告白の日(1)
文字数 2,432文字
裏庭は依然として人気がなく、昼休み中だということを忘れるくらい、静けさに満ちていた。
ベンチに腰かけ、弁当を広げる。
小松原さんとの交流が途絶えてからも、僕はひとり、裏庭でのランチを続けていた。
おかずのコロッケを箸で切り分けながら、今朝の一件について考える。
裕司がお金を見つけ出し、盗難騒ぎは解決した。加納さんたちは小松原さんへの態度を改め、謝った。
僕も加納さんに対し、配慮が足りなかったことを詫びた。
加納さんははじめ、気まずそうな顔をしているだけだったが、しどろもどろに謝罪を繰り返す僕の様子がおかしかったらしく、
「さっきと全然態度違うじゃん。的場、キョドりすぎだって」
と笑い、あっさり許してくれた。その後で矢田さんに向かって、
「香澄もさあ、さっき的場に結構きついこと言ってたし、謝ったほうがよくない?」
と声をかけた。
そこで思いがけず、僕は矢田さんと長く話をした。矢田さんや加納さんたちの胸の内も聞くことができた。
考えにふけり、黙々と箸を動かしていると、ふいに気配を感じた。
顔を上げる。小松原さんが立っていた。
「的場くん」
僕は驚き、そのため返事が遅れた。
「ああ、うん」
どうして、と真っ先に疑問が浮かんだ。どうして小松原さんはここへ現れたのだろう。
今朝、僕はまた望まれぬことをして彼女を困らせていた。それについて何か抗議しに来たのだろうか。
ごめん。僕がそう口を動かす前に、小松原さんは言った。
「今朝はありがとう」
予期しない言葉だった。
「え、あの……」
謝るタイミングを逃して、僕は小松原さんを見つめた。
「さっき改めて、加納さんたちから声かけられた。今度ゆっくり話そうって」
「それって、もしかして――」
「ううん、たぶんネガティブな話じゃないと思う。加納さんたち、ずっと前からわたしと話をしてみたかったんだって」
困惑した顔で、小松原さんは言った。
しかし口元がわずかに笑っている。喜んでいるのか。
「そっか、じゃあ良かったね」
「う、うん」
「本当に良かった」
「うん」
「いや、ほんと、良かったね」
「的場くん、何回良かったって言うの?」
堪えきれなくなった様子で、小松原さんは吹き出した。
「ああ、本当だね。何回言うんだろう」
「ふふ」
目尻をやわらかくし、肩を揺らす彼女を、僕は信じられない思いで眺めた。
小松原さんからは、どこか吹っ切れた感じがした。
僕の隣を指さすと、首を傾げる。
「そこ、座ってもいい?」
「あ、うん。もちろん」
慌てて端に身を寄せ、彼女が座るぶんのスペースを空けた。
ベンチに腰を下ろすと、小松原さんは持ってきたビニール袋からメロンパンを取り出し、膝の上に乗せた。
袋の端のギザギザした部分を指でなぞり、なかなかパンに手をつけようとしない。
やがて、絞り出すように言った。
「ごめんね、的場くん」
「え、どうして?」
僕はぎょっとして尋ねた。
「なんで小松原さんが謝るの?」
謝らなきゃいけないのは僕のほうだ。
「今朝、わたしの代わりに加納さんたちに意見してくれたでしょう? なのに、当のわたしは何も言えなくて……。そのせいで今度は的場くんが責められる立場になっちゃったし」
「いや、小松原さんが謝ることじゃないよ。僕のほうこそごめん。勝手に突っ走って、小松原さんに嫌な思いさせた」
「ううん、違うよ」
小松原さんが首を振った。
「嫌なわけないじゃない。あのとき、わたし本当はうれしかったの」
それから小松原さんは、ゆっくりと語りだした。
「今朝みたいなことがあったら、普通は強く言い返すのかもしれない。自分はお金なんて盗ってないって。だけどあのとき、わたしはもう諦めてたの。わたしは何をしても、あるいは何もしなくても、結局周りの人を傷つけてしまう。嫌な気持ちにさせてしまう。わたしのような人間は、他人から疑われても仕方ないのかな。それならもう何を言っても無駄だなって、卑屈になってた」
