第九話:高山藩主・金森頼時

文字数 8,021文字

 そういえば、あの時も、まさにこのような感じだった。
 身体に力が入らない。
 いやむしろ身体中から力そのものが流れ出していくような、そんな感覚すら抱いてしまう。
 四肢はおろか、指先を持ち上げることすら難しく思える。
 節々がきしんで痛い。
 発熱のせいであろうか。
 あの時と違っているところがあるとすれば、当時は激しい咳と鼻汁でまともに呼吸ができずにいたが、いまはそうでないということぐらいだ。
 だがそれ以外については、意識が混濁し眼に映る世界がぼやけて歪むことに至るまでまったく同じと言っていい。
 私は死ぬのか。
 あの時と変わらぬ予感が脳裏に浮かぶ。
 ひとりでいるにはあまりにも広すぎる畳敷きの部屋。その中央に広げられた布団にその身を横たえながら思った。
 無念だ、と。
 私は、まだ何も成し遂げておらぬ。
 あの時の約定を、まだ果たしてなどおらぬのだ。
 死にたくはない。
 死ぬわけにはいかない。
 あの時もそう思った。
 だが、それは死というものに対する純粋な恐怖から来た感情だった。
 いま私が覚えているものとそれは明らかな別物だ。
 そう言えば、あれはいったいどれぐらいむかしのこととなるのだろう?
 混濁した頭で私は考える。
 十年?
 いや十五年ではきかぬはず。
 確か私が麻疹にかかり生死の狭間をさまよったのは、四つになったばかりの頃だ。
 そうか、あれからもう十七年もの歳月が流れたのか。
 私は、無意識のうちに思い出す。
 整った顔立ちを持った、ひとりの健気な娘の顔を。
 歳は十をひとつふたつ過ぎた頃。
 当時の私にとってはもう十分な大人と思える年頃だった。
 私は、夢うつつのままその娘に向かって呼びかける。
 あの時、病に苦しむ私の側にずっとそなたはいてくれたな。
 (みやび)
 そなたが額に当ててくれた掌の感触、私はいまだに忘れることができぬ。
 私が二つのおりに他界し、その顔すらおぼえておらぬ「我が父」
 妙に居丈高で、実の子への情愛など欠片も見せてくれたことのない「我が母」
 そして、私そのものではなく、私の座所にのみにかしづく「家来ども」
 そんな者どもが与えてくれぬ穏やかな温もりを、そなたは私に注いでくれた。
 もしそなたがいなかったなら、私は生きる苦しみから逃れる道をあるいは選んでいたかも知れぬ。
 あの時の私には、そなたが必要な存在だった。
 いや、そうではない。
 いまでも変わらず、私にはそなたが必要だ。
 必要なのだ。
 後悔が私の全身を激しく貫く。
 私は、そなたを手放したくなどなかった。
 なろうことなら、永遠にこの身の側に置いておきたかった。
 春風のごとき優しさを、我が命が果てる時まで感じ続けていたかった。
 私がそなたを妻に娶ると申したことは、断じて幼子ゆえの戯言ではない。
 あれは私の赤心から出た、嘘偽りなき(まこと)の想いだった。
 身分低き女が産んだ、私に仕えるひとりの女中。
 私より八つ年長の、後ろ盾なきただの娘。
 だが、それがいったいどうしたというのだ。
 私が本心から求め欲する女を我が伴侶として迎えることに、いったいなんの遠慮がいるというのか。
 しかし、あの時の私は、まだそうするに足る力を持たなかった。
 我が一族の頂点に立ちながら、まだ無力な六つの幼児だったあの時の私には、そなたを守ることも、そなたを引き留めることも、文字どおり叶わぬ夢に過ぎなかった。
 母と重臣どもの手筈によって、私はそなたと引き離された。
 わずか十四にして、見知らぬ男のもとに嫁ぐことを強いられたそなた。
 私は、去り際にそなたが残した言葉を生涯忘れはせぬ。
 いや、忘れたりなどするものか。
「殿。良きご領主とおなりあそばせ。そして、この飛騨高山に、この地に住むすべての人々に夢と希望とをお与えくださいませ」
 その言葉は、私の魂、その奥深くにくっきりと刻み込まれた。
 誓う。
 誓うぞ、雅。
