第15話 無辜
文字数 5,117文字
バルカンはあれが欲しい、これが欲しいと散々に注文をつけた。
カウクリッツの奴らめ、余計なことをしやがって。
役人のジョンはバルカンに手を焼きながらも、研究所への移送の手筈を整えた。
そうだ、とバルカンは言った。
「ねえ、もしバートくんが牢屋に戻されることがあったら、僕のところに連れてきてよ。人手がいるんだ」
「検討する」
「うわぁ、嘘だね。人が増えて余ってんじゃないの? いるでしょ? 手に余る人」
それはお前だと内心辟易しつつ、ジョンは無感情に言った。
「それを判断するのは領主様であって、私の領分ではない」
「いやいや、君たちが取り計らっているんでしょ。吸血鬼に人間の機微はわからないもん」
ようやく国の境まで来た。
やっと解放されると、ジョンはすぐにトラックをおりた。運転士にあとは頼んだぞと声をかけたその時、雷の音が聞こえた気がした。
音は止まず、みるみる近づいてきた。
空を裂くような爆音と共に、黒い塊が姿を現した。宙に浮いている。
腰を抜かすジョン。
バルカンが嬉々としてトラックを飛び降りた。
「嘘でしょ! 本物だ! 信じられない! やった! やったぞ!」
歓喜するバルカンに、ジョンは恐る恐るたずねた。
「なんだあれは! おい、手を振るな!」
「あれはヘレコプターだよ! 確かね! プロペラで空を飛ぶ乗り物だよ!」
「ジ、ジム! 急いでこのことを伝えるんだ!」
運転手はうなずくと、ハンドルを切って来た道を引き返した。
国際救助隊がやってきた。
大災害は地球規模で荒廃を引き起こしたが、北アメリカ大陸の被害は比較的小さく、生き残った者たちは少しずつ社会を再建し、分断されていた集まりは次第に繋がりを取り戻していった。アジアとアフリカとの通信を回復し、最も被害の大きかったユーラシア大陸に救助隊を派遣できるまでになっていた。
吸血鬼たちは衝撃を受ける。救助隊の技術力は、銀を使った大規模攻撃が可能なほど高い。こちらを攻撃、あるいは支配するつもりはないとのことだが、彼らは吸血鬼のことをよく知っていた。吸血鬼以上に、情報を持っているらしい。
幸い、領民たちは高度な技術を厄災の原因だと思っている。関わり合いになろうとはしないだろう。
バルカンのような人間を追放する場所として利用すばよい。
けれども、一度発生した不安は解消しなければならない。
エルベルの元へ、使者がやってきた。罪状を告げられ、エルベルは呆然となる。
エルベルの処刑が決まった。三日後。それまでに身辺を整理するように仰せつかった。
使者が帰ると、メアリーはホリーとメアリーに向かって叫んだ。
「あなたたちのせいです! ああ、なんてこと!」
エルベルは穏やかに言った。
「それは違うよ。メアリー。僕は遠征で失態を犯し、あまつさえ職務を放棄しようとした。これは僕の責任なのだ。僕の……。せっかくシモンやメアリーたちに命を繋いでもらったというのに。どこまでも情けないね、僕は」
そこへ使用人のマックが駆け込んできた。
「メアリー! 他にもたくさんの方々が死刑を勧告されている!」
「なんですって⁉︎ ああ……」
噂に聞く引き締めだ。他の領地ではよくあることだと耳にしたことがある。新領主の決めたことだろう。理由にたいした意味はない。メアリーは目の前が真っ暗になった。
よろめくメアリーを支えて、ホリーは聞いた。
「避けられないことなのか?」
「避けられない」エルベルはうなずいた。「避けてはならないことだ」
「なぜだ」
「なぜって。それが紳士のあるべき姿だから」
バートは言った。
「逃げよう」
おろおろと慌てるエルベルに、バートはもう一度言った。
「今すぐ逃げよう」
メアリーが制した。
「お待ちなさい」
ホリーは考える。
「逃げたらメアリーたちに迷惑がかかるだろうか?」
「いいえ。ラミアの方々はそこまでの責任を人間には課しておりません。いいですか。今逃げれば追っ手がかかります。一番警戒されている時期ですもの」
「最も警戒が緩むのは?」
メアリーは腹を括った。
