疑われる日(3)
文字数 3,177文字
「ちょっと何かこれ、おかしくないかな?」
気がつくと、教室中に響く声で言い放っていた。
クラスメイトたちの視線が、僕に集中する。皆一様に驚いた顔をしている。当然だ。僕はこれまで、人前で積極的に発言するタイプじゃなかった。
「プレゼント代は改めて集め直せばいい。それでもうこの件は解決なの? 違うよね?」
再び静まりかえった教室に、僕の声はいっそう響いた。
「ど、どうしたの? 的場くん」
気を遣ってくれたらしい、安在さんがそっと問いかけてきた。
安在さんは加納さんたちのフォローにかかりきりだった。そのため他のクラスメイト同様、小松原さんの心情にまでは気が回っていないのだろう。
今ここで、一番に小松原さんのことを考えられるは、僕しかいないんじゃないか。
「小松原さんの立場はどうなるの? 疑いをかけられた人の気持ちを、みんなは考えてみた? 誰かひとりでも小松原さんが今どんな気持ちでいるか想像した?」
お金を盗まれたのは大事だ。しばらくはみんなこの件に関して怒りや悔しさを口にするはずだ。それでもいつかはきっと、忘れられるだろう。
だけど、小松原さんは?
犯人の疑いをかけられた彼女の心には、今日の記憶が傷として残り続ける。例えかさぶたになっても、何かの拍子に剥がれ落ちては、痛みを放つ。
空気がゆるみはじめた教室の中で、小松原さんだけは未だ暗い目つきのまま、耐えるようにかたく唇を結んでいた。
彼女ひとりが苦味を呑むことで、クラスの平和が守られようとしている。
それこそ、許せないと思った。
「謝れよ」
加納さんたちに向かって、僕は言った。
「小松原さんに謝れ」
「はあ? 謝る? 何を?」
加納さんが眉をひそめた。
「疑ったことをだよ」
「それならうちら別に謝る必要なくない? 疑われるようなことした小松原さんに非があるんじゃないの?」
「そうだよ。小松原さんが普段からちゃんとしていれば、わたしたちも疑ったりしなかったし」
「ていうか的場なんなの、いきなり突っかかってきて」
「突っかかっているわけじゃないよ。大事なことだと思ったから言ったんだ。みんなの前であれだけ小松原さんを責めておいて、一言も謝罪がないのはおかしい。きちんと小松原さんに謝るべきだよ。今回の件で一番の被害を被っているのは、間違いなく小松原さんなんだから」
「ねえ、的場さあ」
なぜだか呆れた様子で、矢田さんが口を開いた。
「気づかないの?」
顎をしゃくり、小松原さんを示す。
「あんたが妙な正義感アピールしたせいで、逆に小松原さんは迷惑しているみたいだけど」
「え?」
「だってそうでしょ? 騒ぎがおさまって一番ほっとしてるのは小松原さんじゃん? それなのに的場がしゃしゃり出てきたから、小松原さんまた注目浴びちゃってるし」
矢田さんの指摘に、僕はぎょっとして教室を見回した。
クラスメイトは、再び小松原さんへと向けていた目を、気まずそうに逸らしていく。
「ていうかあ、うちらに謝れって言うほうがおかしくない? だってまだ完全に疑いが晴れたわけじゃないし。小松原さんが犯人じゃないって証明されてないんだよ?」
「証明されていないから、謝らなくてもいいってわけじゃないよ。矢田さんたちは最初から小松原さんが犯人だと決めてかかってたよね? それについて、悪いことしたなとかは考えないの?」
加納さんの舌打ちが聞こえた。
「ぐちぐちうるさいなあ。そんなに言うなら、的場が犯人見つけてみなよ。小松原さんが百パーセント黒じゃないってわかれば、わたしらだってちゃんと謝るし」
ほら良かったね小松原さん、的場が犯人見つけてくれるって。加納さんからそう声をかけられると、小松原さんは決まり悪そうにうなずいて、下を向いた。
僕を突き動かしていた怒りの熱が、急速に冷めていくのを感じた。
小松原さんの気持ちを一番想像できていないのは、僕じゃないか。