 私は必ずや良き領主となり、この地を、そなたの愛したこの国を、豊かな、そして温もりあふれる桃源郷としてみせる。
 誰にもその役目は譲らぬ。
 それはこの私が、私こそが成し遂げなくてはならないことなのだから。
 雅よ。
 見ておってくれ。
 私は必ず、必ず──…

 ◆◆◆

 障子の向こうから差し込んでくる朝の日差しに誘われて、飛騨高山藩主・金森出雲守頼時は、その重いまぶたをゆっくりと開けた。
 大きく息を吸い込んで、長々とそれを吐き出す。
 全身が鉛のように重い。
 首を動かすのもおっくうだった。
 純白の寝間着は、汗で冷たく濡れている。
 異常な量の汗だった。
 突如として降りかかった身体の不調が彼を病床の住人に変えて以降、そうした異変はある意味で日常茶飯事の出来事となってしまっていた。
「誰かおらぬか」
 弱々しい声で、彼は間近に控えているはずの小姓を呼んだ。
 「お呼びでしょうか?」と襖を開けて姿を見せた若者に向け、頼時は水を持参するよう命じる。
 無性に喉が渇いている。
 とても耐えられるものではなかった。
 ぐっと顔をしかめながら起き上がった頼時は、小姓が運んできた椀を無造作に受け取るとその中身を確かめることなく口にした。
 干物のように乾ききったおのれの肉体が、のどを流れ落ちる冷水を得て新たな生気を得たように感じる。
 快感だった。
 生きているという実感が身体中にみなぎってくる。
 小姓を側に置いたまま小さくひと息を付いた頼時は、無意識のうちに天を仰いだ。
 もっとも、いま彼のいる座敷の中からは空の様子などうかがい知ることはできない。
 日差しの強さから青く高い天空を連想することは叶っても、それをこの目で見ることまでは望めなかった。
 「障子を開けよ」と頼時は小姓に命じた。
 澄んだ空気を胸一杯に吸い込みたくなったからだった。
 飛騨高山三万八千石・金森家の居城──高山城。
 臥牛山(ふせうしやま)と呼ばれる高台に築かれたその城は、かの織田信長が築いた安土城から強い影響を受けたと言われる堂々たる風格を備えた城塞であった。
 藩主・頼時が伏しているのは、その天守に設けられた一室だ。
 ほぼ最上階に等しいその流麗な座敷は、親族や重臣、もしくは彼の身の回りを世話するひと握りの者のみが出入りを許される特別な空間だった。
「空しいものだな」
 唐突に頼時は呟いた。
 それを聞き付けた小姓の若者が「は?」と応じたのを無視するように、彼は淡々とひとりごちる。
「私は、ただひたすらに良き領主足ろうとしてきた。おのれを律し、身を正し、美しき流れを築こうと尽力してきた。だが、天は我に時を与えてはくれないようだ。雅。そなたとの約定は果たせぬやもしれぬ」
 いや、と自嘲気味に笑って彼はわずかに顔を伏せた。
 頼時は思った。あるいはそれも、この私が禁忌の想いを抱いたことへの罰なのだろうか。
 私は知るべきではなかった。
 そなたと私との関係を。
 知ってなおこの想いが消え失せぬのなら、むしろ知らぬほうがよかった。
 雅よ。
 私は地獄に堕ちるだろう──…
 側に控える小姓の背後で、ふたたび襖戸が開いたのはその時だった。
 魁偉な容貌を持った中年の侍がその向こうから現れる。
 城代家老の姉倉玄蕃であった。
「殿、ご気分はいかがでございますか?」
 膝を屈し、うやうやしく頭を下げながら彼は言った。
 頭を剃り上げた初老の男がその脇にいて、同じように深々と平伏していた。
 頼時の侍医・大村(おおむら)寿仙(じゅせん)だ。
 でっぷりと肥え豪奢な着物に身を包んだ玄蕃とは対称的に、ひょろ長くやせた地味で神経質そうな小男である。
 彼は小さく前に進み出ると、「お薬湯の時間でございます」とにこやかに相好を崩して頼時に告げた。
「ご苦労」
 頼時は短く寿仙を労い、小姓の若者が毒味を済ませた薬湯をのどの奥へと流し込んだ。
 強い苦みがその顔をしかませる。
 毎度のことではあるが、だからといって慣れられるものではなかった。
「良薬は口に苦し、でございます」
