48 酔っ払い
文字数 3,076文字
観光地で女性客が多いからか、そういう店だったのか、変な連中に絡まれることもなく食事は進んだ。
花のサラダや、スープにも花が浮いていたりして、食べるのか残すのかでひとしきり盛り上がる。マリベルが頼んだデザートも、花が透明なゼリーで固められていて、とろりと蜂蜜を使ったソースがかかっていた。
「それも、綺麗だな。やっぱり花に味は無いのか?」
スプーンで一口掬って口に運んだマリベルに、セルヴァティオが少し顔を寄せた。
「あ、これはね、ちょっと花の香りがするよ。薄い香水を食べてるみたい」
「へえ……」
「食べてみる? 人選びそうな味」
もう一口分掬ったスプーンを持ったまま、マリベルは笑顔を向けた。彼女が、反対の手でゼリーの乗った皿を彼の方に押しやろうとした瞬間、セルヴァティオは彼女の手を掴まえて、そのスプーンにかぶりついた。
ビヒトもヴァルムも思わず動きを止める。
「あっ。ティオ!」
「ん。ほんとだ。口の中が花の香りになる」
セルヴァティオは淡々と自分のペースだが、マリベルは呆けていた。
「ティオ、そっちじゃない。皿の方を出してくれただろう?」
「え?」
顔を上げてマリベルを見たセルヴァティオの目元はほんのりと赤らんでいて、心なしかとろんとしている。そんな顔で追いうちのように見つめられて、マリベルは一気に赤くなった。
セルヴァティオはそこでふっと微笑んで「可愛い」なんて呟くものだから、マリベルは軽くパニックだ。
「あー。あー。駄目だ。酔っぱらってる」
「酔ってる、のか?」
ラディウスはビヒトに向けて頷いた。
「ティオ、普段色々我慢してるのか、酒が入ると時々人が変わるんだ」
「お祝いの時は普通だったぞ」
「あの時は自分でセーブしてたんじゃないかな。緊張もしてただろうし。あ、でも彼女誘いに行ってたしな……やっぱ少し影響あったのかも」
微笑んだまま、マリベルを見つめ続けているセルヴァティオに軽く溜息を吐くと、ラディウスは立ち上がった。
「マリベル、嫌ならこっちに来い。ティオは多分覚えてないから、代わりに謝っておく」
「い、嫌では、ないんだけど……」
どうしたらいいのか分からないと、マリベルはラディウスと席を変わった。
「なんだよ。ラッド。見てるだけじゃないか」
「じろじろ見るのは失礼だろ。その前に人のスプーンにかぶりつくな」
「くれるって言ったから。ラッドだって、夜遊びする時はあーん、なんてしてたじゃないか」
「ばっ……ここで言うな! あれはあっちがしてきたんだし! じゃ、なくて!」
「くれるって言った」
ぐだぐだの様相を示してきて、ヴァルムはにやにやと、ビヒトは生温かく若者たちを見守る。
「だいたい、お前には本命がいるだろう? あのお嬢さんはいいのかよ」
セルヴァティオは少し首を傾げた。
「ここにはいないし?」
「告げ口するぞ」
「なんでだよ。別に口説いてないだろ」
「口説きそうだからだよ」
「口説かないよ。ビヒトさんのだろ? ラッドみたいに節操無くない」
「なんで節操無いって思われてんだ!?」
「俺が撒かれた時とか、朝会うといつも違う匂いがする。連れてけないような女 と会ってるんだろ」
言葉に詰まって、ラディウスは片手で顔を覆った。指の間からちらりとビヒトとヴァルムを見て、ぼそぼそと続ける。
「未成年は、あんまり連れ歩けないだろ……俺の評判はどうでも、お前の評判を落とすわけにはいかないんだから」
「……それって、俺のため……?」
「あー。あー。そうかも。そうじゃないかも! ほら、食って帰るぞ、酔っ払い!」
ラディウスもうっすら頬を上気させているのを見て、ビヒトは喉の奥で笑った。
「ティオ、ひとつ訂正だ。マリベルは誰の物でもない。俺も、口説いてないぞ」