だけど、的場くんのお陰で気づけたの。小松原さんは続けた。
「わたし、本当は今すごく悔しいんだって。みんなのものを盗んだなんて、ひどい言いがかりだよ。あんなこと言われて、傷つかない人なんていない。みんなちゃんとわかってるはずなのに、どうしてわたしの気持ちを無視するの? おかしいよ。それでも、あの場でみんなに対してそう主張する勇気が、わたしにはなかった。だから的場くんが代わりに怒ってくれたとき、すごくうれしかったんだ。うれしくて、どんな顔すればいいのかわからなくなっちゃった」
僕が発言した際、加納さんから話を振られた小松原さんは、居心地悪そうに見えた。しかし今の言葉が本心なら、僕も少しは小松原さんを守れたことになるだろうか。
「それで考えたんだけどね、わたしは今日の加納さんたちみたいなことを、的場くんに対してしちゃってたんだね」
小松原さんがぽつりと言った。
「あの日、桐丘の攻撃を受けて的場くんが倒れたとき、とにかく必死で念じたの。どうか的場くんを助けて。この人にだけは、絶対に死んでほしくないって。わたしが念じれば、的場くんは助かる。だけどその後で、的場くんにはわたしが持つ治癒能力について説明しなきゃいけなくなる。撃たれた傷が短時間で完璧に塞がるなんて、どう考えてもおかしいから」
「うん、あのときは驚いた」
「でも案外すぐ受け入れたよね、的場くん」
「まあね。小松原さんと一緒にいるうち、通常あり得ないことも実はあり得るんだって考えるようになった」
「本当はね、能力のことも、わたしと関わった人が不幸になってきた事実も、ずっと秘密にしておきたかったんだ。打ち明けたら最後、的場くんは気味悪がってわたしを避けるようになるかもしれない。そんなの耐えられないよ。わたしはこれからもずっと、的場くんに傍にいてほしかったから」
瞬間、見えない手で掴まれたみたいに、心臓が苦しくなった。「傍にいてほしかった」小松原さんの言葉は甘い痺れとなって、僕の体中に広がった。
ベンチに腰かけ、弁当を広げる。
小松原さんとの交流が途絶えてからも、僕はひとり、裏庭でのランチを続けていた。
おかずのコロッケを箸で切り分けながら、今朝の一件について考える。
裕司がお金を見つけ出し、盗難騒ぎは解決した。加納さんたちは小松原さんへの態度を改め、謝った。
僕も加納さんに対し、配慮が足りなかったことを詫びた。
加納さんははじめ、気まずそうな顔をしているだけだったが、しどろもどろに謝罪を繰り返す僕の様子がおかしかったらしく、
「さっきと全然態度違うじゃん。的場、キョドりすぎだって」
と笑い、あっさり許してくれた。その後で矢田さんに向かって、
「香澄もさあ、さっき的場に結構きついこと言ってたし、謝ったほうがよくない?」
と声をかけた。
そこで思いがけず、僕は矢田さんと長く話をした。矢田さんや加納さんたちの胸の内も聞くことができた。
考えにふけり、黙々と箸を動かしていると、ふいに気配を感じた。
顔を上げる。小松原さんが立っていた。
「的場くん」
僕は驚き、そのため返事が遅れた。
「ああ、うん」
どうして、と真っ先に疑問が浮かんだ。どうして小松原さんはここへ現れたのだろう。
今朝、僕はまた望まれぬことをして彼女を困らせていた。それについて何か抗議しに来たのだろうか。
ごめん。僕がそう口を動かす前に、小松原さんは言った。
「今朝はありがとう」
予期しない言葉だった。
「え、あの……」
謝るタイミングを逃して、僕は小松原さんを見つめた。
「さっき改めて、加納さんたちから声かけられた。今度ゆっくり話そうって」
「それって、もしかして――」
「ううん、たぶんネガティブな話じゃないと思う。加納さんたち、ずっと前からわたしと話をしてみたかったんだって」
困惑した顔で、小松原さんは言った。
しかし口元がわずかに笑っている。喜んでいるのか。
「そっか、じゃあ良かったね」
「う、うん」
「本当に良かった」
「うん」
