47 それぞれの立場
文字数 3,301文字
昼らしい昼を食べていなかったけれど、ちょこちょこ屋台などでつまんでいたので、そのまま夕飯まで我慢することにする。
綺麗に整備された石畳の道に花壇やプランターが設置されていて、何処を見ても花が目に留まった。誰でも休憩できるようになのか、等間隔でベンチも置かれている。
少し目線を上げれば家々の窓際にも花が飾られていて、町全体で『花の都』を作り上げているのが感じられた。
「マリベルの作る物は花や植物モチーフの物が多いから、こういうところで商売した方が売れるかもな」
何気なくビヒトがそう言うと、マリベルは少し視線を下げた。
「そう、かな。あたしも、あちこち行ってみたい気持ちはあるんだよね。でも、工房を移すのかとか、買い付けは大丈夫かとか、何より父さんを残していく事考えるとなかなか踏ん切れなくて」
「そういえば、親父さんは今別のところで作ってるのか? 親戚のとこにって話だったけど」
マリベルは
「作れてないと思う。お金……借りてて。その返済代わりに手伝いをってことだったから、自分の事はたぶん……」
「……そうか」
「……うん。だから、今度いくつか作り溜めたの持ってきてみようかな! 確かに、ここなら花を目当てで来る観光客も多いもんね! あたしの作品も目に留めてもらえるかもしれない!」
顔を上げ、精一杯明るい声を出して拳を握るマリベルの頭を、ビヒトは手のひらでぽんぽんと優しく包んだ。
「上手くいくといいな」
一瞬だけ、泣きそうな顔でビヒトを見上げて、すぐにまた下を向いたマリベルは、消え入りそうな声で「うん……」と頷いた。
それきり、辺りの喧騒だけが二人の間を流れていく。
街灯の下に、商店の店先に、緩やかな風に揺れる花々がマリベルの気持ちを少しずつ解いていってくれた。
いいかげん何か話題を、と顔を上たマリベルをビヒトが呼ぶ。
「マリベル。ここだ」
足下に視線を落としてたので、彼女は危うく通り過ぎるところだった。
ビヒトはいつの間にか立ち止まっていて、入口を指差している。
マリベルが慌てて見上げると、煉瓦と白壁の立派な建物が目に入った。入口には小さなポーチがあって、二段ばかりの階段横にはプランターに赤い花が植えられていた。
ちょうど扉が開いて、中から人が出てくる。扉を押さえているのは制服を着た案内係だった。
「え……ちょ……っと? あの、えっと、想定より、け……結構高級なんですけど!」
手持ちを考えて、わたわたしてるマリベルを見て、ビヒトはおかしそうに笑う。
「大丈夫だ。誰もマリベルに払ってほしいとは思ってない。こっちの都合だから、心配するな」
「え? それも……ね、ねぇ」
フロントに向かいかけたビヒトの袖を掴んで、マリベルが声を潜めた。
「みんな、実は結構いいとこの子なの? あたし、なんか失礼してる?」
ああ……と曖昧に口にしてから、ビヒトは返答に困る。
「ヴァルムが……有名な冒険者だからな。稼いでる。子供達の手前、見栄もあるんだろう。連れ歩くのは久しぶりだって言ってたし」
苦しいかと思ったが、マリベルは一応納得してくれたようだった。
ラディウスが本来泊まるような所に比べると数段低いグレードなので、ビヒトは少しほっとしていたのだが、事情を知らないマリベルにしてみれば、冒険者の泊まるような宿に案内係がいるとは思っていなかったのだろう。
彼等が完全な庶民を装うのは無理だと悟って(ビヒト自身も酒場のマスターに気付かれてる)ビヒトは落としどころを考え始めた。
「そういえば……よくは知らないんだが、ヴァルムの別れた奥さんが、多分少しいいとこの人だ。セルヴァティオ……ティオが大人びて見えるのも、そういうとこもあるのかもしれない。幼い頃は奥さんに躾けられただろうから」
名を口にしてしまってからしまったと思ったけれど、バレたくないのは多分ラディウスだけだと開き直る。