「そ、そうよ。口説くつもりなら、真剣に、一筋にお願いするわ!」
セルヴァティオはふふと笑って「わかった」と頷いた。
「ラッドも、わかったか?」
「は?」
「真剣に、一筋に、が大事なんだぞ」
「いや、俺じゃないだろ」
「だいじなんだぞ」
ラディウスの腕を掴まえて真面目に訴えるセルヴァティオに、今度はマリベルも笑った。
◇ ◆ ◇
三部屋あるうちの一部屋に酔っ払いを任せたラディウスを突っ込んで、マリベルも別の部屋に入るのを見届ける。
残ったビヒトとヴァルムはもう一部屋に入って、途中で買ってきた葡萄酒と蜂蜜酒をテーブルに乗せた。
「コップがないな」
「あるぞ」
ニッと笑いながら、ヴァルムは荷物から木製のカップを二つ出してくる。
「高級ホテルになると、ティーセットとか置かれてるとこもあるけどな。そんなとこめったに行かねえからな」
「酒で身体壊すなよ? それに、ここに着いた時、マリベルにいいとこの人なのかと疑われたからな? ここだって高級のうちだぞ」
「たまの遠出だから奮発したとでも言えばええ。さすがに、ラディウスを連れてここ以下の防犯体制では泊まれん」
「そんな感じで誤魔化した。ついでに、セルヴァティオの母親は少しいいとこの出かもしれないって話してある」
「む?」
手早く口を開けると、ヴァルムは豪快に酒を注いでいく。
「話したか?」
「いや。憶測だが、ラディウスに比べてセルヴァティオはスレてないからな。そのくらい言っといた方が逆に不信感は無くなるかと思って」
「まあ、そうかもな。小せえ頃はがっちがちに躾けられてたからな。習慣ってぇのはなかなか直らねえ。息抜きにと連れ出して泥だらけになって帰れば、わしまで叱られて……」
カップをひとつビヒトに差し出すと、ヴァルムは一息にそれを飲み干した。
「領主の跡取りと関係を持つのならば、それだけの教養が必要だと。ラディウスがああだからな。昔は随分可哀相だと思ってたんだが、結果的に誰も文句を言えんくらいに育っとる。数日一緒に内務をやって感心した。ラディウスも頼りにしてるようだし? それが滲むのは仕方がない。臣下としての教育だが、お嬢ちゃんには見分けはつくまい」
「あの二人が兄弟のように育っていて、まだ良かったよ。でなければ、セルヴァティオはあそこまで砕けられなかっただろうから」
次の分を酌みながら、ヴァルムは肩を震わせた。酒がカップからはみ出そうになっている。
「珍しいもんを見たな。今度、本音を聞きたい時にゃあ酔わせることにしよう。お前さんは変わらなくてつまらんからな。ほれ。ちゃんと飲め。本当に嬢ちゃんとは何もないのか?」
ビヒトは言われるがままにカップを空けて、ヴァルムに差し出す。
「ないな。やるべきことがある。俺はここに留まれない。ただ……確かに、一緒にいて楽しい気分になったり、力になりたいとかは思う。多分、焦がれるとかじゃなくて、友達としてなんだろうが。ラッドやティオに対するのと同じ感じだ。俺は兄弟も上ばかりで、同年代の友人というものがほとんどいなかったから、あいつらといると学生をやり直してる気分になる」
「そこからか」
呆れたように言ってから、ヴァルムはにやりと笑った。
「まあ、実際、わしにはどうでもいいことだがな。何をしてもいい。何もしなくても。後悔だけはするな。しないように選べ」
無責任にも聞こえるヴァルムの言葉は、いつもビヒトの胸にするりと入り込む。
どれを選んでもいいのだと、ただどれも甘くはないと教えてくれる。
なみなみと注がれたカップをつき返しながら、ヴァルムは本題へと水を向けた。
「で? 怪我は、嬢ちゃんの為か?」
「まあ、だいたいそうだな。マリベルに会ったのは帝都に着いた日の夜で――」
