券破綻、そこに端を発した相次ぐ都市銀、地銀の倒産。それはあまねく中小企業を押し潰した。街には失業者が溢れ、あちこちにホームレスが出没する。
 日本経済の凋落のはじまり。「Japan as no1」としての「Maid in japan」は地に落ちた。
 だが、微笑む者たちも居た。株式投資で急速に教団を拡大した「オウム真理教」だ。 
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