23 腕輪の検証
文字数 3,194文字
柔らかな寝具の中で、少しずつ意識が浮上していく。
ああ、ハンナが起こしに来る前に目を覚まさないと。
昨夜、父上の書斎で見た古い書物のことが気になって眠れなかった。古い言葉で半分も分からなかったけれど、途中で父上に見つかって「お前にはまだ早い」と取り上げられたけれど、資料片手に、もっとじっくりと読んでみたかった。
ああ……今日の授業の課題は終わっていたっけ…………
うっすらと開いた瞳に朝の光が眩しくて、ビヒトは何度かゆっくりと瞬いた。俯せに近い形で横になった体勢のまま向けられた視線の先には、ソファの上に大きな身体が横たわって見える。
誰? と、ヴァルム、という二つの思考が同時に存在して混乱する。慣れてきた視界で辺りを確認していると、パエニンスラでヴァルムの部屋だということが思い出されてきた。
久しぶりに沈み込むような布団で眠ったからか、記憶が混乱をきたしたようだ。身体を起こして伸びをする頃にはビヒトの頭ははっきりとしていた。
丁度、朝一の鐘が聞こえてきてヴァルムも身じろぎをした。
ビヒトはベッドを下りてヴァルムに近寄ると、その額を指で弾く。
「おら。ベッドは空いたぞ。まだ起きないなら移動しろ」
ビヒトは用意された部屋に戻り損ねて、なんだかんだ言っているうちにヴァルムにベッドに文字通り放り込まれたのだ。馬鹿力に敵うわけもなく、抵抗するのも諦めて柔らかい布団に身を沈めた。
おかげで古い夢を見た。今更、終わったことを。
八つ当たり気味にもう一度ヴァルムの額をバチンと叩くと、ビヒトは身支度を始めた。
もぞもぞ動いていたヴァルムは、あるタイミングで、がばりと起き上がった。
「どこか行くのか?」
「朝の訓練にでも混ぜてもらおうかと。ああいうきっちりしたのはやったことがなくて」
「楽しくはねぇけどな」
「そうか? まあ、やってみないとわからんからな」
楽しくないと言いつつ、ヴァルムはあちこちバキバキと骨を慣らしながらビヒトについてきた。
ランニングや柔軟に素振り。確かに面白いメニューではなかったが、団長や副団長の目を盗んで話される雑談は面白かった。
初日にヴァルムに外壁の上から落とされた弓兵は、確認もせずに客人に弓を射たことによる制裁だったらしい。紫の煙はヴァルムが戻ったことを知らせる合図だったようで、弓と魔術は控えめに、という決まりもあるのだそうだ。(無駄になるから、というのが理由でビヒトは苦笑いした)
そのまま騎士団の朝食に呼ばれて、二人は遠慮なく混ざっていく。
ヴァルムをひっくり返した時の話などで盛り上がっているうちに、気温も上がってきた。
ヴァルムはいつの間にか団長に話しをつけたようで、朝食後に訓練スペースの一部を空けてくれるということだった。朝から一緒に訓練に参加していたラディウスが、話を聞いてセルヴァティオを呼びに走っていく。
ビヒトは左腕に昨日の腕輪を嵌めて、緑の石に充分に魔力を注ぎ込んだ。
普段あまり護身具 をつけないので少し違和感はあったが、その軽さの方に本当に役に立つのかと不安になる。
真空魔術 が飛ぶはずだからと、興味津々な騎士団の面々も一定以上は下がらせておいた。ラディウス達が戻ってきたところで、ビヒトとヴァルムは目を合わせて頷きあう。
「弾けるヤツが前にいろよ。トロくせえと真っ二つだぞ」
にやりと笑うヴァルムに剣先で脅されて、何人かは少し後ろに下がった。
「風の盾 からいくかぁ」
頷いてビヒトは腕輪に右手を覆い被せ、石と台の部分両方に魔力を流す。すい、と頬を撫でた風はすぐに彼の周りで速度を増した。
見た目にはそれほど変わりはない。ビヒトの服や髪が少しはためいている、というくらいだ。
ヴァルムが手にした細い枝を軽く投げつける。それはビヒトに届く前にいくつかに分裂してから千々に散った。
