44 気分転換

文字数 3,431文字

 落ち着きを取り戻すと、マリベルは作業中の現物を持ってきた。
 言っていた通り、魔法陣の主線はすでに出来上がっていて、そのままでも使う分には充分だと思われた。
 いくつかの小さな円が足されていて、そこに蔦のような模様や、ぐるぐると隙間を埋めるように細かい模様が施されている。

「発動するかどうかだけ、確かめてもいいか?」

 触れると壊しそうで、手を出さずにマリベルに聞く。

「うん。あたしも気になってたから、お願い」

 慎重に手を触れて魔力を注ぐと、ビヒトは緊張気味に発動の言葉を発する。

「『(イグニス)』」

 ぽっと小さな火の玉が浮いた。
 マリベルが、音を立てて息を吐き出す。

「良かった。ちゃんとできてた」
「『(ニヒル)』」

 解除の言葉にもきちんと反応して炎は消えた。

「このままでも充分だな。すごい。ありがとう」
「線細工はここからが本領だよ。もう少し待ってね。まだ、図書館に通ってる?」
「ああ。待ち合わせ相手がまだ来ないからな。調べもの以外の本も読んでないし」
「じゃあ、出来たら持ってく。マスターの差し入れはいつでも歓迎だから、また来てくれてもいいけどね」

 にっと笑ったマリベルは、手早く鍋を洗って元のようにカゴに納めると、ビヒトに差し出した。

「悪いけど、返しておいてね。栄養摂ったし、今日はちょっと頑張るから」
「あんまり根詰めるなって親父さんも言ってたぞ。ゆっくりいいもの作ってくれ」
「ありがと! お客がみんなビヒトみたいだったらいいのにな!」

 マリベルの笑顔に「じゃあ」と別れを告げて、ビヒトは工房を後にしたのだった。


 ◇ ◆ ◇


 次にビヒトがマリベルに会ったのは五日ほど経ってからだった。
 疲れの滲む顔に、思わず自分の座っていた椅子を勧める。

「ありがと。でもいいわ。帰って作業進めなきゃ」
「そんなに根詰めなくていいって言っただろ?」
「違うの」

 うんざりというように頭を振るマリベル。
 ビヒトは座る主のいなくなった椅子をキャレルの下に押し込んで「出ようか」と彼女を誘った。
 とりあえず隣に建つ食事処で腰を落ち着ける。
 もう昼近かったので、パンにロースト肉の切れ端やソーセージの挟まったものとエールを頼むと、マリベルも手を伸ばしてきた。

「で、何が違うって?」
「……むぐ?」

 少し声をかけるのが早かったらしい。リスのように両方の頬を膨らませていたマリベルは、それでも口を開こうとして中身が溢れ出しそうになり、慌てて自分の口を押さえる。
 吹き出したビヒトに冷たい目を向けると、今度は拗ねて頬を膨らませた。

「取らないから、ゆっくり食え」
「……なんか、子供扱い! 俺の飯盗るなって怒ってもいいのに」
「食いもんにこだわりはないんでな」
「そう? 冒険者って、肉―! ってイメージ」
「ああ。確かに」

 ヴァルムも他の冒険者もとにかく肉を食べてる。皿に残る付け合わせの野菜をつまんだりすると、奇妙な目で見られるくらいだ。
 なんだかツボに入って笑い出したビヒトに、マリベルは肩で息をついた。

「ビヒトって、冒険者にしては落ち着いてるし、魔術師にしては肉体派で不思議なカンジ」
「中途半端なんだろ」
「そうかな。ちゃんと見てないけど、どっちも極めちゃいそうだよね。妥協しないって言うか」
「だといいな」

 お茶で一呼吸入れると、マリベルは申し訳なさそうに切り出した。

「注文受けてたヤツね、まだしばらくかかりそうなの」
「別に、構わない。それだけを伝えにきたのか?」
「ううん。後の作業はこっちの家でやることにしたから、何かあったらこっちの家か、マスターにお願い」
「……何か、あったのか?」

 しばらく迷ってから、彼女は「個人的なことなんだけど」と前置きして話し始めた。

「本来は依頼人にするような話じゃないんだけど、ビヒトにはもしかしたら関係しちゃうかもしれないから。この間、うちに来た時に会った人がいるでしょ? ちょっと話した。彼がね、日を開けないで来るようになって……作業がまともに進まないの」

 肩を竦める様子は本当に迷惑そうだ。

「作業が進まないからって言っても、気にするなって家の中をあちこち見られたり、今までの作品を見せろって言われたり、急に手伝おうかなんて手を出したり……ビヒトのことも、ただの冒険者である訳がない、とか言い出して」
「手土産のことか? 酒場の親父さんにも高級すぎるって言われたんだよな。知らなかったんだから、仕方がない」
「ん。だよね。そう説明したんだけど納得してくれなくて。君は騙されてる、こんな仕事をしなくともいいはずなんだとかなんとか……ビヒトは図書館(ここ)に通い詰めって言ってたから、顔を合わすことは無いと思うけど、ほんっと、面倒臭い! うんざりして夜のうちに荷物纏めて朝一でこっちに来たの。こっちの家はマスターに借りてるものだから、あっちも知らないはずだし。でも、そのせいであなたのとこに押しかけないとも限らないかなって、今思ったわ……」
「彼女を閉じ込めてまで仕事をさせるなんて何様だ?」
「あ。言いそう」

