第30話
文字数 2,281文字
―ー―邸宅のリビング
由美の旦那の実家から送られてきたハタハタを幸子が調理して、リビングのテーブルに、翼と座って夕食をとっている。
幸子「どう翼、おいしい?」
ハタハタの塩焼き。ネバネバしたハタハタの卵を食べる翼。
白子が入った方を食べる幸子。
幸子「本当は雄の方が美味しんだってよ、知ってる翼?」
――ー邸宅1階の廊下
長くて暗い廊下もいくつもの空っぽの部屋も、暗がりの中に溶けこんでいる。
稲妻が閃き、バスルームの中にいる何者かの姿を照らしだした。ずぶ濡れの服からは冷たい雨水が滴り落ち、バスルームのタイルに小さな水溜まりを作っている。暗がりの中で、その影はバスタオルを掴むと、体を拭き始め、タオルを落とすと、ゆっくりと廊下に向かって歩き出した。足音はほとんど聞こえない。廊下の暗がりに進み、影はリビングに向かって忍び寄っていたが、不意に方向を変え、離れていった。
時間経過。
二人きりの夕飯は終わり、食べ終えた食器。
幸子「(片づけをはじめる。残りものにラップをして冷蔵庫へ)」
翼「(ソファーに座ってテレビを見ている)」
幸子「(台所の方から)翼、二階の雨戸閉めてきてくれる?」
翼「これみたら」
リビングのカレンダーは12月。
雨音がひどくなり、成熟したヒップラインをくねらせて二階に上がって行く幸子。
ベランダの雨戸を閉める幸子のブラウスの乳房の丸みが強調される。
翼の部屋の電気が点いている。幸子「もう」と、消しに入る。
翼の机の引き出しの中に自分の下着や口紅が入っているのを発見する。散乱した机の上のノートに注意がいく。僕は毎日、女性になりたいという思いと戦ってきました。自分の内側に女性の存在を感じる。できれば口を閉ざしていたいが、もうカモフラージュしていることはできない。たとえ、その実体が大部分、罪悪感であったとしてもだ。なぜなら、今の人生は他人のために振る舞っているような自分の人生であり、何一つ真実につながるものがないような気がするからである。つまり、それは死んでいるのと同じだからだ。自分自身でない何かとして生きることはもう嫌だ。女性になりたい。女性として、自由に飛んでいけるハイウェイを目指したい。そう綴られた文章や、とても美しい女が鉛筆で描かれている。その顔はどことなく幸子を思わせた。
幸子はドアを閉め、階段で1階に降りていく。翼に聞こうとしたが、本人の口から確かめることはできず、そのまま寝室に行くと、由美のところに電話する。
どこもかしこも雨の音がして、それぞれちがう音を立てている。
幸子「翼のことでーー」
ーーー由美の家
由美はいかにも心配しているふうに、眉を寄せた。
由美「どうしたのよ……」
幸子「翼の部屋に私の下着があったの」
由美は、尻切れトンボに言葉尻を濁した。
由美「ええ? 下着が……」
ーーー幸子とボスの寝室
何年か前に翼に打ち明けられたことがあたことを由美に話す幸子。
幸子「翼は、その問いに対する私の答えに自分のすべてがかかっているかのように私を見つめていた。そんな時、最初に言う一言が大切だと自分でも分かっていた。なのに、それを聞いたとき、ただ怖くなって頭が混乱してしまった。夢を見るのは素敵だけど、現実には向き合わないといけない。あなたは決して女性にはなれない、と私は言ってしまった。何かが私の喉元に込み上げてきて、恐ろしいと思った。まわりから差別され、あざけられるのが怖くて、自分の置かれた状況に恥ずかしさと戸惑いを感じ、そのことから逃げてしまった。それ以降、その話題が再び上ることはなかった」