みんなの前で加納さんたちを糾弾したけれど、そもそも小松原さんはそんなこと僕に望んだか。
また要らぬことをして、僕は彼女を追い詰めたのだ。
押し黙った僕を見て、矢田さんは一瞬、戸惑うような表情を浮かべた。
そこで再び、安在さんが声を上げた。
「ちょっと、犯人捜しはしないって話だったでしょ」
咎めるような口調だった。
「真緒も矢田ちゃんもそうやってすぐ突っぱねたりしないで、もう少し相手の話を聞こうよ。わたし、的場くんは何一つ間違ったこと言ってないと思うよ」
それから僕のほうへと顔を向けた。
「的場くんは、真緒たちが勝手なこじつけで小松原さんを疑って、みんなの前で責め立てたことを怒っているんだよね」
「うん、そうだよ」
僕が返事をすると、安在さんはうなずいた。
「だけど今、的場くんが真緒たちにしたのも、同じことだよね」
「へ?」
「真緒たちは、小松原さんに対して悪いことをした。それは絶対謝らなきゃいけない。今このタイミングで、小松原さんの潔白を訴えたかった的場くんの気持ちもわかる。小松原さんも嫌な気持ちになっているだろうし。このままじゃいけない。だからこそ――同じ間違いをしちゃだめなんだよ」
そう言って、安在さんは加納さんのほうへ目をやった。
加納さんは何かを堪えるように、ぎゅっと唇を噛んでいる。
僕はそこで、自分の間違いに気づいた。
そうだ、さっき目にしたばかりじゃないか。
加納さんは集めていたお金が消えたことで、責任を感じている。そしていつクラスメイトから責められるかと不安にかられていた。そんな彼女の心中を、僕は少しでも気にかけたか。
小松原さんを優先するあまり、僕は加納さんへの思いやりを忘れていた。クラスメイトの前で「謝れ」などと責めた。
自分が許せないと感じたことを、そのまま加納さんたちに向けてぶつけていたのだ。
あまりの恥ずかしさに、今すぐこの場から消えてしまいたかった。
僕という人間は、いつだって独りよがりだ。
慌てて「ごめん」と口にすると、加納さんは無言で首を振った。
場違いなほど呑気な声が上がったのは、そのときだった。
「なあ、隣のロッカーは調べたの?」
声のしたほうを振り返る。
教室の扉の前に、通学鞄を肩にかけた裕司が立っていた。今さっき登校して来たばかりといった様子だ。それでも教室の雰囲気で、今の状況を察したのだろう。
「今揉めてるのって、昨日加納がロッカーに入れてた金がなくなったって件だよね? 違う?」
裕司は安在さんに向かって尋ねた。
「うん、そうだけど」
安在さんが訊き返す。
「隣のロッカーが何?」
「加納が使ってるロッカーの、隣の扉だよ。そこって確か空いてたよね? いやさあ、もしかしたらと考えたんだけど……」
のんびりと答えながら、裕司は教室の後ろを通って、ロッカーの並ぶ列に近づいた。それぞれの扉には、名前の札が貼られている。
「ごめん、ちょっと開けるよー」と断って裕司が開けたのは、加納さんの札がついたロッカーではなく、その隣の扉。札入れは空になっている。誰も使っていないということだ。
「慌ててたりすると、間違えて隣のロッカーに荷物突っこんじゃうことあるじゃん? あれ? そんなボケするの俺だけ?」
裕司がおどけてみせると、小さく笑いが起こった。
「まあ一応、この中を確かめてみようか」
裕司はごそごそと空きロッカーを探った。そして、
「おっと、まさかのビンゴ。あったあった、加納が探してたのって、この袋じゃね?」
チャック式のビニール袋を取り出すと、みんなが確認できるように高く掲げた。半透明の袋からは、小銭が透けて見えている。
加納さんは何度も目をしばたたかせた。
「うっそ、マジで……」
クラスメイトたちも呆気にとられた様子で、ビニール袋を見ていた。
小松原さんへの疑いは、完全に晴れた。
みんなのお金は、はなから盗まれてなどいなかったのだ。