 そう告げたのは玄蕃であった。
 彼は寿仙と小姓の若者をこの場から退席させると、頼時のすぐ脇に陣取り難しい顔を浮かべて主と対した。
「玄蕃」
 信頼する城代家老に向け頼時は言った。
「また、あの夢を見た」
「左様でございますか」
「雅は、私のことを許してくれぬのだろうな。いや、それも当然のことだ。私自身、叶うことならこの身を焼きつくしてしまいたくなるほどなのだから」
「何をおっしゃいます、殿」
 まるで忠臣が君主を諫めるかのような勢いで、玄蕃は頼時の言をとがめた。
「殿は、この飛騨高山藩三万八千石を背負って立つ大事な御方。軽々にそのようなことを申されてはなりません」
「だが、天はそう考えてはおらぬようだ」
 病のため落ち窪んだ両眼でおのが手をじっと見詰め、頼時は自嘲した。
「見よ。もはや、この手は自在に刀を振り回すことも叶わぬ。守るべき責務も果たせず、あまつさえ大切に慈しむべき玉までも傷付けた私のような愚か者には、まさしく相応しい末路であろう」
「殿……」
 自らの行いを悔い生きることを放棄したかのような君主の言葉に、姉倉玄蕃は声を震わせゆっくりと顔を伏せた。
 両肩を小刻みに揺らしながら嗚咽しているかのようにさえ見える。
 だが、端からはうかがい知ることのできぬその口元は明らかな歓喜の愉悦に醜く歪みきっていた。
 のどの奥からいまにもうれし笑いがこぼれだしそうな、それはそんな表情にほかならなかった。

 ◆◆◆

 藩主・金森頼時が病に倒れたのは、彼が将軍家側用人の任を解かれおのが国元へと帰還した矢先の出来事だった。
 当初は、単に疲れからきた風邪、そのように思われていた。
 城に控える侍医たちも、みなそのような診断を下していた。
 だが、その症状が一向に快方に向かわずただ月日だけが過ぎ、やがては彼らも、藩主の煩いが自身の手に負えぬ代物であると認めざるを得なくなった。
 腹痛、発熱、嘔吐、下痢。
 それらの症状に、ひとつひとつ対処していくよりほか、打つ手などなかった。
 自らの無能を棚に上げ、「これはなんらかの毒物によるものではないか?」との妄言を発し、自死に追いやられた侍医までもが現れる始末であった。
 藩主は、死病に取り憑かれたのやもしれぬ。
 その現実は金森家ばかりでなく、藩の重臣たちをも根こそぎ混乱のどん底へと突き落とした。
 まだ若い頼時には、そのあとを受け継ぐべき子息がいないからだった。
 藩を、金森家を継ぐ者がおらねば、言うまでもなく飛騨高山藩は幕府によって改易の憂き目となり、その命により国入りしてくる領主のもと、新たな藩政が敷かれるだろう。
 そしてそれは、金森家家臣団のすべてが一夜にしてその禄を失い野に下るということを意味している。
 あってはならぬことだった。
 想像するだに恐ろしい可能性に直面し、家中は大きくふたつの意見に別れた。
 双方とも自説を譲らず、藩の要職に就く家臣たちは激しい議論を繰り返した。
 一方の案は、頼時の弟・重詰がそのあとを継ぐというもの。
 もう一方の案は、頼時存命のうちに名のある他家から養子を受け入れ、その者が金森家を相続するというものだった。
 金森家譜代の重臣たちは、その大半が前者を支持していた。
 重詰は現当主・頼時よりさらに若く、それゆえ能力的にはまったく未知数な人物だ。
 その点に異論はない。
 しかし、重詰は少なくとも他家の者(よそもの)ではない。
 血筋の濃さから言えば、彼に勝る後継者など考えられまい、というのが彼らの主張だった。
 正論ではある。
 ただし、その根本にあるものは彼らの抱くあからさまな猜疑心であった。
 他家よりの養子を受け入れれば、ともに来る新参の家臣団が自らの既得権益を脅かすのではないか、という恐怖心に近い感情だと言えるかもしれない。
 後者を支持する最大勢力は、当主・頼時の実母を中心とするものであった。
 遠州横須賀藩初代藩主・井上(いのうえ)正就(まさなり)の血を引く彼女は、その夫である先代・頼業亡きあともなお隠然たる力を家中に保持し続けていた。