ところが、今になって、幸子は翼の精気と若さを奪うにいたったという事実を知り、翼の苦悩は果てしないものだと痛感する。閉じた瞼の下から涙がこぼれ、顔を伝う。「翼は心から女性になりたいと思っていたのに、その時、私は翼を抱きしめてあげられなかった。あなたが欲しいものを手に入れられることを心から願っている。どんな時でもお母さんはあなたのそばで祈っている。そう言ってあげられなかった」後の声は言葉にならなかった。
由美「(溢れんばかりの感情に喉が詰まる)そんな……」
由美「そんなこと、急にいわれても。母親である幸子だって困るの当たり前じゃない」由美は涙がにじみ出る目をこすった。
幸子は裕福な生活をしているうちに、自分自身が少々傲慢になっていることに気づいていなかった。それは自分では見えないたぐいのものである。実際のところ、幸子自身もそう見られることを望んでいた。このことは、幸子の中に住む悪魔だけが知っていた。
幸子「(私ったら、なんという恥知らずになってしまったのだろう。この世において大事なのは、そういうことではない。本当に大切なのは、世間にどう映るかよりも、それが自分の信じる道かどうかだ)」
ユミ「(とめることができずに涙がまた頬をながれ、手の甲でぬぐう)」
事実を吞みこんでから5分ほどが経ち、電話を終えた幸子がリビングに戻って行く。しかしそこには誰もいない。翼は自分の部屋で音楽を聞いて雑誌をよんでいる。
ーー明かりが消えた部屋。しかしその闇の中には、男の顔が黒々とした影となって浮かびあがって見える。
幸子「静けさがとつぜん不吉なものに思われる。暗い廊下が、果てしもなく延びているような錯覚が……。もちろん誰もいない」
キッチンからピチャピチャと水滴の垂れる音。
おぼつかない足どりで蛇口を閉めにいく幸子。急にほっとして息をはくまで、息をとめていたこともわからなかた。
そして、翼よりも先にお風呂に入ってしまおうと、寝室に戻り、下着とパジャマを持ってバスルームに入って行く。
由美の旦那の実家から送られてきたハタハタを幸子が調理して、リビングのテーブルに、翼と座って夕食をとっている。
幸子「どう翼、おいしい?」
ハタハタの塩焼き。ネバネバしたハタハタの卵を食べる翼。
白子が入った方を食べる幸子。
幸子「本当は雄の方が美味しんだってよ、知ってる翼?」
――ー邸宅1階の廊下
長くて暗い廊下もいくつもの空っぽの部屋も、暗がりの中に溶けこんでいる。
稲妻が閃き、バスルームの中にいる何者かの姿を照らしだした。ずぶ濡れの服からは冷たい雨水が滴り落ち、バスルームのタイルに小さな水溜まりを作っている。暗がりの中で、その影はバスタオルを掴むと、体を拭き始め、タオルを落とすと、ゆっくりと廊下に向かって歩き出した。足音はほとんど聞こえない。廊下の暗がりに進み、影はリビングに向かって忍び寄っていたが、不意に方向を変え、離れていった。
時間経過。
二人きりの夕飯は終わり、食べ終えた食器。
幸子「(片づけをはじめる。残りものにラップをして冷蔵庫へ)」
翼「(ソファーに座ってテレビを見ている)」
幸子「(台所の方から)翼、二階の雨戸閉めてきてくれる?」
翼「これみたら」
リビングのカレンダーは12月。
雨音がひどくなり、成熟したヒップラインをくねらせて二階に上がって行く幸子。
ベランダの雨戸を閉める幸子のブラウスの乳房の丸みが強調される。
翼の部屋の電気が点いている。幸子「もう」と、消しに入る。