続けて人の腕の太さくらいある枝をヴァルムは投げつけた。
これも、乱切り状態になってから吹き飛ばされていく。
周囲で息を呑む声が聞こえてきた。
「誰か、剣を貸せ」
ヴァルムの声にすぐに1人が剣を腰から抜いて駆け寄っていく。
「大丈夫か?」
ヴァルムはゆっくりと二度頷いて無造作に剣を振った。
ビヒトの目の前で刀身に切り込みが入り、巻き上げられたかと思うと、ばらりとばらけて周囲に飛んだ。
「うぉっ」
「わわ……」
「剣も折りやがるか。とんでもねぇな。そっちからは攻撃できんのか?」
足元まで破片が飛んできて慌てる騎士団を一顧だにせず、ヴァルムは楽しそうに目を細めた。
怪我人はいなそうだと、目の端で確かめてからビヒトは剣を抜いて普通に振ってみる。特に抵抗は無かった。
「いけそうだ」
「おし。来い。軽くな」
「危ないぞ」
「大丈夫だ」
うずうずと興奮して縮まる瞳孔と唇をなぞる舌先に呆れながら、足を踏み出す。軽い助走から振り被って、真直ぐに振り下ろした。
ヴァルムは少し後ろに飛びながらその剣を横にはらう。
金属が震えるようなヒィンという不思議な音が尾を引き、ヴァルムの手首くらいまで細かい切り傷がいくつも走った。
ビヒトが慌てて後ろに飛び退く。
「思ったより範囲が広ぇなあ」
「大丈夫か?!」
涼しい顔で何度か傷ついた手を振るヴァルム。
ビヒトは発動させた時と同じようにして盾を解除した。
「問題ねえ。かすり傷だ。この剣なら傷もつかねえみてえだし。しかし、かなりエグイな。普通に踏み込んだらバラバラだ」
「消費魔力も馬鹿にならん。長時間は無理だな」
だろうな、と言って笑うとヴァルムは「さ、次」と促した。
先程よりも距離をとって向かい合い、左手で剣を持ったまま彼は木の枝を振り被って投げる。すぐに剣を構え直すと、軽い雰囲気は消えた。
ビヒトは放物線を描いて落ちてくる枝を腕輪で受ける。
緑の石が薄く光って、反撃の魔力が吸い出されていく。
「……み……っつ!」
思わずついて出た言葉が伝わったのかどうか。
ヴァルムは二歩三歩前に出て、正面に剣を振り下ろすと同時に頭から地面に飛び込んだ。背中で服が何かに掠って小さな布と繊維が舞い上がる。彼はぐるりと回転してすぐに起き上がった。
「横! 行くぞ!」
慌てた騎士団の誰かに、きっちり空へと弾かれていく魔力の感覚にビヒトはほっとする。
「前と左右か?」
「そうだ。よく避けたな」
「久しぶりに毛の逆立つ感覚だったわ。容赦ねえなぁ」
今の今でカカと笑えるヴァルムは頼もしいやら怖いやら。
風の魔術は見えづらい。見物人達には今一つ危機感が伝わらなかったらしい。
「ビヒトー。どうなったんだ?」
ラディウスの掛けた声にビヒトは振り返って答える。
「反撃の真空魔術 が三つ出たんだ。正面からと左右から回り込む形で」
ヴァルムに対して身振りでその軌跡を表すと、ようやくどよめきが起きた。
「接近戦でうっかり受けられたら避けらんねえな」
「というか危なっかしくて普段から着けているのは無理だ」
「対魔獣用なんじゃねえか? 人相手にはちぃと念入りが過ぎる」
「そうかもな」
腕輪を外したビヒトの手をヴァルムは包み込むようにして掴んだ。
ビヒトは疑問の顔を向ける。
「ビヒトも試してみればいい。ラディウス、来い」
「――は?」
ビヒトと同じように、ラディウスも戸惑っているのが雰囲気でわかった。
眉を顰めるビヒトにヴァルムはにやりと口角を上げる。
「ここで斬れるようになれば、遺跡に連れて行ってやろう」
心臓がどくん、と脈打つ。
期待か。
恐怖か。
無理だ。嫌だ。とは口に出したくなかった。腹の奥が燃えているように身体が熱くなっていくのを、ビヒトは止められない。
ビヒトが答えないのを解っているように、ヴァルムはもう一度呼んだ。