 だが、それはあくまでも彼女の息である頼時あっての権勢であり、それなくしては維持することの叶わぬ砂上の楼閣であった。
 彼女にしてみれば、おのれの権力を失わないためには、なんとしてでも頼時の血筋を絶やすわけにはいかなかったのである。
 なればやはり自らの子である次男・重詰があとを継いでもよさそうなものだが、彼にはすでに正室がおり、その実家と頼時の実母とは極めて折り合いが悪かった。
 要するに、彼女としては直接の血の繋がりがなかろうとも祖母としてその手足を操ることの叶う年若い養子のほうが、より好ましい存在だったというわけなのだ。
 そんな彼女の側近として家中に暗躍していたのが、城代家老・姉倉玄蕃だった。
 彼は巧みな弁舌をもって頼時の実母を扇動。
 重詰派家臣団を切り崩し、いまや水面下で藩論の大勢を掌握する寸前まで行っていた。
 いや、その言論を弁舌と評するには抵抗がある。
 それは、理路整然とした言葉の展開ではなく、いわば場当たり的な二枚舌の類であったからだ。
 彼は幕府による金森家転封の意志をことさらに大きく頼時の母へ伝えた上で、その実現が彼女と対立する嫁の実家を藩政から切り離すことに繋がると力説。
 その口を通じて、重詰派家臣団を正面から威嚇したのである。
 いまのうちに彼女の側に付かねば、金森家転封ののちどのような仕打ちがその身に降りかかるものかよく考えてみよ、と。
 そして、状況はおおむね玄蕃が臨む方向に推移しつつあった。
 このままの流れが続けば、新領主の祖母を後ろ盾とした玄蕃の立場は国替え後の金森家においてまさしく盤石のものと化すだろう。
 それは、権力志向の強い侍であれば誰もがよだれを垂らして求めかねないほどの立ち位置であった。
 だが、玄蕃の胸中に燃える野心はその程度の権力で満たされるほど浅い器ではなかった。
 彼の欲望は、さらなる「力」をまるで飢えた鮫のごとくに求めて止まなかった。
 一国を影で自在に操るのではない。
 国そのものをおのれの手中に収めるのだ。
 心の奥底からこんこんと湧き出てくるどす黒い飢えを満足させるために。
 そして、そのためには、なんとしても現当主・金森頼時には死んでもらわなくてはならない。
 それなくしては、彼の野望が達せられることなどないのだから。
 頼時の寝所を退いた玄蕃は、傍らに並んで歩く寿仙に向かってささやくように声をかけた。
「あと、どれぐらい保つものか?」
「怪しまれぬよういまのままの投薬を続けますれば、およそ半年といったところでありましょうか」
 領主の容態について、こともなげに寿仙は言ってのけた。
 その言葉からは、領主への敬意といった感情など寸分も見て取れなかった。
 余命半年。
 それを聞いた玄蕃はにやりと口元をほころばせ、「もう少し長引かせるよう、薬の量を調整せよ」と寿仙に告げた。
「出羽守殿の手筈が整うまで、殿には生き長らえていただかねば困るからのう」
「御家老様も難しい立場であられますな」
 大村寿仙は、そんな玄蕃を真っ向から皮肉った。
「ご自分の手で殿のお食事に毒を盛られたにもかかわらず、そのお命が続くよう願わねばならないとは」
「滅多なことを申すでない」
 玄蕃は彼をたしなめた。
「わしは、この金森家のためを思ってこそあえて泥を被る役を引き受けておるのだ。殿おひとりのわがままで、家中の者すべてが禄を失うことなどあってはならぬからな。そうであろう?」
「間違いござりませぬ、御家老様」
 寿仙は、見事なまでの追従を見せた。
「しかれば、ことの暁には、それがしを幕府の御殿医に──」
「ああ、推薦してやろう。ことの暁にはな」
 小さく鼻を鳴らして玄蕃は言った。
 親しげな言葉づかいとは裏腹に、彼はこの貧相な医師を欠片も信頼してなどいなかった。
 そもそも師匠の若い後妻と密通し危うく処罰されるところであったこの男を手駒として買い取ったのは、今回の計画あってゆえのことだ。
 初めから使い捨てにする予定である人間に心からの情など抱けるわけもない。
