欠けた日(1)

文字数 2,193文字

「はーい、教科係から連絡。化学のノート提出今日までです。集めまーす」
 教室で、二人の女子が呼びかけている。
「ノートは昼休みまでに、山根くんの机の上に重ねて置いておいてくださーい」

 クラスメイトたちは指定された机の上にノートを重ねていく。裕司が使っていた机は、提出物置き場として定着していた。
 僕たちのクラスは裕司の死から立ち直り、前を向いて学校生活を送っていた。
 二学期がはじまり待っていたのは、体育祭だった。

「山根くんのぶんも頑張って、絶対体育祭優勝しようよ」
 誰かが言い出して、全員が同意した。
「山根のためにも、優勝旗取るぞ!」
「俺、体育祭実行委員立候補する! 裕司が生きていたら、絶対そうしたと思うから」
 僕たちのクラスは見事、総合優勝を勝ち取った。

 努力、友情、一致団結、面と向かって口に出すには照れくさい言葉を、裕司の名前に置き換える。
 裕司のぶんも頑張ると言えば努力だし、裕司のためにと言えばそれは友情だった。
 クラスメイトの死に直面した僕たちは、教師陣から繊細に扱われがちだったけれど、すべては杞憂なのだった。
 誰も彼もが元気だ。
 僕自身、驚くほどすんなりと裕司の死を乗り越えている。
 しかしふとした瞬間、思うのだった。友人を失ったのに、普通に学校へ来て、笑って、ごはんを食べる僕たちは、ちょっとおかしいんじゃないだろうか。本来はもっと悲しみにくれ、何も手につかず、落ちこんで過ごすものなんじゃないだろうか。
 大事な何かが抜け落ちて、心に穴が空いている。僕たちはみんな、抜け落ちたものの正体を知ろうとしない。穴なんて空いたままでもいいんじゃないかとさえ思う。

 投げやりにも似た心持ちで、僕は毎日を過ごした。
 体育祭が終わり、次に待つのは文化祭だった。

「じゃあうちのクラスの出し物は、和風喫茶に決まりましたー!」
「やるからにはもちろん、優秀賞狙うよー!」
「そんなの言われなくてわかってるよ。裕司がいたら絶対同じこと言ってたはずだし」

 クラスメイトたちは異常な熱気とパワフルさで、文化祭の準備にあたっていた。

「わたし、買い出し行ってくるよ」
「ねえ、ここのところもうちょっとさ、目立つ感じにできないかな」
「女子の売り子は浴衣着用ってことにしようよ。絶対可愛い」
 準備の段階から、クラスメイトたちは盛り上がっている。団結力というものができあがりつつあった。

 そうしてクラスメイトたちが活発になっていくのに反し、小松原さんは体調を崩していった。


 ■ ■ ■


「食欲ない?」
 お弁当箱の蓋を閉じてしまった小松原さんに、僕は尋ねる。
 昼休み。例によって僕たちは裏庭のベンチに並んで腰かけ、昼食を摂っているところだった。
 今日の弁当の献立は、小松菜とじゃこのおにぎり、ミニハンバーグ、卵焼き、ほうれん草のソテー、プチトマトのおひたし。貧血気味の彼女に、少しでも鉄分を摂取してもらおうと考えて作った。
 しかし小松原さんは、おにぎりと卵焼きを少し齧っただけで、苦しそうに俯いてしまった。

「ごめんね、的場くん。せっかく作ってもらったのに」
「いいよ。それより、大丈夫なの? 一度、病院で診てもらったほうがいいんじゃない?」

 ここ何週間かで、小松原さんは一気に体重が落ちた気がする。常に顔色が悪く、目は虚ろで、ぼうっとする時間が多くなった。

「平気だよ。そういうんじゃないの。たまにこういうことあるんだよ。ほら、季節の変わり目って体調崩しやすいから」
「だとしても病院には行ったほうがいいよ。ずっと調子悪そうだし。病院行くのに何か不安があるなら、いくらでも付き添うしさ。あ、そうだ今日の放課後にでも」
「でも的場くん、今日は実行委員の集まりがあるんじゃなかった? わたしも係の仕事あるし」

 小松原さんに指摘され、僕は思い出した。
 クラスの雰囲気に感化され、僕は柄にもなく文化祭実行委員を引き受けてしまったのだ。

「集まりは欠席する」
「それは無責任だよ。委員を引き受けたのなら、ちゃんと仕事しないと」
「だけど、小松原さんが心配なんだ」
「わたしなら大丈夫だから」

 小松原さんはきゅっと口角を上げてみせた。けれどそこにははっきりと陰りが差していた。

 胸の辺りがそわそわする。目を放した瞬間、小松原さんがどこかへ消えてしまう気がした。

「うん、じゃあそうだね、今日は絵里奈ちゃんに係の仕事代わってもらえないかお願いしてみるよ。それで放課後は真っすぐ家に帰って、体を休める。もちろんきちんと栄養のあるものも食べるよ。食べて休めば、すぐ元気になるから。ね、これなら的場くんも心配じゃないでしょう?」
「うーん……」
「元気になったら、今度こそ一緒にピザ作ろうね」

 夏休みにした約束を、小松原さんは覚えてくれていた。あれからずっとタイミングが合わず、ピザ作りは実現できていない。

「楽しみだなあ、ピザ」と言って、小松原さんは微笑んだ。
 なんだかうまいことはぐらかされた気がして、不満が残るが、
「そうだね。楽しみにしててね」
 僕は答えた。

「それじゃあ、委員の集まりが終わったらそっちに行っていい?」
「うん、待ってる」
「一応学校出る前に連絡する。何か欲しいものとか食べたいものあったらそのとき言って。買ってくから」
「わかった。ありがとう」

 小松原さんがうなずく。だけどきっと、彼女は僕に何も要求しない。
 なぜだか、そんな確信があった。
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登場人物紹介

的場綾人

料理が趣味の高校一年生。

想乃のことを気にして、何かと世話を焼く。

小松原想乃

クラスでは孤立しがち。

綾人と出会い、徐々に明るさを取り戻していく。

桐丘

雨が降るたび想乃の前に現れては、彼女を襲う、謎の男。

山根裕司

綾人の友人。

明るく頼りになる性格で、クラス内では調整役となることも。

安在絵里奈

クラス委員。

優しい性格で友人が多い。

戸田美南

中学三年生。想乃の従妹。想乃に対し、乱暴な態度をとる。

的場蒼介

小学生五年生。綾人とは継兄弟。無邪気な性格で兄を慕う。


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