病の日(5)
文字数 2,477文字
ずっと不思議だった。
どうして桐丘は雨の日にだけ、小松原さんの前に現れるのだろう。思念体を操るには、雨が降っていることが条件なのだろうか。
桐丘は言う。
「天気予報の的中率は百パーセントじゃない」
「まあ、そうですね」
「今日は一日晴れ間が続くと聞いていたのに、突然天気が崩れることがある。にわか雨なんてものもある。雨は、いつだって降る可能性があるんだよ。突然の雨で予定が狂ったり、雨続きのせいで予定自体が決められなかったりした経験が、綾人にもあるだろう?」
「あり……ますね」
僕は振り返りながら答えた。
「そういうのってさあ、イライラしない?」
「さあ、よくわからないです」
「雨が降り出したとわかった瞬間、舌打ちをしたり嫌な顔している人なんかを見かけたりしない? 予定を台無しにされて、雨を煩わしく思っているんだね。だいたい雨ってものは、人間を憂鬱な気分にさせるんだよ。小松原想乃からしたら、俺はまさに雨のような存在じゃないか」
つまり雨の日に現れることで、追い打ちをかけたいのか。憂鬱な雨の日に、さらに嫌な気分にさせてやろうという思惑だ。
僕がそう指摘すると、桐丘は鼻先で笑った。
「わからない? 今言ったばかりだろう。雨はいつだって降る可能性がある。つまり俺は、いつ姿を現してもおかしくないってわけだ。朝、玄関先で傘を持って出ようか迷うみたいに、小松原想乃は毎日俺の出現を懸念し続けなければならない。今までもこれかも、俺という存在が小松原想乃の人生を歪め続ける。彼女、ちゃんと進級できればいいけどね。出席日数は足りているのかな? 無事に進級できたとしても、それから先はどうする? 大学受験の日、もしも雨が降ったら? 入社試験の日が雨だったら?」
ぐっと、僕は奥歯を噛んだ。
桐丘の攻撃をかわし続けること自体は、小松原さんの体力的に、それほど負担ではないのかもしれない。
それより心配すべきは、いつ何時桐丘が現れるかもしれないという環境だ。
桐丘が現れ続ける限り、小松原さんはまともな生活を送れない。
「小松原想乃にとって、俺の存在は足かせだ。友人と遊ぶ約束も、デートの予定も、仕事のスケジュールも、俺はこれから何度だって台無しにするだろうね。誰かと時間を共にするのも難しい。ドタキャンが続けば、社会的信用もなくす。仕事を失うし、人も離れていくだろう。人間関係もまっとうな生活も維持できなくなる。俺が孤独でいる限り、小松原想乃もまた孤独だ」
桐丘はそこで一旦言葉を切り、言い直した。
「孤独の、はずだったんだ……」
打ちひしがれた目で、僕を見た。
「小松原想乃の前には、綾人が現れた。そして彼女を孤独から救った」
「あなたの復讐には、僕が邪魔なんですね?」
「うん、すごく邪魔」
「それじゃあ僕はこれからもずっと小松原さんの傍にいて、あなたから彼女を守りますよ」
桐丘から、何か反応が返ってくることを予想した。
しかし桐丘はふいと僕から目を逸らし、「綾人は優しいな」とつぶやいた。
「それなら俺のこともついでに救ってくれよ。彼女を救ったみたいに、俺も孤独から救ってくれよ、綾人」
本気で僕に助けを求めているようには聞こえなかった。戯れに、僕が窮するところを眺めるつもりで言ったようだ。
そのときふと、僕は桐丘を救う術を思いついた。桐丘自身にしかできない方法だ。
「小松原さんと初めて会った日まで、タイムリープしたらどうです? そして過去の自分が小松原さんと出会うのを阻止すればいい。そうすれば過去のあなたは感覚を失わずに済むんじゃないですか」
勢いこんで提案したものの、最後まで言い終えぬうちから不安になった。
過去を変えれば、当然、未来も変わる。過去で桐丘が感覚を失わなかったとなれば、今現在僕の目の前にいる桐丘の思念も消えるだろう。桐丘はそもそも自殺に失敗などせず、タイムリープも起こらない。
タイムリープが起こらなければ、過去は変わらない。
(つまり、どうやっても過去を変えるのは不可能?)
