第20話 ホモ・サピエンス・ラミア

文字数 3,616文字

 五年後、バートは特使としてラミアの国に戻ってきていた。
 交渉が一段落すると、宰相のリシャールはバートに声をかけた。
「ヘンダウ特使。少し歩こうではないか」
 バートはリシャールに連れられて、屋上庭園に足を踏み入れた。リシャールは隣を歩きながら、水を向けた。
「無理をしなくともいい。君の話し方は随分と窮屈そうだ」
 バートは苦笑した。
「育ちが悪くてね。あなたの記憶力は確かなようですね」
「私はバランスが良いのだ。我々は少しずつ改良されている。神によって」
 神を架空の存在として聞いていたバートに、リシャールは肩をすくめた。
「実在するのだよ。この国には。命を司る神がね」
「そいつがこの国の王なのか?」
「王ではない。統治者ではないのだ。ラミアには永遠の命が約束されている。けれども、眠りに落ちた時、神でしか目覚めさせることができないのだ」
 ーーああ。
 はっきりしない物言いだが、バートには伝わった。
 神と呼ばれるラミアがいて、他のラミアを起こす役目を担っている。そいつは記憶力がよく、眠ることがないのかもしれない。最もバランスのいいラミアなのだろう。
 どうやって起こすのか。答えは一つしかないとバートは思った。
 ベネディクタルだ。
 なんて薬だ。癌を治し、人間を超人へと変え、活動が止まった肉体に、再び命の火を灯す。
 バートはエルベルの話をした。エルベルは五年前の姿のまま、一向に起きる気配はない。
「また話がしたいと思う。でも、起こしていいか迷っている。あなたならどうする?」
「使える者なら迷わず起こす。しかし、私が人間だったならば、迷わず銀を手に取るだろう」
「なぜ?」
「それが人間の情というものだろう?」
「どういう意味だ?」
「私は君に毛ほどの興味もないが、神が呼んでいる」
 サッと目の前に影がかかった。意識が遠のき、いつの間にか青白い光に満たされた洞窟に倒れていた。
 洞窟内には石灰水が湧き出し、白い窪みが高さを伴って、鱗のように幾重にも積み重なっている。照明に照らされ、天井に水紋がうつっていた。
 男が一人、立っていた。
「ここはもう、使ってはいないのだけれどね、思い出深い場所なんだ」
 雰囲気はラミアに近い。ただ、見た目は壮年だ。
 バートは立ち上がって問いただした。
「お前が神なのか?」
 男は自重的な笑みを浮かべた。
「まさか。神の真似事をしているだけだよ」
「ラミアか?」
「私はね、医者だったんだ。ラミア症候群は人類を分断してしまう。治療法を見つけるには、実験しなくてはならない。他人を使って人体実験などしてはならないが、自分の身体は使える」
 この男はいつから生きているのだろう。
 後天的にラミア症候群になれるということは何を意味するだろうか。
 バートは衝撃に身を震わせた。
「ここで何をしていた? 神としてお前は、何をしていたんだ」
「今も昔も変わらない。ラミアたちの命を繋いでいる。世界が破局してからは大変だった。ルールを作り、国を整備し、基礎を固めた。今では彼らが統治している。私は医者に戻ったんだ。彼らの不安定な記憶を解消する方法も解明できた。これから彼らは真に強くなっていくだろう」
「なんで……」
「私はそれが最善だと思ったんだ。私は傲慢な人間だった。損なってはならない。ラミアの能力を奪うことが間違いだったと、今はよくわかっている。ラミアはラミアとして生き、人間は人間として生きていくべきなんだ」
「元は同じなのに……。交わって暮らせば、それこそ争う必要もなかった。そうすれば人間は恨まなかったし、ラミアだって愛情を忘れなかった!」
「それは違う。人間の遺伝子は彼らの足枷となり、ラミアの遺伝子は人間を歪ませる。かつて人間はラミアの能力を手に入れようとして流産を繰り返した。君にわかるか? この意味が? 人間は弱く。ラミアは強い。私たち医者の仕事は、様々な命を寿ぐためにある。このままでは人間は消滅してしまう。ラミアたちも、その不死性を受け入れることが自然だと思ったんだ。人間の尺度で、彼らを病人にしてはいけない」
 バートは気持ちの整理がつかなかった。言いたいことはいっぱいある。だが、うまくことなにならなかった。
 男は言う。
「エルベルのことはよく覚えている。初期のラミアだ。今のラミアは私よりも堅牢な頭脳を持っている。人間を超えて。彼らはすべてを祝福された存在になるんだ。エルベルもまた、より強くなれるだろう」
「別人になるっていう意味か」
「見違えるだろうね。彼には記憶や情動に問題がある」
 バートは声を荒げた。
「ラミアを病人にしないって言っただろ。問題って言い方はおかしい」
「たまたま彼は穏やかだっただけだ。記憶の変性と情動の不安定性を治さなければ、それこそ人格が変わってしまう。魅力や個性を言い訳にして、個人に困難を押し付けるのはいただけないな」
 バートは噛み締めた。
 世界が荒廃する前から生き続け、考え続けてきた男の、これが見つけた答えなのか。
 男は人為的にラミアと人間を引き離している。それが多くの命を守ると信じて。
 薬によって、人間に近い吸血鬼はラミアらしさを増していき、出産で命を落とすと見られた女も、もしかしたら蘇生できるのかもしれない。
 男が小瓶を差し出した。
「あくまでラミアの価値観だ。人間は皆、バラバラの答えを出す。その答えには、成功も失敗もない。自力で薬を作ってもかまわないが、エルベルに合わせて調合しておいた。分析に使うだけでも、きっと役に立つだろう」
 迷うバートは、目の前の可能性を捨てることができなかった。