「先生は教えてくださいました。かつて、支えていた主人が処刑された時のことを。失礼ですが、エルベル様はくらいが低うございます。おそらくは国の外れにあるという処刑場が選ばれるでしょう。そして、他には執行人のみが唯一のラミアとしてことにあたるでしょう」
「なるほど。そこが逃げどきか。一人を相手にすればいいだけだ」
バートが難しい顔をした。
「でも、エルベルには戦力がなさそうだぜ? 身体の動かし方をわかってない」
メアリーはバートをねめつけた。
「バート、口を慎みなさい。まったく……。聞きなさい。衣服を引き取るために、使用人を二人まで付き添わせることが許されております。あなたたちは軍人なのでしょう?」
ホリーはうなずいた。
「ありがとう、メアリー。必ず逃してみせる」
エルベルは首を左右に振った。
「待ってくれ。いけないよ。そんなことをしてはいけない。処刑人はとても凶暴で、君たちの命が危ない」
「心配するな。私は強い」
俺も強いとは言えずに、バートは聞いた。
「どこに逃げるかだよな。カウクリッツには水しかないぞ」
「ガーデンに行こう。基地を経由すれば水はある。ギョーム氏なら必ず保護してくれる」
エルベルの気持ちは変わらない。
「行けないよ。逃げるなんてできない」
メアリーが懇願した。
「エルベル様。どうかお逃げください。使用人一同、エルベル様のためだけに、働いてまいりました。どうか我々の仕事を否定なさらないでください。処刑場に立たせるために、私たちは働いてきたのではありません」
「そんなつもりはないよ。ただーー」
ホリーがエルベルの腕をつかんだ。
「いらないというのなら、その命を私にくれないか?」
「えっ……?」
バートは笑った。
「こいつのしつこさは死神以上だぜ」
真夜中。執行日を迎え、エルベルはバートたちを伴って出頭した。
行政官らしき吸血鬼によって国の外へと連れて行かれた。
そこでは頭巾を被った黒ずくめの三人組が待っていた。行政官は引き継ぎを済ませると、引き上げていく。
ホリーは執行人たちを観察した。両脇の二人が人間であることは間違いないが。真ん中は吸血鬼にしてはやや小柄だった。
一行は連れ立って処刑場へと向かった。荒野の中に、ぽつんと申し訳程度に石造りの舞台がある。到着すると、最も体格のいい処刑人が四方の松明を灯していく。
エルベルは手順通りにマントを脱いで、ひざまづくと、首元をはだけた。ヒョロリとした処刑人が、震える手で、エルベルの襟足を切り落とす。
エルベルもまた緊張していた。首を差し出し、息を止める。
銀製の剣をかまえた処刑人、リザが神経を集中させる。
剣を振り上げたその瞬間、後ろに控えていたホリーが飛び出した。袖口に隠していた小瓶を投げつける。
リザは冷静に小瓶を弾いた。ホリーに向かって行こうとしたが、割れた瓶から液体が気化して、火がついた。リザの左腕に燃えうつり、炎をあげた。一気に全身へと広がる。
その間にエルベルは炎と一緒に転がるようにして身を遠ざけ、舞台の下に落ちた。慌てて駆けつけたバートは上着を脱ぐと、バシバシと叩いて消化する。反対側では、危機を察知した処刑人、グレコがひょろひょろのロブに体当たりして避難していた。
リザは素早く回転すると、火を吹き飛ばした。風圧で松明の灯りも次々と消える。
真っ暗になった時には、ホリーは目にも止まらぬ速さで、リザをワイヤーでぐるぐる巻きにしていた。
引きちぎろうとしたリザは、細く鋭いワイヤーが服が焼けてあらわになった肌に食い込むのを感じた。
「バラバラになるぞ」
そう言って裏を取ったホリーは、振り返ったリザの顎を力一杯殴りつけた。
リザはあっけなく崩れ落ち、剣を突きつけようとしていたホリーは拍子抜けした。
グレコは頭巾を脱いで、声をかけた。
「彼女に銀は効かないぞ」
ホリーは真顔のまま、内心驚いた。
作戦を知らされていなかったバートが怒鳴る。
「焼き殺す気か!」
バートを無視して、ホリーは自分の上着でリザを巻くと、その上から改めてワイヤー巻いた。
ホリーに詰めるバートに、グレコが駆け寄った。
「バート! 無事でよかった!」
「副隊長! なんでここに⁉︎」
舞台の縁から、ロブが恐る恐る顔を出した。
「大丈夫なの? こんなことして」