「いや、ほんと、良かったね」
「的場くん、何回良かったって言うの?」
堪えきれなくなった様子で、小松原さんは吹き出した。
「ああ、本当だね。何回言うんだろう」
「ふふ」
目尻をやわらかくし、肩を揺らす彼女を、僕は信じられない思いで眺めた。
小松原さんからは、どこか吹っ切れた感じがした。
僕の隣を指さすと、首を傾げる。
「そこ、座ってもいい?」
「あ、うん。もちろん」
慌てて端に身を寄せ、彼女が座るぶんのスペースを空けた。
ベンチに腰を下ろすと、小松原さんは持ってきたビニール袋からメロンパンを取り出し、膝の上に乗せた。
袋の端のギザギザした部分を指でなぞり、なかなかパンに手をつけようとしない。
やがて、絞り出すように言った。
「ごめんね、的場くん」
「え、どうして?」
僕はぎょっとして尋ねた。
「なんで小松原さんが謝るの?」
謝らなきゃいけないのは僕のほうだ。
「今朝、わたしの代わりに加納さんたちに意見してくれたでしょう? なのに、当のわたしは何も言えなくて……。そのせいで今度は的場くんが責められる立場になっちゃったし」
「いや、小松原さんが謝ることじゃないよ。僕のほうこそごめん。勝手に突っ走って、小松原さんに嫌な思いさせた」
「ううん、違うよ」
小松原さんが首を振った。
「嫌なわけないじゃない。あのとき、わたし本当はうれしかったの」
それから小松原さんは、ゆっくりと語りだした。
「今朝みたいなことがあったら、普通は強く言い返すのかもしれない。自分はお金なんて盗ってないって。だけどあのとき、わたしはもう諦めてたの。わたしは何をしても、あるいは何もしなくても、結局周りの人を傷つけてしまう。嫌な気持ちにさせてしまう。わたしのような人間は、他人から疑われても仕方ないのかな。それならもう何を言っても無駄だなって、卑屈になってた」
だけど、的場くんのお陰で気づけたの。小松原さんは続けた。
「わたし、本当は今すごく悔しいんだって。みんなのものを盗んだなんて、ひどい言いがかりだよ。あんなこと言われて、傷つかない人なんていない。みんなちゃんとわかってるはずなのに、どうしてわたしの気持ちを無視するの? おかしいよ。それでも、あの場でみんなに対してそう主張する勇気が、わたしにはなかった。だから的場くんが代わりに怒ってくれたとき、すごくうれしかったんだ。うれしくて、どんな顔すればいいのかわからなくなっちゃった」
僕が発言した際、加納さんから話を振られた小松原さんは、居心地悪そうに見えた。しかし今の言葉が本心なら、僕も少しは小松原さんを守れたことになるだろうか。
「それで考えたんだけどね、わたしは今日の加納さんたちみたいなことを、的場くんに対してしちゃってたんだね」
小松原さんがぽつりと言った。
「あの日、桐丘の攻撃を受けて的場くんが倒れたとき、とにかく必死で念じたの。どうか的場くんを助けて。この人にだけは、絶対に死んでほしくないって。わたしが念じれば、的場くんは助かる。だけどその後で、的場くんにはわたしが持つ治癒能力について説明しなきゃいけなくなる。撃たれた傷が短時間で完璧に塞がるなんて、どう考えてもおかしいから」
「うん、あのときは驚いた」
「でも案外すぐ受け入れたよね、的場くん」
「まあね。小松原さんと一緒にいるうち、通常あり得ないことも実はあり得るんだって考えるようになった」
「本当はね、能力のことも、わたしと関わった人が不幸になってきた事実も、ずっと秘密にしておきたかったんだ。打ち明けたら最後、的場くんは気味悪がってわたしを避けるようになるかもしれない。そんなの耐えられないよ。わたしはこれからもずっと、的場くんに傍にいてほしかったから」
瞬間、見えない手で掴まれたみたいに、心臓が苦しくなった。「傍にいてほしかった」小松原さんの言葉は甘い痺れとなって、僕の体中に広がった。
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