いなくなった日(1)

文字数 2,146文字

 インターホンを押すと、少しして、美南さんによく似た顔の女性が出て来た。

「叔母さん、美南ちゃんから何か連絡ありましたか?」

 小松原さんの問いに、美南さんの母親は青ざめた顔で答えた。

「学校のお友達にも連絡して回ったんだけど、誰もあの子の行方を知らないって言うのよ。もう、どうしたらいいの……ねえ、想乃ちゃんは本当にあの子から何も聞いてない? あの子が家出するなんて、信じられないわ」

「家出したって、もう決まったんですか?」
 質問を挟むと、美南さんの母親は初めて僕の存在に気づいたというように、目を見開いた。それから問いかけるように、小松原さんへと視線を移した。

「的場綾人くんです。的場くんは前に美南ちゃんと会ったことがあるので、探すのを手伝ってくれるそうです」

「そうなの、わざわざごめんなさいね……」
 この一大事に、僕について詳しく尋ねている暇などないのだろう。母親は僕と一瞬目を合わせただけで、すぐに手で家の中を示した。
「とにかく、どうぞ」

 リビングに通され、美南さんが残したという書き置きを見せてもらう。メモ用紙にたった一行、『ごめんなさい、さようなら 美南』と書かれていた。やや角ばっていて筆圧の強い文字は、そのまま彼女の決意の硬さが表れているような気がした。

「昨日の夜、あの子と言い合いになったの。あの子が突然、受験はしたくない、高校には進学しないなんて言い出すから」
 乱れた髪を掻き上げながら母親は言い、崩れるようにソファに身を預けた。

「それは、どうして」
 僕は扉の傍に突っ立ったままで訊いた。どこに座っていいのかわからなかったし、美南さんの母親に尋ねる気もなかった。それは小松原さんも同じのようで、所在なく立ち尽くしている。

「わからないの。理由を訊いても、関係ないでしょって言うばかりで、後は何も話してくれなくて。昨日はわたしもあの子も興奮していたし、これ以上話をするのは無理だと思ったのよ。だからひとまず一晩置いてから、改めて理由を訊きだそうとしたの」
 母親は力なく答えた。

「今日はあの子、昼過ぎになっても起きてくる気配がなくて。昨日のことがあるから、きっと不貞寝しているのだろうと思ったのよ。それで、今のうちにあの子の好きなケーキでも買っておこうかしらって、外に出たの。だってそのほうがうまくあの子を説得できると思って。買い物に長くはかけてないわ。ほんの三十分よ。だけどその間に、美南はいなくなってた。わたしが戻ると、書き置きがあって――」

 そこで「ああ、どうしよう」とつぶやき、母親はソファから立ち上がった。ふらふらと小松原さんに歩み寄ると、彼女の両肩を掴んだ。
「どうしよう、想乃ちゃん。わたしどうしたらいいの? 頭ごなしに叱ったりしないで、ちゃんとあの子の話を聞いてあげれば良かった? 本当にもうわからないの。こんなときあの子が行きそうな場所とか、頼りそうな友達とか、あの子家でそういう話まったくしなかったから」

 小松原さんはわずかによろけて、それでも懸命に両足を踏ん張り、叔母を支えた。

「想乃ちゃんのところへは、あの子時々遊びに行ってたんでしょう? そのとき何か話を聞かなかった? 相談されたりとかしなかった? どんな些細なことでもいい、あの子の居場所を知る手がかりがほしいの。想乃ちゃんは心当たりがあるんじゃないの? ねえ、意地悪しないで教えてちょうだい」

 母親の口調は偏執的といえた。聞いているだけで、足元からぞわぞわと不快なものが這い上ってくる。
 自分の娘が、小松原さんに対しどんな態度をとっていたのか。この人は知らないのだろうか。
 母親の前で、美南さんは上手に取り繕っていたのかもしれない。だが、長年一つ屋根の下で過ごしてきたのだ。この人も薄々、娘と小松原さんの力関係には気づいていたんじゃないだろうか。気づいた上で、放置した。娘の行いを注意してこなかった。親戚とはいえ、所詮は他人の子だ。小松原さんさえ我慢していれば、特に問題はないという考えなのだろう。

「ごめんなさい叔母さん。わたし、本当に何も知らないんです」
 噛みしめていた唇を開き、小松原さんは言う。
「でも、探しましょう。あの、駅のほうとか色々、中学生がよく出入りしている施設もありますし、手分けして探せばきっと見つかりますよ」

 僕はリビングと一続きのダイニングを見やった。テーブルには、椅子が三脚。ラックの上に置かれたマグカップは三つ。小松原さんのぶんの席やカップは、用意されていない。室内からは、かつて彼女が暮らしていた痕跡がまったく感じられなかった。

「美南ちゃんが戻って来たときに備えて、叔母さんは家にいてください。わたしと的場くんで探しに行ってきます。叔父さんには連絡しましたか? わたしも何かあれば、すぐに知らせますから」
 小松原さんはなだめるように言うと、叔母の体を支えて、ソファに座らせた。

「じゃあ、行ってきますね」

 僕たちは戸田家を後にした。駅の方向に足を向ける。
 小松原さんは美南さんの母親に、駅周辺を探すと話していた。だけど、本当にそんなところで美南さんが見つかるとは思えなかった。
 書き置きには、不穏な言葉があった。『さようなら』
 美南さんは間違いをおかそうとしているのかもしれない。
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登場人物紹介

的場綾人

料理が趣味の高校一年生。

想乃のことを気にして、何かと世話を焼く。

小松原想乃

クラスでは孤立しがち。

綾人と出会い、徐々に明るさを取り戻していく。

桐丘

雨が降るたび想乃の前に現れては、彼女を襲う、謎の男。

山根裕司

綾人の友人。

明るく頼りになる性格で、クラス内では調整役となることも。

安在絵里奈

クラス委員。

優しい性格で友人が多い。

戸田美南

中学三年生。想乃の従妹。想乃に対し、乱暴な態度をとる。

的場蒼介

小学生五年生。綾人とは継兄弟。無邪気な性格で兄を慕う。


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