第13話 泡あぶくに消えゆく

文字数 3,889文字

 〇〇回獅鷲賞が発表された
 受賞作はやはりE社の出版物から、
 その題名は
    「大 罪」
                    著者・榊原達也
 そのあらすじ
 バブル期に社会の潮流に乗れなかった若き数学者と、やはりバブルが産み出した新興宗教〇に絡めとられた、彼がほのかに思いを寄せる女子。彼女は彼の想いをしりつつ、大人の男性への一時の憧れから大学の先輩のいる教団に入信してしまう。しかしその先輩の周りには複数の女子が居た。狂い始めた歯車。数学者は借金にまみれ、新宿の段ボールハウスに。そこで同じ境遇の者たちとの友情を深め、ホームレスたちの意思を代弁する立場となってゆく。しかし病魔が襲い、死は目前に迫る。新興教団は密かに社会の転覆を画策し、彼女は先輩に騙されて図らずも悪魔の兵器(毒ガス)を造ってしまう。絶望する彼女。そこに身を案ずる、袂を分かった数学者からの手紙が届く。彼女は本当の愛を識ることになる。もう二度と交わることを許されないふたり…。

 選考委員会評
 …溢れ出る金に満足して、将来の技術革新への有能な人材を育てようとしなかった。またその優秀な頭脳を集めた新興宗教教団からの世界史上初の無差別テロを許した。この浮かれた能天気なバブル期は日本の将来に必ずや暗い蔭を落すだろう、と痛烈に世情を批判した…
 ふん、どこかで聞いたような言葉たちが並んでいる―

 E社の巧みな宣伝手法も手伝って瞬く間にベストセラーとなった。
 この瞬間をシュウさんは狙っていた。作品の盗用と大手出版社の獅鷲賞を巡っての談合を暴露した特ダネをC社雑誌に掲載した。下手に、スクープを載せると宣伝効果で売り上げを煽ることになる。それを嫌ったのだ。そして絶好調の時にネガティブキャンペーンを張って貶める。
 この特ダネも大いに反響を産んだ。お昼のワイドショーは連日、このネタを取り上げた。「オウム」関連の話題が下火になっていたこともあり、視聴率は20%代を獲得する。

 日本最高峰の文学賞を巡る大手出版社の談合とその選考の在り方に疑問を呈した。
 メディア各社は今度は一旦「オウム」から離れて、獅鷲賞の榊原達也氏とE社をはじめ出版大手に向う。メディアがマスコミを取材する。ほう、世間は面白がった。まだ、庶民は狂乱のバブルの余韻の中に身を浸している。このバブルをいくら蔑んだって生活が豊かなんだからそれでいい。どこか浮世離れした遠いお話しとして「段ボールハウス撤去」や「出版社の談合」を見ている。
 そんなことより、

 ダイヤモンドだね
 恋人がサンタクロース
 わたしをスキーに連れてって!

「おい、いいか。アイツを二度とカメラマンに起用するんじゃないぞ!」
 これは我が社のデスクと出版局長の言葉。灯は舌を出す。そんなこと言ったって、特ダネを持ってくればベツ。すぐに猫なで声を出すくせに。なもんだ。
 
 灯とシュウさんは、この記事が出る前に、紅林を出版健保の保養所に誘った。事情を話すと、すぐに納得してくれた。つまり盗用先はすぐに調べがついて、この段ボールハウスが取材の拠点になってしまう。
 パジェロで河口湖畔の温泉施設に連れ出す。灯にはもうひとつ目的があった。ここと「オウム」の拠点がある山梨の山間の村とはすぐ近く。何とか後藤英子を連れ出して来ようと画策していた。
 潜入取材ならお手のもの。シュウさんから手ほどきを散々に受けていた。しかも女子は目立たない。夜明け前に三メートル近い、鉄柵から施設の屋根伝いにオウム施設に潜入する。一旦、施設内に入ってしまえば怪しまれない。厳重な警備体制にみな安心しきっている。
 灯はどこかオウム服に似せた白の上下を身に付けている。怪しむ者など誰もいなかった。2、3人に場所を聞いて科学実験棟に向う。

「あなたはこの前の?」
 後藤英子は灯りを覚えていた。灯は事情を説明する。決行は今夜。シュウさんはパジェロでずっと待っててくれている。彼の得意技。英子は二つ返事。日没を待って来た道を英子を伴って辿る。
 二人は五年ぶりに温泉施設の一室で顔を合わせることになった。
 記事にしないものは見ない―
 これに限ります。シュウさんの言葉通りにロビーで待つ事にした。部屋に残した二人の様子が気になりもしたが、襲って来る睡魔に根負けする頃に英子は姿を現した。
 泣きはらしたあとの虚ろな眼付きをしていた。紅林氏はもう長くは持たない。もう帰らなくてもよいのでは? との説得に英子はきっぱりと答えた。
「私にはまだ最後に残されたことがあるのです。紅林も納得してくれました」
 そう言う彼女は不敵な笑みを浮かべていた。彼女はまたシュウさんの運転で教団施設に戻って行った。
 灯は紅林のことを気遣う。
「彼女はひたすら謝っていたよ。また後悔してるとも言った。僕の脇でずっと泣いていた。そんな彼女に僕は一体、なんと言えばいいんだい?」
 灯はちょっと考えて、
「はい、ただ抱きしめてあげればいいかと…」
 彼は、うん、とひとつ頷いた。
 それから、
「学識を世間に問えなかった科学者二人。私たちはこの世に何を残せるのだろう」
 彼は明け方から降り出した粉雪を見つめながら、こう言った。
 灯は思わず言葉を飲み込んだ。科学を生業にする者には言ってはいけない言葉。
 ―あなたはホームレスに身をやつして、彼らの人権を世間に問うた。こんな人は他に居ない。
 