遊び慣れてるようなラディウスに比べて、セルヴァティオは少し堅い。聞いたことはないが、嘘ではない自信がビヒトにはあった。
先程までよりもよっぽど納得の表情でマリベルが頷く。
「ああ! そう言われたら、しっくりくるかも!」
ほっとして、今度こそフロントに向かう。
「ビヒトもそんな感じだよね。お金の使い方とか見てると。成り上がりでお金持つようになった人とは違う感じ」
思わず振り返ったビヒトに、マリベルは慌てて手を振った。
「あ。ごめん。詮索するつもりとかじゃないよ。ビヒトは、ビヒトだし」
吸い込んだ息をそろそろと吐き出す。
「……じゃあ、心配するな。ティオもラッドも感じたままの奴等だ。失礼な事なんてない」
ラディウスは領主の子として来たわけじゃない。だから、きっと、肩書で線を引かれたり媚びたりされたくないんだ。
その気持ちは大きな家名を持つビヒトにも理解できた。
自分自身の価値を名前だけで決めつけられたくない。何者になるのか、自分で決めたい。
領主にならなくてもいいと言ったラディウスの言葉が、あの時より胸に重く響いた。
名を告げてヴァルムを呼び出してもらい、ついでに部屋が空いているか聞くと、すでに「用意しております」と答えが返ってきた。
「一度上がられますか?」
にこりと微笑む男性に首を振って答える。
「いや。すぐ出ると思うから」
「では、お戻りになりましたらお声掛け下さいませ。お待ちの間はソファにどうぞ」
ロビーの高級そうな布張りのソファを手で示すと、フロントの男性はマリベルにも頷きかけた。
花の刺繍の上に、申し訳なさそうに腰を下ろして、二人は三人が降りてくるのを待つ。
駆け寄るラディウスの姿を見つけると、二人は同時に立ち上がった。
少々早いものの、ヴァルムのお勧めという酒場で夕飯にする。
相変わらず、肉や肉の注文しかしないので、ビヒトがマリベルに食べたいものを聞くと、彼女を間に挟んでいたラディウスとセルヴァティオが、はっとしたように後を引き継いだ。
ラディウスはヴァルムと同じように肉好きだし、セルヴァティオはこういうところでの食事自体多くないのだろう。ちやほやと紅一点を持ち上げる様子にビヒトはうっかりと頬を緩めてしまう。
「お
ヴァルムに頭を小突かれて、苦笑する。
若者たちは店員を呼んで名物料理などを聞き出すようだ。
「元々、彼女の気分転換を兼ねて連れてきたんだ。楽しそうだとほっとする」
「作業、行き詰ってんのか?」
「いや。それ以外の外野が大変そうだ。……それはそうと」
真剣にメニューを吟味している三人を確認しながら、ビヒトはやや声を潜める。
「どういう経緯で二人を? 他に誰もついて来てないのか?」
「名目は視察だな。セルヴァティオも成人したし、帝都の状況を確認する意味でも、その力を肌で感じる意味でも見ておいた方がいいと。ラッドは成人してから一年程こっちの学校に通ってたし、セルヴァティオも希望すれば行かせてもいいから、下見も兼ねてな」
「本音は?」
「わしとビヒトがいれば、護衛がいらないから羽が伸ばせるってよ。わしがちぃっと真面目にやっとったら、みんなラッドに言いくるめられた。成人しとるとはいえ、息子に甘いと思わんか?」
それでも連れてくるあたり、ヴァルムも結構甘い気がする。まぁ、自信があるんだろう。
確かに下手な護衛より実力も、立場も上なのだから。
「帰りはどうするんだ? また送って行くのか?」
「こっちの予定が立ったら、連絡することになっとる。迎えの奴等は国境付近の街で待機しとるらしい」
「なるほどな。『ラッド』なのも、余計なトラブルを避けるためか」
「まあな。そう気にすることもねえと思うんだが、本人気に入っとるみたいだしな」
「あれ、絶対初めてじゃないだろ。板に付き過ぎだ」
「セルヴァティオに聞いてみたら、たまに抜け出して夜遊びしとるらしい。自分も撒かれると怒っとったわ」
「血だな」と笑ったビヒトを、注文を終えた三人が不思議そうに振り返った。