僕の疑問を読み取ったのだろうか、桐丘が告げる。
「無理だよ。そもそも二年以上前の過去には飛べないんだ」
「飛べない?」
「タイムリープできない。それ以上前の過去に行こうとすると――」
桐丘はそこで言葉を詰まらせ、うーんと唸った。
「挑戦してみたことはあるんですね?」
「あるよ。でも、だめなんだ。何か目に見えないものが俺を阻む。無理に飛べば、きっと元の時間軸に戻れなくなる気がするんだ。現在に帰って来られなくなる」
桐丘は自分で言いながら、どこかもどかしそうだった。きっとタイムリープできる者にしかわからない、予感めいたものがあるのだろう。それを的確に伝える言葉を、探し当てられないでいるのだ。
その様子から、桐丘は嘘をついていないと判断した。
本当に、二年以上前の過去へは行けないのだ。感覚を失うのを阻止することはできない。
この先もずっと、桐丘は救われない人生を耐え続けるしかないのか。
「だけどまだ何か、タイムリープについて知らない、気づいていないことがあるとは考えられませんか? タイムリープのルールを解明できれば、どこかに抜け穴が見つかるかもしれませんよ」
その場しのぎでなく、僕は言った。諦めたくなかった。希望は残されていると、信じたかった。
「綾人は俺を救いたいと思っているの?」
「はい、もちろん」
桐丘を救えば、小松原さんは彼から解放される。
彼女に、穏やかな日常が訪れるのだ。
「じゃあ、綾人が俺の代わりに過去へ飛び、未来を変えてくれよ」
突然、桐丘の目にぎらついたものが宿った。
「なぜ他人には俺の姿が見えないと思う? 別に俺がそう念じているわけではないよ。キャンプ場の河原で、なぜ君の友人には俺の姿が見えた? その友人と君と、小松原想乃。三人の共通点はなんだと思う? どうして君たちにだけ、俺の姿が見えるんだろうね」
桐丘が問う。
答えはわかっている。共通点なんて、そんなの一つしかないじゃないか。
僕はごくりと唾を呑んだ。
「つまりあなたは、僕にそれを望むということですか?」
どうして桐丘は雨の日にだけ、小松原さんの前に現れるのだろう。思念体を操るには、雨が降っていることが条件なのだろうか。
桐丘は言う。
「天気予報の的中率は百パーセントじゃない」
「まあ、そうですね」
「今日は一日晴れ間が続くと聞いていたのに、突然天気が崩れることがある。にわか雨なんてものもある。雨は、いつだって降る可能性があるんだよ。突然の雨で予定が狂ったり、雨続きのせいで予定自体が決められなかったりした経験が、綾人にもあるだろう?」
「あり……ますね」
僕は振り返りながら答えた。
「そういうのってさあ、イライラしない?」
「さあ、よくわからないです」
「雨が降り出したとわかった瞬間、舌打ちをしたり嫌な顔している人なんかを見かけたりしない? 予定を台無しにされて、雨を煩わしく思っているんだね。だいたい雨ってものは、人間を憂鬱な気分にさせるんだよ。小松原想乃からしたら、俺はまさに雨のような存在じゃないか」
つまり雨の日に現れることで、追い打ちをかけたいのか。憂鬱な雨の日に、さらに嫌な気分にさせてやろうという思惑だ。
僕がそう指摘すると、桐丘は鼻先で笑った。
「わからない? 今言ったばかりだろう。雨はいつだって降る可能性がある。つまり俺は、いつ姿を現してもおかしくないってわけだ。朝、玄関先で傘を持って出ようか迷うみたいに、小松原想乃は毎日俺の出現を懸念し続けなければならない。今までもこれかも、俺という存在が小松原想乃の人生を歪め続ける。彼女、ちゃんと進級できればいいけどね。出席日数は足りているのかな? 無事に進級できたとしても、それから先はどうする? 大学受験の日、もしも雨が降ったら? 入社試験の日が雨だったら?」
ぐっと、僕は奥歯を噛んだ。
桐丘の攻撃をかわし続けること自体は、小松原さんの体力的に、それほど負担ではないのかもしれない。
それより心配すべきは、いつ何時桐丘が現れるかもしれないという環境だ。
桐丘が現れ続ける限り、小松原さんはまともな生活を送れない。