 用人の生島数馬には、頼時が息を引き取った時点で、自死に見せかけ彼を抹殺するよう伝えてある。
 口封じのためだ。
 領主の命を守れなかったことに対する謝罪の死。
 そう公に主張すればそれを疑う者も少なかろうし、むしろ「寿仙。あれは忠義者よ」との評価すら受けるだろう。
 それまでは、せいぜい腹黒い夢を見させてやろう。
 玄蕃は別れ際、寿仙の背中に向けてそんな言葉を贈ってみせた。
 小者が高望みをすることは身の破滅を呼ぶものぞ、と。
 やがておのれの屋敷へと帰り着いた玄蕃は、正門を潜るや否や用人・生島数馬を呼び出した。
 この度の謀は、そのほとんどがこの切れ者の頭脳から産み出されたものだ。
 他人を信じぬことでは人後に落ちない鷲鼻の男が、唯一心から頼りにしているのが彼であった。
 人払いを済ませた奥座敷でひとり杯をあおる玄蕃のもとへ数馬がやってくるまで、さほどの時はかからなかった。
「お呼びでございましょうか、御家老」
「待っておったぞ。近う寄れ」
 ことのほか機嫌良く数馬を迎えた玄蕃は、軽く右手を振りながら信頼する側近をおのれの目の前まで迎え入れた。
「金森の殿は、あと半年ほどの命だそうじゃ」
 のどの奥で込みあげる笑いを押し殺しつつ、玄蕃は数馬にそう告げた。
「柳沢出羽守殿のほうからは、何か申してきたか?」
「いえ、特には」
 数馬は答えた。
「あちらも順調に進んでいるという証左でありましょう」
「そうか。それならば良い」
 満足げな表情で、玄蕃は大きく頷いた。
「あとは、例の娘を我が手の内に収めるのみよの」
「左様でございます、御家老」
「殿亡きあと、新たに金森を継ぐべき御仁の妻がこのわしの養女ともなれば、次代の殿は我が義理の息子ということじゃ。残る殿のお母上と弟君には早々に殿のあとを追っていただくとして、そうなれば国替え後の金森家、ひいてはその領地領民はまさにこのわしの思うがままとなろう。楽しみなことじゃ」
「家中の論は、すでに大勢を決しつつあります」
 主の言を後押しするように、数馬は告げた。
「当の重詰殿ご自身が、『新たなご領主が金森血筋の娘を娶るのであれば』と申されておりますゆえ、まず覆ることはないかと」
 くくっと玄蕃はのどを鳴らした。愉悦を抑えきれなくなったのだ。
「まさか、これほどうまくことが進むとはのう。数馬。そなたの知謀、古の竹中(たけなか)半兵衛(はんべえ)にも勝るわ。誉めてつかわすぞ」
「もったいなきお言葉」
「して、次なる手は考えておるのか?」
「は、それにつきましては」
 数馬は言った。
「それがし、近いうちに秋山弥兵衛と談合いたすつもりでございます」
「談合じゃと?」
 それを聞いた玄蕃は、驚いたような目で数馬を見た。
「そのようなまどろっこしいことをせずとも、腕ずくで奪い取ればよいではないか」
「いえ、それは考えが浅うございます」
 数馬は主をたしなめた。
「先に浪人どもや忍びの者どもを差し向けたのは、秋山に対するいわば警告。ゆえに、うまく行かなくてもかまいませなんだ。ただ、我らが本気であることさえ知らしめればよかったのでござる」
 「ほう」と興味深そうな表情を玄蕃が浮かべる。「話を続けてみよ」
「我らの『力の行使も辞さぬ』という決意を知った秋山は、必ずやこちらとの話し合いを求めることでありましょう。ひとたび流血沙汰ともなれば、あの者にとっておのれの不利益は明らかだからでございます。そして、ことを穏便にすませたいと願うのは我らも一緒。捨て身の秋山に公儀へ訴え出られては、いささか面倒なこととなりましょうからな。もし刀を用いなくても良いのであれば、それに越したことはないのでござる」
 「力」を誇示することで相手に実利の選択を迫り、もって戦わずして我が意を達すること。
 これぞまさしく「兵法」の極意でございます。
 そう言って、数馬は言葉を締め括った。
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