気がつくと、教室中に響く声で言い放っていた。
クラスメイトたちの視線が、僕に集中する。皆一様に驚いた顔をしている。当然だ。僕はこれまで、人前で積極的に発言するタイプじゃなかった。
「プレゼント代は改めて集め直せばいい。それでもうこの件は解決なの? 違うよね?」
再び静まりかえった教室に、僕の声はいっそう響いた。
「ど、どうしたの? 的場くん」
気を遣ってくれたらしい、安在さんがそっと問いかけてきた。
安在さんは加納さんたちのフォローにかかりきりだった。そのため他のクラスメイト同様、小松原さんの心情にまでは気が回っていないのだろう。
今ここで、一番に小松原さんのことを考えられるは、僕しかいないんじゃないか。
「小松原さんの立場はどうなるの? 疑いをかけられた人の気持ちを、みんなは考えてみた? 誰かひとりでも小松原さんが今どんな気持ちでいるか想像した?」
お金を盗まれたのは大事だ。しばらくはみんなこの件に関して怒りや悔しさを口にするはずだ。それでもいつかはきっと、忘れられるだろう。
だけど、小松原さんは?
犯人の疑いをかけられた彼女の心には、今日の記憶が傷として残り続ける。例えかさぶたになっても、何かの拍子に剥がれ落ちては、痛みを放つ。
空気がゆるみはじめた教室の中で、小松原さんだけは未だ暗い目つきのまま、耐えるようにかたく唇を結んでいた。
彼女ひとりが苦味を呑むことで、クラスの平和が守られようとしている。
それこそ、許せないと思った。
「謝れよ」
加納さんたちに向かって、僕は言った。
「小松原さんに謝れ」
「はあ? 謝る? 何を?」
加納さんが眉をひそめた。
「疑ったことをだよ」
「それならうちら別に謝る必要なくない? 疑われるようなことした小松原さんに非があるんじゃないの?」
「そうだよ。小松原さんが普段からちゃんとしていれば、わたしたちも疑ったりしなかったし」
「ていうか的場なんなの、いきなり突っかかってきて」
「突っかかっているわけじゃないよ。大事なことだと思ったから言ったんだ。みんなの前であれだけ小松原さんを責めておいて、一言も謝罪がないのはおかしい。きちんと小松原さんに謝るべきだよ。今回の件で一番の被害を被っているのは、間違いなく小松原さんなんだから」
「ねえ、的場さあ」
なぜだか呆れた様子で、矢田さんが口を開いた。
「気づかないの?」
顎をしゃくり、小松原さんを示す。
「あんたが妙な正義感アピールしたせいで、逆に小松原さんは迷惑しているみたいだけど」
「え?」
「だってそうでしょ? 騒ぎがおさまって一番ほっとしてるのは小松原さんじゃん? それなのに的場がしゃしゃり出てきたから、小松原さんまた注目浴びちゃってるし」
矢田さんの指摘に、僕はぎょっとして教室を見回した。
クラスメイトは、再び小松原さんへと向けていた目を、気まずそうに逸らしていく。
「ていうかあ、うちらに謝れって言うほうがおかしくない? だってまだ完全に疑いが晴れたわけじゃないし。小松原さんが犯人じゃないって証明されてないんだよ?」
「証明されていないから、謝らなくてもいいってわけじゃないよ。矢田さんたちは最初から小松原さんが犯人だと決めてかかってたよね? それについて、悪いことしたなとかは考えないの?」
加納さんの舌打ちが聞こえた。
「ぐちぐちうるさいなあ。そんなに言うなら、的場が犯人見つけてみなよ。小松原さんが百パーセント黒じゃないってわかれば、わたしらだってちゃんと謝るし」
ほら良かったね小松原さん、的場が犯人見つけてくれるって。加納さんからそう声をかけられると、小松原さんは決まり悪そうにうなずいて、下を向いた。
僕を突き動かしていた怒りの熱が、急速に冷めていくのを感じた。
小松原さんの気持ちを一番想像できていないのは、僕じゃないか。