正体に気づいたホリーは言った。
「ロブ。逃げるんだ」
ロブは飛び上がって頭巾を脱ぎ捨てた。
「本当に⁉︎ やったー! 吸血鬼がいないところへ行くんだ!」
「吸血鬼も一緒だ」
「えっ⁉︎」
申し訳なさそうにエルベルは立ち上がった。身構えるグレコに、バートは言った。
「エルベルは仲間です。信用できます」
驚いたグレコは、何度も頷きながら、嬉しそうにバートの背中を叩いた。
むずがゆくなって、バートは火を灯すために離れた。
心配そうにロブが言う。
「これからどうするの?」
「ガーデンへ行く」
「かなり遠いよ?」
「心配ない。食料も持ってきた」
ホリーの胸がはち切れんばかりに大きくなっていた。取り出そうとするホリーをバートが止めた。
「やめろ馬鹿!」
グレコが笑顔を見せた。
「全力を出さないとは知っていたが、ここまでの動きができるとは思わなかった」
「私には吸血鬼の血が入っている」
「そうだったのか」
「早く行こう。国がどう出るかわからない」
「リザはどうする?」
「思わぬ収穫だ」
「おそらく、処刑仕損じたことがわかれば、彼女の身が危ない」
エルベルが呟くように言った。
「処刑される。……男性なら確実に。けれど……」
ホリーはグレコに聞いた。
「話が通じる相手か?」
「人間と仲良くするようなタイプでないことは確かだ」
後ろでロブが殺されかけたと騒いでいる。
ホリーはうなずいた。
「一人なら十分に相手ができる。リザは私が面倒を見る。グレコはみんなを守っていてくれ。説得するが、無理なら諦める」
ホリーは易々とリザを担ぎ上げ、歩き出した。
逃亡開始だ。夜が明ける前に日差しを避けて休める場所を探さなくてはならない。
人数が増えたことで、食料には余裕がない。一行は急いで基地を目指した。
数分走ったところで、ヘロヘロになったロブをグレコか背負うことになった。
一時間が経つ頃、ホリーが静かに言った。
「気をつけろ」
ホリーはリザを遠くへ放り投げた。
リザはゴロゴロと地面を転がると、ワイヤーが肌に食い込むのも構わず、ワイヤーを引きちぎった。丈夫な骨のおかげで、バラバラになることはなかった。
ホリーはリザに呼びかけた。
「落ち着いて聞いてほしい。私たちは国から逃げてきた。ガーデンへ向かっている。お前の失態は取り返しがつかない。一緒にガーデンへ行こう」
「よくも! 許さないよ!」
リザは血走った目で叫んでいる。
バートは小声でホリーに言った。
「あんなことをされて怒らないわけがなだろ」
「怒らせているんだ」
ぼそりと言うと、二歩三歩と進み出た。
怒らせて余裕をなくし、隙をみて気絶させるのだと、予測できたバートは苦い顔をした。
ロブたちを下がらせると、グレコが待ったをかけた。
「すまない! 乱暴なことをして。まずこれを着てくれ」
グレコはローブを脱ぐと、リザにジリジリとにじり寄った。
下着姿であることに気がついて、リザは破れた毛布で急いで肌を隠した。差し出されローブに、瞬時に袖を通す。
少し下がったグレコは呼びかけた。
「国に帰りたいか?」
「はんっ! 国に帰ったところでもう、あたしに居場所なんかないよ! だからと言って、ガーデンなんかに行くくらいなら、死んだ方がマシさ!」
「君には人間の血も流れているんじゃないか?」
「侮辱するな!」
「悪かった。侮辱するつもりはないんだ」
ホリーがさらに前へ出る。
「私も吸血と人間の子どもだ」
「一緒にするな!」
「このままでは間違いなく吸血鬼社会は行き詰まるだろう。処刑を繰り返し、血が濃くなり過ぎれば、子どもを産めないばかりか、作れなくなるだろう。お前ならそんな吸血鬼たちを救ってやることができるんだ。リザ。救世主にならないか?」
「はあ……?」
思わぬ提案に、リザは混乱した。
「吸血鬼に復讐したかったんじゃないか?」
「だ、黙れ!」
「認められたかったのか?」
「うるさい!」
「どちらも叶えられる」
「騙されるもんか!」
「それとも、死にたかったのか? どうして処刑人をやっている? 女の仕事とは思えない」
俯いた瞬間、ホリーの蹴りがリザを襲った。
倒れるリザ。
「繰り返せば諦めもつくだろう」