「小松原想乃にとって、俺の存在は足かせだ。友人と遊ぶ約束も、デートの予定も、仕事のスケジュールも、俺はこれから何度だって台無しにするだろうね。誰かと時間を共にするのも難しい。ドタキャンが続けば、社会的信用もなくす。仕事を失うし、人も離れていくだろう。人間関係もまっとうな生活も維持できなくなる。俺が孤独でいる限り、小松原想乃もまた孤独だ」
桐丘はそこで一旦言葉を切り、言い直した。
「孤独の、はずだったんだ……」
打ちひしがれた目で、僕を見た。
「小松原想乃の前には、綾人が現れた。そして彼女を孤独から救った」
「あなたの復讐には、僕が邪魔なんですね?」
「うん、すごく邪魔」
「それじゃあ僕はこれからもずっと小松原さんの傍にいて、あなたから彼女を守りますよ」
桐丘から、何か反応が返ってくることを予想した。
しかし桐丘はふいと僕から目を逸らし、「綾人は優しいな」とつぶやいた。
「それなら俺のこともついでに救ってくれよ。彼女を救ったみたいに、俺も孤独から救ってくれよ、綾人」
本気で僕に助けを求めているようには聞こえなかった。戯れに、僕が窮するところを眺めるつもりで言ったようだ。
そのときふと、僕は桐丘を救う術を思いついた。桐丘自身にしかできない方法だ。
「小松原さんと初めて会った日まで、タイムリープしたらどうです? そして過去の自分が小松原さんと出会うのを阻止すればいい。そうすれば過去のあなたは感覚を失わずに済むんじゃないですか」
勢いこんで提案したものの、最後まで言い終えぬうちから不安になった。
過去を変えれば、当然、未来も変わる。過去で桐丘が感覚を失わなかったとなれば、今現在僕の目の前にいる桐丘の思念も消えるだろう。桐丘はそもそも自殺に失敗などせず、タイムリープも起こらない。
タイムリープが起こらなければ、過去は変わらない。
(つまり、どうやっても過去を変えるのは不可能?)
僕の疑問を読み取ったのだろうか、桐丘が告げる。
「無理だよ。そもそも二年以上前の過去には飛べないんだ」
「飛べない?」
「タイムリープできない。それ以上前の過去に行こうとすると――」
桐丘はそこで言葉を詰まらせ、うーんと唸った。
「挑戦してみたことはあるんですね?」
「あるよ。でも、だめなんだ。何か目に見えないものが俺を阻む。無理に飛べば、きっと元の時間軸に戻れなくなる気がするんだ。現在に帰って来られなくなる」
桐丘は自分で言いながら、どこかもどかしそうだった。きっとタイムリープできる者にしかわからない、予感めいたものがあるのだろう。それを的確に伝える言葉を、探し当てられないでいるのだ。
その様子から、桐丘は嘘をついていないと判断した。
本当に、二年以上前の過去へは行けないのだ。感覚を失うのを阻止することはできない。
この先もずっと、桐丘は救われない人生を耐え続けるしかないのか。
「だけどまだ何か、タイムリープについて知らない、気づいていないことがあるとは考えられませんか? タイムリープのルールを解明できれば、どこかに抜け穴が見つかるかもしれませんよ」
その場しのぎでなく、僕は言った。諦めたくなかった。希望は残されていると、信じたかった。
「綾人は俺を救いたいと思っているの?」
「はい、もちろん」
桐丘を救えば、小松原さんは彼から解放される。
彼女に、穏やかな日常が訪れるのだ。
「じゃあ、綾人が俺の代わりに過去へ飛び、未来を変えてくれよ」
突然、桐丘の目にぎらついたものが宿った。
「なぜ他人には俺の姿が見えないと思う? 別に俺がそう念じているわけではないよ。キャンプ場の河原で、なぜ君の友人には俺の姿が見えた? その友人と君と、小松原想乃。三人の共通点はなんだと思う? どうして君たちにだけ、俺の姿が見えるんだろうね」
桐丘が問う。
答えはわかっている。共通点なんて、そんなの一つしかないじゃないか。
僕はごくりと唾を呑んだ。
「つまりあなたは、僕にそれを望むということですか?」
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