「セルヴァティオでもいい。来い」
誰も答えないまま、奇妙な静けさだけが辺りに満ちていった。
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※朝一の鐘・・・午前6時頃
ああ、ハンナが起こしに来る前に目を覚まさないと。
昨夜、父上の書斎で見た古い書物のことが気になって眠れなかった。古い言葉で半分も分からなかったけれど、途中で父上に見つかって「お前にはまだ早い」と取り上げられたけれど、資料片手に、もっとじっくりと読んでみたかった。
ああ……今日の授業の課題は終わっていたっけ…………
うっすらと開いた瞳に朝の光が眩しくて、ビヒトは何度かゆっくりと瞬いた。俯せに近い形で横になった体勢のまま向けられた視線の先には、ソファの上に大きな身体が横たわって見える。
誰? と、ヴァルム、という二つの思考が同時に存在して混乱する。慣れてきた視界で辺りを確認していると、パエニンスラでヴァルムの部屋だということが思い出されてきた。
久しぶりに沈み込むような布団で眠ったからか、記憶が混乱をきたしたようだ。身体を起こして伸びをする頃にはビヒトの頭ははっきりとしていた。
丁度、朝一の鐘が聞こえてきてヴァルムも身じろぎをした。
ビヒトはベッドを下りてヴァルムに近寄ると、その額を指で弾く。
「おら。ベッドは空いたぞ。まだ起きないなら移動しろ」
ビヒトは用意された部屋に戻り損ねて、なんだかんだ言っているうちにヴァルムにベッドに文字通り放り込まれたのだ。馬鹿力に敵うわけもなく、抵抗するのも諦めて柔らかい布団に身を沈めた。
おかげで古い夢を見た。今更、終わったことを。
八つ当たり気味にもう一度ヴァルムの額をバチンと叩くと、ビヒトは身支度を始めた。
もぞもぞ動いていたヴァルムは、あるタイミングで、がばりと起き上がった。
「どこか行くのか?」
「朝の訓練にでも混ぜてもらおうかと。ああいうきっちりしたのはやったことがなくて」
「楽しくはねぇけどな」
「そうか? まあ、やってみないとわからんからな」
楽しくないと言いつつ、ヴァルムはあちこちバキバキと骨を慣らしながらビヒトについてきた。
ランニングや柔軟に素振り。確かに面白いメニューではなかったが、団長や副団長の目を盗んで話される雑談は面白かった。
初日にヴァルムに外壁の上から落とされた弓兵は、確認もせずに客人に弓を射たことによる制裁だったらしい。紫の煙はヴァルムが戻ったことを知らせる合図だったようで、弓と魔術は控えめに、という決まりもあるのだそうだ。(無駄になるから、というのが理由でビヒトは苦笑いした)
そのまま騎士団の朝食に呼ばれて、二人は遠慮なく混ざっていく。
ヴァルムをひっくり返した時の話などで盛り上がっているうちに、気温も上がってきた。
ヴァルムはいつの間にか団長に話しをつけたようで、朝食後に訓練スペースの一部を空けてくれるということだった。朝から一緒に訓練に参加していたラディウスが、話を聞いてセルヴァティオを呼びに走っていく。
ビヒトは左腕に昨日の腕輪を嵌めて、緑の石に充分に魔力を注ぎ込んだ。
普段あまり
「弾けるヤツが前にいろよ。トロくせえと真っ二つだぞ」
にやりと笑うヴァルムに剣先で脅されて、何人かは少し後ろに下がった。
「
頷いてビヒトは腕輪に右手を覆い被せ、石と台の部分両方に魔力を流す。すい、と頬を撫でた風はすぐに彼の周りで速度を増した。
見た目にはそれほど変わりはない。ビヒトの服や髪が少しはためいている、というくらいだ。
ヴァルムが手にした細い枝を軽く投げつける。それはビヒトに届く前にいくつかに分裂してから千々に散った。
続けて人の腕の太さくらいある枝をヴァルムは投げつけた。
これも、乱切り状態になってから吹き飛ばされていく。
周囲で息を呑む声が聞こえてきた。