しれっと言ってのけるホリーにバートたちが乾いた視線を送った。
カウクリッツの奴らめ、余計なことをしやがって。
役人のジョンはバルカンに手を焼きながらも、研究所への移送の手筈を整えた。
そうだ、とバルカンは言った。
「ねえ、もしバートくんが牢屋に戻されることがあったら、僕のところに連れてきてよ。人手がいるんだ」
「検討する」
「うわぁ、嘘だね。人が増えて余ってんじゃないの? いるでしょ? 手に余る人」
それはお前だと内心辟易しつつ、ジョンは無感情に言った。
「それを判断するのは領主様であって、私の領分ではない」
「いやいや、君たちが取り計らっているんでしょ。吸血鬼に人間の機微はわからないもん」
ようやく国の境まで来た。
やっと解放されると、ジョンはすぐにトラックをおりた。運転士にあとは頼んだぞと声をかけたその時、雷の音が聞こえた気がした。
音は止まず、みるみる近づいてきた。
空を裂くような爆音と共に、黒い塊が姿を現した。宙に浮いている。
腰を抜かすジョン。
バルカンが嬉々としてトラックを飛び降りた。
「嘘でしょ! 本物だ! 信じられない! やった! やったぞ!」
歓喜するバルカンに、ジョンは恐る恐るたずねた。
「なんだあれは! おい、手を振るな!」
「あれはヘレコプターだよ! 確かね! プロペラで空を飛ぶ乗り物だよ!」
「ジ、ジム! 急いでこのことを伝えるんだ!」
運転手はうなずくと、ハンドルを切って来た道を引き返した。
国際救助隊がやってきた。
大災害は地球規模で荒廃を引き起こしたが、北アメリカ大陸の被害は比較的小さく、生き残った者たちは少しずつ社会を再建し、分断されていた集まりは次第に繋がりを取り戻していった。アジアとアフリカとの通信を回復し、最も被害の大きかったユーラシア大陸に救助隊を派遣できるまでになっていた。
吸血鬼たちは衝撃を受ける。救助隊の技術力は、銀を使った大規模攻撃が可能なほど高い。こちらを攻撃、あるいは支配するつもりはないとのことだが、彼らは吸血鬼のことをよく知っていた。吸血鬼以上に、情報を持っているらしい。
幸い、領民たちは高度な技術を厄災の原因だと思っている。関わり合いになろうとはしないだろう。
バルカンのような人間を追放する場所として利用すばよい。
けれども、一度発生した不安は解消しなければならない。
エルベルの元へ、使者がやってきた。罪状を告げられ、エルベルは呆然となる。
エルベルの処刑が決まった。三日後。それまでに身辺を整理するように仰せつかった。
使者が帰ると、メアリーはホリーとメアリーに向かって叫んだ。
「あなたたちのせいです! ああ、なんてこと!」
エルベルは穏やかに言った。
「それは違うよ。メアリー。僕は遠征で失態を犯し、あまつさえ職務を放棄しようとした。これは僕の責任なのだ。僕の……。せっかくシモンやメアリーたちに命を繋いでもらったというのに。どこまでも情けないね、僕は」
そこへ使用人のマックが駆け込んできた。
「メアリー! 他にもたくさんの方々が死刑を勧告されている!」
「なんですって⁉︎ ああ……」
噂に聞く引き締めだ。他の領地ではよくあることだと耳にしたことがある。新領主の決めたことだろう。理由にたいした意味はない。メアリーは目の前が真っ暗になった。
よろめくメアリーを支えて、ホリーは聞いた。
「避けられないことなのか?」
「避けられない」エルベルはうなずいた。「避けてはならないことだ」
「なぜだ」
「なぜって。それが紳士のあるべき姿だから」
バートは言った。
「逃げよう」
おろおろと慌てるエルベルに、バートはもう一度言った。
「今すぐ逃げよう」
メアリーが制した。
「お待ちなさい」
ホリーは考える。
「逃げたらメアリーたちに迷惑がかかるだろうか?」
「いいえ。ラミアの方々はそこまでの責任を人間には課しておりません。いいですか。今逃げれば追っ手がかかります。一番警戒されている時期ですもの」
「最も警戒が緩むのは?」
メアリーは腹を括った。
「先生は教えてくださいました。かつて、支えていた主人が処刑された時のことを。失礼ですが、エルベル様はくらいが低うございます。おそらくは国の外れにあるという処刑場が選ばれるでしょう。そして、他には執行人のみが唯一のラミアとしてことにあたるでしょう」