 それから、答えを出せずにいる。
 バルカンは医師の免許を取得していた。医学以外にも手を出しては、時折騒ぎを起こしている。バルカンの答えは聞くまでもなかった。
「賛成! 絶対やるべきだって!」
 リザは鬼子のシッターのなっていた。人間には扱いきれない鬼子たちも、リザなら対応できる。養育と手厚い医療のおかげで、鬼子の寿命は伸びていた。
「眠らせておいてやるのも優しさだと思うな、あたしはね。前と同じじゃなくなるんだろ?」
 グレコは救助隊の一員になっていた。たまにボストンに帰ってくる。
「彼のことは大事に思う。ただ、薬が怖い。その影響は彼だけには止まらないからだ」
 ロブは植樹作戦に励んでいた。貧弱だった身体も、いつのまにか人並みになり、仲間たちと一緒に仕事に精を出している。
「僕も会いたいと思うよ。彼がいい人だからそう思うんだ。悪い人だと感じたらそうは思わない。それがいいことなのか、僕にはわからないんだ。
 ホリーはアーカイブプロジェクトのメンバーになっていた。娘を小脇に抱えて、どこへでも飛んでいく。娘のローラはホリーに似てあまり笑わず、バートに似て怒りっぽい。
 バートを発見して、ローラが飛びついてくる。油断すると骨にヒビが入りかねない。友達なら泣くような怪し方で、ローラは奇声を発して喜ぶ。
 ホリーは言った。
「本人に聞けばいいだろう」
 まったく、簡単に言ってくれる。
 ボストンを中心に、世界中で議論が続けられていた。
 以前よりも理解が進んでいるのは間違いない。ベネディクタルの効果は累積し、目覚めさせる最小限の量を投与しても、ラミア化は進む。その結果、どの程度の変化が起きるかは未知数だった。
 その間に、人間だけが老いていく。
 バルカンが自分自身にベネディクタルを使いたいと言い始めている。老化の影響を減少させる程度に希釈したものを、生殖可能年齢を過ぎたものに限定すれば、次世代への影響は最小限にできると力説している。
 世界の人口は推定七億人。技術的にももっと多くの人間を養えた。
 人間はともかく、ラミアに使用するのは問題が少ないのではないか。ラミアを知る上で、彼の存在は重要だ。
 しだいに議論の方向性が決まっていく。
 人類はなんていうものを作ってしまったんだろう。それでも、大きな可能性を前に、全てを否定してしまうのは、違う気がする。
 産まれてこなければよかったと、嘆くようなものだ。
 バートは決心する。
 目の前の命をただただ祝おう。

 議論は決着し、エルベルを目覚めさせることとなった。
 エルベルに口に、薬が注がれる。
 わずかに脈がふれた。少しずつ力を取り戻し、呼吸が再開される。
 そしてうっすらと、目が開く。
 ゆっくりと目を覚ましたエルベルは、静かに視線を泳がした。
 バートは医者をおしのけて、エルベルのとりついた。静かに声をかける。
「エルベル? わかるか?」
 エルベルの呼吸が正常値まで回復する。バートは聞いた。
「ここがどこかわかるか?」
「ボストン……」
「俺の名前は?」
「バート……」
 バートは泣き出した。
 エルベルの意識が澄んでいく。
 今までにない喧騒。押し寄せるにおい。動きの一つ一つが目に飛び込んでくる。
 一筋の涙がエルベルの頬を伝う。
 エルベルはシモンを思った。
 今なら君の考えがわかるよ、と。
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登場人物紹介

バート(ハーバート・ヘンダウ)

吸血鬼を根絶やしにするべく気を吐く少年。

有力者一族の誇りを持っている。

ホリー

崩壊したコロニーからカウクリッツの村にやってきた少女。

疑問を見逃さない。吸血鬼胎児に懐疑的。

グレコ

カウクリッツの軍人。

面倒見がいい。

ロブ

ひ弱な青年。

事務の仕事をして過ごしたい。

エルベル

落ちこぼれのラミア(吸血鬼)。

感情豊かで優しい。

シモン

躍進目覚ましい次期領主。

使えるものはなんでも使う。

リシャール

生まれながらの支配者。

迷信に惑わされない合理的思考の持ち主。

ギョーム

愚か者として自由を手に入れた正直者。

バルカン

吸血鬼の国に所属する自称医者。

様々な研究している。

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