翼の机の引き出しの中に自分の下着や口紅が入っているのを発見する。散乱した机の上のノートに注意がいく。僕は毎日、女性になりたいという思いと戦ってきました。自分の内側に女性の存在を感じる。できれば口を閉ざしていたいが、もうカモフラージュしていることはできない。たとえ、その実体が大部分、罪悪感であったとしてもだ。なぜなら、今の人生は他人のために振る舞っているような自分の人生であり、何一つ真実につながるものがないような気がするからである。つまり、それは死んでいるのと同じだからだ。自分自身でない何かとして生きることはもう嫌だ。女性になりたい。女性として、自由に飛んでいけるハイウェイを目指したい。そう綴られた文章や、とても美しい女が鉛筆で描かれている。その顔はどことなく幸子を思わせた。
幸子はドアを閉め、階段で1階に降りていく。翼に聞こうとしたが、本人の口から確かめることはできず、そのまま寝室に行くと、由美のところに電話する。
どこもかしこも雨の音がして、それぞれちがう音を立てている。
幸子「翼のことでーー」
ーーー由美の家
由美はいかにも心配しているふうに、眉を寄せた。
由美「どうしたのよ……」
幸子「翼の部屋に私の下着があったの」
由美は、尻切れトンボに言葉尻を濁した。
由美「ええ? 下着が……」
ーーー幸子とボスの寝室
何年か前に翼に打ち明けられたことがあたことを由美に話す幸子。
幸子「翼は、その問いに対する私の答えに自分のすべてがかかっているかのように私を見つめていた。そんな時、最初に言う一言が大切だと自分でも分かっていた。なのに、それを聞いたとき、ただ怖くなって頭が混乱してしまった。夢を見るのは素敵だけど、現実には向き合わないといけない。あなたは決して女性にはなれない、と私は言ってしまった。何かが私の喉元に込み上げてきて、恐ろしいと思った。まわりから差別され、あざけられるのが怖くて、自分の置かれた状況に恥ずかしさと戸惑いを感じ、そのことから逃げてしまった。それ以降、その話題が再び上ることはなかった」
ところが、今になって、幸子は翼の精気と若さを奪うにいたったという事実を知り、翼の苦悩は果てしないものだと痛感する。閉じた瞼の下から涙がこぼれ、顔を伝う。「翼は心から女性になりたいと思っていたのに、その時、私は翼を抱きしめてあげられなかった。あなたが欲しいものを手に入れられることを心から願っている。どんな時でもお母さんはあなたのそばで祈っている。そう言ってあげられなかった」後の声は言葉にならなかった。
由美「(溢れんばかりの感情に喉が詰まる)そんな……」
由美「そんなこと、急にいわれても。母親である幸子だって困るの当たり前じゃない」由美は涙がにじみ出る目をこすった。
幸子は裕福な生活をしているうちに、自分自身が少々傲慢になっていることに気づいていなかった。それは自分では見えないたぐいのものである。実際のところ、幸子自身もそう見られることを望んでいた。このことは、幸子の中に住む悪魔だけが知っていた。
幸子「(私ったら、なんという恥知らずになってしまったのだろう。この世において大事なのは、そういうことではない。本当に大切なのは、世間にどう映るかよりも、それが自分の信じる道かどうかだ)」
ユミ「(とめることができずに涙がまた頬をながれ、手の甲でぬぐう)」
事実を吞みこんでから5分ほどが経ち、電話を終えた幸子がリビングに戻って行く。しかしそこには誰もいない。翼は自分の部屋で音楽を聞いて雑誌をよんでいる。
ーー明かりが消えた部屋。しかしその闇の中には、男の顔が黒々とした影となって浮かびあがって見える。
幸子「静けさがとつぜん不吉なものに思われる。暗い廊下が、果てしもなく延びているような錯覚が……。もちろん誰もいない」
キッチンからピチャピチャと水滴の垂れる音。
おぼつかない足どりで蛇口を閉めにいく幸子。急にほっとして息をはくまで、息をとめていたこともわからなかた。
そして、翼よりも先にお風呂に入ってしまおうと、寝室に戻り、下着とパジャマを持ってバスルームに入って行く。