「なるほど。そこが逃げどきか。一人を相手にすればいいだけだ」
バートが難しい顔をした。
「でも、エルベルには戦力がなさそうだぜ? 身体の動かし方をわかってない」
メアリーはバートをねめつけた。
「バート、口を慎みなさい。まったく……。聞きなさい。衣服を引き取るために、使用人を二人まで付き添わせることが許されております。あなたたちは軍人なのでしょう?」
ホリーはうなずいた。
「ありがとう、メアリー。必ず逃してみせる」
エルベルは首を左右に振った。
「待ってくれ。いけないよ。そんなことをしてはいけない。処刑人はとても凶暴で、君たちの命が危ない」
「心配するな。私は強い」
俺も強いとは言えずに、バートは聞いた。
「どこに逃げるかだよな。カウクリッツには水しかないぞ」
「ガーデンに行こう。基地を経由すれば水はある。ギョーム氏なら必ず保護してくれる」
エルベルの気持ちは変わらない。
「行けないよ。逃げるなんてできない」
メアリーが懇願した。
「エルベル様。どうかお逃げください。使用人一同、エルベル様のためだけに、働いてまいりました。どうか我々の仕事を否定なさらないでください。処刑場に立たせるために、私たちは働いてきたのではありません」
「そんなつもりはないよ。ただーー」
ホリーがエルベルの腕をつかんだ。
「いらないというのなら、その命を私にくれないか?」
「えっ……?」
バートは笑った。
「こいつのしつこさは死神以上だぜ」
真夜中。執行日を迎え、エルベルはバートたちを伴って出頭した。
行政官らしき吸血鬼によって国の外へと連れて行かれた。
そこでは頭巾を被った黒ずくめの三人組が待っていた。行政官は引き継ぎを済ませると、引き上げていく。
ホリーは執行人たちを観察した。両脇の二人が人間であることは間違いないが。真ん中は吸血鬼にしてはやや小柄だった。
一行は連れ立って処刑場へと向かった。荒野の中に、ぽつんと申し訳程度に石造りの舞台がある。到着すると、最も体格のいい処刑人が四方の松明を灯していく。
エルベルは手順通りにマントを脱いで、ひざまづくと、首元をはだけた。ヒョロリとした処刑人が、震える手で、エルベルの襟足を切り落とす。
エルベルもまた緊張していた。首を差し出し、息を止める。
銀製の剣をかまえた処刑人、リザが神経を集中させる。
剣を振り上げたその瞬間、後ろに控えていたホリーが飛び出した。袖口に隠していた小瓶を投げつける。
リザは冷静に小瓶を弾いた。ホリーに向かって行こうとしたが、割れた瓶から液体が気化して、火がついた。リザの左腕に燃えうつり、炎をあげた。一気に全身へと広がる。
その間にエルベルは炎と一緒に転がるようにして身を遠ざけ、舞台の下に落ちた。慌てて駆けつけたバートは上着を脱ぐと、バシバシと叩いて消化する。反対側では、危機を察知した処刑人、グレコがひょろひょろのロブに体当たりして避難していた。
リザは素早く回転すると、火を吹き飛ばした。風圧で松明の灯りも次々と消える。
真っ暗になった時には、ホリーは目にも止まらぬ速さで、リザをワイヤーでぐるぐる巻きにしていた。
引きちぎろうとしたリザは、細く鋭いワイヤーが服が焼けてあらわになった肌に食い込むのを感じた。
「バラバラになるぞ」
そう言って裏を取ったホリーは、振り返ったリザの顎を力一杯殴りつけた。
リザはあっけなく崩れ落ち、剣を突きつけようとしていたホリーは拍子抜けした。
グレコは頭巾を脱いで、声をかけた。
「彼女に銀は効かないぞ」
ホリーは真顔のまま、内心驚いた。
作戦を知らされていなかったバートが怒鳴る。
「焼き殺す気か!」
バートを無視して、ホリーは自分の上着でリザを巻くと、その上から改めてワイヤー巻いた。
ホリーに詰めるバートに、グレコが駆け寄った。
「バート! 無事でよかった!」
「副隊長! なんでここに⁉︎」
舞台の縁から、ロブが恐る恐る顔を出した。
「大丈夫なの? こんなことして」
正体に気づいたホリーは言った。
「ロブ。逃げるんだ」