今度は少しずつ口を湿らせながら、ビヒトは夜が更けるまで語って聞かせたのだった。
花のサラダや、スープにも花が浮いていたりして、食べるのか残すのかでひとしきり盛り上がる。マリベルが頼んだデザートも、花が透明なゼリーで固められていて、とろりと蜂蜜を使ったソースがかかっていた。
「それも、綺麗だな。やっぱり花に味は無いのか?」
スプーンで一口掬って口に運んだマリベルに、セルヴァティオが少し顔を寄せた。
「あ、これはね、ちょっと花の香りがするよ。薄い香水を食べてるみたい」
「へえ……」
「食べてみる? 人選びそうな味」
もう一口分掬ったスプーンを持ったまま、マリベルは笑顔を向けた。彼女が、反対の手でゼリーの乗った皿を彼の方に押しやろうとした瞬間、セルヴァティオは彼女の手を掴まえて、そのスプーンにかぶりついた。
ビヒトもヴァルムも思わず動きを止める。
「あっ。ティオ!」
「ん。ほんとだ。口の中が花の香りになる」
セルヴァティオは淡々と自分のペースだが、マリベルは呆けていた。
「ティオ、そっちじゃない。皿の方を出してくれただろう?」
「え?」
顔を上げてマリベルを見たセルヴァティオの目元はほんのりと赤らんでいて、心なしかとろんとしている。そんな顔で追いうちのように見つめられて、マリベルは一気に赤くなった。
セルヴァティオはそこでふっと微笑んで「可愛い」なんて呟くものだから、マリベルは軽くパニックだ。
「あー。あー。駄目だ。酔っぱらってる」
「酔ってる、のか?」
ラディウスはビヒトに向けて頷いた。
「ティオ、普段色々我慢してるのか、酒が入ると時々人が変わるんだ」
「お祝いの時は普通だったぞ」
「あの時は自分でセーブしてたんじゃないかな。緊張もしてただろうし。あ、でも彼女誘いに行ってたしな……やっぱ少し影響あったのかも」
微笑んだまま、マリベルを見つめ続けているセルヴァティオに軽く溜息を吐くと、ラディウスは立ち上がった。
「マリベル、嫌ならこっちに来い。ティオは多分覚えてないから、代わりに謝っておく」
「い、嫌では、ないんだけど……」
どうしたらいいのか分からないと、マリベルはラディウスと席を変わった。
「なんだよ。ラッド。見てるだけじゃないか」
「じろじろ見るのは失礼だろ。その前に人のスプーンにかぶりつくな」
「くれるって言ったから。ラッドだって、夜遊びする時はあーん、なんてしてたじゃないか」
「ばっ……ここで言うな! あれはあっちがしてきたんだし! じゃ、なくて!」
「くれるって言った」
ぐだぐだの様相を示してきて、ヴァルムはにやにやと、ビヒトは生温かく若者たちを見守る。
「だいたい、お前には本命がいるだろう? あのお嬢さんはいいのかよ」
セルヴァティオは少し首を傾げた。
「ここにはいないし?」
「告げ口するぞ」
「なんでだよ。別に口説いてないだろ」
「口説きそうだからだよ」
「口説かないよ。ビヒトさんのだろ? ラッドみたいに節操無くない」
「なんで節操無いって思われてんだ!?」
「俺が撒かれた時とか、朝会うといつも違う匂いがする。連れてけないような
言葉に詰まって、ラディウスは片手で顔を覆った。指の間からちらりとビヒトとヴァルムを見て、ぼそぼそと続ける。
「未成年は、あんまり連れ歩けないだろ……俺の評判はどうでも、お前の評判を落とすわけにはいかないんだから」
「……それって、俺のため……?」
「あー。あー。そうかも。そうじゃないかも! ほら、食って帰るぞ、酔っ払い!」
ラディウスもうっすら頬を上気させているのを見て、ビヒトは喉の奥で笑った。
「ティオ、ひとつ訂正だ。マリベルは誰の物でもない。俺も、口説いてないぞ」
「そ、そうよ。口説くつもりなら、真剣に、一筋にお願いするわ!」