 がっくりと肩を落とすマリベルに、ビヒトは何でもないと手を振った。

「確かに面倒そうだが、大した問題じゃない。こっちは気にするな。気晴らしに、どこか行こうか? 閉じ込めてない証拠に」

 にやにやと誘うと、ちょっと固まったマリベルは頬を赤らめて横を向いた。

「この、天然タラシ。断りたくない誘い方しないで」
「じゃあ、行こう。明日でいいか? 少し南のフローラリアは花の都なんだろう? 面白い毒とかありそうだって思ってたんだ」
「毒?! もう。わざとそういうこと口に出すんだから……いいけど。でも、あそこまでは一日がかりじゃない。待ち合わせだからあんまり帝都を空けたくないんでしょ?」

 立ち上がったビヒトはきょとんとマリベルを見つめた。

「な、なに?」
「竜馬で行くに決まってるだろ。それなら昼には着ける。あいつならあんたを乗せても文句を言わないだろうし」
「ふ、え?!」

 妙な声を発してのけ反ったマリベルに注目が集まって、慌てて立ち上がった彼女はそそくさと出口に向かう。その後ろ姿を、ビヒトは笑いながらゆっくりと追いかけるのだった。



 その日はそこで別れて、次の日の朝マリベルに冒険者組合(ギルド)まで来てもらうことにする。
 起きたらでいいと詳しい時間は決めなかったものの、思ったよりも早い時間に彼女は姿を現した。ビヒトが受け付けから連絡を受けて下りていくと、ロビーの隅で緊張した様子で座っているマリベルの後ろ姿が目に入る。

「おはよう。早いな」

 振り返って声をかけたビヒトを確認すると、マリベルはほっとしたように立ち上がった。

「な、なんか早く目が覚めて……純粋な観光(おでかけ)は、久しぶりだから……寝てた?」
「いや。ひとっ走り終えてる」
「そう言えば……怪我はもういいの?」

 マリベルの視線の先の右腕には、もう包帯は巻かれていなかった。

「ああ。そろそろ訓練場通いも再開させようと思ってるとこだ。竜馬に乗りたいのも足慣らしってとこもある」
「そっか。今回はあんまり変なとこ走らないでね」
「フローラリアまでは道が整備されてるから、無理に森を抜けることもないさ」
「ホント?」
「たぶん」

 にやりと笑ったビヒトの腕をマリベルは軽く平手で叩きつけた。
 そのまま二人で厩舎に向かう。
 木造の厩舎は三棟あって、百頭近い竜馬が常時待機している。目の前には運動場のような円形の広場と、柵で囲われた丘陵地帯が広がっていて(かなり広いと思われる)仕事の無い個体は交代で放されているということだった。

 ビヒトは管理小屋の窓をノックする。
 昨日のうちに話をつけていたので、すぐに一頭引いて来てくれた。
 不機嫌そうに引かれていた竜馬は、ビヒトを見つけると急に足を速めて、厩務員を引き摺りかけていた。

「おい。こら! 現金だな!」

 呆れた声を気にする風でもなく、クルルルと可愛らしい声を上げ、ビヒトにその長い鼻先を寄せる。

「随分気に入られたもんだな。ここ数日はなんだか機嫌が悪かったっていうのに……」
「そうなんですか?」
「あんたがここに来た時に乗ってきたものだが、気難しくてね。人を選びやがる。昨日も指名をひとり断ったんだ。そんな様子で一般人を乗せるなんてどうかと思ったんだが……問題無いみたいだな」

 苦笑する厩務員の前で、竜馬は脚を折ってマリベルを乗せる体勢になっていた。

「今度機嫌の悪い時に呼んでもいいか?」

 冗談交じりにそういうと、厩務員は竜馬のお尻をパンと叩きつけた。
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登場人物紹介

ビヒト:主人公。本名、ヴェルデビヒト・カンターメン。魔術師の家系に生まれ、豊富な魔力を持つが、魔法は発動できない。ヴァルムに出会い、感化され、実家を出て自分なりの魔法との向き合い方を模索する。髪と瞳はうす茶。


イラスト:観月さん

ヴァルム:「鬼神」の二つ名を持つ名の知れた冒険者。破天荒でマイペース。家族には弱い。白灰色の髪に灰緑色の瞳。

ラディウス:パエニンスラ領主の息子。明るく快活。性格は領主似。よく騎士団に交じって訓練している。プラチナブロンドの髪にブルーグレーの瞳。

セルヴァティオ:ヴァルムの息子。ラディウスとは兄弟のようにして育った。真面目で繊細。酒が入ると人が変わる。ヴァルムと別れた母とは時々会っている。白灰色の髪に青い瞳。

マリベル:線細工師。背が低いので成人女性に見られないが、ラディウスと同い年。勝気で犬嫌い。金茶の髪に青い瞳。

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