 あ、そうそう。小説を見た紅林の感想は、
「何だか悲恋物語の主人公に祭り上げられた気分だよ。でも英子はそんな気持ちじゃないと思うよ。僕は好きなように生きたが、彼女は他人に利用された。やるせないよ。彼女を何とか自由にしてやりたい。この著作物がどんなに売れても、こればかりは無理だろうね」
 彼はひとつ溜息をつき、また最後にこうも述べた。
「この狂乱の10年は、折しも運悪く第2次産業革命とも呼ぶべき時期に当っていた。日本はただほろ酔い酒に浸って、何も成さなかった、ツケは必ずや将来に大きな代償を伴う」
 この言葉は奇しくも的を得ていた。日本はコンピューターやネットビジネスで致命的な遅れをとった。それはハイテク、IT産業と呼ばれ、その後の基幹産業となる。「Japan as No1」は今や32位となり下がっている。凋落する日本。 
 それだけではない。コロナでの3年間でついに日本製のワクチンも治療薬も出来なかった。これは何を意味するのか。医療学会ではその言い訳と、まもなく出来るとのフェイクニュースを出してお茶を濁した。100年に1度の厄災で医薬学界に注目が集まったが、他の分野も似たり寄ったりだ。
 酔いしれた10年はあらゆる分野で酔い潰れを出した。こうして世界に後れをとった日本。責任は誰に。政府は慌てて、得意のプロパガンダ作戦に出る。子供が好む宇宙ものだ。H2ロケット、宇宙飛行士、「はやぶさ」物語で先進国日本との幻影を見せつける。また、役にも立たないスパコンを世界一の演算能力と嘯く。

 数ヶ月後、紅林正孝は段ボールハウスで息を引き取った。亡骸は行旅死亡人として扱ってくれと言われていたがそうもいかず、紅林の実家に引き取って貰うことになった。やっと故郷に帰れる。灯はなぜか嬉しかった。
 紅林を紹介してくれた元投資家の男性と段ボールハウスの整理をすることになった。彼は段ボールハウスを譲ってくれていた。寝床の枕の下に一枚の古ぼけた写真を発見した。そこには紅林と後藤英子が並んで収まっていた。場所は何処かの研究室。紅林は大切に持っていたのだ。二人は未来に向かって微笑んでいた。 

 巨大な火の玉 大爆発!

 その時、山梨の山間にあるオウム教団施設で大爆発が起きる。灯には何やら予感めいたものがあった。それは紅林、英子の言葉。
 ―彼女は何とか生き延びて、殺人の贖罪を果たす。そう約束した。
 ―わたしには最後にやることがある。

 テレビには大きく燃え盛る教団施設が映し出されて「『科(化)学実験棟』が爆発炎上した模様。教団内での火の不始末が原因とみられる」とアナウンスが入った。
 後藤英子が爆発物で毒ガスを壊滅させたのだ。たぶん自分の命まで犠牲にして。のちの警察捜索では夥しい数のVXガスの解毒アンプルが発見されたそうな。彼女は立派に贖罪を果たした。

 二人は相次いでこの世を去る。
 「別の世界でまた一緒に研究が出来る」
 これもまた二人の言葉だった。

 そして最後に、
 紅林が持っていた株券らしきもの。それは、米国シリコンバレーとシアトルの小さなITベンチャー企業の新規社債だった。紅林と同世代の若者の名前は、ビル・ゲイツ、ポール・アレン、スティーブ・ジョブズ、ロナルド・ウェイン。


 90年代に入って模索していた米国 IT 事業は本格始動し、株価はみるみる高騰した。株券を託された、あの投資家の若者は、のちに日本を代表するネット通販、サイバーセキュリティ会社のCEOとなる。また、彼は紅林と約したことを実現する。
 それは、未来に投資する財団を造ること。若い科学者たちの支援をすること。その名前は「紅英財団」。やっと段ボールハウスの教授の名前を後世に遺すことが出来た。日本にあのバカげた狂乱のバブルが無ければ、紅英の研究はアメリカの「マイクロソフト」に匹敵していたはず。 

 すべては 泡あぶく に消えゆく―

                                  おしまい
 (この物語はフィクションです。個人や団体、その活動にモデルは居ません。但し「オウム真理教」の記述に関しては一部事実も含まれます。ご了承ください)
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