セルヴァティオはふふと笑って「わかった」と頷いた。
「ラッドも、わかったか?」
「は?」
「真剣に、一筋に、が大事なんだぞ」
「いや、俺じゃないだろ」
「だいじなんだぞ」
ラディウスの腕を掴まえて真面目に訴えるセルヴァティオに、今度はマリベルも笑った。
◇ ◆ ◇
三部屋あるうちの一部屋に酔っ払いを任せたラディウスを突っ込んで、マリベルも別の部屋に入るのを見届ける。
残ったビヒトとヴァルムはもう一部屋に入って、途中で買ってきた葡萄酒と蜂蜜酒をテーブルに乗せた。
「コップがないな」
「あるぞ」
ニッと笑いながら、ヴァルムは荷物から木製のカップを二つ出してくる。
「高級ホテルになると、ティーセットとか置かれてるとこもあるけどな。そんなとこめったに行かねえからな」
「酒で身体壊すなよ? それに、ここに着いた時、マリベルにいいとこの人なのかと疑われたからな? ここだって高級のうちだぞ」
「たまの遠出だから奮発したとでも言えばええ。さすがに、ラディウスを連れてここ以下の防犯体制では泊まれん」
「そんな感じで誤魔化した。ついでに、セルヴァティオの母親は少しいいとこの出かもしれないって話してある」
「む?」
手早く口を開けると、ヴァルムは豪快に酒を注いでいく。
「話したか?」
「いや。憶測だが、ラディウスに比べてセルヴァティオはスレてないからな。そのくらい言っといた方が逆に不信感は無くなるかと思って」
「まあ、そうかもな。小せえ頃はがっちがちに躾けられてたからな。習慣ってぇのはなかなか直らねえ。息抜きにと連れ出して泥だらけになって帰れば、わしまで叱られて……」
カップをひとつビヒトに差し出すと、ヴァルムは一息にそれを飲み干した。
「領主の跡取りと関係を持つのならば、それだけの教養が必要だと。ラディウスがああだからな。昔は随分可哀相だと思ってたんだが、結果的に誰も文句を言えんくらいに育っとる。数日一緒に内務をやって感心した。ラディウスも頼りにしてるようだし? それが滲むのは仕方がない。臣下としての教育だが、お嬢ちゃんには見分けはつくまい」
「あの二人が兄弟のように育っていて、まだ良かったよ。でなければ、セルヴァティオはあそこまで砕けられなかっただろうから」
次の分を酌みながら、ヴァルムは肩を震わせた。酒がカップからはみ出そうになっている。
「珍しいもんを見たな。今度、本音を聞きたい時にゃあ酔わせることにしよう。お前さんは変わらなくてつまらんからな。ほれ。ちゃんと飲め。本当に嬢ちゃんとは何もないのか?」
ビヒトは言われるがままにカップを空けて、ヴァルムに差し出す。
「ないな。やるべきことがある。俺はここに留まれない。ただ……確かに、一緒にいて楽しい気分になったり、力になりたいとかは思う。多分、焦がれるとかじゃなくて、友達としてなんだろうが。ラッドやティオに対するのと同じ感じだ。俺は兄弟も上ばかりで、同年代の友人というものがほとんどいなかったから、あいつらといると学生をやり直してる気分になる」
「そこからか」
呆れたように言ってから、ヴァルムはにやりと笑った。
「まあ、実際、わしにはどうでもいいことだがな。何をしてもいい。何もしなくても。後悔だけはするな。しないように選べ」
無責任にも聞こえるヴァルムの言葉は、いつもビヒトの胸にするりと入り込む。
どれを選んでもいいのだと、ただどれも甘くはないと教えてくれる。
なみなみと注がれたカップをつき返しながら、ヴァルムは本題へと水を向けた。
「で? 怪我は、嬢ちゃんの為か?」
「まあ、だいたいそうだな。マリベルに会ったのは帝都に着いた日の夜で――」
今度は少しずつ口を湿らせながら、ビヒトは夜が更けるまで語って聞かせたのだった。