みんなの前で加納さんたちを糾弾したけれど、そもそも小松原さんはそんなこと僕に望んだか。
また要らぬことをして、僕は彼女を追い詰めたのだ。
押し黙った僕を見て、矢田さんは一瞬、戸惑うような表情を浮かべた。
そこで再び、安在さんが声を上げた。
「ちょっと、犯人捜しはしないって話だったでしょ」
咎めるような口調だった。
「真緒も矢田ちゃんもそうやってすぐ突っぱねたりしないで、もう少し相手の話を聞こうよ。わたし、的場くんは何一つ間違ったこと言ってないと思うよ」
それから僕のほうへと顔を向けた。
「的場くんは、真緒たちが勝手なこじつけで小松原さんを疑って、みんなの前で責め立てたことを怒っているんだよね」
「うん、そうだよ」
僕が返事をすると、安在さんはうなずいた。
「だけど今、的場くんが真緒たちにしたのも、同じことだよね」
「へ?」
「真緒たちは、小松原さんに対して悪いことをした。それは絶対謝らなきゃいけない。今このタイミングで、小松原さんの潔白を訴えたかった的場くんの気持ちもわかる。小松原さんも嫌な気持ちになっているだろうし。このままじゃいけない。だからこそ――同じ間違いをしちゃだめなんだよ」
そう言って、安在さんは加納さんのほうへ目をやった。
加納さんは何かを堪えるように、ぎゅっと唇を噛んでいる。
僕はそこで、自分の間違いに気づいた。
そうだ、さっき目にしたばかりじゃないか。
加納さんは集めていたお金が消えたことで、責任を感じている。そしていつクラスメイトから責められるかと不安にかられていた。そんな彼女の心中を、僕は少しでも気にかけたか。
小松原さんを優先するあまり、僕は加納さんへの思いやりを忘れていた。クラスメイトの前で「謝れ」などと責めた。
自分が許せないと感じたことを、そのまま加納さんたちに向けてぶつけていたのだ。
あまりの恥ずかしさに、今すぐこの場から消えてしまいたかった。
僕という人間は、いつだって独りよがりだ。
慌てて「ごめん」と口にすると、加納さんは無言で首を振った。
場違いなほど呑気な声が上がったのは、そのときだった。
「なあ、隣のロッカーは調べたの?」
声のしたほうを振り返る。
教室の扉の前に、通学鞄を肩にかけた裕司が立っていた。今さっき登校して来たばかりといった様子だ。それでも教室の雰囲気で、今の状況を察したのだろう。
「今揉めてるのって、昨日加納がロッカーに入れてた金がなくなったって件だよね? 違う?」
裕司は安在さんに向かって尋ねた。
「うん、そうだけど」
安在さんが訊き返す。
「隣のロッカーが何?」
「加納が使ってるロッカーの、隣の扉だよ。そこって確か空いてたよね? いやさあ、もしかしたらと考えたんだけど……」
のんびりと答えながら、裕司は教室の後ろを通って、ロッカーの並ぶ列に近づいた。それぞれの扉には、名前の札が貼られている。
「ごめん、ちょっと開けるよー」と断って裕司が開けたのは、加納さんの札がついたロッカーではなく、その隣の扉。札入れは空になっている。誰も使っていないということだ。
「慌ててたりすると、間違えて隣のロッカーに荷物突っこんじゃうことあるじゃん? あれ? そんなボケするの俺だけ?」
裕司がおどけてみせると、小さく笑いが起こった。
「まあ一応、この中を確かめてみようか」
裕司はごそごそと空きロッカーを探った。そして、
「おっと、まさかのビンゴ。あったあった、加納が探してたのって、この袋じゃね?」
チャック式のビニール袋を取り出すと、みんなが確認できるように高く掲げた。半透明の袋からは、小銭が透けて見えている。
加納さんは何度も目をしばたたかせた。
「うっそ、マジで……」
クラスメイトたちも呆気にとられた様子で、ビニール袋を見ていた。
小松原さんへの疑いは、完全に晴れた。
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