「誰か、剣を貸せ」
ヴァルムの声にすぐに1人が剣を腰から抜いて駆け寄っていく。
「大丈夫か?」
ヴァルムはゆっくりと二度頷いて無造作に剣を振った。
ビヒトの目の前で刀身に切り込みが入り、巻き上げられたかと思うと、ばらりとばらけて周囲に飛んだ。
「うぉっ」
「わわ……」
「剣も折りやがるか。とんでもねぇな。そっちからは攻撃できんのか?」
足元まで破片が飛んできて慌てる騎士団を一顧だにせず、ヴァルムは楽しそうに目を細めた。
怪我人はいなそうだと、目の端で確かめてからビヒトは剣を抜いて普通に振ってみる。特に抵抗は無かった。
「いけそうだ」
「おし。来い。軽くな」
「危ないぞ」
「大丈夫だ」
うずうずと興奮して縮まる瞳孔と唇をなぞる舌先に呆れながら、足を踏み出す。軽い助走から振り被って、真直ぐに振り下ろした。
ヴァルムは少し後ろに飛びながらその剣を横にはらう。
金属が震えるようなヒィンという不思議な音が尾を引き、ヴァルムの手首くらいまで細かい切り傷がいくつも走った。
ビヒトが慌てて後ろに飛び退く。
「思ったより範囲が広ぇなあ」
「大丈夫か?!」
涼しい顔で何度か傷ついた手を振るヴァルム。
ビヒトは発動させた時と同じようにして盾を解除した。
「問題ねえ。かすり傷だ。この剣なら傷もつかねえみてえだし。しかし、かなりエグイな。普通に踏み込んだらバラバラだ」
「消費魔力も馬鹿にならん。長時間は無理だな」
だろうな、と言って笑うとヴァルムは「さ、次」と促した。
先程よりも距離をとって向かい合い、左手で剣を持ったまま彼は木の枝を振り被って投げる。すぐに剣を構え直すと、軽い雰囲気は消えた。
ビヒトは放物線を描いて落ちてくる枝を腕輪で受ける。
緑の石が薄く光って、反撃の魔力が吸い出されていく。
「……み……っつ!」
思わずついて出た言葉が伝わったのかどうか。
ヴァルムは二歩三歩前に出て、正面に剣を振り下ろすと同時に頭から地面に飛び込んだ。背中で服が何かに掠って小さな布と繊維が舞い上がる。彼はぐるりと回転してすぐに起き上がった。
「横! 行くぞ!」
慌てた騎士団の誰かに、きっちり空へと弾かれていく魔力の感覚にビヒトはほっとする。
「前と左右か?」
「そうだ。よく避けたな」
「久しぶりに毛の逆立つ感覚だったわ。容赦ねえなぁ」
今の今でカカと笑えるヴァルムは頼もしいやら怖いやら。
風の魔術は見えづらい。見物人達には今一つ危機感が伝わらなかったらしい。
「ビヒトー。どうなったんだ?」
ラディウスの掛けた声にビヒトは振り返って答える。
「反撃の
ヴァルムに対して身振りでその軌跡を表すと、ようやくどよめきが起きた。
「接近戦でうっかり受けられたら避けらんねえな」
「というか危なっかしくて普段から着けているのは無理だ」
「対魔獣用なんじゃねえか? 人相手にはちぃと念入りが過ぎる」
「そうかもな」
腕輪を外したビヒトの手をヴァルムは包み込むようにして掴んだ。
ビヒトは疑問の顔を向ける。
「ビヒトも試してみればいい。ラディウス、来い」
「――は?」
ビヒトと同じように、ラディウスも戸惑っているのが雰囲気でわかった。
眉を顰めるビヒトにヴァルムはにやりと口角を上げる。
「ここで斬れるようになれば、遺跡に連れて行ってやろう」
心臓がどくん、と脈打つ。
期待か。
恐怖か。
無理だ。嫌だ。とは口に出したくなかった。腹の奥が燃えているように身体が熱くなっていくのを、ビヒトは止められない。
ビヒトが答えないのを解っているように、ヴァルムはもう一度呼んだ。
「セルヴァティオでもいい。来い」
誰も答えないまま、奇妙な静けさだけが辺りに満ちていった。
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※朝一の鐘・・・午前6時頃