ロブは飛び上がって頭巾を脱ぎ捨てた。
「本当に⁉︎ やったー! 吸血鬼がいないところへ行くんだ!」
「吸血鬼も一緒だ」
「えっ⁉︎」
申し訳なさそうにエルベルは立ち上がった。身構えるグレコに、バートは言った。
「エルベルは仲間です。信用できます」
驚いたグレコは、何度も頷きながら、嬉しそうにバートの背中を叩いた。
むずがゆくなって、バートは火を灯すために離れた。
心配そうにロブが言う。
「これからどうするの?」
「ガーデンへ行く」
「かなり遠いよ?」
「心配ない。食料も持ってきた」
ホリーの胸がはち切れんばかりに大きくなっていた。取り出そうとするホリーをバートが止めた。
「やめろ馬鹿!」
グレコが笑顔を見せた。
「全力を出さないとは知っていたが、ここまでの動きができるとは思わなかった」
「私には吸血鬼の血が入っている」
「そうだったのか」
「早く行こう。国がどう出るかわからない」
「リザはどうする?」
「思わぬ収穫だ」
「おそらく、処刑仕損じたことがわかれば、彼女の身が危ない」
エルベルが呟くように言った。
「処刑される。……男性なら確実に。けれど……」
ホリーはグレコに聞いた。
「話が通じる相手か?」
「人間と仲良くするようなタイプでないことは確かだ」
後ろでロブが殺されかけたと騒いでいる。
ホリーはうなずいた。
「一人なら十分に相手ができる。リザは私が面倒を見る。グレコはみんなを守っていてくれ。説得するが、無理なら諦める」
ホリーは易々とリザを担ぎ上げ、歩き出した。
逃亡開始だ。夜が明ける前に日差しを避けて休める場所を探さなくてはならない。
人数が増えたことで、食料には余裕がない。一行は急いで基地を目指した。
数分走ったところで、ヘロヘロになったロブをグレコか背負うことになった。
一時間が経つ頃、ホリーが静かに言った。
「気をつけろ」
ホリーはリザを遠くへ放り投げた。
リザはゴロゴロと地面を転がると、ワイヤーが肌に食い込むのも構わず、ワイヤーを引きちぎった。丈夫な骨のおかげで、バラバラになることはなかった。
ホリーはリザに呼びかけた。
「落ち着いて聞いてほしい。私たちは国から逃げてきた。ガーデンへ向かっている。お前の失態は取り返しがつかない。一緒にガーデンへ行こう」
「よくも! 許さないよ!」
リザは血走った目で叫んでいる。
バートは小声でホリーに言った。
「あんなことをされて怒らないわけがなだろ」
「怒らせているんだ」
ぼそりと言うと、二歩三歩と進み出た。
怒らせて余裕をなくし、隙をみて気絶させるのだと、予測できたバートは苦い顔をした。
ロブたちを下がらせると、グレコが待ったをかけた。
「すまない! 乱暴なことをして。まずこれを着てくれ」
グレコはローブを脱ぐと、リザにジリジリとにじり寄った。
下着姿であることに気がついて、リザは破れた毛布で急いで肌を隠した。差し出されローブに、瞬時に袖を通す。
少し下がったグレコは呼びかけた。
「国に帰りたいか?」
「はんっ! 国に帰ったところでもう、あたしに居場所なんかないよ! だからと言って、ガーデンなんかに行くくらいなら、死んだ方がマシさ!」
「君には人間の血も流れているんじゃないか?」
「侮辱するな!」
「悪かった。侮辱するつもりはないんだ」
ホリーがさらに前へ出る。
「私も吸血と人間の子どもだ」
「一緒にするな!」
「このままでは間違いなく吸血鬼社会は行き詰まるだろう。処刑を繰り返し、血が濃くなり過ぎれば、子どもを産めないばかりか、作れなくなるだろう。お前ならそんな吸血鬼たちを救ってやることができるんだ。リザ。救世主にならないか?」
「はあ……?」
思わぬ提案に、リザは混乱した。
「吸血鬼に復讐したかったんじゃないか?」
「だ、黙れ!」
「認められたかったのか?」
「うるさい!」
「どちらも叶えられる」
「騙されるもんか!」
「それとも、死にたかったのか? どうして処刑人をやっている? 女の仕事とは思えない」
俯いた瞬間、ホリーの蹴りがリザを襲った。
倒れるリザ。
「繰り返せば諦めもつくだろう」
しれっと言ってのけるホリーにバートたちが乾いた視線を送った。